生死の狭間

そこらへんの学生

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経過観察

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「あぁ、退職願ですか、分かりました・・・ってえ!? 退職願!?」
 俺の退職願の封筒を、表裏しっかり汚れた代物を上から下から見ながら、事務担当の男はそう言って驚いた。
「今日付で、多分上も了承してくれると思うんで、面倒な手続きとか無しで頼む」
「え、えと、そうは言ってもですね、退職の手続きにはそれ相応な時間がかかるものでして・・・」
「刑事課の佐竹だ。その名前さえ出せば喜んで了承してくれるはずだ」
「喜んで・・・?」
 何が何やら全くわかっていない事務担当の男は頭上にハテナを浮かべながら、俺の言葉を反芻するように繰り返していた。
「すみません、それでは内線で確認しますので少々お待ちを」
「あぁ、すまない。ありがとう」
 横にある受話器をとって内線を繋ぐ彼を見ながら、俺は事務室のデスクに背中でよりかかった。まさに受付するためにあるようなこの事務室のデスクは背もたれにするにはちょうど良かった。普通に仕事をしていれば事務室に来る機会など早々無い。現場で動くことが多い刑事なら尚更だ。だがまあ、俺のような厄介者になるとそうとも言えない。始末書やら何やら、数え切れないほどここに来た。
 だがしかし、この受付の男は俺のことを知らないらしい。またこいつか、と嫌悪感丸出しの対応もムカついてはいたが、ここまで俺のことを知らないのではそれはそれで拍子抜けというものである。
「佐竹さん。遅くなってすみません。確認が取れました」
 受話器を置く音と共に彼は言葉を発する。普段の受付担当なら絶対に付けない枕詞に微妙な心持ちになった。
「どうだった?」
「あの、非常に申し上げにくいのですが、仰る通り・・・特段書類や手続きを本人が希望しないなら特例として即日退職を認めるとのことでした」
 申し訳無さそうな顔をして、やや俯き気味に答える彼に、俺は罪悪感を覚えた。
「なに、あんたが気にすることじゃ無い。俺と上は結構付き合い長くてね」
「そう、ですか」
「あぁ、そうだとも」
 始末書云々は上の人間の承認が確実に必要だったから嫌でも関わらないといけなくなる、ということは言わないでおいた。
「ほんじゃ、ありがとさん。」
「あ、佐竹さん」
「ん?」
 彼は俺を呼び止めた。
「お仕事、ご苦労様でした。これからのご活躍をお祈りしてます」
「・・・お、おう」
 その言葉は、どうにも俺の心にすんなりと入ってはくれない。労いや称賛とは程遠い生活を長らく送ってきた俺に、その言葉は心に浸透してはならない。
 突然の労いに動揺しながら、ぎこちない動きで俺は事務室を出ようとする。受付の彼は俺が出るまで暫くの間頭を下げ続けていた。もしかすると、彼なりの送り出し方なのかもしれない。
 勤労者への手向け。残念ながら俺に受け取る資格は無いように思えた。

 事務室を出て、中央署のどデカい正面玄関から出ようとした時だった。ここから出れば、完全に俺は部外者だ。再びここに来ることは、早々ないだろう。そんなことを思った矢先だった。

 あいつは、正面玄関のスライドドアの手前で、一人佇んでいた。暗い青のスーツに黒赤のチェックネクタイ。どう見ても刑事とは思えないような服装であいつはそこに居た。上部のフレームだけないスカしたメガネが特徴的で、腹立たしい。
 いけすかない相棒が、そこにいた。

「佐竹、お前辞めるのか」

 どことなくいつも威厳を醸し出すその口調が、俺は嫌いだ。

「まあ、そうっすね」

「本来はここで花道でも作ってやるのが道理だろうが、何せ急なもんでな、身一つで来てしまったよ」

「花道どころか、身一つ寄越さない上司はたくさんいるんで、別に構いませんよ」
 なんなら上の人は全員俺の退職を喜んでいるのだから。
「まあ、そういうな。せっかく来たんだ」
「そりゃどうも。俺が出るとこまで見送って貰えるなら光栄ですよ」
 言いながら、俺は元相棒の横を通り抜けてスライドドアから外に出た。冬特有の、屋内と屋外の気圧さで吹き飛びそうになる体をしっかりと体感で支えた。この地はよく冷える。それ故に温度差で農業が栄えたのだから、一長一短ではあるが。

「はーっ」

 大きく深呼吸する。

 白い息が大きな塊となって宙に浮かぶ。

「ところで、佐竹。昼飯は食ったか?」

「は!?」

 突然背後からの声に飛び上がるようにして驚いてしまった。
 東堂だった。

「ん? いや、昼飯でも奢ってやろうと思ってな」

「見送れば結構って言いませんでしたっけ」

「上司ってのは後輩の希望を5割マシで叶えるモンなんだよ、良いから行くぞ。車なら出してやる。喜べ、新車だぞ?」

 言いながら、俺の返答を無視して駐車場の方まで歩く東堂。きっと俺がこのまま帰ろうものなら、徒歩通勤の俺は、東堂のイカツイスポーツカーに追い回され嫌でも乗り込まざるを得なくなるのだろう。
 東堂は、そういう奴なのだ。

「めんどくせえっすね、相変わらず」
 ボソッと東堂の遥か後ろを歩きながら呟いた。
「それも最後だと思えば、名残惜しくなるんじゃないか?」
 青い背中はそう答える。
「余計なお世話ですよ。まじで」

 雪を踏みしめる音をどこか遠くに感じながら、俺と東堂は縮まらない距離のまま、歩き続けた。
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