僕の物語

なんぶ

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第2話

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 飛び込んだ背中を、僕は眺めることしかできなかった。
 青い炎の中で少女は焼かれていく。
 痛みはないのだろう。苦しくはないのだろう。だって安らかな顔をしてる。
 もらったブレスレットが(便宜上)右手首に巻きついて、チリチリと熱を帯びていた。

 話は1週間前にさかのぼる。

 全会一致ならぬ天界一致で、「どこの誰だか誰もわからない」とのお墨付きを得た僕は、ゲストカードを持って天界をふらふらしていた。
 詳しい調査は短くても半年以上かかるとのことで、その間好きにしていていいらしい。
 「でも僕がそもそも人じゃない可能性もあるのでは?」
 「人じゃない可能性?」
 「遥か昔に死んだ人の魂の……残響というか……残りカスというか。データとかないぐらい。だって僕にあるのは風だった頃の微かな記憶だけです。それもここ数日の」
 「仮に残響だとしても、人だった、あるいは命を持っていた以上、天界は管理しているんです。データがないわけはなくて、今ないのは認識する手段ということです」
 聖徳さんは淡々と、しかししっかりと応対してくれた。
 「僕のことも命を持っていた、とカウントしてくれるんですね」
 「上層部曰く「万物に命は宿る」、なのでその全てのデータを天界は管理していると聞いています。屠書館はあくまで人間向けの施設なので、人間以外どうなっているかは普段関わりないもので、私も詳しくは知りませんが」
 「人間以外の管轄もあるんですね」
 そりゃあるか。生き物は人間だけじゃない。何なら自分は犬とか鯨とかミジンコとかの部類かもしれない。
 「ええ。ここからそう遠くないところに、『はくぶつかん』があります。面白いところですから一度足を」
 聖徳さんがちらと僕の足元を見た。
 「足ありますよ」
 「……失礼。足を運んでみてください。……死者ハラに該当する物言いでしたねこれは。気をつけなければ」
 「いや別に僕は何とも思いませんよ」
 なかなか苦労人なのだろうか。
 席を外していた紫さんと館長が戻ってきた。どう見ても子供にしか見えない。
 「良かったらどうぞ」
 暖かい缶を手渡された。ココア味。甘そう、ちょうど欲しかった。
 「すみません、ありがとうございます」
 受け取って飲もうとしたら、液体が僕を素通りしてソファを汚した。
 「あれ!? すみません」
 「タオルをどうぞ。火傷してませんか」
 「僕は大丈夫ですが、ソファが……」
 「洗えば落ちます。この様子だと口がないようですね」
 「話してるのに!?」
 「ええ、話しているのに」
 数時間前に判明したばかりの自分の体が、こんなに不慣れなものなのか。
 「それでも、ココアを飲もうとしたということは、以前は食べたり飲んだりする習慣をお持ちだったはず。人間だったはずです」
 「せっかく美味しそうなのに」
 ココアは半分以上なくなっていた。
 「前できていたのなら、またいつかできますよ。今は時間を気にせず、気ままに過ごしてください」
 「申し訳ない……」

 少し凹みながらも、僕は天界を歩いていた。
 そういえば『はくぶつかん』があるって聖徳さんが言っていたな。天界だから、やっぱり下界と違うものなんだろうか。
 「痛っ!」
 「うわ!」
 ぶつかってよろける。天界に痛みの概念はないが、やはりとっさに出てしまう一声。
 「すみません、前を見てなかった」
 「誰!?」
 制服姿の少女がうろたえている。そうか、僕は見えないんだった。
 「ご、ごめんなさい……」
 逃げ出そうとした僕の姿を、少女は今度はしっかり捉えた。厳密に言うと空中に浮かぶネックストラップの存在に気づいた。
 「私こそすません。見えない人もいるんだ」
 超レアケースですが。
 「何歳で死んだの?」
 「死————」
 そうだ、ここは天界。屠書館。死者の魂が完結する場所。
 つまりこの子も既に死んでいるのだ。
 「何歳で死んだか覚えてないんだ」
 そもそも生きていたかどうかすら怪しい。
 「そうなの? よほどすごい死に方したんだね」
 「聞いてもいいのかな、君は?」
 「事故。最悪だよ」
 「それはそれは……」
 ご愁傷様とか言っていいんだっけ? 言葉が見つからない。
 「いいや、おじさん暇そう。話し相手になって」
 おじさん?
 「おじさん?」
 心の声が滲み出た。
 「おじさんじゃないの?」
 「おじさんの声なの、僕って」
 「私にはおじさんかギリお兄さんの声って感じに聞こえる」
 ギリお兄さん。
 なんだこの感情は……何だ……?
 半ば呆然としながら、少女の話を聞くことにした。

 その日は、付き合って1年記念日のデートに急いでいた。
 雨男と雨女だから、いつも記念日は大雨。
 だから、笑って、いつも通りショッピングセンターでアイス食べようと約束してた。
 そして事故に遭った。
 そして、ここにいる。

 「この指輪もさ」
 左手の薬指になかなか高そうなものが光っている。
 「このピアスもブレスレットも彼氏がくれたんだ」
 制服にはアンバランスなぐらい高そうに見える。
 「バイトしてさ、記念日にいつも何かアクセくれてさ、私大したものあげてないのに。お弁当も何回作ってもうまくできないのに、うまいって完食してくれてさ。今年で彼氏卒業しちゃうから、できるだけいっぱいお弁当作ってあげようって思って、お弁当のおかずもさ、考えてたの。あー、だめだ、私考え事しながら歩いちゃだめだね。さっきもあなたとぶつかったし」
 ふと顔を見ると、大粒の涙が落ちる瞬間だった。
 「最悪だよ、最悪。まだ16年しか生きてないのに」
 めちゃくちゃ泣いてる。励ました方が……いや、とりあえず聞き役。
 「あなたももらったでしょ、自分の人生が書かれていく本。自分の死んだ歳と同じ年数かけて本が書き上げられていくってやつ。冗談じゃない」
 あっ、そういうシステムなんだ。
 「自分の人生を振り返るために同じ年数? 友達も彼氏もいないしつまんないし、意味わかんない。それでこの人生諦めろってこと?」
 「……そうなのかもね」
 否定するのは違うと思った。
 「だから私はこの幸運を見逃さない」
 「え、」
 ネックストラップが首元から抜き取られた。
 「途中で気づいた。おじさんのカード、私のとちょっと違うから」
 彼女のカードは白地に黒のライン、彼女の名前。
 僕のは白地に金のライン、そして「ゲスト」の文字がある。
 「ごめんねおじさん」
 駆け出した彼女を追いかける。
 辺りはすっかり暗くなっていた。

 「原本焼却炉……!?」
 ゼーゼーしながらやっとのことで辿り着いた。この部屋だけ電気がついていた。
 聖徳さんの説明を思い出した。
 人生について書かれた本は利用期間の後、焼却炉で燃やされる。
 それで魂が成仏し、完結する。次の輪廻へ向かうのだと。
 さっきの彼女は16歳で死んだらしいから、16年かけて本が書き上がる。そして利用期限を迎えたら返却して焼却炉で燃やされる。
 それを彼女は無視しようとしている。いいのか?
 火をつけた焼却炉に足をかけつつある彼女と目があった。
 「人生の本なんか読まなくていい。人生なんて振り返らなくていい。こんなことしてる間に彼氏がどんどん大人になっちゃう。16年待って生まれ変わったら、彼氏30過ぎちゃう。私のことなんか忘れちゃう。だったら今すぐ生まれ変わって会いにいく。どんなに遠くでも、性別が違くても、私じゃなくなっても、必ず会いにいく」
 彼女はネックストラップと、自らがつけていたブレスレットを僕に向かって投げた。
 「振り回してごめんね」
 飛び込んだ背中を、僕は眺めることしかできなかった。
 青い炎の中で少女は焼かれていく。
 痛みはないのだろう。苦しくはないのだろう。だって安らかな顔をしてる。
 もらったブレスレットが(便宜上)右手首に巻きついて、チリチリと熱を帯びていた。

 彼女の原本は綺麗さっぱり燃えて、彼女は消えた。

 朝になり、僕は事の顛末を全て館長に話した。
 館長は怒ることもなく、また利用期間終了前の焼却も大きな問題ではないとのことだった。
 「若い人は特にそうなるんだ。自分で燃やした人は初めてだったけど」
 「……ゲストカード、僕が持っているべきじゃないです。お返しします」
 「いいえ、持っていて」
 「また同じことを起こすかもしれない」
 「起こらないから、安心して。あなたらしく自由に過ごしてほしい」
 あなたらしく、と言われても。
 結局、ゲストカードは受け取ってもらえなかった。

 数日経った。
 「うわ!」
 「痛っ!」
 また誰かにぶつかった。前方不注意すぎないか、自分。
 「そのブレスレットはどこで……」
 「え?」
 坊主頭の、日によく焼けた少年だった。
 「そのブレスレット、俺が彼女にあげたやつと似てて——」

 “このピアスもブレスレットも彼氏がくれたんだ”

 「彼女はどこに」

 “こんなことしてる間に彼氏がどんどん大人になっちゃう。16年待って生まれ変わったら、彼氏30過ぎちゃう。私のことなんか忘れちゃう。だったら今すぐ生まれ変わって会いにいく。どんなに遠くでも、性別が違くても、私じゃなくなっても、必ず会いにいく”

 「し……」
 泣きそうな彼から目をそらした。
 「知らない。拾ったんだ」
 「……そう……ですか。……なんだ、早く会えると思ってたけど……俺の勘違いっすね」
 自分観測史上、初めて嘘をついた。
 自分が不定であるからできるだけ正直にいようと思っていたけど、嘘つきました。
 でも、そうじゃなきゃ、あまりにも、あまりにもじゃないか?

 死ぬことって、生きることって、こういうこと?
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