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89 ぐるんぐるんぐるーん

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 今日の空は不思議なほどカラリとして見える。
 ローザリオは窓辺で、サンザルブ家の馬車からシエルドとアーサがおりてくるのを見ていた。
階段を上がる足音に続き、扉をノックする音。

「どうぞ」
「ローザリオ先生、ご機嫌ようです」

 シエルドが変わった挨拶をする。

「申し訳ございません、ちょっと気に入っていらっしゃいまして」

 謝るアーサに、笑って許すと声をかけた。

「あの、こちらをお納めください」

 大きなバスケットに、野菜やスローバードの肉、塩とブラックガーリー!手に入れにくい食料がたんまり詰め込まれている。

「なんだ?もらう理由がないぞ」

 断ろうとするとアーサから手紙を渡された。

 公爵紋の封緘が押してある。
アーサはサンザルブ侯爵家の者なのにおかしい?そう思いながら無視もできず、受け取った手紙を読み始めた。

『ローザリオ・シズルス様

 この度はアーサ・オウサルガ先生を魔法教師にご推挙くださり、心より感謝しております。
我がフォンブランデイル公爵家とサンザルブ侯爵家に優秀な魔法教師として迎えることができました。ささやかですが、御礼の品をお受け取り下さい。

ドリアン・フォンブランデイル公爵』


「アーサ?私は君をフォンブランデイル公爵家に推挙した記憶はないのだが。シエルドだけではなく、公爵家の魔法教師にもなったのかい?」

 手紙を読み終わったローザリオは、可笑しそうに笑いながらアーサに呼びかけた。

「はあ・・・なんだか大袈裟なことになってしまいまして」
「その大袈裟なことになった経緯が知りたいな。あとで話してくれるかな?
ちなみに、なにか秘密が絡んでいても、私も公爵家との神殿契約を結んでいるから問題ない」

 そこまで言われては、アーサは小さく頷くしかない。

 アーサの同意を確認し、シエルドに課題を二つ出して出来たら声をかけなさいと言って作業を始めさせると、ローザリオはアーサの袖を引いて、茶を出す。

「それで?」

 はああとため息のあと、アーサはこの数日をローザリオに話して聞かせた。

「そのグラウンディング、興味深いな」

 やはり食いつく。誰よりも好奇心の強いローザリオが見逃すはずがない。

「それ、私もやってみたいな。すぐやれるもの?」
「そうですね、数分です」
「じゃあ教えてくれ!」

 ローザリオがシエルドをちらりと見て、まだ時間がかかりそうだと踏むと、ほら早く!とアーサを急かしてきた。

「では背筋を伸ばして、足裏をぴったり地面につけてください。いきますよ・・・」




 パチッ。
 ローザリオの瞳が開く。

「体内魔力の流れがこんなにもはっきりわかるようになるものなのか?」
「はい、みなさんもそう仰っていましたね」
「アーサの国ではこれが当たり前?」
「いえ、私の仲間の生まれたトーラ公国で」

 手のひらを開いてローザリオが見つめると、ピシピシと音を立てながら空気が凍りついていく。
握り潰し、また手を開くと小さな光が生まれ、みるみるうちにピカーっと強く大きな光に変わって、目を開けていられなくなった。
アーサが手で顔を覆ったので、ローザリオは光を握り潰し、やりすぎたと謝りながらシエルドを見る。シエルドは目をギュッと瞑って我慢していた。

「ごめんごめん、シエルド!もう目を開けても大丈夫だ」

 駆け寄って頭を撫でると、小さな弟子はそうっと薄目を開け、ニッと笑う。

「ローザリオ先生、先生もキラキラやったのですね」
「キラキラ?」
「では次にシエルド様がやってみますか?」

 ローザリオはさっき自分が経験したグラウンディングをするシエルドを客観的に見て、二度目の驚きを感じていた。

 本当にキラキラと光の粒が舞っている。

「魔力もエネルギーですから。調整されるときに煌めくようですが、なんでそうなるのかはわかりません。本来グラウンディングはひとりのときにリラックスして行うものなので、私もシエルド様にお教えした時にアレ?っと思ったくらいです」

 目を開いたシエルドは、とてもすっきりした顔をしている。

「ローザリオ先生、風でぐるぐるしてみたいです」

 風魔法を習ったと言っていた。
部屋をぐるりと見回すので

「この中ではだめだぞ!いたずらはするな。
あ、これをやる。うまいんだ。やっと乳を出すようになったからシエルドにも飲ませてやる」

 気持ちを違うことに向けさせようと、ローザリオが最近飼い始めた牛の、あたためた乳をカップに注いで渡してやった。

「まっしろだ!ほわあっとあたたかい甘いにおいがします」
「うん、しぼりたては濃くて甘いからな」
「はい、ありがとうございます!」

 そう言って、飲んだはずだった。

 ふと見ると、シエルドはカップの中を見つめている。
じーっと。

(もう飲み終わったのか?)

 ローザリオが覗くと、そこにあったのはカップの中で猛烈な勢いで回転している牛の乳だ。
音を立てることもなく、ぐるんぐるんとカップの内側に張り付くように回されている。

「シ エ ル ド!食物で遊んではいかん!」

 ぺちッと指先でおでこを突かれて、シエルドはヘラっと笑う。

「もう、さっさと飲みなさい!」

 カップを取り上げて、もう一度渡そうとしたとき異変に気づいた。

「ん?乳は・・・?」

 カップの中で回され過ぎた牛の乳は、さらりとした液体ととろりと重みのある液体とに分離していた。

「シ エ ル ドーっ!なんてもったいないことをするんだ!」

 げんこつをする真似をすると、シエルドはキャーとアーサの後ろに隠れ、なぜかシエルドの代わりにアーサが頭を下げる。

「ローザリオ様、申し訳ございませんっ!シエルド様に代わり、お詫び申し上げます故っ、その形が変わってしまったものは私が飲みますのでどうかそれを謝罪とお受け取り頂けないでしょうか」

 そう言うとカップのとろりとした液体を口にした。

「おいアーサっ!真面目に謝るな。ふざけているだけなのに、そんな気持ち悪いものを口にするな!」

 そう、ただのおふざけなのだ。錬金術師は発想力も大切だ。

 初めて会ったとき、シエルドのあまりの真面目っぷりに「こどもの仕事はなんだ?」と聞くと「お勉強です」と答えた。
イラッとしたローザリオが、「こどもの仕事は、勉強と遊びと悪戯だっ!そういうことから新しいものが生まれるんだからな。覚えておけ!」
 真面目ないい子ちゃんより自由な想像力が物を言うことが多いので、そう言ったら師匠に悪戯をするようになった。それでも四角ばった隙のないこどもより、こどもらしさを大切に育ってほしいと思い、あえてふざけあったりしているのだ。
 だから謝るようなことじゃないとアーサを止めようとしたが、間に合わなかったローザリオの口元が気持ち悪そうに歪んだ。

 ところが、アーサは意外そうに口元をゆっくり舐めている。けして不味そうにではなく、なんだか名残惜しそうに舐めているのだ。

「あの・・・ローザリオ様、これコクがあって見た目より美味しい気がするのですが?」

 そう言われ、アーサの飲みかけだが、カップを取り上げてもう一度中を覗く。
美味いと言われても、その見た目には食指はまったく動かないのだが、ここでそんなことを言ったら錬金術師の名が廃る。ものすごくどきどきしながらローザリオはその人差し指で、少し硬さのある液体をひとすくいして舐めとった。

 シエルドがアーサの後ろから羨ましそうに見つめているが、そこはスルーして。

「ん!なんだこれ?」

 見た目が気持ち悪いとか、さっきまで言っていたことは忘れ、カップからもうひとすくいしてぺろっと舐めた。

「本当だ、なんかこってりしているぞ?乳はどうなってこうなったんだ?」

 そのままローザリオは思考の中に沈み込んだ。

(シエルドにあたためた牛の乳をやった。そのカップの中でシエルドは風魔法を起こし、乳をありえない速さで回転させて遊んでいた。どのくらいの時間やっていたのかは不明。気づいて取り上げると、乳は二種類の性質に分かれていた。二種類の性質・・・最近似たようなことなかったかな?ん?・・・)

 部屋の中をなんとなく見つめていて、テーブルの小瓶が目に入り、ああっ!と叫んだ。

(そうだ、紫の花の水も二種類の性質に分かれた。一つのものにしか見えなくとも、何かの手を加えると含まれる性質ごとに分かれるものがあるということか!他にもそういうものはあるのだろうか。今後いろいろな物に試してみよう。煮たり回したり忙しくなるな)

 ローザリオは今ひとつの発見をした。いずれいろいろなことに応用ができることを。
とりあえず今はもう一度これをやってみるのだ。

「シエルド、乳をあたためてくるからもう一度さっきの風魔法をやってみてくれ」

 さっきはティーカップに入れていたが、サラダ用の深い木皿に乳を入れてきた。温めてきたばかりでもわもわと煙っている。

「さあ、さっきの風魔法を皿の中で」

ふふふっと笑うと

「ぎゅるんぎゅるん音を立てるほどに乳を回転させてみろ。こぼすなよ」

 こどもの手には木皿は大きすぎるので、テーブルに置いてそばに座らせ、悪戯を許されたシエルドはうれしそうに両手のひらで木皿に触れた。

 ニィッと笑うと「ぐるんぐるんぐるぅーん」と歌うように呟く・・・。

 皿の中を七割ほど満たしていた乳は真ん中が凹み、まわりに張り付くほどの速さで回転しているにも関わらず、魔法制御されているせいか一滴も溢れることはない。
 シエルドは飽きずに歌っている。
どれくらいの時間が経ったのか、乳は形状が変わってきた。
その変わっていく様を見ているのも楽しいらしく、シエルドは変わらず同じ程度の魔力を流し続けている。

 魔力の制御力が格段に良くなっているな。
あのグラウンディングのおかげか?
ローザリオは感心してシエルドが風魔法を使う姿を見つめていた。

「そろそろよいのではないか?」

 シエルドを止め、皿を覗くと上澄みはサラリとしている。
そこでローザリオはあることに気づいた。
花の水は、サラリとした方が下にあったのだ。

 同じように液体でもその性質?や相性?によって上になったり下になったりするんだろうか?
それもいずれ検証しないと。

 忘れないようメモを取ると、皿に匙を挿し込んだ。上澄みを舐めるとコクはないが薄く軽い飲み心地。皿の底に匙を入れて穿ると、そこはやはり上澄みの分も取り去ったようなコク、こってり感を感じる。
 何のレシピに使えるだろう?料理長なら考えてくれるかもしれないな。

 ローザリオは今日シエルドが兆しを見せたいくつかの発見に大変満足していた。
乳の回転は自分でもやってみよう!そう決めて、シエルドを屋敷に返したあと、木皿に入れた乳を持ち、ひとり部屋に籠もるのだった。
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