上 下
42 / 52
花の書

夏の庭5

しおりを挟む


悠山のいるガゼボに戻ると、水谷はこれまでの経緯を話してくれた。

門に来ていた男たちは依頼をかけた解体業者で、この家は庭も含め取り壊す予定らしい。
特にこの植物で埋めつくされた庭は建物よりも先に解体することになっていたのだが、難航中だという。

その原因が、先ほど解体業者を襲っていたカラスだ。


「以前から庭にカラスがよく出入りしてはいたの。でも花壇や植木を荒らしたりはしないしおとなしいから、誰も気にしてなかった。たまに夜鳴いてるなって思うくらいで」

「夜……?」


何か引っかかるものがあったのか悠山が呟いた。
だがすぐににこりと愛想よく微笑むと「続けてください」と水谷をうながす。


「それで、ええと……そうだ。おばあちゃんが施設に入ったのを機に、マンションに引っ越すことになったんです。この家かなり古くて危ないって言われてて。おばあちゃんがいなくなって庭の手入れも行き届かないし、管理の楽なマンションにって。ちょっと寂しいけど仕方ないかなって思ってたんだけど……」


すでに引っ越し先は決まっていて、荷物もほぼ運び出し、あとは住人が移り住むだけという状態らしい。
伊知郎たちを屋内に案内しなかったのは、家の中にほとんど物が残っていないからだったようだ。


「いざ解体しようとしたら、突然カラスが集団で襲ってきたの。私たち家族もその場にいたんだけど、襲われたのは解体業者の人たちだけ。たぶんよそ者だってわかってたのね。工事は中断。それから再開しようとするたび、カラスがやってきて業者さんを追い払っちゃうの」

「カラスが賢いっていうのは本当だったか。水谷さんたちはこの家の住人だから無事ってことだろ? 顔を見分けてるんだなあ」

「カラスたちはこの家を自分たちのナワバリだと思ってる。私たちは住むのを許容されてるのか、仲間だと思われてるのかわからないけど。あと、カラスが攻撃的になってから、夜に庭で大騒ぎするようになって」

「大騒ぎって、カラスが?」

「うん。前は一羽ちょっと鳴いてるな、くらいだったんだけど、いまは毎晩何羽も集まってカアカア大集会みたいになってるの。ご近所さんからもどうにかならないかって言われてて」


ため息をつく水谷の疲労が色濃くなっていく。
どうやら目の下のクマはカラスの騒音による寝不足が原因のようだ。


「大丈夫か? マンションがもう住める状態なら、はやく移ったほうが……」

「そうなんだけど、なんかそれやっちゃうと放り出すみたいでしょ? 私たちがいなくなってもカラスは消えないし、周りの人たちは迷惑被ったままで、解体工事も進まない。何も解決しないんだよね」

「でも、水谷さんが体調崩すのも問題だろ。いまにも倒れそうな顔してるよ」


伊知郎の指摘に、水谷は少し恥ずかしそうに両手で頬を覆った。


「心配してくれてありがとう。でもこれくらい平気。寝不足なのは慣れてるから」

「慣れてるって……」

「身体が慣れてるのはほんと。私小さい頃、夢遊病だったらしくて。夜中にひとりふらっと起きて外を徘徊したりしてたみたい。あんまり覚えてないんだけどね」

「徘徊? 小さい女の子が? 危ないなあ。ご両親も心配したんじゃないか?」

「でも、いつも姉がついててくれたから……」


どこか懐かしそうに水谷が呟く。
幸せな記憶を思い出しているような顔をしていた。


「姉? あなたはひとりっ子じゃないんですか?」


それまで黙って伊知郎たちのやりとりを聞いていた悠山が、口をはさんだ。
柔和な笑顔からピリリとした厳しい顔に変わっている。

水谷は驚いたように目を見開いたあと、徐々に目線を下げていった。


「あ……ええと。そうです。私はひとり娘で……」

「でもあなたはいま、いつもお姉さんがついていてくれたと」

「そう……いえ。あれ……私、何言ってるんだろ。でも……」


手で目を覆うように俯く水谷は、ひどく混乱しているように見えた。

どんどん顔色が悪くなっていく様子に心配になり、伊知郎は細い肩にそっと手を乗せた。


「水谷さん、大丈夫か? あまり眠れてないみたいだし、無理しないで休んだほうがいいよ。まだ家の中に横になれる場所はあるんだろ?」

「福永くん……。ありがとう。でもせっかく来てくれたんだし、花はもらっていって? そしたら私も休むから」

「ああ。じゃあすぐ花を選ばせてもらうよ。先生、いいだろ?」


悠山はまだ何か考えている風だったが、水谷の様子を見て表情を和らげるとうなずいた。


「そうですね。あんまり長居しちゃ申し訳ない」

「すみません。何だか急かしてしまって……」

「いいえ。こんな立派なお庭の花をいただけるだけでありがたいです」


立ち上がろうとする水谷に、悠山が手を差し出す。
水谷は青白かった頬をぽっと染めながら、悠山の白い手をとった。

水谷をエスコートするようにガゼボから出ていく悠山は、まるで童話に出てくる王子様のようだ。
ただし和服姿で、どんな美姫よりも輝く美貌の王子様だが。

それにしても、水谷が嬉しそうだ。
やはりあんな色男にエスコートされればだいたいの女性は喜ぶのだろう。


「相手が先生だと、妬ましいって気持ちにならないな」


外見では勝負にならないのはわかりきっている。
悔しいが中身でもいまのところ勝てる要素が見当たらないが、学ぶことはできる。

色男の気遣いを学ぶべき後を追おうとした伊知郎だが、ガゼボのそばで朔がしゃがみこんでいるのに気づいた。


「朔、どうした? ほしい花があったのか?」


小さなあやかしの横に伊知郎もしゃがみこむ。

朔が見ていたのは花のつぼみだった。
緑色のつぼみに、赤い線が立てに何本か入っている。

たくさんのつぼみがあるが、その近くには同じくらいたくさんの枯れた赤紫色の花もある。

その枯れた花にわずかな光の残滓を見つけ、伊知郎はハッと辺りを見回した。
だがそれらしきあやかしの姿は見当たらない。


「朔、あやかしを見つけられるか?」


同じあやかしになら気配を感じられるかもしれない。
そう思ったが、朔は伊知郎を見上げ、またこてんと首をかしげるだけ。

伊知郎は「だよなあ」と苦笑して、頭をかきながらもう一度辺りを見回す。

そのつぼみと枯れた花が、白いガゼボをぐるりと囲むように植えられていることに気づいたが、どんなに目をこらしても、それらしき姿を見つけることはできなかった。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】捨ててください

仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
ずっと貴方の側にいた。 でも、あの人と再会してから貴方は私ではなく、あの人を見つめるようになった。 分かっている。 貴方は私の事を愛していない。 私は貴方の側にいるだけで良かったのに。 貴方が、あの人の側へ行きたいと悩んでいる事が私に伝わってくる。 もういいの。 ありがとう貴方。 もう私の事は、、、 捨ててください。 続編投稿しました。 初回完結6月25日 第2回目完結7月18日

『遺産相続人』〜『猫たちの時間』7〜

segakiyui
キャラ文芸
俺は滝志郎。人に言わせれば『厄介事吸引器』。たまたま助けた爺さんは大富豪、遺産相続人として滝を指名する。出かけた滝を待っていたのは幽霊、音量、魑魅魍魎。舞うのは命、散るのはくれない、引き裂かれて行く人の絆。ったく人間てのは化け物よりタチが悪い。愛が絡めばなおのこと。おい、周一郎、早いとこ逃げ出そうぜ! 山村を舞台に展開する『猫たちの時間』シリーズ7。

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

小京都角館・武家屋敷通りまごころベーカリー  弱小極道一家が愛されパン屋さんはじめました

来栖千依
キャラ文芸
 父の急死により、秋田の角館をシマに持つ極道一家・黒羽組を継ぐことになった女子高生の四葉。しかし組は超弱小で、本家に支払う一千万の上納金すら手元にない。困る四葉のもとに、パン職人の修行のために海外へ行っていた幼馴染の由岐が帰ってきた。「俺がここでベーカリーをやるから、売り上げはお前が取れ」。シマの住民に愛されるパン屋さんを目指して店を手伝う四葉だが、美味しいパンを求めてやってくるお客にはそれぞれ事情があるようで…?

【完結】「心に決めた人がいる」と旦那様は言った

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
「俺にはずっと心に決めた人がいる。俺が貴方を愛することはない。貴女はその人を迎え入れることさえ許してくれればそれで良いのです。」 そう言われて愛のない結婚をしたスーザン。 彼女にはかつて愛した人との思い出があった・・・ 産業革命後のイギリスをモデルにした架空の国が舞台です。貴族制度など独自の設定があります。 ---- 初めて書いた小説で初めての投稿で沢山の方に読んでいただき驚いています。 終わり方が納得できない!という方が多かったのでエピローグを追加します。 お読みいただきありがとうございます。

【完結】探さないでください

仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
私は、貴方と共にした一夜を後悔した事はない。 貴方は私に尊いこの子を与えてくれた。 あの一夜を境に、私の環境は正反対に変わってしまった。 冷たく厳しい人々の中から、温かく優しい人々の中へ私は飛び込んだ。 複雑で高級な物に囲まれる暮らしから、質素で簡素な物に囲まれる暮らしへ移ろいだ。 無関心で疎遠な沢山の親族を捨てて、誰よりも私を必要としてくれる尊いこの子だけを選んだ。 風の噂で貴方が私を探しているという話を聞く。 だけど、誰も私が貴方が探している人物とは思わないはず。 今、私は幸せを感じている。 貴方が側にいなくても、私はこの子と生きていける。 だから、、、 もう、、、 私を、、、 探さないでください。

我が家の家庭内順位は姫、犬、おっさんの順の様だがおかしい俺は家主だぞそんなの絶対に認めないからそんな目で俺を見るな

ミドリ
キャラ文芸
【奨励賞受賞作品です】 少し昔の下北沢を舞台に繰り広げられるおっさんが妖の闘争に巻き込まれる現代ファンタジー。 次々と増える居候におっさんの財布はいつまで耐えられるのか。 姫様に喋る犬、白蛇にイケメンまで来てしまって部屋はもうぎゅうぎゅう。 笑いあり涙ありのほのぼの時折ドキドキ溺愛ストーリー。ただのおっさん、三種の神器を手にバトルだって体に鞭打って頑張ります。 なろう・ノベプラ・カクヨムにて掲載中

つくもむすめは公務員-法律違反は見逃して♡-

halsan
キャラ文芸
超限界集落の村役場に一人務める木野虚(キノコ)玄墨(ゲンボク)は、ある夏の日に、宇宙から飛来した地球外生命体を股間に受けてしまった。 その結果、彼は地球外生命体が惑星を支配するための「胞子力エネルギー」を三つ目の「きんたま」として宿してしまう。 その能力は「無から有」 最初に現れたのは、ゲンボク愛用のお人形さんから生まれた「アリス」 さあ限界集落から発信だ!

処理中です...