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花の書
夏の庭5
しおりを挟む悠山のいるガゼボに戻ると、水谷はこれまでの経緯を話してくれた。
門に来ていた男たちは依頼をかけた解体業者で、この家は庭も含め取り壊す予定らしい。
特にこの植物で埋めつくされた庭は建物よりも先に解体することになっていたのだが、難航中だという。
その原因が、先ほど解体業者を襲っていたカラスだ。
「以前から庭にカラスがよく出入りしてはいたの。でも花壇や植木を荒らしたりはしないしおとなしいから、誰も気にしてなかった。たまに夜鳴いてるなって思うくらいで」
「夜……?」
何か引っかかるものがあったのか悠山が呟いた。
だがすぐににこりと愛想よく微笑むと「続けてください」と水谷をうながす。
「それで、ええと……そうだ。おばあちゃんが施設に入ったのを機に、マンションに引っ越すことになったんです。この家かなり古くて危ないって言われてて。おばあちゃんがいなくなって庭の手入れも行き届かないし、管理の楽なマンションにって。ちょっと寂しいけど仕方ないかなって思ってたんだけど……」
すでに引っ越し先は決まっていて、荷物もほぼ運び出し、あとは住人が移り住むだけという状態らしい。
伊知郎たちを屋内に案内しなかったのは、家の中にほとんど物が残っていないからだったようだ。
「いざ解体しようとしたら、突然カラスが集団で襲ってきたの。私たち家族もその場にいたんだけど、襲われたのは解体業者の人たちだけ。たぶんよそ者だってわかってたのね。工事は中断。それから再開しようとするたび、カラスがやってきて業者さんを追い払っちゃうの」
「カラスが賢いっていうのは本当だったか。水谷さんたちはこの家の住人だから無事ってことだろ? 顔を見分けてるんだなあ」
「カラスたちはこの家を自分たちのナワバリだと思ってる。私たちは住むのを許容されてるのか、仲間だと思われてるのかわからないけど。あと、カラスが攻撃的になってから、夜に庭で大騒ぎするようになって」
「大騒ぎって、カラスが?」
「うん。前は一羽ちょっと鳴いてるな、くらいだったんだけど、いまは毎晩何羽も集まってカアカア大集会みたいになってるの。ご近所さんからもどうにかならないかって言われてて」
ため息をつく水谷の疲労が色濃くなっていく。
どうやら目の下のクマはカラスの騒音による寝不足が原因のようだ。
「大丈夫か? マンションがもう住める状態なら、はやく移ったほうが……」
「そうなんだけど、なんかそれやっちゃうと放り出すみたいでしょ? 私たちがいなくなってもカラスは消えないし、周りの人たちは迷惑被ったままで、解体工事も進まない。何も解決しないんだよね」
「でも、水谷さんが体調崩すのも問題だろ。いまにも倒れそうな顔してるよ」
伊知郎の指摘に、水谷は少し恥ずかしそうに両手で頬を覆った。
「心配してくれてありがとう。でもこれくらい平気。寝不足なのは慣れてるから」
「慣れてるって……」
「身体が慣れてるのはほんと。私小さい頃、夢遊病だったらしくて。夜中にひとりふらっと起きて外を徘徊したりしてたみたい。あんまり覚えてないんだけどね」
「徘徊? 小さい女の子が? 危ないなあ。ご両親も心配したんじゃないか?」
「でも、いつも姉がついててくれたから……」
どこか懐かしそうに水谷が呟く。
幸せな記憶を思い出しているような顔をしていた。
「姉? あなたはひとりっ子じゃないんですか?」
それまで黙って伊知郎たちのやりとりを聞いていた悠山が、口をはさんだ。
柔和な笑顔からピリリとした厳しい顔に変わっている。
水谷は驚いたように目を見開いたあと、徐々に目線を下げていった。
「あ……ええと。そうです。私はひとり娘で……」
「でもあなたはいま、いつもお姉さんがついていてくれたと」
「そう……いえ。あれ……私、何言ってるんだろ。でも……」
手で目を覆うように俯く水谷は、ひどく混乱しているように見えた。
どんどん顔色が悪くなっていく様子に心配になり、伊知郎は細い肩にそっと手を乗せた。
「水谷さん、大丈夫か? あまり眠れてないみたいだし、無理しないで休んだほうがいいよ。まだ家の中に横になれる場所はあるんだろ?」
「福永くん……。ありがとう。でもせっかく来てくれたんだし、花はもらっていって? そしたら私も休むから」
「ああ。じゃあすぐ花を選ばせてもらうよ。先生、いいだろ?」
悠山はまだ何か考えている風だったが、水谷の様子を見て表情を和らげるとうなずいた。
「そうですね。あんまり長居しちゃ申し訳ない」
「すみません。何だか急かしてしまって……」
「いいえ。こんな立派なお庭の花をいただけるだけでありがたいです」
立ち上がろうとする水谷に、悠山が手を差し出す。
水谷は青白かった頬をぽっと染めながら、悠山の白い手をとった。
水谷をエスコートするようにガゼボから出ていく悠山は、まるで童話に出てくる王子様のようだ。
ただし和服姿で、どんな美姫よりも輝く美貌の王子様だが。
それにしても、水谷が嬉しそうだ。
やはりあんな色男にエスコートされればだいたいの女性は喜ぶのだろう。
「相手が先生だと、妬ましいって気持ちにならないな」
外見では勝負にならないのはわかりきっている。
悔しいが中身でもいまのところ勝てる要素が見当たらないが、学ぶことはできる。
色男の気遣いを学ぶべき後を追おうとした伊知郎だが、ガゼボのそばで朔がしゃがみこんでいるのに気づいた。
「朔、どうした? ほしい花があったのか?」
小さなあやかしの横に伊知郎もしゃがみこむ。
朔が見ていたのは花のつぼみだった。
緑色のつぼみに、赤い線が立てに何本か入っている。
たくさんのつぼみがあるが、その近くには同じくらいたくさんの枯れた赤紫色の花もある。
その枯れた花にわずかな光の残滓を見つけ、伊知郎はハッと辺りを見回した。
だがそれらしきあやかしの姿は見当たらない。
「朔、あやかしを見つけられるか?」
同じあやかしになら気配を感じられるかもしれない。
そう思ったが、朔は伊知郎を見上げ、またこてんと首をかしげるだけ。
伊知郎は「だよなあ」と苦笑して、頭をかきながらもう一度辺りを見回す。
そのつぼみと枯れた花が、白いガゼボをぐるりと囲むように植えられていることに気づいたが、どんなに目をこらしても、それらしき姿を見つけることはできなかった。
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