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イレギュラー
しおりを挟む数日経ち、セミナー当日、見覚えのある小さなビルに着いて、前に来た部屋へ入っていくと、すぐ参加者ががっくり減っていることに気付いた。スタッフと合わせて十数人の人しかいない。しかも今回、椅子は円陣ではなく、講演会のように並列に並べられていた。どうすべきか迷っていると、突然話し掛けられた。
「よう」
「! 金崎さん」
「源円くんだったよね。僕らのメンバーになってくれて、どうもありがとう」
「―今日は何をしますか」
「うん? ディスカッションだよ。ただ前回のように、個人的なことを話し合うのではなく、今回のテーマはずばり、世界だ。大きいだろ」
「はい」
「源くんも僕と同じく、世界に対して色々言いたいことがあるでしょう」
「……。たぶん」
「大いに話し合いましょう」
そういうと金崎さんはにっかりと笑って、軽く僕の肩を叩いてから離れていった。
時間が来ると全ての人が着席し、金崎さんだけが列の前方に立って、人々を見渡していた。僕はこの場から浮いて、なんとなく馴染めていない気がしたけれど、金崎さんの巨大な声で、そんな思いは掻き消えていった。
「みなさんっ、おはようございまっす!」
「おはようございまーす」
「朝飯はちゃんと食べてきましたか?」
「食べました」「食べてませ~ん」
「はは、どちらにしても、今日は長丁場になるでしょう。僕らの熱い思いは止まりませんよ!」
「ははははは」
「それでは軽くウォーミングアップといきますか。今の世界について思うことを、思うままでいいですから、周囲の人たちと意見交換してください。その後にみんなでディスカッションをすることにしましょう」
その言葉の後、すぐ周囲の人たちはざわついて、手近な人と雑談を始めた。僕はどうしたらいいのだろうとキョトキョトしていると、隣の席にいた自分より若そうな男性と目が合った。彼は落ち着いた様子で僕を眺めてから言った。
「僕と話し合いませんか」
「あ、……は、はい」
「セミナーに参加したのは初めてですか」
「一応、二回目ですけれど……」
「じゃあまだ慣れないですね。なぜここに来ることにしたんですか」
「今の、今の世の中が憎いから」
「見かけによらず、過激なことを言うなあ」
「そうかな」
「僕の場合は憎いというより、怒ってますけどね」
「それは、どうしてですか」
「今の時代の人って、自分勝手でしょ」
「日本人だけじゃなく、世界中の人が?」
「たぶんね。その原因は何かなって考えるんです」
「僕は世界だけでなく、自分の存在すらも憎い」
「哲学的」
「僕が存在することが憎い」
「ああ、それはあれだ。あなたの親が悪いんですよ」
「親が? なぜですか」
「―ご両親はいますか」
「母がいます」
「そのお母さんが、あなたの存在を心底認めてくれないから、そういう気持ちが起きるんです」
「母は悪くない」
「別に悪意があるとは言ってません。ただ責任はあなたにではなく、親にあるはずです」
「母に責任が」
「きっとそうだと思うけれどなあ」
「ならば僕は、どうしたらいいのでしょうか」
「直接お母さんに、あなたが悪いと言ってみたら」
「それは言えない」
「どうしてですか」
「……」
「なら、親の責任について話し合ったらいい」
「ああ、それは面白そう」
「面白いかあ。あなたって少し独特な思考の持ち主みたいですね」
「たぶん変わり者なので」
「ハハ、自分で言う」
それから後も、様々に形を変えたディスカッションが繰り広げられ、存分に会話という行為を楽しむことができたが、僕の頭の中では常に〈母の責任〉という言葉がぐるぐる回り続けていた。セミナーが終わったあとの帰り道で、人気のない道をわざと選択して歩きながら、僕は激しく自問自答していた。
(僕の存在はまぼろし)
(まぼろしを作り出したのは、母と設計者の人たち)
(彼らはなぜ僕を……、作ったのだろう)
(僕を研究に利用するために)
(母は僕を必要としない、研究の成果以外は)
(僕の個性は無意味)
(僕の命も所詮まぼろし。母も誰も、本質的な僕を見ようとしない)
(だから孤独だったんだ)
(だから寂しかったんだ)
(母に話そう。全部、全部話そう、僕の思いを)
(伝えたい、伝わりたい。僕が幻であったとしても、それくらいはできるはず)
(きっとできるはず)
次第に固まってゆく僕の心を感じながら、あとはひたすら家路を急いだ。夕暮れ時に輝きだした街灯が、まるで僕自身の希望の光であるかのように映った。
家の扉を開けると、リビングに明かりがついていた。早足で部屋に入っていくと、母はソファーにゆったりと座り、文庫本を熱心に読んでいるところだった。ふと目線を上げて、僕を見てからぽつりと言った。
「円」
僕は母の側まで行き、立ったまま溢れ出す言葉をぼんぼんぶつけ始めた。
「お母さん、僕は孤独だったんだ、寂しかったんだ」
「どうしたの、あなた」
「僕はいるよ、ちゃんといるよ。そのことに今日初めて気付いた」
「……」
「お母さんはそのことを分かっていた? 認めてくれた?」
「あなたに性格があるのは薄っすら分かっていたけれど―」
「お母さんは本当の僕自身を見てくれなかった。それが僕は、とても辛かった」
「私の責任だとでも言いたいのかしら」
「そうだ。これはお母さんの責任だ」
「遠回りながらも、私に逆らおうとしているのね」
そう言うと母は険しい顔をして、大きく溜息をついた。ちょっとの間、生真面目に何かを考えて口を閉ざしていたが、それは僕についてではなく、別のことだったようだ。彼女は遠い目をしながら言った。
「これは問題だわ」
「問題?」
「イレギュラーだってこと」
「イレギュラー? 僕の個性が?」
「そう断言できるわけじゃないけれど、そうかもしれない」
「存在しないんじゃない。存在するんだ」
「それが問題なのよ」
そう言うと母は身振りで自分の隣に座るように示すので、僕は素直にソファーに腰掛けた。しばらく僕が呆れてしまうほど、僕の体を眺めた後で、ふと視線を逸らして言った。
「円、さよならかもしれない」
「さよなら?」
「あなたと」
「僕は死なない。だからさよならなんてない」
「そのはずだったわ。私もそう思っていた」
「なのにどうして?」
「……これから数日家を空けるから、留守番を頼んでもいい?」
「うん」
「その間あなたはしたいようにしていて。朝子さんとも思う存分話すといいわ。彼女がいいといったら、この家に呼んでも構わないわよ」
「本当?」
「ええ」
「お母さんは僕の言ったことをどう思った」
「う~ん、筋は通っているけれど、間違っている、ってとこかな。私の理屈ではね」
「僕は間違っていない」
そう言うと母は苦笑して言った。
「その自信をどこでつけてきたのかしら。でもあなたは何も悪くない。確かに悪いのは、私の方かもしれない」
いつになく真剣な表情でそう言った母は、微かに笑うと僕を残してリビングを出ていった。母の背中は今まで見たことがないほど、何故か儚げに僕の目に映った。
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