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60 いろいろ来たる

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 その日は朝から、抜けるような快晴で。
春先によくある強い風が吹き、枯れ葉や砂埃が吹き上げられていくのを公爵は窓から眺めていた。

 大きなお腹なのに、四人目だから余裕余裕と言っていた公爵夫人マーリアルが夜半から産気づき、一気に余裕がなくなった公爵家である。
 メイドや侍女は家の中を駆け回り、治療師のアコピはマーリアルにつきっきりでひとり奮闘していた。

 公爵は窓の外を眺めるか、うろうろする以外何もできない。心配すぎて、自分が卒倒しそうなほどに緊張しているのだ。

 そんな中、ドレイファスは平常心。
ルジーと手を繋ぎ、今日も畑へ向かって行った。
「今日は新館にいた方がいいと思うんだが」

 碧い瞳でくりっと、自分を諌めるルジーを見たドレイファスは、すこしだけだもんと言って走り出した。
 地下通路をテッテッと音を立てながら走っていくので、しかたなくルジーもついていく。

 畑につくとアイルムがいたので事情を話すと、アイルムは水魔法でいつもよりだいぶ派手に畑全体に雨を降らせた。

「あー、雨降ってきちゃった!もうっ」

 ドレイファスは雨が大嫌いなのだ。

 地面が濡れて靴に泥水が入ると、足が気持ち悪いとか、髪や服が濡れて肌にはりつくとか。
どれもこれもいやなことばかり。
 幸いにもアイルムの魔法とは気づかずに、ぷーっと両頬を膨らませたかと思うと

「もうかえるーっ!」

 珍しく癇癪を起こして、今来たばかりの地下通路へ消える!ルジーは片手をあげて挨拶し、踵を返して主を追って行った。



 新館にドレイファスが戻る、ほんの少し前。
 公爵夫人マーリアルは無事に公爵家三男を出産。

 ドリアンは何よりまず、マーリアルと赤ん坊の無事を確認した。それとわかるほど震えながらマーリアルを労って頬と額にキスを、生まれたてのこどもには無事生まれたことに愛と感謝を伝えて指先で頬をやさしく撫でる。
 妻の白い手を握りしめ、「ありがとう、ゆっくり休んでくれ。またあとで顔を見に来る」それだけ告げ、名残惜しそうに執務にもどっていった。



 そして今。
ドレイファスの控えの間ではメイベルが仁王立ちしていた。

 濡れた髪をハンカチで拭かれながら戻ってきたドレイファスに、メイベルの雷が直撃する。

「こんなときに、どこに行ってたんですかーっ!」

 メイベルはすでに淑女の仮面を脱ぎ捨てて、まさに激怒していた。

「奥方様が大変なときにあなたたちはっ!危険なことだってあるんですよっ、わかってますのっ?」

 そんな大声が出せたのかと妙に冷静に見つめるルジーにも矛先が向いた。メイベルがルジーに躙りより、「無事だったからよかったものの、奥方様に万一のことがあったら!そばにいなかったら!」と低い声を轟かせた。

 ルジーはメイベルのことを好ましく想っていたりする。淑女としては元気すぎるが、むしろ裏表がなくていいくらいだと思う。
 以前公爵から、メイベルどうだ?と言われたときは照れて誤魔化してしまったが。
 今ルジーの頭の中に、カカア天下のメイベルにしっぽをぎゅうぎゅうに踏まれている自分の姿が浮かんでいた。

(悪くない・・・かも)

「ルジー様っ!聞いていらっしゃいますの?」

 ググッと顔を寄せてくるメイベルの、長い睫毛や窓からの陽光で煌めいた大きな瞳がはっきり見えて。

「か・・わいい」

 うっかり本音がぽろりしてしまった。
 ババッとメイベルが飛のく。
その一言で近づきすぎた!と気がついたのと、ルジーが自分に言ったらしい、カ・ワ・イ・イという言葉に反応して。

(え?ええっ?えっ?ルジー様今かわいいって?そ、それ、わ、わたくしのこと?ええっ?ええええー?)

 ぶわっと真っ赤になったメイベルを見て、自分の心の声が漏れてしまったことに気づくと、ルジーもまた真っ赤に顔を染めた。

 いい雰囲気が漂いかけたが、大人たちの甘い沈黙に一切忖度しないのがドレイファスだ。

「濡れたの、お洋服着替えたいっ!」

 メイベルにおねだりして、赤い顔の二人をばっさり切り裂いたのだった。



 そんな大騒ぎとは知らず、約束の時間に到着したのはワルター・サンザルブ侯爵である。

「屋敷が騒がしいな」

 応接の間に通されたとき、公爵の執事マドゥーンに声をかけた。

「マーリアル様が男子を出産されたのですよ」
「なんと!それはめでたいな。いつだ?」
「ついさきほどで」
「それは、タイミングがよかったのか、悪かったのか・・・。慌ただしいであろうから出直すか?」

 マドゥーンはにっこりして、首を横に。
何か言おうとしたが、その前に公爵が来る。

「ワルター!」
「ドリアン、聞いたぞ、おめでとう!」

なんともうれしそうに笑う公爵は、

「男子だった!」と答えた。
「名は?」
「これから考えるよ」

 マドゥーンが茶を出すと、本題に入った。

「まず。先だってローザリオ・シズルス殿をご紹介賜り、感謝申し上げます」

ワルターが丁寧に頭を下げた。

「おい、何だ気持ち悪い」
「いや、シズルス殿ほどの錬金術師にはなかなか出会えないとサマル殿に聞いてな」
「彼はマールの兄の友だ」
「錬金術師のランキングでトップスリーらしいぞ。サマル先生が興奮していた」
「ほお、それはすごいな。して、シエルドは?」
「うむ、おかげでうまくいってな。週に三日シズルス殿の王都のアトリエに通わせていただく約束を取り付けた。見込みがあれば弟子入りも検討してもらえると聞いている」

 ワルターは、見込みがあればと言いながら、とても満足そうな顔をしている。

「ドリアンとサマル先生のおかげだ。先生をこのまま当家に貰い受けたいと思っているんだが、どうだろう?」
「うん?構わない。ドレイファスの家庭教師と同レベルで探した一人だからな。シエルドは勉学が好きなのか?」

 ワルターが笑う。

「いや、好きではなかったな。少なくとも我が家で選んだ家庭教師には、落ち着きがないとか集中力がないとか、ダメダメと言われていたんだ。五歳じゃしかたないと思っていたが、シエルドが興味を持てるものを見つけてからガラリと変わった。正直、家庭教師一人でこんなに変わるとは思わなかった。錬金術以外のことを偏りなく教えてやってもらえたらと思っているよ」

 ドリアンは、ドレイファスの家庭教師ソナートの顔を思い浮かべた。

サマルのほうがよかっただろうか・・・
いまさら言っても遅いな・・・。
しかもサンザルブに移って構わないと言ってしまった。

 侯爵家は、シエルドの二つ上の嫡男タバルディが来年貴族学院に入学を控えており、次にシエルドが学院に入る。ふたりのためにサマルを囲い込むなら、他を当たるしかない。惜しいことをしたか・・・。

 ソナードにこのまま任せていてよいだろうか?
マールが落ち着いたら一度相談してみよう。

 自分で選んだ家庭教師だが、隣の芝生がえらく青く美しく見え、急激に気持ちが萎んでいった。

 仕事の用を済ませたワルターは、せっかくだからマーリアルに祝福をしてから帰りたいと言ったが、眠っていて会わせることはできず。

 夕餉の前に、ドレイファスとグレイザール、まだよちよちしている小さな妹ノエミの三兄弟が侍女たちに連れられて、目覚めた母マーリアルと生まれたての小さな弟に面会した。
 赤ん坊はまだ髪もまばらで、目も当然開いていない。でも、とても小さな手のひらと指にドレイファスがプニッと触れるとぎゅうっと掴む。

「わぁ、ちっちゃくてかわいいよお」
「ぼくもやる」

 グレイザールが手を伸ばして、手に触れると、同じようにもっと小さな手に掴まれた。

「わあ!ちっちゃいのにすごい」
「ノエもぉ」

 晴れて四兄弟になったこの日。
父は三男のために、名を考えていた。
娘ならつけたい名があったが・・・
娘かなぁとなんとなく思っていたのだが・・・
息子だったので急いで考えている、ということはマーリアルにも秘密だが。

「ドレイファス、グレイザール、ノエミと・・・。ランサーとか。ランサー・フォンブランデイル?んー。なんか違うな。ユートミディ?んー。イグレイド・・・」

 あ!とペンを持ち、紙に書いてみた。

『イグレイド・フォンブランデイル』

 じーっと字面を見つめている。

「イグレイド・フォンブランデイル」

 今度は声に出してみる。

「これだ!これにしよう」

 名前を書いた紙を手に、まずマーリアルの元に向かう。

「マール?起きているかな」
「ええ、起きてますわ」
「これ、名前どうかな?」

 ひらひらと紙をマーリアルの手に下ろして見せる。

「イグレイド?すてきね!」

 マーリアルが気に入ったと笑ってくれて、ドリアンは心からほっとした。

「ねえ、本当は娘だと思ってたでしょ?」

 え?と一瞬ポカンとした顔をしてしまったドリアンに、マーリアルは人さし指を左右に振りながらにっこりして。

「あなたのことはお見通しなのよ、わたくし」

 ますます妻に頭が上がらなくなりそうな公爵閣下だった。
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