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167 母たちの思惑

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 夏、ノースロップでドリアンとマーリアルが企み始めたあること。

 嫡男ドレイファスと公爵家紅一点のノエミの婚約話。
ドリアンに任されたマーリアルが着々と動いていた。

 避暑から戻るとマーリアルはまず、サンザルブ侯爵夫人イヴェルとハミンバール侯爵夫人リリアントのために茶会を催した

「ようこそ、まだお暑い中をいらしてくださって感謝いたしますわ」
「こちらこそ、ご招待に預かりまして御礼申し上げます」

 ふたりの侯爵夫人は揃って丁寧なカーテシーをしてみせた。

「ささ、どうぞお座りになって」

 美しいイヴェルと聡明なリリアント、そして太陽のように華やかな美しさを誇るマーリアルが揃うと壮観だ。

「イヴェル様はもうお召し上がりになっていらっしゃるかもしれませんけれど」

 そう言ってから、マーリアルは飲み物を運ばせた。

「しゅわしゅわ」

 音を立て、小さな粒が浮かんでは消えていく不思議な水にリリアントは目を丸くしている。

「あら!これ、シエルドが持ち帰りまして、毎日頂いておりますわ」
「ええ、我が領地のノースロップ湖に湧いている不思議なお水ですの。味をつけてございますからどうそお上がりになって」

 飲み慣れたイヴェルが躊躇わずに手をのばすと、ひんやりと冷たい感触がカップ越しに伝わってきた。
 こくこくととても小さくのどが鳴る音が聞こえてリリアントの注意が逸れる。

「本当にとってもおいしいですわ!」

 鈴のような美しい声で褒めたイヴェルに、鷹揚に頷くマーリアルを見、リリアントもカップに口をつけた。

「ん?まあ!」

 一言のあと、止めることが出来ないようにごくごくと飲み干して。

「これは一体何ですの?」

 ずずっと前に迫り出してマーリアルに訊ねると、待っていてかのように話し出した。

「これが何かははっきり言えないのですわ。でも土地の者はずっと飲んでいたそうで、ローザリオ様とシエルドの鑑定調査で飲んでも安全なものと確認も取れております。不思議でしょう、水の中から泡がしゅわしゅわと湧いては消えるのですもの。でもそれが独特の喉越しを生んでとっても美味しく頂けるのですわ」

 三人とも飲み物をおかわりし、今度はぷるんやウィーの焼き物クレーメがけなど、前にドレイファスが催した茶会でも出している公爵家自慢のスイーツなどを並べて饗した。

「ところで皆様、お子達の婚約などはどうされるおつもりか伺ってもよろしくて?」
「ええ、どうぞ」

 イヴェルは自分にお鉢が回ってくるなど、これっぽっちも考えいないので気楽に答えたのだが。

「嫡男はトニウ国にいる私の縁続きの者と婚約しておりますが、シエルドはまだまだ。ローザリオ様のような錬金術師になると申しておりますし、貴族でなくなったらお相手に申し訳ないですし」
「あら!ローザリオ・シズルス様も男爵を叙爵するようですわよ。シエルド様もいずれは、ね。」

 耳の早いリリアントがなぜか声を潜めてふたりに教えた。

「そうでしたの!」
「まあ、存知ませんでしたわ」
「御存知でなくともしかたないことですわ、今日公示されたばかりですもの」
「では今頃ローザリオ様のアトリエは大変ですわね。お祝いを用意しなくてはなりませんわ」

 イヴェルとマーリアルが頷きあう。
いつもの面々で祝の会を催すことになるだろう。楽しく美味しい宴のメニューがマーリアルの頭の中を飛び交っていた。

「リリアント様のルートリア様は?」
「まだですわ。どなたか良い御令息がねえ」

 ちらりとマーリアルを見る。
 リリアントひとりの考えではなく、ハミンバール侯爵家はもちろん先代侯爵夫妻も、フォンブランデイル公爵家との縁組ができたら最高だと考えている。
 年齢的に釣り合う令息の中でもっとも爵位が高いのがドレイファスなので、皆がドレイファスを狙っていた。

「そうなのですね、我が家もまだ誰も。良いご縁をそろそろ考えたいと思っておりますのよ」

 リリアントとイヴェルは、ドレイファスの婚約者候補はハミンバール家の令嬢だと気がついた。リリアントはうれしさを隠せずに口角をあげる。
 しかしイヴェルは首を傾げた。それでは何故自分が呼ばれたのかと。

「我が家にはまだお披露目をしていない娘がおりますのよ、イヴェル様」
「お嬢様が?」
「ええ、シエルドからは何も聞かれては?ノエミと申しまして、じきに五歳になりますの」

 マーリアルの碧い目がイヴェルを見てほんのりと微笑んだ。
付き合いの深いイヴェルには、何か企みがあるときのそれだとすぐにわかってしまう。

 ─何かしら、マーリアル様とっても面白がっていらっしゃるみたい─

 イヴェルは警戒したが、リリアントが化粧直しに席を外したとき、それは斜め上からやってきた。

 すっと立ち上がったマーリアルが素早く近寄り、小さな声で囁いたのだ。

「ノエミがシエルドを白馬の王子様だと慕っておりますの。将来はシエルドのお嫁さんになりたいのですって。
この件、ワルター様とご相談頂けないでしょうか。早すぎた婚約にありがちなことが起きた場合、解消に応じることも約束致しますので」

 驚いて小さく口を開けたままのイヴェルがマーリアルを見つめているのを確認し、表情を引き締めてさらに声を潜めながら先を続ける。

「正直なところ私どもは、ノエミが第一王子殿下の婚約者候補に挙げられるのを何よりも怖れております。どうか、どうか前向きにご検討くださいますようお願い申しあげます」

 公爵夫人からのそのお願いは、彼女をよく知るイヴェルにも意外なほど、そしてこのような席で話すこと自体がおかしなほど真剣なものであった。

 リリアントの足音が遠くから聞こえ、 マーリアルはさっと自席に戻り、何もなかったようなにこやかな笑顔で出迎えた。


「本当に隅々まで素敵なお屋敷ですわね」




 ─この館の女主人にルーティがなるかもしれないのだわ─

 化粧直しと言ってマーリアルたちと離れ、すぐ夫であるハミンバール侯爵エライオに伝言鳥を飛ばしてきた。

『フォンブランデイル公爵夫人との茶会で内々に、ルーティに婚約の打診がございましたので改めて申し入れがあるでしょう。帰宅次第ご相談を』

 光の鳥が飛び立ち数秒の後。
ひゅっと現れた夫が飛ばした光の鳥が囁いた。

『それは素晴らしい!リリの帰宅を心待ちにしている』

 此処から先は、イヴェルはいるが少しでも具体的な情報をマーリアルから引き出さねばと、リリアントは意気込んだ。
 ふたりの元に戻ると、イヴェルは赤い顔をしてマーリアルは上機嫌ににこにことして待ち受けていた。

「この屋敷はまだ新しいのですわ。建て替えたときに調度品は私の趣味で統一しましたの。いつかドレイファスが結婚するときは・・・ここは私の気に入りの屋敷ですから新築してもよいかもしれませんわね」

 そのさらりと言った言葉に、リリアントはあんぐりと口を・・・開けそうになったがなんとか閉じていた。

 ─結婚で屋敷を新築するですって?当然この規模よね?公爵家はそこまで力があるの?すごい、思っていた以上の力と財力だわ─

「あ、あのマーリアル様。さきほどのお話しをもう少し伺いたいのですが」
「さきほどの話?」
「ええ、婚約の」

 マーリアルは、目を細めたままリリアントを見つめ返す。

「我が家には四人のこどもがおりますの。おふたりともよくご存知のことと思います嫡男ドレイファス、次男のグレイザール、長女のノエミと、三男のイグレイドと申しまして。まずはドレイファスの婚約を考え始めたところですのよ」

 ごくりと誰かの喉が鳴る。

「ドレイファスと末永く仲良くいてくださるご令嬢がいらっしゃればと思っておりまして、まあはっきり申しますとハミンバール侯爵ご令嬢ルートリア様が候補のおひとりですわ」

 直球勝負である。

「だってドレイファス付の侍女が申しておりましたのよ、ルートリア様にハンカチをお借りして御礼の品をお渡ししたら、ルートリア様からさらなる御礼のお返しを頂いて、それを大切にしまい込んでいるそうなのです」

 ふふっと、今までの貴族の圧を感じさせる笑いではなく、素のマーリアルのままで笑いをこぼした。

「可愛らしいでしょう?ドレイファスの初恋かもしれませんわね。
それに先日お目にかかったルートリア嬢は可憐で楚々としていらして、しかも御母堂様は旧知のリリアント様ですもの。候補者筆頭は、間違いなくルートリア嬢ですわ」
「それは・・・恐悦至極でございます」
「まだもうお一方候補がおりますので、今日の明日のという申し入れはお約束できませんけれど」

 本当は他の候補などいない。
実はマーリアルは、去年ドレイファスが催した茶会に集まった令嬢たちの中からルートリアを見定めていたのだ。幸いにも出自は侯爵家で釣り合いがよく、その母は自分の学友。
 勿論マーリアルとて、他派閥の筆頭侯爵夫人に収まっているリリアントが学生時代と同じとは思っていないが、全く見知らぬ相手よりポイントが高い。
 そして、ハミンバール侯爵家一族が代々清廉な貴族であり続けているということも、ルートリア一択の理由であった。

「いつか正式に申し入れに伺う日が参りましたら、私とってもうれしいですわ」

 マーリアルはこうしてルートリア・ハミンバール侯爵令嬢をドレイファスの婚約者候補にキープしたのであった。
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