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花の書
夏の庭3
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*
右からはカラコロと、ご機嫌な朔が鳴らす下駄の音。
そして背後からは、ブツブツと念仏のような文句を唱える悠山の声。
「何であたしが伊知郎の同級生の娘さんに会わなきゃいけないんです。向こうだって見ず知らずの男を連れてこられても困るでしょうに」
「ちゃんと水谷さんには連絡してあるよ。バイト先にも花を飾らせてもらえないかって。むしろ大歓迎だって言ってくれたし、先生を連れて行くことも了承もらってるぞ」
「そういう問題じゃあないんです。……まったく。お前さんも、休日に女性に会うってぇのに、わざわざコブにタンコブまで連れてくこたないでしょうに」
ブツブツと、念仏はしばらく途切れそうにもなかった。
あれからまた週末を迎え、伊知郎は悠山たちを誘い水谷の家へと向かっていた。
水谷の家は高天の駅から西側にあり、悠山の家や伊知郎の祖父の家のある地域とはまた雰囲気を画す住宅街だった。
古い家が多いが、紫倉邸のような完全な和風の古民家ではなく、西洋の雰囲気が色濃く出ている。
たどり着いた水谷の家は、瓦屋根に白い木造の壁やバルコニー、洒落たデザインの窓枠という和洋折衷な古民家だった。
白いフェンスや鳥かごのようなガゼボには緑の蔦がからみ、レンガの道らしきものはうっすら見えるが、ほとんど生い茂る草花で庭は覆い尽くされている。
「すごいな……花のジャングルみたいだ」
いざ小さな庭園を目の前にして、学校で水谷の言っていた言葉を思いだし大いに納得する。
花で溢れすぎて、近所に花を配っても追いつかないと言っていたが、あれはおおげさなものではなかったようだ。
「このお家だけ異国に建ってるみたいだねぇ」
水谷の家を見て、悠山は腕を組みつつ感心したように言った。
足元では朔が色とりどりの花に目をキラキラさせている。
もっとよく見えるように肩車をしてやると、手を叩いて喜んだ。
「また父親ごっこかい。朔は……」
「あやかし、だろ。わかってるよ。でもこんなに嬉しそうなんだからいいじゃん」
「良かないです。人間とあやかしには適度な距離が必要です。それがお互いの為になる」
「それってどういう意味——」
「福永くん?」
悠山に詰めより真意を聞こうとしたとき、ガサガサと花々をかき分けて水谷がひょっこり顔を出した。
「あ、やっぱり。家から福永くんの頭が見えたんだよね。背が高いからわかりやすい」
そう言って笑う水谷の目には、肩車される朔はまったく見えていないようだ。
朔は自分でよじよじと伊知郎の背を伝い地面に降りていく。
まったく、空気の読めるいい子……あやかしだ。
「そちらが、福永くんの言ってた書道教室の?」
「ああ。紫倉悠山先生だ。先生。こちらクラスメイトの水谷さん」
「はじめまして、紫倉です。今日はお庭の花を分けていただけるということで、こうして図々しく来てしまいましたが、ご迷惑ではありませんか?」
派手な和服を着た美貌の書道家、という出で立ちのうさんくささを吹き飛ばすような微笑み。
そして物腰柔らかな態度に、水谷は頬を染めると同時にガチンと体を強張らせた。
「い、いいいいえ! そんな! 迷惑なんて滅相もない!」
「本当に?」
「み、見ての通り花が溢れ返って困っているくらいなので! いくらでもお好きな花をもらっていただけると、こちらも助かります!」
「それを聞いて安心しました。ちょうど教室に、季節の花を飾りたいと思っていたんです」
悠山と会話をする水谷の顔に、伊知郎は残念になりながらも「だよなあ」とひとり納得していた。
こんな美しい男を前にして、舞い上がらない女性はいないだろう。
習字教室の大人の部でも悠山は、露出度の高い肉食女子大生から、還暦過ぎのグレイヘア美老女にまでそれはそれは大人気で、空きが出来るのを待つ予約生徒が数十人いるほど。
男を花に例えるのも変な話だが、悠山は誰もが目を奪われる大輪の牡丹。
その横に立つ伊知郎はといえば……道行く者が日よけにする街路樹といったところ。
夏場は多少重宝されるが、ほとんどの場合存在を意識されることもない。
自分で考えていて悲しくなるが、現実から目を背けていても何も始まらないのだ。
「暑いなかわざわざ来ていただいて、本当にありがとうございます。どうぞ中に」
花の中から抜け出した水谷が、アイアンの門戸を開く。
緑の庭に足を踏み入れた途端、伊知郎は空気が変わったのを感じた。
ひんやりとした水をたっぷり含んだような、潤い澄んだ空気が満ちている。
花の甘い香り、草木の涼やかな匂い。
それから土の湿った匂いに、嗅覚から内側を丸洗いされたような爽快な気持ちになった。
「本当にすごいな……」
思わず漏れた呟きに、水谷が「でしょう」と照れ笑いする。
「ずっとおばあちゃんが庭の手入れをしていたんだけど、おばあちゃんが施設に入った途端、この有様で」
「いや、きれいな庭だよ。庭だけど、自然を感じるっていうか。いい庭だと思う」
「ほんと? お世辞でもうれしいなあ」
そう言った水谷の顔は、どこか疲れて見えた。
学校では気づかなかったが、目の下にうっすらクマが浮いている。
期末試験があったからだろうな、と全教科一夜漬けだった伊知郎は勝手に共感した。
右からはカラコロと、ご機嫌な朔が鳴らす下駄の音。
そして背後からは、ブツブツと念仏のような文句を唱える悠山の声。
「何であたしが伊知郎の同級生の娘さんに会わなきゃいけないんです。向こうだって見ず知らずの男を連れてこられても困るでしょうに」
「ちゃんと水谷さんには連絡してあるよ。バイト先にも花を飾らせてもらえないかって。むしろ大歓迎だって言ってくれたし、先生を連れて行くことも了承もらってるぞ」
「そういう問題じゃあないんです。……まったく。お前さんも、休日に女性に会うってぇのに、わざわざコブにタンコブまで連れてくこたないでしょうに」
ブツブツと、念仏はしばらく途切れそうにもなかった。
あれからまた週末を迎え、伊知郎は悠山たちを誘い水谷の家へと向かっていた。
水谷の家は高天の駅から西側にあり、悠山の家や伊知郎の祖父の家のある地域とはまた雰囲気を画す住宅街だった。
古い家が多いが、紫倉邸のような完全な和風の古民家ではなく、西洋の雰囲気が色濃く出ている。
たどり着いた水谷の家は、瓦屋根に白い木造の壁やバルコニー、洒落たデザインの窓枠という和洋折衷な古民家だった。
白いフェンスや鳥かごのようなガゼボには緑の蔦がからみ、レンガの道らしきものはうっすら見えるが、ほとんど生い茂る草花で庭は覆い尽くされている。
「すごいな……花のジャングルみたいだ」
いざ小さな庭園を目の前にして、学校で水谷の言っていた言葉を思いだし大いに納得する。
花で溢れすぎて、近所に花を配っても追いつかないと言っていたが、あれはおおげさなものではなかったようだ。
「このお家だけ異国に建ってるみたいだねぇ」
水谷の家を見て、悠山は腕を組みつつ感心したように言った。
足元では朔が色とりどりの花に目をキラキラさせている。
もっとよく見えるように肩車をしてやると、手を叩いて喜んだ。
「また父親ごっこかい。朔は……」
「あやかし、だろ。わかってるよ。でもこんなに嬉しそうなんだからいいじゃん」
「良かないです。人間とあやかしには適度な距離が必要です。それがお互いの為になる」
「それってどういう意味——」
「福永くん?」
悠山に詰めより真意を聞こうとしたとき、ガサガサと花々をかき分けて水谷がひょっこり顔を出した。
「あ、やっぱり。家から福永くんの頭が見えたんだよね。背が高いからわかりやすい」
そう言って笑う水谷の目には、肩車される朔はまったく見えていないようだ。
朔は自分でよじよじと伊知郎の背を伝い地面に降りていく。
まったく、空気の読めるいい子……あやかしだ。
「そちらが、福永くんの言ってた書道教室の?」
「ああ。紫倉悠山先生だ。先生。こちらクラスメイトの水谷さん」
「はじめまして、紫倉です。今日はお庭の花を分けていただけるということで、こうして図々しく来てしまいましたが、ご迷惑ではありませんか?」
派手な和服を着た美貌の書道家、という出で立ちのうさんくささを吹き飛ばすような微笑み。
そして物腰柔らかな態度に、水谷は頬を染めると同時にガチンと体を強張らせた。
「い、いいいいえ! そんな! 迷惑なんて滅相もない!」
「本当に?」
「み、見ての通り花が溢れ返って困っているくらいなので! いくらでもお好きな花をもらっていただけると、こちらも助かります!」
「それを聞いて安心しました。ちょうど教室に、季節の花を飾りたいと思っていたんです」
悠山と会話をする水谷の顔に、伊知郎は残念になりながらも「だよなあ」とひとり納得していた。
こんな美しい男を前にして、舞い上がらない女性はいないだろう。
習字教室の大人の部でも悠山は、露出度の高い肉食女子大生から、還暦過ぎのグレイヘア美老女にまでそれはそれは大人気で、空きが出来るのを待つ予約生徒が数十人いるほど。
男を花に例えるのも変な話だが、悠山は誰もが目を奪われる大輪の牡丹。
その横に立つ伊知郎はといえば……道行く者が日よけにする街路樹といったところ。
夏場は多少重宝されるが、ほとんどの場合存在を意識されることもない。
自分で考えていて悲しくなるが、現実から目を背けていても何も始まらないのだ。
「暑いなかわざわざ来ていただいて、本当にありがとうございます。どうぞ中に」
花の中から抜け出した水谷が、アイアンの門戸を開く。
緑の庭に足を踏み入れた途端、伊知郎は空気が変わったのを感じた。
ひんやりとした水をたっぷり含んだような、潤い澄んだ空気が満ちている。
花の甘い香り、草木の涼やかな匂い。
それから土の湿った匂いに、嗅覚から内側を丸洗いされたような爽快な気持ちになった。
「本当にすごいな……」
思わず漏れた呟きに、水谷が「でしょう」と照れ笑いする。
「ずっとおばあちゃんが庭の手入れをしていたんだけど、おばあちゃんが施設に入った途端、この有様で」
「いや、きれいな庭だよ。庭だけど、自然を感じるっていうか。いい庭だと思う」
「ほんと? お世辞でもうれしいなあ」
そう言った水谷の顔は、どこか疲れて見えた。
学校では気づかなかったが、目の下にうっすらクマが浮いている。
期末試験があったからだろうな、と全教科一夜漬けだった伊知郎は勝手に共感した。
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