21 / 52
禍の書
恥ずかしがり3
しおりを挟む
「あとは女性の生徒さんにも困ってましてね。熱心にアプローチしてくる方は元々いましたけど、最近じゃ生徒さん同士の諍いも増えまして。そうなると熱が上がるのか、身の危険を感じるような迫り方をする方が出てきたんですよ。でも相手は生徒さんですから、警察沙汰にはしたくない」
それもまあ、わからなくはない。
というか、然もありなんという感じだ。
こんな絶世の美男子に書道を手取り足取り教えてもらっていて、靡かない女性はいないだろう。
同性で悠山の魅力にやられている生徒がいても、伊知郎は驚かない。
「なるほどなあ。女性同士のいざこざに、先生本人が間に入るのはまずいだろうし、警察沙汰にでもなれば教室の評判に傷もつくしな」
「そうなんです。まったく、何を習いに来ているのやら」
「はは。あんたの顔を見に来てるんだろ」
つい正直に言ってしまい、じろりと鋭く睨まれた。
咳ばらいをしつつ、そっと目をそらす。
「伊知郎くんにはそういった教室での手伝いと、祖父の遺作関連での助手をお願いしたいんです」
「身体で払えってことだな。俺としては願ったりだけど、部活があるから手伝える時間は限られてるし……本当に俺でいいの? 」
書道に関しては初心者もいいところだし、あやかしについても何も知らない。
探せばもっと適任がいそうなものだが。
「部活は優先にして、仕事はできる範囲で構いませんよ。確かに書道の助手ならもっとふさわしい人がいくらでもいるでしょうが。あたしがお前さんに声をかけたのには、それなりの理由があります」
麗しい唇を手ぬぐいで拭いている悠山の横には、いつの間にかもう一人分、皿とグラスが置かれていた。
まただ。先週来たときもこうだった。
まるで見えない誰かにお供えでもするかのように用意された菓子。
それが気づけば目の前に現れている。
「ひとつは、伊知郎くんのその目です」
「俺の、目?」
「ええ。あやかしもんの存在を感じ取るその特別な目は、きっと役に立つ」
「そういうことか……。でもそれなら、先生だって同じようにあやかしが見えるんじゃないのか?」
「おそらく同じようには見えてませんよ。あたしの場合は見えすぎて、人間とあやかしの境界が曖昧になってますから。力のあるあやかしもんは人間に紛れるのが上手く、見つけられないこともあります。その点、お前さんの目は便利だ。あやかしがきらきら光って見えるなら、見逃しようがない」
「いや、人間のあんたはあやかし以上に眩しいくらい輝いて見えているんだけど……」
「……そういうことなので、伊知郎くんは自分で思っている以上に適任なんですよ」
スルーされた。
まあいい。人間も光って見えるといっても、悠山が特別だからだということは、伊知郎にもなんとなくわかる。
悠山の放つ、七色の彩光。
ブラックオパールの遊色のようなそれは、おそらく他のどの人間やあやかしにも持ちえない輝きなのだろう。
「それにお前さん、あたしといることでさらに目が良くなりましたね」
「ああ……【福の神】が【禍】のあやかしが見えたからか?」
「いまならうちの子も見えるはずですよ。……って、こらこら。逃げるんじゃないよ。まったく、恥ずかしがり屋で困ったもんです」
うちの子? 恥ずかしがり屋?
まるでこの家にいま、もうひとりいるかのように話す悠山に、伊知郎は目を瞬かせる。
悠山の黒い宝石のような瞳が、ちらりと三枚目の皿に落とされ、伊知郎もつられてそれを見た。
かすかに、光の残滓が皿の縁に見えた。
それは広間の向こうの台所まで、点々と続いている。
まるでヘンゼルの落としたパンくずのような光の軌跡の先には、こっそりと柱の影からこちらをうかがう、小さな子どもの顔があった。
「……え? 先生、子どもがいたのか」
言った途端、どこから出したのか丸めた新聞紙で頭をスパンと叩かれた。
「誰が子持ちですか。よく見なさい」
「よく見ろって言われても」
「朔も、隠れてないで出ておいで。これはムダに大きいが害のない人間です」
これ呼ばわりされた伊知郎が不満に思う間もなく、柱の影からもじもじと小さな男の子が姿を現した。
丈の短い着物を着ており、細く小さな足を畳の上ですり合わせている。
五、六歳くらいだろうか。
いまにもこぼれ落ちそうな大きな目をした子どもだ。
そして眉が墨で描いたようなまん丸だった。
歴史の授業で習った、平安貴族の引き眉に似ている。
それもまあ、わからなくはない。
というか、然もありなんという感じだ。
こんな絶世の美男子に書道を手取り足取り教えてもらっていて、靡かない女性はいないだろう。
同性で悠山の魅力にやられている生徒がいても、伊知郎は驚かない。
「なるほどなあ。女性同士のいざこざに、先生本人が間に入るのはまずいだろうし、警察沙汰にでもなれば教室の評判に傷もつくしな」
「そうなんです。まったく、何を習いに来ているのやら」
「はは。あんたの顔を見に来てるんだろ」
つい正直に言ってしまい、じろりと鋭く睨まれた。
咳ばらいをしつつ、そっと目をそらす。
「伊知郎くんにはそういった教室での手伝いと、祖父の遺作関連での助手をお願いしたいんです」
「身体で払えってことだな。俺としては願ったりだけど、部活があるから手伝える時間は限られてるし……本当に俺でいいの? 」
書道に関しては初心者もいいところだし、あやかしについても何も知らない。
探せばもっと適任がいそうなものだが。
「部活は優先にして、仕事はできる範囲で構いませんよ。確かに書道の助手ならもっとふさわしい人がいくらでもいるでしょうが。あたしがお前さんに声をかけたのには、それなりの理由があります」
麗しい唇を手ぬぐいで拭いている悠山の横には、いつの間にかもう一人分、皿とグラスが置かれていた。
まただ。先週来たときもこうだった。
まるで見えない誰かにお供えでもするかのように用意された菓子。
それが気づけば目の前に現れている。
「ひとつは、伊知郎くんのその目です」
「俺の、目?」
「ええ。あやかしもんの存在を感じ取るその特別な目は、きっと役に立つ」
「そういうことか……。でもそれなら、先生だって同じようにあやかしが見えるんじゃないのか?」
「おそらく同じようには見えてませんよ。あたしの場合は見えすぎて、人間とあやかしの境界が曖昧になってますから。力のあるあやかしもんは人間に紛れるのが上手く、見つけられないこともあります。その点、お前さんの目は便利だ。あやかしがきらきら光って見えるなら、見逃しようがない」
「いや、人間のあんたはあやかし以上に眩しいくらい輝いて見えているんだけど……」
「……そういうことなので、伊知郎くんは自分で思っている以上に適任なんですよ」
スルーされた。
まあいい。人間も光って見えるといっても、悠山が特別だからだということは、伊知郎にもなんとなくわかる。
悠山の放つ、七色の彩光。
ブラックオパールの遊色のようなそれは、おそらく他のどの人間やあやかしにも持ちえない輝きなのだろう。
「それにお前さん、あたしといることでさらに目が良くなりましたね」
「ああ……【福の神】が【禍】のあやかしが見えたからか?」
「いまならうちの子も見えるはずですよ。……って、こらこら。逃げるんじゃないよ。まったく、恥ずかしがり屋で困ったもんです」
うちの子? 恥ずかしがり屋?
まるでこの家にいま、もうひとりいるかのように話す悠山に、伊知郎は目を瞬かせる。
悠山の黒い宝石のような瞳が、ちらりと三枚目の皿に落とされ、伊知郎もつられてそれを見た。
かすかに、光の残滓が皿の縁に見えた。
それは広間の向こうの台所まで、点々と続いている。
まるでヘンゼルの落としたパンくずのような光の軌跡の先には、こっそりと柱の影からこちらをうかがう、小さな子どもの顔があった。
「……え? 先生、子どもがいたのか」
言った途端、どこから出したのか丸めた新聞紙で頭をスパンと叩かれた。
「誰が子持ちですか。よく見なさい」
「よく見ろって言われても」
「朔も、隠れてないで出ておいで。これはムダに大きいが害のない人間です」
これ呼ばわりされた伊知郎が不満に思う間もなく、柱の影からもじもじと小さな男の子が姿を現した。
丈の短い着物を着ており、細く小さな足を畳の上ですり合わせている。
五、六歳くらいだろうか。
いまにもこぼれ落ちそうな大きな目をした子どもだ。
そして眉が墨で描いたようなまん丸だった。
歴史の授業で習った、平安貴族の引き眉に似ている。
0
お気に入りに追加
12
あなたにおすすめの小説
『遺産相続人』〜『猫たちの時間』7〜
segakiyui
キャラ文芸
俺は滝志郎。人に言わせれば『厄介事吸引器』。たまたま助けた爺さんは大富豪、遺産相続人として滝を指名する。出かけた滝を待っていたのは幽霊、音量、魑魅魍魎。舞うのは命、散るのはくれない、引き裂かれて行く人の絆。ったく人間てのは化け物よりタチが悪い。愛が絡めばなおのこと。おい、周一郎、早いとこ逃げ出そうぜ! 山村を舞台に展開する『猫たちの時間』シリーズ7。
【完結】忘れてください
仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
愛していた。
貴方はそうでないと知りながら、私は貴方だけを愛していた。
夫の恋人に子供ができたと教えられても、私は貴方との未来を信じていたのに。
貴方から離婚届を渡されて、私の心は粉々に砕け散った。
もういいの。
私は貴方を解放する覚悟を決めた。
貴方が気づいていない小さな鼓動を守りながら、ここを離れます。
私の事は忘れてください。
※6月26日初回完結
7月12日2回目完結しました。
お読みいただきありがとうございます。
【完結】王太子妃の初恋
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
カテリーナは王太子妃。しかし、政略のための結婚でアレクサンドル王太子からは嫌われている。
王太子が側妃を娶ったため、カテリーナはお役御免とばかりに王宮の外れにある森の中の宮殿に追いやられてしまう。
しかし、カテリーナはちょうど良かったと思っていた。婚約者時代からの激務で目が悪くなっていて、これ以上は公務も社交も難しいと考えていたからだ。
そんなカテリーナが湖畔で一人の男に出会い、恋をするまでとその後。
★ざまぁはありません。
全話予約投稿済。
携帯投稿のため誤字脱字多くて申し訳ありません。
報告ありがとうございます。
妻のち愛人。
ひろか
恋愛
五つ下のエンリは、幼馴染から夫になった。
「ねーねー、ロナぁー」
甘えん坊なエンリは子供の頃から私の後をついてまわり、結婚してからも後をついてまわり、無いはずの尻尾をブンブン振るワンコのような夫。
そんな結婚生活が四ヶ月たった私の誕生日、目の前に突きつけられたのは離縁書だった。
あなたの子ですが、内緒で育てます
椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」
突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。
夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。
私は強くなることを決意する。
「この子は私が育てます!」
お腹にいる子供は王の子。
王の子だけが不思議な力を持つ。
私は育った子供を連れて王宮へ戻る。
――そして、私を追い出したことを後悔してください。
※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ
※他サイト様でも掲載しております。
※hotランキング1位&エールありがとうございます!
目が覚めたら夫と子供がいました
青井陸
恋愛
とある公爵家の若い公爵夫人、シャルロットが毒の入ったのお茶を飲んで倒れた。
1週間寝たきりのシャルロットが目を覚ましたとき、幼い可愛い男の子がいた。
「…お母様?よかった…誰か!お母様が!!!!」
「…あなた誰?」
16歳で政略結婚によって公爵家に嫁いだ、元伯爵令嬢のシャルロット。
シャルロットは一目惚れであったが、夫のハロルドは結婚前からシャルロットには冷たい。
そんな関係の二人が、シャルロットが毒によって記憶をなくしたことにより少しずつ変わっていく。
なろう様でも同時掲載しています。
王太子さま、側室さまがご懐妊です
家紋武範
恋愛
王太子の第二夫人が子どもを宿した。
愛する彼女を妃としたい王太子。
本妻である第一夫人は政略結婚の醜女。
そして国を奪い女王として君臨するとの噂もある。
あやしき第一夫人をどうにかして廃したいのであった。
さよならまでの六ヶ月
おてんば松尾
恋愛
余命半年の妻は、不倫をしている夫と最後まで添い遂げるつもりだった……【小春】
小春は人の寿命が分かる能力を持っている。
ある日突然自分に残された寿命があと半年だということを知る。
自分の家が社家で、神主として跡を継がなければならない小春。
そんな小春のことを好きになってくれた夫は浮気をしている。
残された半年を穏やかに生きたいと思う小春……
他サイトでも公開中
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる