上 下
40 / 52
花の書

夏の庭3

しおりを挟む



右からはカラコロと、ご機嫌な朔が鳴らす下駄の音。
そして背後からは、ブツブツと念仏のような文句を唱える悠山の声。


「何であたしが伊知郎の同級生の娘さんに会わなきゃいけないんです。向こうだって見ず知らずの男を連れてこられても困るでしょうに」

「ちゃんと水谷さんには連絡してあるよ。バイト先にも花を飾らせてもらえないかって。むしろ大歓迎だって言ってくれたし、先生を連れて行くことも了承もらってるぞ」

「そういう問題じゃあないんです。……まったく。お前さんも、休日に女性に会うってぇのに、わざわざコブにタンコブまで連れてくこたないでしょうに」


ブツブツと、念仏はしばらく途切れそうにもなかった。

あれからまた週末を迎え、伊知郎は悠山たちを誘い水谷の家へと向かっていた。
水谷の家は高天の駅から西側にあり、悠山の家や伊知郎の祖父の家のある地域とはまた雰囲気を画す住宅街だった。
古い家が多いが、紫倉邸のような完全な和風の古民家ではなく、西洋の雰囲気が色濃く出ている。

たどり着いた水谷の家は、瓦屋根に白い木造の壁やバルコニー、洒落たデザインの窓枠という和洋折衷な古民家だった。
白いフェンスや鳥かごのようなガゼボには緑の蔦がからみ、レンガの道らしきものはうっすら見えるが、ほとんど生い茂る草花で庭は覆い尽くされている。


「すごいな……花のジャングルみたいだ」


いざ小さな庭園を目の前にして、学校で水谷の言っていた言葉を思いだし大いに納得する。
花で溢れすぎて、近所に花を配っても追いつかないと言っていたが、あれはおおげさなものではなかったようだ。


「このお家だけ異国に建ってるみたいだねぇ」


水谷の家を見て、悠山は腕を組みつつ感心したように言った。

足元では朔が色とりどりの花に目をキラキラさせている。
もっとよく見えるように肩車をしてやると、手を叩いて喜んだ。


「また父親ごっこかい。朔は……」

「あやかし、だろ。わかってるよ。でもこんなに嬉しそうなんだからいいじゃん」

「良かないです。人間とあやかしには適度な距離が必要です。それがお互いの為になる」

「それってどういう意味——」


「福永くん?」


悠山に詰めより真意を聞こうとしたとき、ガサガサと花々をかき分けて水谷がひょっこり顔を出した。


「あ、やっぱり。家から福永くんの頭が見えたんだよね。背が高いからわかりやすい」


そう言って笑う水谷の目には、肩車される朔はまったく見えていないようだ。

朔は自分でよじよじと伊知郎の背を伝い地面に降りていく。
まったく、空気の読めるいい子……あやかしだ。


「そちらが、福永くんの言ってた書道教室の?」

「ああ。紫倉悠山先生だ。先生。こちらクラスメイトの水谷さん」

「はじめまして、紫倉です。今日はお庭の花を分けていただけるということで、こうして図々しく来てしまいましたが、ご迷惑ではありませんか?」


派手な和服を着た美貌の書道家、という出で立ちのうさんくささを吹き飛ばすような微笑み。
そして物腰柔らかな態度に、水谷は頬を染めると同時にガチンと体を強張らせた。


「い、いいいいえ! そんな! 迷惑なんて滅相もない!」

「本当に?」

「み、見ての通り花が溢れ返って困っているくらいなので! いくらでもお好きな花をもらっていただけると、こちらも助かります!」

「それを聞いて安心しました。ちょうど教室に、季節の花を飾りたいと思っていたんです」


悠山と会話をする水谷の顔に、伊知郎は残念になりながらも「だよなあ」とひとり納得していた。
こんな美しい男を前にして、舞い上がらない女性はいないだろう。

習字教室の大人の部でも悠山は、露出度の高い肉食女子大生から、還暦過ぎのグレイヘア美老女にまでそれはそれは大人気で、空きが出来るのを待つ予約生徒が数十人いるほど。

男を花に例えるのも変な話だが、悠山は誰もが目を奪われる大輪の牡丹。
その横に立つ伊知郎はといえば……道行く者が日よけにする街路樹といったところ。
夏場は多少重宝されるが、ほとんどの場合存在を意識されることもない。

自分で考えていて悲しくなるが、現実から目を背けていても何も始まらないのだ。


「暑いなかわざわざ来ていただいて、本当にありがとうございます。どうぞ中に」


花の中から抜け出した水谷が、アイアンの門戸を開く。

緑の庭に足を踏み入れた途端、伊知郎は空気が変わったのを感じた。
ひんやりとした水をたっぷり含んだような、潤い澄んだ空気が満ちている。

花の甘い香り、草木の涼やかな匂い。
それから土の湿った匂いに、嗅覚から内側を丸洗いされたような爽快な気持ちになった。


「本当にすごいな……」


思わず漏れた呟きに、水谷が「でしょう」と照れ笑いする。


「ずっとおばあちゃんが庭の手入れをしていたんだけど、おばあちゃんが施設に入った途端、この有様で」

「いや、きれいな庭だよ。庭だけど、自然を感じるっていうか。いい庭だと思う」

「ほんと? お世辞でもうれしいなあ」


そう言った水谷の顔は、どこか疲れて見えた。

学校では気づかなかったが、目の下にうっすらクマが浮いている。
期末試験があったからだろうな、と全教科一夜漬けだった伊知郎は勝手に共感した。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

『遺産相続人』〜『猫たちの時間』7〜

segakiyui
キャラ文芸
俺は滝志郎。人に言わせれば『厄介事吸引器』。たまたま助けた爺さんは大富豪、遺産相続人として滝を指名する。出かけた滝を待っていたのは幽霊、音量、魑魅魍魎。舞うのは命、散るのはくれない、引き裂かれて行く人の絆。ったく人間てのは化け物よりタチが悪い。愛が絡めばなおのこと。おい、周一郎、早いとこ逃げ出そうぜ! 山村を舞台に展開する『猫たちの時間』シリーズ7。

【完結】忘れてください

仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
愛していた。 貴方はそうでないと知りながら、私は貴方だけを愛していた。 夫の恋人に子供ができたと教えられても、私は貴方との未来を信じていたのに。 貴方から離婚届を渡されて、私の心は粉々に砕け散った。 もういいの。 私は貴方を解放する覚悟を決めた。 貴方が気づいていない小さな鼓動を守りながら、ここを離れます。 私の事は忘れてください。 ※6月26日初回完結  7月12日2回目完結しました。 お読みいただきありがとうございます。

妻のち愛人。

ひろか
恋愛
五つ下のエンリは、幼馴染から夫になった。 「ねーねー、ロナぁー」 甘えん坊なエンリは子供の頃から私の後をついてまわり、結婚してからも後をついてまわり、無いはずの尻尾をブンブン振るワンコのような夫。 そんな結婚生活が四ヶ月たった私の誕生日、目の前に突きつけられたのは離縁書だった。

バッドエンド

黒蝶
キャラ文芸
外の世界と隔絶された小さな村には、祝福の子と災いの子が生まれる。 祝福の子は神子と呼ばれ愛されるが、災いの子は御子と呼ばれ迫害される。 祝福の子はまじないの力が強く、災いの子は呪いの力が強い。 祝福の子は伝承について殆ど知らないが、災いの子は全てを知っている。 もしもそんなふたりが出会ってしまったらどうなるか。 入ることは禁忌とされている山に巣食う祟りを倒すため、御子は16になるとそこへ向かうよう命じられた。 入ってはいけないと言われてずっと気になっていた神子は、その地に足を踏み入れてしまう。 ──これは、ふたりの『みこ』の話。

冷蔵庫の印南さん

奈古七映
キャラ文芸
地元の電気屋さんが発明した新型冷蔵庫にはAIが搭載されていて、カスタマイズ機能がすごい。母が面白がって「印南さん」と命名したせいで……しゃべる冷蔵庫と田舎育ちヒロインのハートフルでちょっぴり泣けるコメディ短編。

下宿屋 東風荘 2

浅井 ことは
キャラ文芸
※※※※※ 下宿屋を営み、趣味は料理と酒と言う変わり者の主。 毎日の夕餉を楽しみに下宿屋を営むも、千年祭の祭りで無事に鳥居を飛んだ冬弥。 しかし、飛んで仙になるだけだと思っていた冬弥はさらなる試練を受けるべく、空高く舞い上がったまま消えてしまった。 下宿屋は一体どうなるのか! そして必ず戻ってくると信じて待っている、残された雪翔の高校生活は___ ※※※※※ 下宿屋東風荘 第二弾。

未亡人クローディアが夫を亡くした理由

臣桜
キャラ文芸
老齢の辺境伯、バフェット伯が亡くなった。 しかしその若き未亡人クローディアは、夫が亡くなったばかりだというのに、喪服とは色ばかりの艶やかな姿をして、毎晩舞踏会でダンスに興じる。 うら若き未亡人はなぜ老齢の辺境伯に嫁いだのか。なぜ彼女は夫が亡くなったばかりだというのに、楽しげに振る舞っているのか。 クローディアには、夫が亡くなった理由を知らなければならない理由があった――。 ※ 表紙はニジジャーニーで生成しました

寵愛のいる旦那様との結婚生活が終わる。もし、次があるのなら緩やかに、優しい人と恋がしたい。

にのまえ
恋愛
リルガルド国。公爵令嬢リイーヤ・ロイアルは令嬢ながら、剣に明け暮れていた。 父に頼まれて参加をした王女のデビュタントの舞踏会で、伯爵家コール・デトロイトと知り合い恋に落ちる。 恋に浮かれて、剣を捨た。 コールと結婚をして初夜を迎えた。 リイーヤはナイトドレスを身に付け、鼓動を高鳴らせて旦那様を待っていた。しかし寝室に訪れた旦那から出た言葉は「私は君を抱くことはない」「私には心から愛する人がいる」だった。 ショックを受けて、旦那には愛してもられないと知る。しかし離縁したくてもリルガルド国では離縁は許されない。しかしリイーヤは二年待ち子供がいなければ離縁できると知る。 結婚二周年の食事の席で、旦那は義理両親にリイーヤに子供ができたと言い出した。それに反論して自分は生娘だと医師の診断書を見せる。 混乱した食堂を後にして、リイーヤは馬に乗り伯爵家から出て行き国境を越え違う国へと向かう。 もし、次があるのなら優しい人と恋がしたいと…… お読みいただき、ありがとうございます。 エブリスタで四月に『完結』した話に差し替えいたいと思っております。内容はさほど、変わっておりません。 それにあたり、栞を挟んでいただいている方、すみません。

処理中です...