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126 閑話 夏休みこども生物教室

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 本科の生徒たちが夏休みに入った貴族学院では、二部と呼ばれる侍従クラスや遅れて入学した者の補講クラスが開催されていた。

「カルルド様、ごきげんよう」

 背中から声をかけられて振り向くと、制服姿のメリテアが手を振っている。

「メリテア嬢、こんにちは。夏休みはいかがお過ごしですか?」
「毎日刺繍と課題とダンスの授業に追われていますわ」
「ダンス?」
「ええ、あまり得意ではありませんから夏休みに頑張ろうと思いまして」

(生物教室も苦手を克服するためと言っていた、メリテア嬢ってえらいな)

 口にはしなかったが、心の中でメリテアを褒め称えた。

「今日はどんなお教室をされるのでしょうね?かわいい生き物だと私うれしいのですけど」
「ぼくは虫について知りたいです」
「えっ?」

 気のせいか、メリテアの顔が引きつったように見えたが。


 ファロー・ミースの研究室の前に来ると、手書きで『こども生物教室はこちら→』と書かれた紙が貼ってあって、矢印のとおりに進むと開け放たれた講義室にちらほらこどもが座っていた。

 カルルドが前の座席に座ると、当たり前のように隣りにメリテアが座る。
 えっ?と思ったが、メリテアはただにこにこしているので、なんで隣り?とは言い出せなくなった。
 しばらく待つとミースが助手を連れてやってきて「今年は少ないな」と一言。
「前に集まって」と助手が手招きをして、散らばったこどもたちを近くに寄せた。

「本日は夏休みにも関わらず、勉強に参加した諸君、変わり者って言われてないか?」

 挨拶代わりのミースの言葉に、こどもたちはくすくすと笑う。

「まあせっかくだから、楽しい勉強会にしよう!」

 生物教室ではゴーナ王国に生息する動物や魔物を体系的に整理して教え、その生態や特徴を知ることで人間に役立てたり、また危険性を軽減する手立てを打ったりできると学ばせた。

 ミースの目的は、なるべく早くから生物学に興味を持つ生徒を増やすこと。故に難しすぎず、広く浅く面白いと思ってもらえる程度の講義にしたのだが。

「これ以外の質問があるものが、もしいたら。終了後に声をかけなさい。参加した諸君、今日はありがとう。生物教室はこれで終わります。また来年に」

 参加者を解散させると、ミースは自分の持ってきた資料を片付けていた。

(たいていは講義中の質問で足りてしまうが、もしこのあとにさらに食いついてくる生徒がいたら・・・まあ、滅多にいないんだけどなー)

 そんな風に考えていたところ、現れたのだカルルドが。

「あの、ミース先生。一年A組のカルルド・スートレラといいます」

 ミースは目を見開いてにっこりした。

「スートレラくん、今日はありがとう。楽しんでもらえたかね」

「はいっ」うれしそうに笑う。

 その背後には小さなご令嬢、メリテアが帰りたそうな顔でくっついていた。

「ん、君は?」
「私は一年A組のメリテア・サイラと申します」
「あ、メリテア嬢、ぼくミース先生に教えていただきたいことがあるから、気にしないで先に帰ってください。また新学期に会いましょう」

 そう言われて手まで振られたメリテアは不満そうに唇をギュッと噛み締めたが、カルルドはもう彼女を見ていなかった。
 ミースはメリテアの魂胆が読めたが、久しぶりに食いついてきた生徒を逃す気はない。

「聞きたいこと、いいね、いくらでも教えるよ」

 そういうとカルルドにだけ椅子を出して座らせ、メリテアに手を振った。

「さあ、それでは質問を聞こうかな」



「ぼくはトロンビーの観察をし始めたところなんですが」

 ミースは少年の口から出た名が意外すぎて、うっすら口が開いた。

「トロンビー?それは結構珍しいな。なぜトロンビーに興味を持ったか聞いても?」

 蜂の巣を見つけたことで、眺めているうちに統率の取れた動きに気づき興味を持ったこと。
 観察のために捕獲しようとして、結果巣ごとテイムし、自宅で飼い始めたことなどを話すとミースは身を乗り出してきた。

「なんと!わざわざトロンビーを飼っている?」
「はい、すぅごくかわいいんです」

 訊いたのはそこではないが、トロンビー如きをこんなにうれしそうにかわいいという人間に初めて会ったミースは、カルルド・スートレラという生徒に俄然興味を持った。

「あ!スートレラくんはテイマーなのかね?」
「テイマーってなんですか?」
「ああ、テイムスキルを持っているのかね?」
「あ、はい。そうみたいです」

 捕獲に悩んでいたら、テイムスキルを持っているのだからそれで試してみたらと兄が勧めてくれたこと、テイムしたときの手順、友だちの自宅にあった巣を木ごと伐って家に運んだこと。
 そして今、蜂は毎日屋敷の庭園で蜜を集めもするが、自分が出してやる花の蜜も「待て」をしてから食べたりすると話して聞かせる。

 実はトロンビーかぁとちょっと残念に思ったのだが、カルルドの話を聞くにつけ、ミースは好奇心という名の沼で溺れ始めていた。

 カルルドが話すトロンビーが面白すぎたのだ。
 生物学者の研究は通常、より凶悪なものの力を削ぐためがもっとも多い。伝説のドラゴンは話だけで存在が確認されたことはないが、残虐なボワイルドウルフやファイヤードーンベアを如何に駆逐するか。彼らの生態や弱点、生息域などの研究が功績を上げやすいため、研究対象にする生物学者がもっとも多い。
次は使役に向く魔物だ。ウルフ族や八本足の馬のように、より使役に向く魔物が他にいないかといった研究をする者が多い。
その中でこれまで虫を研究しているという学者には会ったことがなかったが。

「なんてことだ!」

 冒険者にしか使い途はないと思っていたテイムだが、生態観察に役立つなんて考えもしなかった。

「スートレラくん、君のトロンビーだが私と共同研究をしないかい?」
「えっ!」

 研究対象としては相当地味だが。
 今やれば間違いなく虫の先駆者になることができるだろうとミースは考えた。
 それにおとなしそうなカルルドの意外な行動力、なによりも彼のテイムスキルがあれば、生態を知ることが難しいと言われてきた虫以外の生物でも研究できるようになるのではないかと気づいたのだ。

 カルルドには願ってもないような提案で。
ミースには大人の小狡い考えもまあちらりとはあったが。

「よろしくお願いします!」

 そう思いっきり頭を下げたのだった。

「観察日記を読ませてもらっても?」
「まだ六日ぶんしかないんです」
「構わない」

 カルルドが一年生とは思えない丁寧で美しい字で書いている、トロンビーの観察日記に目をやると、ミースはワクワクが止まらなくなった。


『一日目。

 ミルケラさんのおかけで、トロンビーたちのテイムが成功した!何度もテイムと叫んだりしたが、気楽に言ったときに初めてできたのでそれもびっくりだ!

 蜂がよく言うことをきいてくれるのもおどろいた!

 花みつを皿に入れて、待てと言って出すと本当に待っていてくれる!食べていいよというと、みんなで食べ始めるなんて、なんてかわいいんだろう!

 ミルケラさんに言われたとおり、好きに花のみつを取ってきていいし、ぼくがあげるみつも食べていいけど君たちを観察したいんだといったら、僕を気にしないで、前と同じように出たり入ったりをするようになった。

 ちゃんとぼくの言うことをわかってくれるなんて!

 すごいよ、トロンビー!』



 いや、すごいのは君だ!とミースはカルルドを見つめた。
冒険者のテイマーは、テイムした魔物の観察日記など決してつけないだろう。生物学者にとってのテイムというスキルについても研究ができそうだ!

 一年生についてミースには情報がないが、A組ということはそれなりに優秀かつ家力もある貴族の令息ということだ。
 スートレラ・・・?
子爵家のこどもが卒業生にいなかっただろうか?

「エーメ?」

 カルルドが「それ、ぼくの兄上です!」と反応した。
 名前くらいしか記憶がなかったが、兄が好きらしく、名を出しただけで喜んでくれたので良しとする。

「そうか、エーメ・スートレラくんの弟か。どうりで私も気安く感じられたわけだ」

 重ねていうが、ミースは別に腹黒いというほどの人間ではない。ありきたりな、ほんのちょっと小狡さも持ち合わせているだけ。

「この日記が増えたらまた見せてくれないか?それから今は忙しいんだが、時間ができたらぜひスートレラくんのかわいいトロンビーを見せてもらえないだろうか?」

 カルルドはとてもうれしそうに言った。

「はいっ、もちろんです」

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