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82 その名前は

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 ローザリオは、シエルドに言ったように先触れを出し、サンザルブ侯爵に面会に行った。


「よく来てくれた!ワルター・サンザルブだ。シエルドのこと、礼を言う」
「お初にお目にかかります。ローザリオ・シズルスです。ローザリオとお呼び下さい」

 ローザリオはシズルス伯爵家出身だが、早くから弟子入りして貴族学院は卒業に必要な日数を計画的に通学したので、学院の友人は少ない。学年も違うため、侯爵家嫡男だったワルターの顔は見たことがあっても言葉を交わすのは初めてだった。

 にやにやしているワルターに、違和感を感じる。

「なにやらすごい物を作られたようだな。妻が見せびらかしてくれたよ」

「あ!気に入ってくださっているようですね」

「私も気に入っている。妻が眠る前にあの水を塗ると寝室が香って、なんだかとても良く眠れるんだ」

 よく眠れる?
肌がすべすべになるではなく?
そういえば自分も最近とても深く眠れるようになって、目覚めもスッキリだ。

「サンザルブ侯爵!」
「ああ?ワルターでいいぞ」
「ワルター様、ありがとうございます!
眠りにも効果か!気づいていなかったな」

 またぶつぶつと呟きながら考えに潜り込んでいく。

(これがシエルドが言っていたやつか)

 しばらく様子を見ていたが、きりがなさそうなので呼び戻す。

「よろしいかな?」

 ハッと顔を上げたローザリオが気まずそうに顔を赤らめたのを見て、くすくす笑いながらワルターが言う。

「今日は挨拶に来てくれたと聞くが。本来は弟子入りするほうが訪ねるべきだったのだ、失礼をしてすまなかった」

「あ、いえ。それは。私も初めての弟子ですし」

「ああ、天才と誉れ高いローザリオ・シズルスの初めての弟子がシエルドなんて、本当にうれしいよ」

 実際、天才錬金術師シズルスの初めての弟子にシエルドが選ばれたんだ!と、ワルターはあちこちで自慢しまくっている。
 すると、それを聞いた者は羨ましそうな、または賞賛の表情を浮かべる。ときどき悔しそうな顔をする者もいるが。

「ありがとうございます。
正式に弟子となると素材採取にも同行することになりますが、それなりに危険なこともありますので一度ご相談をと」

 ワルターが、あ!という顔をした。

「そうか!そうだな、もう護衛をつけたほうがいいのだな!」

 アトリエに通う馬車の御者は護衛も兼ねているが。今後はシエルドがシズルス家の馬車に乗って出かけることも増えることを考えると、シエルドに付いて歩く者が必要になる。

「護衛なのだが、我が侯爵家の騎士をつけるのと、暗部の者をつけるのとどちらがいいかな?」

 聞かれたローザリオは、ワルターの気遣いが意外だった。護衛は護衛と思っていたが。確かに町中なら騎士で良いが、魔獣と遭遇したときを考えると本当は・・・

「魔獣の対応に慣れた冒険者が本当は」
「うん、いいぞ。元冒険者がいるから手配しよう」

 そう言われることはわかっていたという顔をしたワルター。

「Aクラスだったが、相棒が亡くなってな。落ち着いた暮らしがしたいと言っていたのを、何かの役に立ちそうと思って雇ったんだ。
あ、あれだな。フォンブランデイル公爵家に出入りすることになるなら神殿契約をさせないと。
いろいろ面倒くさいんだよな、あれ」

 そう言ってウインクを飛ばす。
こういう言動が軽薄と言われる所以だが、ワルターは気にしていない。
 貴族として生まれた以上伝統やしきたりに則って暮らすしかないなら、せめて問われない程度に気楽な言動くらいいいじゃないか。そう思っているのだ。

「ところで、あの花の水は売り出すのか?」
「できればそうしたいですが、花の確保が難しいのと大きな専用の釜の設置が必要で」
「花を買い集めたら?」
「それはできると思うのですが、安定して買えるとも限りません。私のアトリエの釜では一度に小瓶数本しか取れないもので、売ることを考えたらやはり大きな釜がほしいですね」

 花には季節もある。
咲いているうちに作りためるには、花の量と作る設備の二つが整わなければならない。

「なあ。あの花でしか花の水は作れないのか?よい香りの花は他にもあるだろう?」

 ローザリオが目を開いてワルターを見た!

「確かに!試してみる価値がありますね」

 ふたりの顔にじわぁっと笑いが広がっていく。

「忙しくなりそうです」

「新しいものができたら、まず試させてくれ」

 楽しい悪戯を見つけたような、キラッキラの目でワルターが言った。


「シエルドの護衛は、一度ドリアンのところで神殿契約をさせてからになるので、準備が整ったらすぐ連絡させる。
くれぐれもシエルドのこと、よろしく頼む」


 ふたりの初めての顔合わせは、予想以上の結果を生み出した。



 ローザリオは帰宅の予定を変えた。
サンザルブ侯爵邸からフォンブランデイル公爵家の庭師に先触れを出すと、シズルス家の馬車は公爵家の離れに向かう。
 土のポーションと、花の水候補になりそうな花をアドバイスをもらおうと考えて。

 離れの門では、今日はカイドが待っていてくれた。

(こんなこともあるのだから、制限のない鍵を与えてくれたらよいのに)

 そう思いながら鍵魔法を付与してもらい、庭にまで案内される。一度来たことがあるからと言ったが、誰かがついて歩くルールだそうで、鍵をもらうまでのハードルが相当高いことは間違いなかった。

 庭に出るとカイドは下がり、引き継ぐようにヨルトラとタンジェントが待っていて、作業小屋とは最早呼べない立派なログハウスの前に設えたテーブルセットに手招きしてくれた。

「五日ぶりかな?」

 ヨルトラが指折り数えている。

「して、今日は?まさかまた花か?」

 チラッと畑を見るとだいぶ少なくなったようだ。

「今日は紫の花をもらいに来たのではない。
この前聞いた話では、増やすためにはある程度残さねばならぬのだろう?」

 ヨルトラがこくんとする。
ワルターとの話を説明し、他の花で試せそうなものを教えてくれと言うと、ふたりは思いつく限りの様々な花の名を教えてくれた。

「たくさんありすぎるな、特にお薦めのをいくつか。それと入手しやすいことも考慮してほしい」

 そういうと、二人があげた花はだいたい同じものになった。今手に入るもの、季節が違うものなど細かくメモを取る。

「ここにあるものはない?」
「ないな、森にいけばあるかもしれないが、群生しているものはない」
「バザールに寄ってみるかな」

「あと土のポーションなんだが」

 ヨルトラとタンジェントが呆れた顔をする。

「本気で言ってるぞ。確かにこんな広さにちまちまポーションを撒くのは現実的じゃないが、それを現実にするのが錬金術師だからな。試してみたい!」

 熱意に押されてタンジェントが口を開く。

「今、土の適性をあげるのに使うものは、主に玉土などのある種の土や、森にある枯れ葉、馬の糞などが堆肥になったものなどだ。それを適時混ぜ込んでいる」

「その、適性はどうやって見ているんだ?」

「タンジーの鑑定はちょっと変わっていてな」

 ヨルトラがタンジェントに鑑定スキルについて話すよう勧めている。

「俺の鑑定は変わっているらしくて。その土が植物に適性があるかを見ることができる。低い場合、何が足りないかを知ることもできるんだ」
「便利だな、そこまで細かく鑑定できるというのは初めて聞いたかもしれん」
「庭師は三人が鑑定持ちだが、タンジーだけだよ」

 鑑定は、普通手に触れた物の名前、レベルがあるならそのレベルと、コンディションがわかる。稀に触れなくても戦闘相手のレベルや残り体力などがわかる者もいるが、タンジェントのような鑑定は初めて聞いた。

「ということは私の作るポーションも、タンジー?」
「ああ、タンジーでいい。みんなそう呼ぶからな」
「これに触れてみてくれないかな」

 ローザリオが、紫の花の水が入った小瓶を二本出した。タンジェントに手のひらを出させると、一本の蓋を開けて水滴を落とす。



【ラバンのエッセンシャルオイル 】
[状態]とても良い 
[効果]抗菌・皮膚炎・火傷・切傷・乾燥肌・美肌・不眠



「花の水は、ラバンのエッセンシャルオイルっていう名前だ」

 タンジェントが、自分にしか見ることができない鑑定ボードを読み上げる。

「エッセンシャルオイル?
じゃあやっぱり油なんだ!エッセンシャルってどういう意味だろうな?でもなんか素敵な名前だ」

 ローザリオが小瓶を覗く。

「状態はとても良い、効果がやたら多いぞ。
抗菌、皮膚炎、やけど、切傷、乾燥肌?不眠?」

「うん、思い当たることがあるな。花の水をつけると手がすべすべする。それにみんなよく眠れたというんだ」

 ヨルトラが、それは私もほしい!と言う。

「眠れないのか?それなら一瓶置いていこう」

 ローザリオは気前よく一本を手渡してやる。もともとはヨルトラが育てた花なのだ。

「ポーションに近くもあるが、それとも違うな。こちらも見てくれるか?」



【ラバンのエッセンシャルウォーター】
[状態]良い 
[効果]抗菌・エアーフレッシュナー・防虫・乾燥肌(弱)・不眠



「あ、今度のは少し違う。
名前はエッセンシャルウォーターだ。
良い状態、効果だが・・・

抗菌、エアーフレッシュナー、防虫?、乾燥肌(弱)、不眠」

「防虫だと?それは庭師にぴったりだな」

 ヨルトラが小瓶の蓋を開け、ニ滴を手に垂らす。
ふわっと香るこの水滴に、防虫効果があるとはにわかには信じられない。花は虫を呼び寄せるのではないのだろうか?

 三人の男たちは、小鼻を膨らませてその芳香を思い切り吸い込んだ。

 鑑定に驚嘆したあと、ローザリオはタンジェントの土に関する様々な知識を享受し、ご満悦で帰っていった。

「近いうちに来るから」

 そう言いおいて。
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