眠らせ姫〜誰とでも寝る女と言われて婚約破棄されたので、不眠に悩む王子をスヤスヤさせます〜

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誰とでも寝る女と言われて婚約破棄されたので、不眠に悩む王子をスヤスヤさせます

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「アスリム、お前との婚約は破棄させて貰う!」

 私の婚約者であるロンメル様が、怒りを込めた声でそう言い放ちました。

「周りには大勢の貴族の方々がいらっしゃるというのに……。あまりお行儀がいいとは言えませんわね、ロンメル様」

「行儀が悪いのはお前の方だアスリム。陛下がいるこの場で、俺はお前との婚約を破棄すると宣言させて貰う」

 今日は国の貴族たちが集まるパーティーです。国王陛下や王太子殿下もお見えになっている、とても神聖な場です。
 そんな場所で私、アスリム・レムミーンは突然婚約者から婚約破棄を言い渡されて驚き……ませんでした。

 だってわかりきっていましたもの。ロンメル様はきっと、この日に私との婚約を破棄するだろうと。
 でもそんなことを表情に出さず、私は慌てたふりをします。

「まぁ、婚約破棄でございますか? 私がいつ、ロンメル様に嫌われるようなことをしましたでしょうか」

「しらばっくれるなよ、この淫売が! 俺を騙していたんだろう。最低なやつめ!」

「酷いですわ。そんな言い方って」

 淫売とは、淑女に投げかける言葉ではありませんわね。ロンメル様の横暴な言動が、このやりとりだけでもわかることでしょう。

 私とロンメル様は親同士が決めた婚約相手に過ぎません。元より愛情など皆無です。ですがここまで一方的に悪く言われると、さすがに私も黙っていられません。

「騙すとはなんでございましょう。私はロンメル様とは、誠実にお付き合いさせていただいてましたわ。それなのに酷い……」

「そういう態度が胡散臭いんだよ! お前はそうやって他の男も誑かして、俺に隠れて浮気していたのだろう」

「浮気……でございますか」

 はて、どうしたものでございましょう。ロンメル様がおっしゃる浮気とやらに心当たりがございません。そもそも私は他の男性と接する機会が滅多にないのでございます。

 それもそのはず、私にはロンメル様という婚約者がいらっしゃるのです。それなのに他の殿方と仲を深めるなど、これは不貞を働くことでございます。

 しかしそう考えるとおかしい話でございます。殿方と会う機会のない私が、いったいどうやって浮気できるというのでございましょうか。

「ロンメル様。知っての通り私はあなたの婚約者でございます。ロンメル様の家は公爵家、その息子であるあなたと婚約しているのに浮気など、ありえません」

「はっ、どうだかな」

 私の弁明など聞く価値もないという風に、ロンメル様は鼻で笑って見せます。どうやらロンメル様の中には、私が浮気しているという証拠がある様子。

 もっとも、先ほども申しましたように、私には浮気をしたという事実はありません。ロンメル様の思い違いであることは間違いありません。

「どうやら誤解だと聞き入れてくださる様子じゃございませんわね……。ロンメル様、そこまで自信満々におっしゃるのですから、証拠はあるのでしょうか」

「もちろんある!」

「まぁ!」

 私は思わず声を出して驚いてしまいました。覚えのない浮気の証拠を、彼は掴んでいるというのです。仮に思い違いであったとしても、それが何なのか興味が湧いてきました。

「ではその証拠とやらをお話しいただけますか」

「いいのか? 俺がしゃべったら、ここにいる人たちにお前の悪行が知れ渡るんだぞ。お前の乱れた生活を、大勢の貴族の白日の下にさらすことになる」

「そうですわね。それは少し……困ります」

 だって、ロンメル様の見当違いな勘違いをこんな場所で広められたら、誤解を解くのが面倒ですもの。まあロンメル様の性格を知っている方も多いでしょうし、彼の発言にどれほど信憑性があるのかわかりませんが。

 私がどうしたものかと悩んでいると、ロンメル様は得意げな顔をされました。

「どうした。さっきまで否定していたくせに、心当たりがあったのか」

「ありません。ただ……ロンメル様の名誉を、ここで傷つけてもいいものか悩んでおります」

「俺の名誉が傷つくだと? 悪いのはお前の方だ、俺の名誉が傷つくはずがないだろう。お前、さっきから浮気話を煙に巻こうとしているな」

「いえ、決してそんなことはありませんわ」

 そう、私は別に浮気話などどうでもいいのです。元より愛のない政略結婚、本命のお相手がいても仕方のないことでございます。

 ただ私が納得していないのは、浮気しているのがロンメル様の方だということなのです。彼は私という婚約者がいながら、コリドー男爵令嬢と恋仲にあります。

 私と違って明るい性格の女性でございます。なるほど、ロンメル様と並んだ姿はとてもお似合いです。……褒めておりますのよ?
 今もこのパーティー会場で私とロンメル様のやり取りを、楽しそうに眺めている様子。悪そうな笑い方がロンメル様そっくりです。

「困りましたわね……。こっちは浮気の証拠がありませんもの」

 ロンメル様とコリドー嬢の密会を、私は早い段階で把握しておりました。しかし私はロンメル様に興味を持っていなかったため、その証拠を残しておかなかったのです。これは私の落ち度でございますね。

 好きでもない相手と、どうでもいいご令嬢の密会の内容をいちいち記録しておくなど、私には出来なかったのです。
 そのせいでこうやって窮地に陥っているわけですが、自業自得でございます。

「ロンメル様、私は浮気などしておりません。ですが残念ながら、それを否定する材料がありませんわ」

「それは嬉しい話だな。これで俺の正当性が認められるというものだ」

「ですが私も、あなたの弱みを握っております。あなたの心が私ではなく、別の方に向けられていることも存じておりますの」

「な、何の話だ」

 あら、ロンメル様ったらわかりやすく目を逸らしましたわね。いけませんわ、冷や汗を掻いて取り乱すなんて三流の悪役みたいです。
 コリドー嬢も私から視線を逸らして、別の方を見ています。会場の皆様が私たちのやり取りに注目しているのに、かえって不自然です。
 このお二方は嘘の誤魔化し方が下手なようです。貴族なのにその素直さ、逆に感心してしまいそうです。

「私の口から話してもよろしいのですが、それでは周りの方にもロンメル様の秘密が漏れてしまいます。私は別に、ロンメル様の悪評を垂れ流したいわけではございません。寝覚めが悪くなりますもの」

「ほ、ほう。言ってくれるじゃないか悪女め。貴様の方こそ、誰とでも寝る女のくせに! 浮気女、淫売女がっ!」

 わぁ! と周りから歓声があがったのは、気のせいではないのでしょう。現に貴族の皆様方は私に好奇の目を向けています。アスリム嬢は尻軽女だったのか、そんな声が聞こえてきそうです。

「なるほど……。それが、私が浮気しているという根拠でございますか」

「図星をつかれたようだなアスリム。お前が毎晩、色んな男と寝室に入るのを見たって情報があるんだよ。これでよくもまぁ浮気してないなど言えたな」

「はぁ……そうでございますか」

 なるほどでございますね。どうやらロンメル様は私のことを一切理解していない様子。私が毎晩他の方の寝室に訪れているのは、紛れもない事実です。しかしそれを浮気というのは、些か無理がある話なのです。

 なぜなら私は子供を寝かしつけるのが上手な、”眠らせ姫”なのですから。確かに男の子を寝かせるために寝室に行ったこともあります。ですが幼い子供を寝かしつけるのを、浮気と言われる筋合いはありません。

「皆の者、聞いた通りだ。アスリムは誰これ構わず寝るような乱れた女だ。こんな女と婚約しているなど、我が家の名誉に傷がつく! さぁ陛下、私たちの婚約破棄を認めてください」

「…………」

 これまで場を静観なさっていた国王陛下は、ロンメル様の嘆願を受けても、黙ったままでした。それはなぜかと言いますと、ロンメル様の主張が甚だ見当違いだからでございます。

「ロンメルよ、そなたの申し入れの通り、アスリム嬢との婚約破棄を認めよう」

「おお、ありがとうございます!」

「ただし、アスリム嬢の名誉のためにも言っておく。悪いのはそなたの方だ。ここにいる者たち全員に告げる。アスリム嬢はロンメルの言うような不貞は、一切働いていない」

 陛下は強い口調で、私の身の潔白を断言してくださいました。

「な、何を言ってるのですか陛下。私が聞いた話ではアスリムは……」

 そこに若い男性の声が割って入りました。

「若い男と共に、夜な夜な寝室に隠れるように入る……か?」

「で、殿下?」

 ロンメル様の言葉に割って入ったのは、この国の王太子であらせられるジーク殿下でした。その口調は陛下同様に強く、芯のあるものです。

 国王陛下もジーク殿下も、私の”眠らせ姫”としてのお話を知っているのです。なぜなら寝かしつける子供の中には貴族の子息もいますので、変な噂が流れないように王家に許可を取っているからなのです。

「ロンメル、婚約者と縁を切りたいからと言って、信憑性の薄い情報に頼るのはよくないな。私も父上と同じ意見だ。アスリム嬢は貞淑な女性だ。お前のように、後ろめたい事情を抱えてなどいない」

「そ、そんなことはありませんよ殿下。私に後ろ暗いことなど……」

「先ほどからずっと、こちらを見ているコリドー嬢。君も前に出たまえ」

「ひっ……!」

 殿下の有無を言わせない言葉に、さすがのコリドー嬢も状況を把握したようです。そう、私を断罪するはずだった場は、すでに彼らを断罪する場に変わっていたのです。

 さすがは殿下、お見事な手腕でございますわ。ロンメル様は、先ほどまでの勝ち誇っていた表情が嘘のように、焦りを露わにしています。

 これはどうやら、私の勝ちでございますね。

「殿下、私のためにありがとうございます。私もロンメル様を責め立てるつもりはございません。ここは穏便に、手打ちといきましょう」

「君はあれほどの罵倒を受けて平気なのか? 仮にも婚約者からあんな……酷い言葉を言われたのに」

「殿下のお心遣いは大変嬉しく思います。ですが全然平気です。ロンメル様のお言葉で私が傷ついたなど、そんな心配はいらないのでございます」

 これは強がりではありません。本当にこれっぽっちも傷ついていないのです。だって私はロンメル様に対して、興味を持ち合わせていないのですから。そんな方から何を言われようと、いちいち気にしているのが馬鹿らしいのです。

 もしかすると、私のこういう愛想の無さがロンメル様からすると、面白くなかったのかもしれません。仕方のないことです。お互いに相手を愛する気がないのですから。

「アスリム嬢、君の言う”手打ち”とはどういったものかな。穏便に事を済ますにしても、浮気したロンメルにはそれ相応の処分が必要に思うが」

「殿下のご意見はごもっともでございます。ですが私としてはこうして皆様方に、ロンメル様の実態を把握していただけたので十分ですわ」

「しかし他の貴族の前で、婚約者がいるのに浮気をした者を見過ごせというのは難しい。それは君もわかっているんだろう、アスリム嬢」

「ええ、当然でございます。ですので私の提案を聞いていただきたいのです」

「どういったものか聞かせてもらおう」

 私は国王陛下と殿下に、ロンメル様の処遇について提案しました。それはとても簡単なことです。”今後一切、私と私の家に関わらないこと”それだけでございます。

「婚約破棄による慰謝料も求めません。私を見かけても、絶対に話かけてこない。それで十分でございます」

「ふむ。処罰としてはいささか軽すぎる気もするが……構わないのかアスリム嬢」

「もちろんでございます。これ以上、陛下や殿下のお手を煩わせるわけにはいきませんもの。ロンメル様も構わないでございましょう? 今後は愛しのコリドー様と存分に愛を育んでくださいませ」

「そ、それで納得してくれるなら、異論はない」

「では両者納得の元、二人の婚約破棄を了承する」

 こうして私は無事、婚約破棄されたのです。


 ◆



「ふんふふーん♪」

 あれから数日が経ちましたが、今の私は機嫌がいいです。なにせようやく、煩わしい婚約者から解放されたのですから。思わず鼻歌を歌ってしまうのも、ご容赦くださいませ。

「はぁ……全く困ったものだ」

「あら? 殿下、どうなさったのですか」

 王宮の庭園のベンチに、ジーク殿下が座っています。どうやらずいぶんと顔色が優れないご様子。目の下には隈が浮かんでいます。

「アスリム嬢か、あれからどうだ。ロンメルから何か言われてこなかったか」

「ええ、特に何もございませんわ。殿下のお力添えもあって、公爵家からも謝罪の文が一通来ただけで、他に接触はありません」

 謝罪といっても、浮気の件には触れておりませんでしたが。あくまで婚約破棄になったことを謝罪しておりました。

「そうか、それはよかった。これに懲りてロンメルも大人しくなってくれればよかったんだが」

「あら。ロンメル様がどうされたのですか」

 元婚約者のロンメル様には興味ありませんが、殿下が何やらお困りの様子。どうやら問題が発生したように思えます。あの横暴な性格のロンメル様のことです。私と婚約破棄して大人しくなるはずがございません。

「最近、王都で流行している薬があるんだ。最新の睡眠薬なのだが、寝る前に飲むとよく眠れると評判らしい」

「睡眠薬でございますか」

「”眠らせ姫”と呼ばれる君に、こんな話をするのも何だがね。このところ、使用者が急激に増えているんだ。従来の睡眠薬に比べて、効能が高いと言われている」

 王都で流行っている睡眠薬。もちろん存じております。私は巷では”眠らせ姫”と呼ばれております。睡眠薬の知識も多少は持っているのです。
 殿下のおっしゃる最新の睡眠薬も、以前取り寄せて調べてみました。確かに効果はありますが、お世辞にも薬とは言えない代物でございます。

「眠れるのならいいのではございませんか? 殿下がお悩みになるということは、その薬に何か問題があるのでございましょうか」

「その通りだ。確かに高い効能があるが、副作用と依存性が非常に高く、中毒性がある」

「まぁ……それはまるで麻薬でございますね」

「アスリム嬢は察しがいいな。調べてみると、薬には麻薬の成分が検出された。明らかに違法な量だったよ」

 そうでございます。私はすでに調べているので知っておりますが、睡眠薬とは名ばかり、その実は麻薬の一種と言って差し支えないものなのです。服用する前に気付けて幸運でした。あれを飲めば、きっと中毒になっていたことでしょう。

「その薬がロンメル様と、どう関係があるのでございますか?」

「薬の製造と販売が彼の家と繋がっていた。そして材料の発注先がコリドー嬢の実家だったのさ」

「つまり、ロンメル様とコリドー嬢のご実家が新型睡眠薬……いえ、新型の麻薬の販売と製造を手がけているのですか?」

「そういうことになるな」

 さすがは殿下ですね。私は薬の成分が怪しいことは見抜けましたが、それがロンメル様とコリドー嬢の家が関わっていたとは知りませんでした。
 もしかすると、お二方の出会いは偶然ではなく、両家の親が手引きしたのかもしれません。

「大変でございますね。証拠は掴んだのでございましょうか」

「上手くいかないな。連中も危ない橋を渡っている自覚があるんだろうさ。中々しっぽを掴ませてくれない。当分は私も徹夜だな、睡眠薬のせいで徹夜とは皮肉なものだろう?」

 殿下は笑ってくれと、やや疲れた顔でおっしゃりました。

「くれぐれもご自愛くださいませ。殿下がお体を悪くしたら、私も心が痛くなりますので」

「そ、そうか。私を心配してくれるのか」

「ええ、元婚約者が殿下にご迷惑をおかけするのは、非常に心苦しいです」

「あ、ああそういうことか」

 どうしてか、殿下は少しがっかりなされました。一体どうしてでございましょう。

「とにかく、君が気にすることじゃない。元婚約者だからといって気に病むな。アスリム嬢、君はもう自由だ。これからは気兼ねなく平穏に暮らせることを祈っているよ」

「ありがとうございます。殿下のお言葉、身に余る光栄でございます」

 では、と殿下は王宮の中へ戻っていきました。その足取りはやはり疲れたように見えます。このまま体調を崩さないか心配ですが、私には何も出来ないのです。


 ◆


 それから数週間が経ちました。私は再び、庭園に訪れました。するとそこには、心身共に限界間近なジーク殿下がいたのです。

「やぁ……元気そうだねアスリム嬢……」

「殿下、眠れていないのですか?」

「新型の睡眠薬の証拠集めが大変でね。最近はベッドに入るのも日付を越えるのが当然になってきた」

「それはよくありませんわね」

 殿下が眠れていないのは、どうやら公務の忙しさだけではない模様です。

「殿下、眠れないのは薬の件だけですか?」

「いや、いつも通りの時間に寝ようとしても、中々寝付くことが出来ないんだ。なんだか考え事をしてしまうようだ。気付けば明け方になっている日もある」

「不眠症でございますね」

 最初は公務が大変だったから、寝付く時間が遅くなっていただけなのでしょう。しかし次第に精神的なストレスが増して、それが不眠を引き起こしたのでしょう。おいたわしい話でございます。

「差し出がましいかもしれませんが殿下。一度、きっちりと睡眠を取るべきだと存じます」

「わかっている。だが体が言うことを聞いてくれないんだ。私だってベッドに入ってすぐに眠りにつきたい。だが眠いのに、眠れないのだ」

「そうでございますか……」

 殿下の目の下には以前よりもくっきりと隈がついています。このままでは公務の途中に倒れてしまうかもしれません。
 ここは私の出番、でございますね。

「では私が殿下を眠らせてさしあげますわ」

「なに? そ、それは……」

「殿下もご存じの通り、私は巷では”眠り姫”と呼ばれております。誰かを眠らせるのは、得意でございますのよ」

「そ、それは知っているが、だが君のようなうら若き女性が、男と一緒に寝るなど……」

 殿下のお言葉を聞いて思わず笑みが漏れてしまいそうになりました。ロンメル様との婚約破棄の場面で、私の身の潔白を証明してくださったのは殿下ですのに。

「大丈夫でございます。今まで色々な方を眠らせて参りました。ロンメル様がおっしゃっていたように、殿方の寝室に招かれたことも一度や二度ではございません」

「紛らわしい言い方はよせアスリム嬢! 君は子供を寝かしつけるのが上手な”眠り姫”だろう! 男性といっても十歳も行ってない子供だろう」

「ふふ、バレてましたか。ええ、でも寝かしつけるのは本当に得意でしてよ? 殿下のために私の力、発揮したいと思ってますの。だって殿下の目元がとても疲れてらっしゃいますもの。いつ倒れるか気が気じゃありませんわ」

 心労で倒れるなんて一大事です。殿下には健やかに公務を行っていただきたいのです。殿下は聡明なお方、その聡明な頭脳を鈍らせるのは我が国にとって痛手なのです。

「ですから殿下、私と一緒に寝てくださいますね?」

 殿下は悩んでいるようでしたが、最後には観念したのか頷くのでした。


 ◆


「ではこれから殿下を眠らせてみせましょう」

「よ、よろしく頼む」

 私は今、殿下の寝室におじゃましてベッドに腰掛けています。歳の近い殿方の部屋に入るのは実は初めてです。顔には出しませんが、私は非常に緊張しています。
 ですがそれを悟らせたら殿下に気を使わせてしまいます。私は極めて平静に努めるよう、気を引き締めます。

「しかし本当によかったのか。婚約破棄したばかりの令嬢を部屋に招くなど、私は何をしているのだ」

「まだ気にしてらっしゃるのですか。私はあまり気にしません。変な噂が流されるのも慣れてますので」

「それはそれでどうなんだ……いや、今更遅いか」

「ええ、もうお部屋に入ってしまってますので。さぁ殿下、観念してくださいませ」

 私が殿下に近付くと、殿下は後退りました。やはりまだ照れているらしいです。正直私も恥ずかしいのですが、殿下を眠らせるという大役を仰せつかった以上、躊躇っている場合ではありません。

「まずは緊張をほぐすのが大事です。ささ、これを飲んでくださいませ」

「これは……お茶か? うん、温かくていい味だ。香りもいいな。どこの銘柄だろうか」

「これは私の家が取り寄せている隣国の茶葉です。就寝前に飲むとリラックスできる、とてもいい茶葉なのでございます」

「そんな茶葉があったのか。待てよ……睡眠薬のかわりにこれを飲めば、熟睡できるのではないか?」

 殿下の考えは少し間違っています。確かにこのお茶は寝る前に飲めば睡眠の質を高める効果があります。
 ですが睡眠薬のように、睡眠を促進する効果があるわけではございません。

「これは薬ではありませんから、寝るためにはやはりご自身の意志で眠らなければなりません」

「気休め程度に思っておけばいいのか」

「いいえ、これを飲めば寝起きはすっきり。朝から元気いっぱいで過ごせること間違いなしでございます」

 体の疲れも取れますし、効果は間違いなくあるのです。

「だが先ほども言ったように、私は眠りにつくことが難しい。それなのにこんなお茶に効果があるのだろうか」

「それは私の腕の見せ所、でございますね」

 私は”眠らせ姫”でございます。幼子を眠らせた経験は数多くあります。殿下のこともきっとぐっすりと眠らせて見せましょう。

 お茶を飲んだあと、殿下にはベッドに横になって貰いました。そこから私はさらに殿下との距離を詰め、ほとんど密着するまで近付きました。

「これは……どういうシチュエーションなのだろうか、アスリム嬢」

「気になさらずに。私のことは霞か何かとでも思ってくださいませ。まずは体全体の力を抜き、リラックスしてくださいな」

「そ、それは無理があるだろう。逆に緊張してしまいそうだ。女性とここまで至近距離で接したのは初めてだからな」

 おやおや、意外にも殿下は女性との触れあいになれていないようです。いえ私も殿方とここまで物理的にお近づきになるのは初めてなのですが。
 正直顔から火が出そうですが、これでも先日まで婚約者がいた身ですし、やはり表情に出さないように注意しなければ。

「さぁ……ゆっくり大きく息を吐いてください……。そうです、そしたらまた大きく……息を吸って……」

 私は殿下の耳元で、幼子を寝かしつける時と同じように、優しい声色で囁きます。

「すぅ……はぁ……。う、うむ、これだけでもなんだかリラックス出来た気がするな」

「ふふ、そうでございましょう?」

 呼吸を整えるだけでも、意外と効果があるものなのです。特に緊張して頭が冴えてしまう場合は、深呼吸は効き目があります。

「そのまま吸って……吐いて……。その調子……でございますよ」

 殿下の大きな胸板が呼吸で上下しています。鍛えられた立派なお身体です。こんなたくましい肉体も、睡眠出来ないだけで大きくパフォーマンスが下がるのです。それだけ睡眠は、健康に関わることでございます。

「呼吸も整ってまいりましたね……。では、次の段階に入ります……。で、殿下……絶対に目を開けては駄目ですからね……」

「寝るためには目を閉じなければいけないだろう、当然だ。ところで何をするつもりなんだ」

「企業秘密……でございます」

 呼吸を整えた後の作業は至極簡単なことです。私の心音を聞かせる、それだけでございます。心臓の音というのは不思議なもので、聞いていると落ち着くらしいのです。現に子供たちは心音を聞かせると、すぐに眠りにつくのです。

 ですが、そのためには殿下の耳に私の体を密着させなければなりません。少し……いえ非常に恥ずかしいのですが、これも”眠らせ姫”の役目です。

「失礼いたします……殿下、お耳を拝借させていただきますね」

「う、うむ。……な、なにか当たっている気がするが、これは何も言わない方がいいのだろうか」

「お願いいたします……。そ、それよりも殿下、耳を傾けてくださいませ。私の心音に意識を集中……してください」

 トクン……トクン……。殿下の耳には、私の心臓が鼓動する音が聞こえているはずです。少し緊張して鼓動が早くなっていますが、深呼吸すれば落ち着くはずです。
 すぅ……はぁ……。落ち着きました。これでいつも通りの早さに戻ったでしょう。

 殿下は目を閉じて、耳に意識を集中しています。

「穏やかな音だな……どこか懐かしいような、そんな音だ」

「ええ……そのままゆっくりと、音を聞いて下さいませ」

「う、む……」

 殿下は次第に口数が減っていき、そのまま眠りにつきました。どうやら子供たちを眠らせた方法が、上手く通用したようです。

 殿下に私の力を発揮できたことで、一気に安堵します。

「ふぅ……ここまで緊張したのは初めてでございますね」

 殿下の耳に当てていた体を離そうと、ふと視線を落としたところで、殿下の寝顔を見てしまいました。とても安心した、優しい寝顔でした。先ほどまでの疲れきった顔が嘘のようでございます。

 私は眠っている殿下を起こさないように、御髪に触れてひと撫でします。

「殿下……どうか、いい夢をご覧下さいませ」

 そうして完全に眠りに入ったのを確認した後、私は殿下の部屋を後にするのでした。


 ◆


「ふふふーん♪ 今日も平穏でございますね」

 翌日のことです。いつもの庭園で過ごしていると、殿下が元気な足取りで訪れたのです。

「アスリム嬢、昨日はありがとう。久々に熟睡できたよ」

「ご機嫌麗しゅうございます。お身体の方はいかがですか?」

「睡眠というのはすごいな。まるで重い鎧を脱いだかのように快適だ。頭も冴え渡っていて、いつもより公務が捗るよ」

「それは大変嬉しく思いますわ。微力ながら殿下にお力添えが出来てよかったです」

 どうやら”眠らせ姫”の面目躍如でございますね。私の数少ない取り柄を活かせたようで、少しばかり嬉しく思います。

「そんな畏まらないでくれ。君のおかげで本当に救われた。昨日までの私はもう公務などやりたくない、どこかに逃げてしまいたいと思っていた。だがしっかりと眠れたことで、そんな暗い思考も消え失せた。いつもならこの時間は、疲れて頭痛がし始めるのに今日はそれもない」

「睡眠の質は生活の質とも言われます。どうか昨日のように、睡眠の質を高めてくださいませ。殿下の体調が安定するよう願っております」

「ありがとう。それでは公務の続きがあるので失礼するよ。また会おうアスリム嬢」

「ええ、また」

 また会う約束をしつつも、内心もう会うことはないと思っております。なぜなら私と殿下は本来立場が違う二人です。そう何度も顔を合わせては、殿下の風聞に関わるはずです。ましてや私は婚約破棄したばかりの身です。
 きっとこのまま、殿下とは距離を置くことになるのでしょう。ですが殿下と交わした時間はとても穏やかで、ロンメル様と婚約していた時には得られない貴重な体験でした。

 この思い出をそっと胸の中にしまっておきたいと思うのは、恥ずかしいことでしょうか。


 ◆


 ですがわずか数日後、再び殿下とお会いする機会がやってまいりました。そのお顔はまた、ストレスで疲れているようでした。

 話を聞くと、私が寝かしつけたあの日だけしか、まともに眠りにつけなかったというのです。殿下お一人ではまだ眠るコツを見つけられないのでしょう。

「そういうことだ。悪いがまた、頼めるだろうか」

「仕方ありませんね。殿下がそうおっしゃるのでしたら」

 そう言いながらも私は心の底では嬉しさを噛みしめていたのです。あのジーク殿下から、またお声を掛けて下さるなんて、と。
 ですがその想いを表に出してしまうと、はしたない女だと思われてしまいます。私は表情を変えずに、殿下のお言葉に返事をするのでした。


 そして再び殿下の寝室にお邪魔してしまいました。
 前回のようにお茶を飲んでリラックスしていただき、ベッドに横になってもらいました。

 本来ならここで体を寄せるのですが、もう一度殿下にあれをするのは少々……いえ非常に恥ずかしいです。ですので今日は少し趣向を変えてみることにしました。

「すぅ……はぁ……」

 以前教えた深呼吸を終えて、殿下の準備は万全です。後は私の腕の見せ所です。私は殿下の耳元まで顔を寄せました。

「いつも……がんばって偉いですわね……」

「う、いきなり耳元で囁かれるとゾワゾワするな……!」

「殿下……今日も頑張ってすごいです……。お仕事お疲れ様ですわ……」

 甘く蕩けるような声を出して、殿下の耳元で囁きます。頭の疲れを消し飛ばせるくらいの、甘やかし声です。自分で言うのも恥ずかしいのですが……。

「疲れちゃったら寝ようね……ですわ」

「む、無理に敬語を使わなくてもいい。君が子供たちにやっているように、普通に喋ってくれて構わない」

「ですが殿下に向かって失礼だと思うのですけれど」

「この場には私と君の二人しかいない。その私がいいと言っているんだ、気にするな」

 なんとも寛大なお心なのでしょう。私なんかにそのような言葉遣いを許してくださるなんて、嬉しくて破顔してしまいそうです。

「ではお言葉に甘えて……。殿下……一緒に息を吸いましょうね……。吸って、すぅー……吐いて、はぁー……。えへへ、呼吸できて偉いね」

「そ、それは馬鹿にしてないか?」

 そんなことはございません。子供を寝かしつける時は、一緒に深呼吸してあげると落ち着く子もいるのです。

「一緒に、すぅー……はぁー……。すうー……はぁー……。今日もお疲れ様、明日も頑張りましょうね」

 殿下の御髪を撫でて、耳元で甘い言葉を囁きます。

「朝になったら……殿下の元気な顔が見たいです。だから今日はぐっすり寝ましょうね……。吸って、すぅー……吐いて、はぁー……」

「そう、だな……。明日も君と……う、む……」

「ええ殿下……明日もきっと……」

 そのまま殿下は眠りに落ちるのでした。寝ている殿下の顔はとても美しく、無垢な子供にも見えます。ひとが眠る時の表情はその人の本心を表していると言いますが、殿下は本当に純粋なひとなのでしょう。

 その綺麗な寝顔を眺めていると、私も次第に睡魔が襲ってきました。ここで寝ては一大事になりますので、ゆっくりとベッドから立ち上がり部屋を去ろうとしました。

 その時、ベッドから声がしたのです。

「アスリム嬢……ありが、とう……」

 殿下……そのお言葉がもらえて、私はとても幸せでございます。また明日お声を聞かせていただけるのを、楽しみにしております。

 私は扉の音が鳴らないように閉めて、廊下を歩いて帰るのでした。


 ◆


「殿下……殿下、起きてください」

「う、む? もう朝か」

「おはようございます。昨日はぐっすり眠れましたか?」

「寝かしつけてくれたのは君だ。どうせ寝顔も見てたんだろう」

「ええ、可愛らしい寝顔を拝見させていただきました」

 あれから数ヶ月が経ちました。殿下は相変わらずお一人では眠りにつけないようです。しかし以前とは理由が違います。心労が原因で眠れなくなったのではなく、私の寝かしつけに慣れすぎて、私無しでは眠れなくなってしまったのです。

「今日は早く帰る予定だ。よければ夕食を共にしないか」

「まぁ、素敵なお誘いですね。よろこんでご一緒させていただきます」

 殿下を寝かしつけることが増えて、殿下が安眠出来る日が増えた結果、公務の効率が大幅に上がり、無事怪しい睡眠薬の証拠を集めることに成功したのです。
 それからロンメル様のお家と、コリドー嬢のお家を取り潰しが行われました。元婚約者とその恋人がかわいそうな立場になるのは少々気が引けましたが、実はお二人とも新型睡眠薬の王宮での流行に一役買っていたようで、責任を取らされることになったのです。
 そこまで関わっていたのなら、私に出来ることはありません。殿下と国王陛下の判断に委ねる他ありません。

 そうして新型睡眠薬の件も無事解決した後、私は殿下の勧めでとある活動を始めました。
『私にしたようなことを、同じく眠れない人たちのためにやるのはどうだろう』と殿下に勧められたのがきっかけです。
 ですが対象は女性か子供に限る、としたのは殿下が私の評判を気にしてくださったのでしょう。

 こうして私は”眠らせ姫”としての評判を子供だけでなく、色々な方を対象に広めていきました。貴族のご令嬢、子育てで疲れたお母さん、お年寄りのおばあさんなど、多くの人に安眠のコツを広めています。

 ですが殿下は他の方とストレスの桁が違うのか、中々お一人では眠れませんでした。なので私は今もこうして殿下の元へやってきて、寝かしつけているのです。

「最近では王宮で君の名前を聞くことが増えた」

「それは殿下が周りに広めてるからではございませんか? 私としてはあまり目立ちたくはないのですが」

「いや、それはなんだ……。ほら、今のうちに周りに知ってもらっていた方が、有利になるからな」

「はて……」

 殿下が何を仰っているのかわかりません。頭脳明晰な殿下の考えることです。きっと何かすごい考えをお持ちなのでしょう。

「婚約破棄してから、半年以上過ぎた。君の評判も上げきった。そして何より、君は私を救ってくれた女性だ」

「それは大げさでございます。それより、婚約破棄と何か関係があるのでしょうか」

「う、む。ええと、そうだな……。こんなことを言うのも何だが……。いや、こういうことはきちんと言わねばならないか……?」

 ???
 殿下はさっきから何を言おうとしているのでしょうか。殿下を寝かしつけるとと、”眠らせ姫”として有名になること、そして婚約破棄から時間が経ったこと。これらに繋がりがあるというのでしょうか。

「アスリム嬢、君の隣にいると安心する」

「ありがとうございます」

「それと、君と一緒でなければ安らかに眠れない」

「いつかはお一人で眠れるように、これからもお力添えいたします」

「そうじゃない! つまりだな……私は君が好きだ! 婚約して欲しい!」

「まぁ……!」

 これは本当に驚きました。殿下から少なからず好意を持っていただけているとは思っていましたが、まさか異性として意識していただけているとは重いもしませんでした。
 正直婚約されたのが嘘ではないかと疑ってしまいます。

「君といると私は穏やかでいられるんだ。安眠出来るのも、きっと君のことを信頼しているからだと思う」

「そうはっきりと言われると、照れてしまいそうです……」

「いや、照れて欲しい。そして婚約の返事をしてほしい」

 殿下の真っ直ぐな視線に、不敬にも目を逸らしてしまいました。なぜなら殿下の眼は真っ直ぐに私を射貫いてるのです。そんな熱い眼差しで見られたら、見つめ返せません。

「その、私でよろしいのでしょうか。婚約破棄された曰く付きの令嬢でございますのよ」

「そんな風評はもう残っていない。今の君は眠りで困っている人のために働く”眠らせ姫”だ。ロンメルとの婚約なんて皆忘れているさ」

「ですが、私が殿下とこ、婚約だなんて……」

 恐れ多い話でございます。私は人を眠らせるだけしか能がない女です。それなのに殿下から寵愛を受ける資格などあるのでしょうか。

「先ほど、君と一緒でなければ安らかに眠れないと言ったが訂正しよう。私が目指す王は、国民の誰もが君の与えてくれたような、安眠……安心な日々を送れるようにすることだ。その時、隣に君がいて欲しい」

「私でよろしいのでしょうか」

「君じゃなければ駄目みたいだ。どうだろうか……」

 心の奥で抑えていた感情が、漏れ出してしまいそうです。この熱い想いを我慢しなくては……そう思って今まで我慢して参りました。ですがもう、我慢しなくてもよいのでしょうか。

 私は、殿下から差し出された手を取りました。

「これからも貴方様のお隣で、お支えいたします」





 こうして”眠らせ姫”は”眠らせ王妃”となり、その後は国民の睡眠の質を向上し、生産性を大幅にアップさせたという。
 そしてジーク王太子は国王陛下となり、持ち前の頭脳を活かして国を豊かにして、賢王として歴史に名を残した。

 そのジーク国王だったが、後年の歴史書にはこう記されていた。
『彼は生涯、愛する王妃と同じベッドで眠ることを好んだと言われている。そして王妃はかならず国王の寝顔を見てから眠りについたという』


          ~完~
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