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とある王国のとある時代。
ホーン伯爵家に二人の子息子女がいた。
長女の艶やかな栗色の髪と濃い緑の瞳が印象的なエメラルディアは17歳。貴族学院の最高学年で、コードヴェイン・マーバラ子爵令息と婚約済。
ホーン伯爵家の嫡男でエメラルディアとよく似た色味と容貌の弟メッサは16歳で、彼も伯爵令嬢と婚約している。
二人とも幼少から家同士が決めた婚約者とそれぞれに心を通わせて、穏やかに良い関係を育んでおり、両親たちも、お互いの家同士の関係性を強めるために決めたが満足していた。
エメラルディアとコードヴェインは毎日ホーン伯爵家の馬車で学院に通い、ずっと同じクラスで授業を受けて一緒に帰ってくる。もう六年同じ生活を続けているが飽きることもなく、ケンカ一つしたことがないほど仲が良い。
エメラルディアはコードヴェインが大好きだ。
まるで月の光のような銀の髪とアメジストのように煌めく瞳。一見冷たく見える整いすぎた容姿は、笑うと優しさが溢れる。自分にはもったいないほど素敵だと、初めて引き合わされて以来ずっと彼を想っている。
そしてコードヴェインは、エメラルディアが考えているよりはるかにエメラルディアを愛おしく想っていた。
緩くカールした栗色の髪は華やかとまでは言えないが落ち着きを醸し、やさしさ溢れる深みある緑の瞳と、少し高い、鈴が転がるような澄んだ声も好きだ。ちょっと低い鼻は可愛らしくて、微笑むとこれがまた可愛らしく皺が寄る。ようするに婚約者が好みど真ん中同士という奇跡的に幸せなふたりだった。
コードヴェインはエメラルディアを人生の宝物、ほんの少しの迷いもなくずっと守っていくと当たり前のように決めている。
このふたりに嵐が訪れるとは、誰ひとり考えもしなかったこと。
学院に季節はずれの転入生がやって来たことからそれは始まる。
転入生はアレクサンザラといい、ナルナリド侯爵家の令嬢だ。
ある事情で田舎で長く静養をしており、いままでは家庭教師から学んでいたが、残す半年だけでも学生生活を経験してみたいと、愛娘の強い希望をナルナリド侯爵が叶えたと、受け持つ教師ニルヴスは聞いていた。
初日は手続きだけを済ませて、授業を終えて皆が帰る間際の教室に明日から登校すると挨拶に寄った。
「アレクサンザラ・ナルナリドですわ。どうか私のことはレクシーとお呼びになって」
アレクサンザラは新しい級友たちに愛称を呼ぶように頼んだが、そう言われても今名前を知ったばかりでそんなに気安く呼ぶことなど出来るものではない。婚約者がいる令息たちは尚更だ。
田舎の家庭教師としか接していなかったアレクサンザラには貴族の子女としての常識が決定的に欠けていた。
幼い頃から家族と離れて田舎の別邸にいるしかなかった娘を不憫にも思っていたナルナリド侯爵は、アレクサンザラの慰みにと家の中でしか着ないドレスや宝石をふんだんに与え、肌や髪の手入れができる侍女をつけたので田舎育ちとは思えないほどの美貌を持つ。しかしその反面、地方では質の低い家庭教師しかおらず、マナーや常識を教える力を持っていなかったためただ美しいだけの野放図な娘であった。
さて。
アレクサンザラには婚約者がいない。
別邸で時間を潰す間、自分に跪く美しい恋人が現れることを夢見て過ごしていた。
たった数分教室に姿を見せただけで、アレクサンザラはその素晴らしい容姿故に、彼女に好意を持つ者がたくさん現れた。いくらでも選ぶことができそうだったが、彼女の赤い瞳は自分に興味を示さなかった銀髪の美しい令息コードヴェインに釘付けになる。
群がる級友を掻き分けてコードヴェインの前に歩み出ると、特上の笑みを浮かべて言った。
「あの、はじめまして。私本日編入してまいりましたユルガルド・ナルナリド侯爵の長女アレクサンザラと申します。貴方のお名前を教えてくださいませんこと?」
帰宅のためにエメラルディアをエスコートしていたにも関わらず、コードヴェインだけに声をかけたアレクサンザラに、彼女に好意の視線を向けていた令息たちは一気に引いた。
コードヴェインとエメラルディアも戸惑ったが、しかたなくコードヴェインが答えを返す。
「私はコードヴェイン・マーバラ、そして私の婚約者エメラルディア・ホーン伯爵令嬢です」
訊かれていないのでエメラルディアが答えるわけにはいかないが、大切な婚約者を無視されて不愉快だったコードヴェインは、ここにエメラルディアもいるぞ!と、あわせて紹介した。
するとアレクサンザラは、エメラルディアを頭のてっぺんからつま先までじろじろと見て、くすりと笑ったのだ。
エメラルディアは表情を変えずにいたが、コードヴェインの腕に触れた指先に力が入ったので、その気持ちはコードヴェインにはしっかりと伝わっている。
「急ぎますので失礼」
そう言ってエメラルディアを連れ出そうとしたが。
アレクサンザラはようやく田舎から抜け出して、王都の学院に来た初日。
奇跡的に出会えた、月の神のようなコードヴェインを今捕まえなくては二度と会えないような気がして、エメラルディアとは反対の腕につかまった。
様子を見ていた生徒たちは息を飲んだ。
「待って!私、コードヴェイン様とお話しがしたいのですわ」
生徒たちはあんぐりと口を開ける。
婚約者をエスコートしている令息の腕につかまることもだが、いきなり名を呼んだことにも、どちらもあってはならないこと。
表情は変わっていないが、コードヴェインはあきらかに低い声で
「申し訳ございませんが、婚約者をエスコートしておりますので距離を保ってお声がけくださいますようお願い致します。親しき中ではございませんので、名を呼ぶのは御遠慮ください。私どもは急いでおりますので失礼をば」
そう断り、アレクサンザラに冷たい視線を送ると、見せつけるようにエメラルディアと優しく視線を交わして教室を出て行った。
ホーン伯爵家に二人の子息子女がいた。
長女の艶やかな栗色の髪と濃い緑の瞳が印象的なエメラルディアは17歳。貴族学院の最高学年で、コードヴェイン・マーバラ子爵令息と婚約済。
ホーン伯爵家の嫡男でエメラルディアとよく似た色味と容貌の弟メッサは16歳で、彼も伯爵令嬢と婚約している。
二人とも幼少から家同士が決めた婚約者とそれぞれに心を通わせて、穏やかに良い関係を育んでおり、両親たちも、お互いの家同士の関係性を強めるために決めたが満足していた。
エメラルディアとコードヴェインは毎日ホーン伯爵家の馬車で学院に通い、ずっと同じクラスで授業を受けて一緒に帰ってくる。もう六年同じ生活を続けているが飽きることもなく、ケンカ一つしたことがないほど仲が良い。
エメラルディアはコードヴェインが大好きだ。
まるで月の光のような銀の髪とアメジストのように煌めく瞳。一見冷たく見える整いすぎた容姿は、笑うと優しさが溢れる。自分にはもったいないほど素敵だと、初めて引き合わされて以来ずっと彼を想っている。
そしてコードヴェインは、エメラルディアが考えているよりはるかにエメラルディアを愛おしく想っていた。
緩くカールした栗色の髪は華やかとまでは言えないが落ち着きを醸し、やさしさ溢れる深みある緑の瞳と、少し高い、鈴が転がるような澄んだ声も好きだ。ちょっと低い鼻は可愛らしくて、微笑むとこれがまた可愛らしく皺が寄る。ようするに婚約者が好みど真ん中同士という奇跡的に幸せなふたりだった。
コードヴェインはエメラルディアを人生の宝物、ほんの少しの迷いもなくずっと守っていくと当たり前のように決めている。
このふたりに嵐が訪れるとは、誰ひとり考えもしなかったこと。
学院に季節はずれの転入生がやって来たことからそれは始まる。
転入生はアレクサンザラといい、ナルナリド侯爵家の令嬢だ。
ある事情で田舎で長く静養をしており、いままでは家庭教師から学んでいたが、残す半年だけでも学生生活を経験してみたいと、愛娘の強い希望をナルナリド侯爵が叶えたと、受け持つ教師ニルヴスは聞いていた。
初日は手続きだけを済ませて、授業を終えて皆が帰る間際の教室に明日から登校すると挨拶に寄った。
「アレクサンザラ・ナルナリドですわ。どうか私のことはレクシーとお呼びになって」
アレクサンザラは新しい級友たちに愛称を呼ぶように頼んだが、そう言われても今名前を知ったばかりでそんなに気安く呼ぶことなど出来るものではない。婚約者がいる令息たちは尚更だ。
田舎の家庭教師としか接していなかったアレクサンザラには貴族の子女としての常識が決定的に欠けていた。
幼い頃から家族と離れて田舎の別邸にいるしかなかった娘を不憫にも思っていたナルナリド侯爵は、アレクサンザラの慰みにと家の中でしか着ないドレスや宝石をふんだんに与え、肌や髪の手入れができる侍女をつけたので田舎育ちとは思えないほどの美貌を持つ。しかしその反面、地方では質の低い家庭教師しかおらず、マナーや常識を教える力を持っていなかったためただ美しいだけの野放図な娘であった。
さて。
アレクサンザラには婚約者がいない。
別邸で時間を潰す間、自分に跪く美しい恋人が現れることを夢見て過ごしていた。
たった数分教室に姿を見せただけで、アレクサンザラはその素晴らしい容姿故に、彼女に好意を持つ者がたくさん現れた。いくらでも選ぶことができそうだったが、彼女の赤い瞳は自分に興味を示さなかった銀髪の美しい令息コードヴェインに釘付けになる。
群がる級友を掻き分けてコードヴェインの前に歩み出ると、特上の笑みを浮かべて言った。
「あの、はじめまして。私本日編入してまいりましたユルガルド・ナルナリド侯爵の長女アレクサンザラと申します。貴方のお名前を教えてくださいませんこと?」
帰宅のためにエメラルディアをエスコートしていたにも関わらず、コードヴェインだけに声をかけたアレクサンザラに、彼女に好意の視線を向けていた令息たちは一気に引いた。
コードヴェインとエメラルディアも戸惑ったが、しかたなくコードヴェインが答えを返す。
「私はコードヴェイン・マーバラ、そして私の婚約者エメラルディア・ホーン伯爵令嬢です」
訊かれていないのでエメラルディアが答えるわけにはいかないが、大切な婚約者を無視されて不愉快だったコードヴェインは、ここにエメラルディアもいるぞ!と、あわせて紹介した。
するとアレクサンザラは、エメラルディアを頭のてっぺんからつま先までじろじろと見て、くすりと笑ったのだ。
エメラルディアは表情を変えずにいたが、コードヴェインの腕に触れた指先に力が入ったので、その気持ちはコードヴェインにはしっかりと伝わっている。
「急ぎますので失礼」
そう言ってエメラルディアを連れ出そうとしたが。
アレクサンザラはようやく田舎から抜け出して、王都の学院に来た初日。
奇跡的に出会えた、月の神のようなコードヴェインを今捕まえなくては二度と会えないような気がして、エメラルディアとは反対の腕につかまった。
様子を見ていた生徒たちは息を飲んだ。
「待って!私、コードヴェイン様とお話しがしたいのですわ」
生徒たちはあんぐりと口を開ける。
婚約者をエスコートしている令息の腕につかまることもだが、いきなり名を呼んだことにも、どちらもあってはならないこと。
表情は変わっていないが、コードヴェインはあきらかに低い声で
「申し訳ございませんが、婚約者をエスコートしておりますので距離を保ってお声がけくださいますようお願い致します。親しき中ではございませんので、名を呼ぶのは御遠慮ください。私どもは急いでおりますので失礼をば」
そう断り、アレクサンザラに冷たい視線を送ると、見せつけるようにエメラルディアと優しく視線を交わして教室を出て行った。
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