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第7話
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人生がうまくいかない時は、決まって天を見上げ、眼差しを送った。
理不尽な目に遭った時。
ひどい思いをした時。
災難に巻き込まれた時。
必ず俺は、天を見上げて、天を睨みつけた。
おい、神だか仏だか、上で俺を見下ろすお前。
俺にこんなに惨めな思いにさせやがって。わかってるだろうな?
見返りはあるんだろうな? ないなんて言わせねえぞ。
この俺にこんなに最低な思いをさせたんだ、わかってるんだろうな。
すると、幸運なことに報われた。多くの面白い友人ができたし、生涯の伴侶にも出会えたし、子供にも孫にも恵まれた。俺はヨボヨボのジジイになって、布団の上でたくさんの家族に見守られて大往生を迎えた。
「いい人生だった」
穏やかな気持ちで杖をつきながら天界をゆっくり歩いた。不思議な場所だが、何とも言えない安心感で満ちていた。さっきもらった自分の原本、どこで読もうか。見晴らしのいいところがいいな。ベンチにでも座って、花の香りを楽しみながら読みたいな。
ふと目をやった屠書館の窓に、見覚えのある顔があった。
「……あれは」
俺よりもずっと前に死んだやつだった。
たった数年の付き合いだったけど、忘れることはなかった。
生きている間ずっと、心の片隅にあいつの姿はあった。
「何で——」
何で働いている?
おい、お前、何で働いているんだ?
窓に反射する自分の姿が怒りと共に変化し、青年の姿になっていたが、気づかずに杖を捨てて屠書館に駆け込んだ。
あいつは微笑みながら、俺との再会を喜び、そして自分の惨状を何でもないように話した。
「待て、待て待て。原本の場所、天界がわからないなんてことがあるか? お前それ、警察とか、あるかわからないけど行くべきだ」
天界の雲の隙間に、たまたま原本を落としてしまった。
だから、自分の原本は今どこかわからなくて、行くあてもないから屠書館で働いている。
「お前自分の人生を忘れたのか?」
忘れないよ、と笑ったが、そのあまりの当事者意識のなさに声を荒げてしまった。
「お前は働きすぎて死んだんだぞ!」
同じ職場で葬儀に出たのは俺だけだった。
みんな、お前に何もかも背負わせて逃げやがった。
悔しくて苦しくて悲しくて腹が立ってお前の遺影をちゃんと見れなかった。
遺影を見てしまったらもう、動けなくなってしまうとわかっていた、もうその時俺は家庭を持っていて崩れるわけにはいかなかったから、必死に喪服を握りしめて耐えた。
「お客様、屠書館ですので」
職員に注意されて、自分を落ち着かせるためにも外に出た。
「本当にどうにもならないのか」
ならないんだって、いつか見つかれば焼却されて終わるらしい。
「そんなことってあるのか」
めったにないことらしいよ。
「お前はお人好しが過ぎるんだ、死ぬ前も、死んでからもずっと」
でも、何も取り柄がないから、せめて善いことでもしたいなって。
「何の取り柄がなくたってお前は愛される」
そう言うと、お前は笑ったが、その目は悲しそうだった。
そんな悲しい存在を、報われるべき存在を、天界が許していいのか?
上層部への建物は、とてつもなく巨大な壁に阻まれていた。
遥か上空を、羽の生えた人間がその壁を飛び越えて中に入っていった。
あれが天使ってやつだろうか。
俺は自分の原本を地に置いて、天を睨んだ。
神だか仏だか上の存在の何かしら、なあ。
生きてた頃よりは俺の思いは近いから聞こえやすいか?
俺の人生をくれてやる。俺の物語をくれてやるから、あいつを救ってくれ。
あいつは馬鹿だから、人が良過ぎて自分のために動けない。
睨みつけて掴んできた幸せな物語をやるから、頼むから、救ってくれ。
あいつ、20代で死んで俺は90まで生きた。あいつここで70年近く働いているんだぞ。もう十分だろ。なあ、いるんだろ、上の何か。
頼むから、いい加減、あいつを救ってくれ。
突然目の前に雷が落ちて、俺の原本を直撃した。煙が出ているが焦げてはない。
いや、違う。
ページをめくると、俺の最愛の妻と子供、孫の名前が定規で切ったように綺麗に切り抜かれていた。それだけじゃない、親友も、初恋の相手も、両親の名前も。
思い出せない。
冷や汗がぐっと吹き出したが、これでわかった。上は俺の誘いに乗った。
もう一度雷が落ちた。今度は俺に直撃した。痛みはなかったが意識を失った。
気がつくと、俺の原本はなくなっていて、俺の背中から白い大きな翼が生えていた。そして、天界の地、雲に大きな、人一人通れるぐらいの隙間があった。覗いてみると、彼方に下の世界が見えた。
もしかして、そういうことなのか。
雲の隙間から落ちたあいつの原本は、下界にあるのか。
地球のどこかにあるってことか。
きっと長いこと天界を離れるだろう。挨拶をしていこうと屠書館に立ち寄った。職員たちは怪訝な顔をした。あいつのことを誰も知らなかった。よくよく聞くと、俺とあいつが再会した日は昨日だと思っていたのだが、100年経っているという。浦島太郎じゃないか。でも、屠書館にいないってことは、もしかして原本が見つかって焼却されたのかもしれない。職員にあいつの原本の在処を調べてもらった。
不明のままだった。
地球で最も深い海に潜ったし、最も高い山にも登った。誰も入ったことのないであろう秘境を歩いたし、人混みの中を羽ばたきながら目を凝らした。誰ももちろん、俺のことなんて見えてない。
天界で作られたものだから、下界ではどうにもならない。燃えたりなくなったりはしない。ものは必ずある。きっとある、地球のどこかに。
そうして、長い時間が経った。
そして俺は悟った。無謀だった。あまりにも。天使(元人間)が地球のどこかに落ちた一冊の本を見つけ出すなんて無謀だった。もう涙も怒りも枯れていた。
空が俺の代わりに大泣きしてくれているような天気の中。
見つけた。
「お前、何者だ?」
「見えるんですか!?」
「質問に答えろ。お前は何者だ? 何で空を飛んでいる? 死者じゃないのか?」
「僕は僕が誰だかわからないんです、今は」
「…………許すべきじゃない」
「はい?」
「お前みたいな存在を、世界は許すべきじゃない」
炎が広がりつつある書庫で、僕は君の腕を掴んでいた。
「ここに来る途中で、あなたの二刷本をくすねてきたんだ。原本は生前の物語が書かれたものだと聞いていたんだけど、誰かが手書きで続きを書いていた」
「…………」
「君の物語の続きを、僕はもっと聞きたい。君をもっと知りたい」
「俺はお前を救えないんだ」
「いいや、救おうとしてくれた。ずっと、今でさえも。書庫に忍び込んだのは僕を縛るものを消し去ろうとしてくれた」
「そんなお行儀のいいものじゃない。放火して、職場を潰してやろうとしただけだ。生前できなかったからな」
「いつだってあなたは勇敢で、優しかったんだね」
「俺は生前のお前を救えなかった。あの日だって、俺はお前の話を」
「同僚の愚痴聞いている暇あったら、息子の誕生日のために早く帰るのは普通だよ」
「俺はずっとお前を救えない。原本は見つからないし、中途半端にお前はここに在り続ける。あの日俺がちゃんと愚痴を10分でも聞いていたら、お前は首を、お前は、お前の人生を——」
炎の中で、君は顔を覆った。
「もっと早くわかってあげたらよかった。僕はお人好しというより、鈍過ぎた、色んなことに。でも、今わかってよかった」
顔を覆う君の両手を優しく掴んだ。
その刹那、強風が書庫に吹き荒れた。(便宜上)右手のブレスレットは弾け飛び、ネームタグは吹っ飛んでいった。炎は吹き消され、積もりに積もった埃が舞って僕と君はひどく咳き込んだ。
「風を生かして掃除係にでも転職して、時短勤務にしようかな」
「これは掃除じゃなくて撒き散らしているだけだろ」
涙が止まってないけど、やっと笑ってくれた君を抱きしめた。
「……お前本当に胴体ないんだな」
「よく言われる」
リュウは、その後真っ当に裁かれて真っ当に罪を受け入れた。
捜査時にはなかったという、誰かが書き足した続きの物語。色んな裏付けが取れて、リュウの罪はかなり軽くなった。原本にも二刷本にも全く同様のものが書き足されていた。そんなことができる人間はいない。人間はね。
書庫の本は、紫さんの昔の知り合いが結界を張っていたので、焼けたのは棚の一部。職員の原本は全て無事だった。
「こんなこともあろうかと、ってあいつがドヤ顔してるのが目に浮かんでムカつく」
「最近見ないけど何しているんでしょうね。まだ焼却簿には載ってないと聞くし」
「聖徳さん、書庫の設備の見直し案を出したので後で見てもらえますか?」
「わかりました。今週の会議で早急に取り掛かりましょう」
「助かります」
屠書館にも日常が戻った。
そして、僕は退職願を出して、円満に受理された。
理不尽な目に遭った時。
ひどい思いをした時。
災難に巻き込まれた時。
必ず俺は、天を見上げて、天を睨みつけた。
おい、神だか仏だか、上で俺を見下ろすお前。
俺にこんなに惨めな思いにさせやがって。わかってるだろうな?
見返りはあるんだろうな? ないなんて言わせねえぞ。
この俺にこんなに最低な思いをさせたんだ、わかってるんだろうな。
すると、幸運なことに報われた。多くの面白い友人ができたし、生涯の伴侶にも出会えたし、子供にも孫にも恵まれた。俺はヨボヨボのジジイになって、布団の上でたくさんの家族に見守られて大往生を迎えた。
「いい人生だった」
穏やかな気持ちで杖をつきながら天界をゆっくり歩いた。不思議な場所だが、何とも言えない安心感で満ちていた。さっきもらった自分の原本、どこで読もうか。見晴らしのいいところがいいな。ベンチにでも座って、花の香りを楽しみながら読みたいな。
ふと目をやった屠書館の窓に、見覚えのある顔があった。
「……あれは」
俺よりもずっと前に死んだやつだった。
たった数年の付き合いだったけど、忘れることはなかった。
生きている間ずっと、心の片隅にあいつの姿はあった。
「何で——」
何で働いている?
おい、お前、何で働いているんだ?
窓に反射する自分の姿が怒りと共に変化し、青年の姿になっていたが、気づかずに杖を捨てて屠書館に駆け込んだ。
あいつは微笑みながら、俺との再会を喜び、そして自分の惨状を何でもないように話した。
「待て、待て待て。原本の場所、天界がわからないなんてことがあるか? お前それ、警察とか、あるかわからないけど行くべきだ」
天界の雲の隙間に、たまたま原本を落としてしまった。
だから、自分の原本は今どこかわからなくて、行くあてもないから屠書館で働いている。
「お前自分の人生を忘れたのか?」
忘れないよ、と笑ったが、そのあまりの当事者意識のなさに声を荒げてしまった。
「お前は働きすぎて死んだんだぞ!」
同じ職場で葬儀に出たのは俺だけだった。
みんな、お前に何もかも背負わせて逃げやがった。
悔しくて苦しくて悲しくて腹が立ってお前の遺影をちゃんと見れなかった。
遺影を見てしまったらもう、動けなくなってしまうとわかっていた、もうその時俺は家庭を持っていて崩れるわけにはいかなかったから、必死に喪服を握りしめて耐えた。
「お客様、屠書館ですので」
職員に注意されて、自分を落ち着かせるためにも外に出た。
「本当にどうにもならないのか」
ならないんだって、いつか見つかれば焼却されて終わるらしい。
「そんなことってあるのか」
めったにないことらしいよ。
「お前はお人好しが過ぎるんだ、死ぬ前も、死んでからもずっと」
でも、何も取り柄がないから、せめて善いことでもしたいなって。
「何の取り柄がなくたってお前は愛される」
そう言うと、お前は笑ったが、その目は悲しそうだった。
そんな悲しい存在を、報われるべき存在を、天界が許していいのか?
上層部への建物は、とてつもなく巨大な壁に阻まれていた。
遥か上空を、羽の生えた人間がその壁を飛び越えて中に入っていった。
あれが天使ってやつだろうか。
俺は自分の原本を地に置いて、天を睨んだ。
神だか仏だか上の存在の何かしら、なあ。
生きてた頃よりは俺の思いは近いから聞こえやすいか?
俺の人生をくれてやる。俺の物語をくれてやるから、あいつを救ってくれ。
あいつは馬鹿だから、人が良過ぎて自分のために動けない。
睨みつけて掴んできた幸せな物語をやるから、頼むから、救ってくれ。
あいつ、20代で死んで俺は90まで生きた。あいつここで70年近く働いているんだぞ。もう十分だろ。なあ、いるんだろ、上の何か。
頼むから、いい加減、あいつを救ってくれ。
突然目の前に雷が落ちて、俺の原本を直撃した。煙が出ているが焦げてはない。
いや、違う。
ページをめくると、俺の最愛の妻と子供、孫の名前が定規で切ったように綺麗に切り抜かれていた。それだけじゃない、親友も、初恋の相手も、両親の名前も。
思い出せない。
冷や汗がぐっと吹き出したが、これでわかった。上は俺の誘いに乗った。
もう一度雷が落ちた。今度は俺に直撃した。痛みはなかったが意識を失った。
気がつくと、俺の原本はなくなっていて、俺の背中から白い大きな翼が生えていた。そして、天界の地、雲に大きな、人一人通れるぐらいの隙間があった。覗いてみると、彼方に下の世界が見えた。
もしかして、そういうことなのか。
雲の隙間から落ちたあいつの原本は、下界にあるのか。
地球のどこかにあるってことか。
きっと長いこと天界を離れるだろう。挨拶をしていこうと屠書館に立ち寄った。職員たちは怪訝な顔をした。あいつのことを誰も知らなかった。よくよく聞くと、俺とあいつが再会した日は昨日だと思っていたのだが、100年経っているという。浦島太郎じゃないか。でも、屠書館にいないってことは、もしかして原本が見つかって焼却されたのかもしれない。職員にあいつの原本の在処を調べてもらった。
不明のままだった。
地球で最も深い海に潜ったし、最も高い山にも登った。誰も入ったことのないであろう秘境を歩いたし、人混みの中を羽ばたきながら目を凝らした。誰ももちろん、俺のことなんて見えてない。
天界で作られたものだから、下界ではどうにもならない。燃えたりなくなったりはしない。ものは必ずある。きっとある、地球のどこかに。
そうして、長い時間が経った。
そして俺は悟った。無謀だった。あまりにも。天使(元人間)が地球のどこかに落ちた一冊の本を見つけ出すなんて無謀だった。もう涙も怒りも枯れていた。
空が俺の代わりに大泣きしてくれているような天気の中。
見つけた。
「お前、何者だ?」
「見えるんですか!?」
「質問に答えろ。お前は何者だ? 何で空を飛んでいる? 死者じゃないのか?」
「僕は僕が誰だかわからないんです、今は」
「…………許すべきじゃない」
「はい?」
「お前みたいな存在を、世界は許すべきじゃない」
炎が広がりつつある書庫で、僕は君の腕を掴んでいた。
「ここに来る途中で、あなたの二刷本をくすねてきたんだ。原本は生前の物語が書かれたものだと聞いていたんだけど、誰かが手書きで続きを書いていた」
「…………」
「君の物語の続きを、僕はもっと聞きたい。君をもっと知りたい」
「俺はお前を救えないんだ」
「いいや、救おうとしてくれた。ずっと、今でさえも。書庫に忍び込んだのは僕を縛るものを消し去ろうとしてくれた」
「そんなお行儀のいいものじゃない。放火して、職場を潰してやろうとしただけだ。生前できなかったからな」
「いつだってあなたは勇敢で、優しかったんだね」
「俺は生前のお前を救えなかった。あの日だって、俺はお前の話を」
「同僚の愚痴聞いている暇あったら、息子の誕生日のために早く帰るのは普通だよ」
「俺はずっとお前を救えない。原本は見つからないし、中途半端にお前はここに在り続ける。あの日俺がちゃんと愚痴を10分でも聞いていたら、お前は首を、お前は、お前の人生を——」
炎の中で、君は顔を覆った。
「もっと早くわかってあげたらよかった。僕はお人好しというより、鈍過ぎた、色んなことに。でも、今わかってよかった」
顔を覆う君の両手を優しく掴んだ。
その刹那、強風が書庫に吹き荒れた。(便宜上)右手のブレスレットは弾け飛び、ネームタグは吹っ飛んでいった。炎は吹き消され、積もりに積もった埃が舞って僕と君はひどく咳き込んだ。
「風を生かして掃除係にでも転職して、時短勤務にしようかな」
「これは掃除じゃなくて撒き散らしているだけだろ」
涙が止まってないけど、やっと笑ってくれた君を抱きしめた。
「……お前本当に胴体ないんだな」
「よく言われる」
リュウは、その後真っ当に裁かれて真っ当に罪を受け入れた。
捜査時にはなかったという、誰かが書き足した続きの物語。色んな裏付けが取れて、リュウの罪はかなり軽くなった。原本にも二刷本にも全く同様のものが書き足されていた。そんなことができる人間はいない。人間はね。
書庫の本は、紫さんの昔の知り合いが結界を張っていたので、焼けたのは棚の一部。職員の原本は全て無事だった。
「こんなこともあろうかと、ってあいつがドヤ顔してるのが目に浮かんでムカつく」
「最近見ないけど何しているんでしょうね。まだ焼却簿には載ってないと聞くし」
「聖徳さん、書庫の設備の見直し案を出したので後で見てもらえますか?」
「わかりました。今週の会議で早急に取り掛かりましょう」
「助かります」
屠書館にも日常が戻った。
そして、僕は退職願を出して、円満に受理された。
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