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温かな夕食。
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執事がフィリックスの帰宅を告げた。
ホールまで迎えに出たアニスを見て、フィリックスは顔を綻ばせた。
「お帰りなさいませ」
「うん。今、帰った」
笑みを浮かべるフィリックスだったが、その顔は前に見た時より精悍さを増し、よく見れば黒い軍服には汚れがこびり付いているようであった。
「騎士団のお仕事が大変なのですか?」
アニスの問いかけに、フィリックスは素直に頷いてみせた。
「今の季節は魔物達が活発になるからな。秋になる頃には落ち着くと思うが」
「そうなのですね……」
王都の、しかも限られた場所からほとんど出た事のないアニスは初めて知る事であった。
フィリックスは、アニスが何も知らずにカテドラル家でひっそりと暮らしていた頃から、このように埃にまみれながら魔物達と戦っていてくれたのだろうか。
ふと、フィリックスの右手にまだ新しい傷を見つけた。
血が滲んでいる。
「フィル、怪我を……」
アニスが思わず手を伸ばそうとすると、フィリックスはすっと一歩後ろへと下がってしまった。
「あ……」
触れてはいけなかったのか、とアニスが悔やんでいると、フィリックスは困ったように笑ってみせた。
「この通り、汚れているからな。せっかくアニスが綺麗なのに汚れてしまう」
夕食の前に湯に浸かってくる、と言ったフィリックスの耳が赤かった事にアニスは気付かなかった。
美しく着飾ったアニスに見惚れて一瞬動作が遅れ、そのためにフィリックスの間合いにあっさりと入れてしまった事にも。
(私は仮の妻なのだから……)
そして、また、フィリックスも気がついてはいなかった。
己の取った咄嗟の行動に、アニスが誤解をさらに深めた事に。
湯を使い汚れを落として、さっぱりとしたフィリックスが食堂へ行くと既にアニスは席につき食事の準備が出来ていた。
「本日は鱒のムニエルでございます」
「鱒か、俺の好物だな」
フィリックスが嬉しそうに笑う。
その様子を見た使用人達も、平静を装ってはいるが嬉しそうである。
実はフィリックスが久しぶりに帰るという話を聞き、今朝急いで網を仕掛けたのだ。
大ぶりの立派な鱒が何匹も網にかかっていた、と下働きの男が誇らしげに言っていた。
料理長も張り切って、その腕を奮ってみせた。
「向こうじゃ干し肉と干しいちじくばかりだったから、新鮮な魚は嬉しいよ」
そして、フィリックスはアニスに優しい笑みを向けた。
「アニスはどうだい? 口に合う?」
「はい。とても美味しいですわ」
カテドラル家の洗練された食卓とは違い、どちらかといえば素朴な料理が多いが、アニスは見かけによらぬ健啖ぶりを見せ料理長をおおいに喜ばせていた。
デザートは料理長が自ら食卓へ運んできた。
「こちらは、奥様のお作りになったカリンの蜂蜜漬けでございます」
「アニスが……?」
驚くフィリックスに、アニスは顔を赤らめた。
「作ったと言っても、切ったりするのは料理長がやってくれて、私は本当に漬けただけなんです……」
そう言って恥ずかしがるアニスだったが、蜂蜜漬けを食べたフィリックスは満面の笑みを浮かべた。
「うん、美味しい」
その言葉に、アニスはほっとしたように笑った。
カリンの蜂蜜漬けがフィリックスの好物だと聞いたアニスに、自分に作らせてほしいと頼まれた料理長もまた笑みを浮かべていた。
それは、幸せな家族の食卓であった。
ホールまで迎えに出たアニスを見て、フィリックスは顔を綻ばせた。
「お帰りなさいませ」
「うん。今、帰った」
笑みを浮かべるフィリックスだったが、その顔は前に見た時より精悍さを増し、よく見れば黒い軍服には汚れがこびり付いているようであった。
「騎士団のお仕事が大変なのですか?」
アニスの問いかけに、フィリックスは素直に頷いてみせた。
「今の季節は魔物達が活発になるからな。秋になる頃には落ち着くと思うが」
「そうなのですね……」
王都の、しかも限られた場所からほとんど出た事のないアニスは初めて知る事であった。
フィリックスは、アニスが何も知らずにカテドラル家でひっそりと暮らしていた頃から、このように埃にまみれながら魔物達と戦っていてくれたのだろうか。
ふと、フィリックスの右手にまだ新しい傷を見つけた。
血が滲んでいる。
「フィル、怪我を……」
アニスが思わず手を伸ばそうとすると、フィリックスはすっと一歩後ろへと下がってしまった。
「あ……」
触れてはいけなかったのか、とアニスが悔やんでいると、フィリックスは困ったように笑ってみせた。
「この通り、汚れているからな。せっかくアニスが綺麗なのに汚れてしまう」
夕食の前に湯に浸かってくる、と言ったフィリックスの耳が赤かった事にアニスは気付かなかった。
美しく着飾ったアニスに見惚れて一瞬動作が遅れ、そのためにフィリックスの間合いにあっさりと入れてしまった事にも。
(私は仮の妻なのだから……)
そして、また、フィリックスも気がついてはいなかった。
己の取った咄嗟の行動に、アニスが誤解をさらに深めた事に。
湯を使い汚れを落として、さっぱりとしたフィリックスが食堂へ行くと既にアニスは席につき食事の準備が出来ていた。
「本日は鱒のムニエルでございます」
「鱒か、俺の好物だな」
フィリックスが嬉しそうに笑う。
その様子を見た使用人達も、平静を装ってはいるが嬉しそうである。
実はフィリックスが久しぶりに帰るという話を聞き、今朝急いで網を仕掛けたのだ。
大ぶりの立派な鱒が何匹も網にかかっていた、と下働きの男が誇らしげに言っていた。
料理長も張り切って、その腕を奮ってみせた。
「向こうじゃ干し肉と干しいちじくばかりだったから、新鮮な魚は嬉しいよ」
そして、フィリックスはアニスに優しい笑みを向けた。
「アニスはどうだい? 口に合う?」
「はい。とても美味しいですわ」
カテドラル家の洗練された食卓とは違い、どちらかといえば素朴な料理が多いが、アニスは見かけによらぬ健啖ぶりを見せ料理長をおおいに喜ばせていた。
デザートは料理長が自ら食卓へ運んできた。
「こちらは、奥様のお作りになったカリンの蜂蜜漬けでございます」
「アニスが……?」
驚くフィリックスに、アニスは顔を赤らめた。
「作ったと言っても、切ったりするのは料理長がやってくれて、私は本当に漬けただけなんです……」
そう言って恥ずかしがるアニスだったが、蜂蜜漬けを食べたフィリックスは満面の笑みを浮かべた。
「うん、美味しい」
その言葉に、アニスはほっとしたように笑った。
カリンの蜂蜜漬けがフィリックスの好物だと聞いたアニスに、自分に作らせてほしいと頼まれた料理長もまた笑みを浮かべていた。
それは、幸せな家族の食卓であった。
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