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129 イライラはもう終わり

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 夏が終わり、秋が来るとこどもたちはまた毎日学院に通い始めた。
 前と違うのは、カルルドが授業のあとにミース先生のところに寄るようになったこと。ふたりでトロンビーの生態を研究することになったらしい。

「生態ってなに?」

 ドレイファスが訊くが、まわりのこどもたちは知らなかった。いや、メリテアだけは知っている。

「動物たちがどうやって毎日過ごし、何を食べて暮らしているかなどを生態というのですわ」
「それ、研究すると楽しいの?」
「・・・・・・」
「ぼくは錬金術の研究がたのしいよ、新しいことを知ることができるのが素晴らしいんだよ」

 シエルドとカルルドは学ぶということに貪欲だ。もちろんボルドアもトレモルも武術には貪欲、興味あることなら楽しいに決まっているのだが、それが勉強だとドレイファスの頭の中で

「なんで?」

となってしまうらしい。

「ドルもさ、何かコレっていうものを早く見つけたほうがいいと思うよ」

 シエルドにさらりと言われて悔しくなるが、本当のことだから言い返せなかった。

 帰りの馬車でもシエルドに言われたことが悔しくて、自分もこれ!というものを早く見つけたいと焦る気持ちが唇を噛ませる。
屋敷について馬車から降りたドレイファスを見て護衛についていたメルクルが驚き、顔を覗き込んだ。

「ドレイファス様、唇が切れています!一体いつの間に」

 ドレイファスは唇に手をあて、見てみると僅かな血液がついていた。

「大丈夫、自分で噛んじゃっただけだから」

 そういうとハンカチで口を拭い、タイリーに手渡そうとした。
するとタイリーはハンカチをほんの指先だけで摘んだのだ。
それを見たメルクルは

(うわ、感じ悪っ!なんだこの侍女ひどいなっ)

と思ったが、そのときは口にはしなかった。自分の一言で大事になりかねないからだ。
 しかし、タイリーにずっと我慢していたドレイファスの目にもそれは映っていて、こちらは我慢の限界を超えた。

「タイリー、おかあさまの部屋へいくからお知らせしてきて」

 侍女に向かって、珍しく苛立った声でドレイファスが指示を出した。

「ドレイファス様、大丈夫ですか?」

 メルクルが心配して顔を覗き込むと、碧い瞳は少し半眼気味で

「もう我慢の限界」

 そう呟いた。
 いつもなら護衛騎士はエントランスでお役御免だが、レイドがまだ来ていないこともあり、公爵夫人の部屋までメルクルがついて行く。

 ドレイファスは母に帰宅の挨拶のあとでタイリーを自分の部屋へ戻すと、母に侍女長のアリサを呼ぶよう頼むという非常に珍しいことをしたので、マーリアルはすぐ反応した。
 侍女長とドレイファス、メルクルを前に何があったのかを息子に尋ねる。

「タイリーはいつも、朝ぼくが顔を洗うと言うまでお湯の用意をしないし、着替えるというと初めてクローゼットを開けて今日着る服の用意を始めるんだ。さっきは切れた口を拭って血のついたハンカチを指先で摘まれてすごく汚いものを持つような感じにされた」

 タイリーへの不満が、一気に小さな口から噴き出してきた。

「あら、口が切れたの?大丈夫?」
「ちょっと噛んでしまっただけ」
「馬車が揺れたのかしら?」
「揺れていない・・・」

 言いにくそうな息子の顔に、親に言いたくないようなことがあると察し、追及はやめたが。

「こういうときはまず、双方の話を訊くことが大切なの。ドレイファスの言うことを信じていないということではないのよ、お互いに言い分があり、また見方や立場が変われば違う捉え方になることもあるから、それを擦り合わせた上で判断することが必要だから。覚えておいてね」

 母とそっくりな息子は大きく頷いた。

「朝の支度についてはあとで確認するわ。ハンカチの件は・・・」

(ドレイファスの感じ方かもしれないから・・・)

 困ったなとマーリアルが思ったとき、メルクルが手をあげた。
発言を許すとマーリアルが頷いたのを確認し

「ハンカチの件はドレイファス様のおっしゃるとおりです」

 メルクルが援護する。

「貴方も見ていたの?」

 小さく頷いたメルクルは自分の胸ポケットからハンカチを取り出すと、さきほどのタイリーのように、ほんの指先だけで摘んで見せた。

 マーリアルとアリサの口元が少し歪む。

「あなたにはそう見えたということ?」
「はい、不敬だと感じるほどでした」
「ドレイファスは?」

 こくんと頷き、小さく答える。

「そういう持ち方だった」

 実際、ドレイファスの唇からの出血はほんの少しに過ぎず、ハンカチも細い一筋の血液が短くついただけだった。しかも血液に触れた箇所を内側に折りこんで渡したのにそうやって摘んだのだからと、見ていたメルクルが憤る。

 マーリアルはため息をひとつつくと

「まだ暑い中、帰ってきたところで災難だったわね。アリサ、タイリーを下げさせて誰か他の者をやって。あと冷やした果実水とランチを用意してあげて。お昼まだでしょう?」

 公爵夫人に深く礼をして、ドレイファスと部屋へと戻るとレイドが待機しており、無事?引き継ぎを終えたメルクルはようやく離れへ戻ることができた。

 少し前にロイダルが情報室総長付きとなったように、タイリーも翌朝の対応を確認して侍女長付きとされ再教育が始まるだろう、メルクルはそう考えていたが。

 本来ならタイリーにも聞き取りをすべきだが、アリサがドレイファスのハンカチをタイリーに持ってこさせたところ、本当に指先で摘んで現れ、血液も確かに細くほんの一筋ついているが内側に折り込まれていて、メルクルの証言の正しさが証明された。

 アリサはもうタイリーを公爵一族の専属侍女に上げる気はなく、良くて侍女長付、聞き取りによってはメイドに格下げしてそのまま雑用をやらせると決めている。辞めさせられないだけマシだと思うか、辞めたほうがマシと思うかはタイリー次第。
 公爵家では誰にでも平等にチャンスが与えられる。がんばったのに失敗した場合は挽回のチャンスも与えてもらえるが、怠け者や公爵家の使用人という自分に酔って勘違いをする者には手厳しいのだ。


 ドレイファスは母の部屋で二つのうち一つの不満をぶちまけて、すこしスッキリした気分になった。また失礼なタイリーの顔を見たらイヤな気持ちになるかもしれないけど。
 ところが、待てど暮せどタイリーは戻って来ない。代わりに母のそばによくついているキリが来てくれた。

「タイリーはどうしたの?」

 気になって訊いたドレイファスに、

「タイリーはもっと学びが必要だとわかりましたので、お勉強のやり直しをしております」

はっきり言わないが、なんとなくわかった。

「じゃあこれからはキリがいてくれるの?」

 眉をハの字にしたキリが

「そうできたらうれしいのですけど、今代わりを選定中ですわ」

残念そうに言った。

 このところのドレイファスはタイリーやロイダルと合わず、特にタイリーにはイライラさせられ通しだったので、嘘のないキリの表情一つでも癒やされる気がする。

「うん、キリだったらぼくもうれしいんだけどな」


 マーリアルと侍女長は今回よく相談をした。
身元や背後関係は調べ尽くしているのだが、本人のやる気や裏に隠された性格はなかなかわかりかねるものだと改めて痛感した。

 タイリーは三年目で、アリサもやる気を認めたからメイベルの後任に抜擢したのだが。
 問題は抜擢されたあと。
慢心したのか?こども相手と侮ったのか?
アリサが聞き取りをしたところ、本人にはまったく自覚がなく、ドレイファスから文句を言われなかったのでこの程度でよいと、どんどん緩んでいったとのこと。

「ねえ、言われたことだけやる侍女なんかいらないの。しかもあなた、ドレイファス様の使われたハンカチを指先で摘んだわよね。あれ、どういうことかしら?
最初は見習いからやり直させようと思ったけど、話を聞くほど根本的に侍女には向かないようだからメイド長に任せることにしますわ。やる気があるように見せていただけだったのね。騙されたわ、私もまだまだだわね」

 侍女長に宣告されて初めて、タイリーは自分のやっていたことが理解できたようだった。
 泣き崩れ、なんとか侍女に残してほしいと懇願したがアリサの気持ちがブレることはない。

「メイド長に言っておくわ、汚いものが許せないようだからお洗濯かゴミ係の見習いから勉強させるようにと」
「そんな、おゆるしくださ」
「荷物をまとめてメイド寮へ移りなさい、いますぐに」

 アリサは『抜擢した自分に後ろ足で砂をかけたタイリー』だから許さないわけではない。
 大切な主を汚いもののように扱ったこと。
そしてこのような者をやる気がある、仕事ができると評価した己も許せない。
 自身の降格を願い出たが、マーリアルは挽回のチャンスを与えるとアリサに告げた。

 これはのちに、フォンブランデイル公爵家史上、伝説の最強の鬼と呼ばれる侍女長が誕生するきっかけとなった。
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