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159 次期公爵の片鱗

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 夏休みが始まる数日前。
 学院ではエメリーズがぱったりと来なくなってしまい、まことしやかに噂が流れ始めた。

「お兄さまが犯罪者になってしまったらしいですわ」
「まあ!いやだわ、そんなご家族がいらっしゃるなんて」

 ロントンが戻るまでの僅かの時間も惜しむように、あちこちで囁く声がする。
トレモルはドレイファスが苛ついていることに気づいて、声をかけた。

「ドル、大丈夫?」
「なんか、こういうのすごくイヤだよ」
「ああ、そうだね。ぼくもだ」

 ギリッと唇を噛み締めていたかと思うと、何かを決意して立ち上がったドレイファスが教壇へと向かった。

「みんな、聞いて!」

 少し高めの声が響き渡り、級友たちの目がドレイファスに向けられる。

「エメリーズが休んでいる理由をみんなが勝手にいろいろいうのはやめよう」
「でもお兄さまが犯罪だなんて」
「エメリーズがそれをやったわけじゃない。そんなことするような子じゃない。わかるよね?いつも一緒に勉強してきたんだから」
「だけど怖いですわ」
「怖い?怖いのはきっとエメリーズのほうだよ!きっとみんなにこう噂されてるって怖がって来られないに違いないよ!考えてもみて。もしみんなの兄上や姉上が事件を起こしてしまったら」
「うちの兄上はそんなことしません!」

 誰かの声があがる。

「エメリーズだってきっとそう信じてたと思うよ・・・。もしもって考えてみてと言ってるだけだ。自分がやったことじゃないのに、みんなに自分までそれをやったように見られるんだ。どう思う?」

 教室の中は静まり返った。

「そんなの悲しい。自分は自分なのにって思う」

 カルルドが答えてくれた。

「家の全員がどんなにがんばっていても、ただ一人でもそういう人が出たら、家の全員がダメだと言われてしまうんだって、だから家族みんながちゃんとしないとダメなんだって、父上から教わったけど。
学院の中で、エメリーズはやっていないことをエメリーズもやったみたいに言うのはやめようよ。つきあいたくないならつきあわなければいい。でも同じクラスにいる限り、そうやってエメリーズの兄上の噂を、エメリーズのことみたいに言うのはやめてほしいんだ」

 教室の外にはロントンが佇んでいた。
入ろうとしたとき、ドレイファスの声が響いて、様子を見ることにしたのだ。

 ─公爵家嫡男は伊達じゃないな─

 ロントンはこの数日クラスに漂うよくない雰囲気に、自分が言おうとしていたことを、拙いながらも自分で考えて発言したドレイファスを好ましく思った。

 ─貴族は。一人の不祥事さえ家の不祥事と蔑まれてしまう。それを理解した上で─

 普段はどちらかというとおっとり構えているドレイファスの正義感に溢れる姿を見て、いずれ公爵家を率いていく器なのだと痛感させられた。
 大きく息を吸い、呼吸を整えて。

「みなさん!」

 扉を開けて、大股でざくざくと教室へと踏み入る。

「フォンブランデイル公爵ご令息、ドレイファス様」

 ロントンは彼なりに敬意をこめ、敢えてこう呼んだ。

「ありがとうございます、あとは私が引き継いでも?」
「はい」

 こくと頷いて自席へ戻るのを待ち、ロントンが話し始めた。

「ドレイファス様が私が考えていたことをすべてお話しくださいましたが、私もエメリーズ様はエメリーズ様。彼自身がしたことではないそれを、彼に負わせることのないようにと考えています。最終日には顔を出してくれるでしょう。その時は噂話は禁止です。いつもどおりに」
「いつもどおりなら、噂話もいつもどおりにしたほうがいいのでは?」

 ロントンは発言した者を睨んだ。

 ─なんと愚かな者なのだ─

「エメリーズ様に対してということです。他のことは構いませんが、真実ではないことに踊らされないように、真実でないことでともだちを貶めることをしないようにと言っています」
「でもエメリーズの兄上が犯罪者なのは真実ではありませんか?」
「違います。真実はまだ明らかではないのです。もし彼の兄上の罪だとしても、エメリーズ様自身の罪ではありません。私のクラスでそのようなことは許しませんよ。いいですね?」

 納得いかない顔をする者もいたが、ロントンは押し切った。ドレイファスやその一派は間違いなく自分の味方だと信じられたので、それも力になった。

 帰り際、ドレイファスがいつもの皆とまとまっているとロントンに呼び止められた。

「ドレイファス様、今日はありがとうございました。エメリーズはともだちとおっしゃられたお姿、大変ご立派でした」

ロントンに褒められると、ドレイファスは褒められたことが不本意のような拗ねた顔をした。

「エメリーズとはいつもどおりでいようと、みんなとも決めています」

 ドレイファスの言葉にシエルドたちが続々と頷くのを見て、公爵家嫡男と側近候補と聞かされている彼らが誰にまとめられ、率いられているのか。
ロントンは特別に優秀なシエルドやカルルドではなく、ドレイファスなのだと気づかされていた。

「気をつけてお帰りください」

 ドレイファスたちが帰っていく後ろ姿を見やりながら、ロントンは次期公爵家も安泰だとなんとなく感じていた。



 ロントンの予想通り、夏休み前日、人目を気にしながらエメリーズが登校してきた。
 馬車の車寄せで偶然ドレイファスとトレモルに出会ったエメリーズは、さっと目を伏せ、歩調を変えて距離を空けようとしたのだが。

「おはようエメリーズ!久しぶり」

 そうドレイファスとトレモルに両脇を挟まれて、困惑した顔を見せた。

「エメリーズ、おはようは?」

 ドレイファスが無言で俯くエメリーズをくすぐる。

「うっわっ、やめっやめてってば」
「だって挨拶してるのに、何も言わないんだもの。おはようは?」
「お、おはよ・・・」
「一緒に教室に行こうよ、ね、トリィ」

 トレモルもエメリーズの腕を取り、エメリーズは逃げられなくなった。

「そうだ!今日帰りの馬車が迎えに来るとき、みんなの分のレッドメルを持ってくるから一個あげるね」

 そう言ってうれしそうにくぷぷと笑うドレイファスを、信じられないものを見たように見つめ、エメリーズが口を開いた。

「あの・・・ドレイファス様はご存知ないのでしょうか?」
「ん?」

 碧い目がにこやかに、小首を傾げたと思うと。

「兄上のことなら聞いたけど」
「えっ!知っていて僕と話して下さるのですか?」

 ドレイファスの碧い目は少し悲しげに、しかしエメリーズをしっかりと見据えて言った。

「・・・エメリーズ、それはエメリーズがやったことではないし。他の誰が君をそういう目で見ても、ぼくらにとって君はただのともだちのエメリーズだから」

 すんっとエメリーズが鼻を啜る。

「うっううっ」

 涙が溢れて止まらなくなって、トレモルがせっせと拭いてやる。

「大丈夫、ぼくらは変わらないから」

 やさしいドレイファスの声にエメリーズは泣き崩れ、トレモルが背中を擦ってやった。


 あとからボルドアとアラミスが追いつくと、四人でエメリーズを囲み、泣き顔の少年を笑わせようとドレイファスが脇をこちょこちょとくすぐりながら歩いて、アラミスに注意されたり。
 教室に入ったとき、一瞬しーんと静まり返ったが、それをぶち破るように放たれたドレイファスの大きな声でいつもの雰囲気が取り戻される。

「おはよう、みんな!」
「おはようこざいます」
「お、おはよう、エメリーズ様」

 誰かがエメリーズにも声をかけると、やっぱりエメリーズの涙は止まらなくなった。

 成績表をもらい、休みの間の注意を受けるとエメリーズについては同じクラスのままとロントンが告げて。
 真っ赤な顔をしたエメリーズはこくんと頷き、他の生徒たちも同じように頷いて返した。

「あ!みんな帰るの待って!うちの馬車にお土産があるから、僕と馬車に来てください。ロントン先生も!」

 ハーメルンの笛吹き男のように、級友をずらずらと後ろに従えて車寄せに向かう。
公爵家のエリアは、公爵以下の子息子女は許可のある者しか入れない。いつもの顔ぶれ以外はほとんどが初めて踏み入れるのだ。

「塀が違うね」
「踏み石もほら」

 ドレイファスは気にしたことがなかったが、こんな車寄せでも、爵位ごとに違いがあったらしい。差別・・・という言葉が頭をちらりと掠めた。

「じゃ、一人づつ渡します」

 メルクルが馬車から一玉づつ、生徒たちに手渡していく。

「うっわあ、おおきい!」
「すっごいね!」

 歓声があがるのをにこにこと眺めていると、ルートリアがやってきた。

「ルートリア嬢、こんな重たいの持てる?」

 ドレイファスがわざわざ訊ねたので、メルクルはおや?と思ったのだが、訊かれたルートリアは

「大丈夫ですわ!おまかせくださいな」

 そう言って、がしっと大玉のレッドメルを抱きしめる。とってもうれしそうに、

「ドレイファス様、ありがとうございます」

 さすがにカーテシーはできないので、ちょこんと頭を下げた。

「うんっ!それ絶対おいしいからねっ」

 メルクルは可愛らしいドレイファスにクスと笑いながら、最後に並んでいたエメリーズにレッドメルを渡そうとした。

「あの、ぼくほんとに・・・?」
「エメリーズ!もう、いいんだってば。ちゃんとみんなの分のを持ってきたんだから、もらってよ」

 また遠慮しようとしたエメリーズに、メルクルから受け取ったレッドメルを自ら手渡してやる。

「おいしいんだから。おいしいものたべれば元気でるから。ねっ!もう泣かないの」

 ぽろぽろと目尻から溢れる涙を、またトレモルが拭いてやるのだ。
小さな声でエメリーズにだけ聞こえるようにトレモルは言った。

「ドルも僕も。いままでもこれからもずっと君のともだちだ。だからあきらめないで」

 エメリーズの後ろに並んでいたロントンにもそれは聞こえた。
 ドレイファスがまわりに与えている影響が、如何に愛情深いものか。しかしそれでいて、貴族としての弁えも忘れない。
公爵家嫡男と彼を囲む五人の将来、素晴らしい貴族や騎士となっていくのだろうと想像して微笑みを浮かべた。


「先生!」

 にこにこと喜ぶ生徒たちを眺めていると、自分の番だとドレイファスに声をかけられる。

「いや、本当にいいのかね?」
「ええ、公爵家にはレッドメルの群生地がありますから、ご遠慮なくどうぞ」

 メルクルが勧めてくれ、ずっしりと重い果実を両手で受け取った。

「あ、賄賂じゃありませんよ、センセ!暑中見舞いです」

 メルクルの言葉にみんなで笑って。
そうして夏休みに突入していった。

 わいろって何?とドレイファスが首を傾げていたのは秘密。
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