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桃青

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婚活第二回 本当のすがた

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「おかげで今は1人身ですが、何不自由ない生活が送れるというわけです。今となっては子供の頃の不幸な日々が、まるで幻のように感じられるんですよ。
 『あれは本当にあったことなのだろうか?』
 と、時々考え込むんです。それくらい今の私はあらゆるものから守られた立場にいて、何というのか…。」
 アンナは笑みを浮かべて、セドに話し掛けた。
「良かった。セドは今幸せなんですね。」
 すると彼の顔は突然凍りついた。
「―幸せ?」
「…え?」
「幸せってなんですか?」
「ええと、それは…。あ、ということは、今でもまだ、セドは幸せではなかったという…。」
「『幸せ』。それはきっと、楽しさや喜び、ときめきや感動の感情を表すのでしょう。だとしたら、今の私は幸せではありません。何故って私はまだ、生れてから1度も、本当に欲しい物を手にしていないのだから。それなくして、私に真の喜びは訪れないのです。」
「あなたの…、本当に欲しいものって、何ですか?」
「それは真の愛です。私だけに注がれる愛情です。」
「セドだけに注がれる愛?」
「そうですよ。私はずっと、私だけのものになってくれる何かを、物心ついた時から探し続けていました。でも何故なのか?どうしても私はそれを手にすることができずにいる。アンナは私を愛してくれますか?」
 そう言ってセドはギロリとアンナを睨んだ。その瞳はどこか狂気を帯び、アンナはセドのあまりの豹変ぶりにすっかり縮み上がってしまったが、それでも勇気を振り絞って彼に答えた。
「それは…、分かりません。」
「分からない?何故ですか?」
「だって私は、今日あなたに初めて会ったばかりだし、あなたのことを何も知らない―、」
「だ・か・ら。今までこうやって私の生き様を、すっかり話してきたのじゃありませんか。分かり合えないんじゃない、あなたがただ、私を分かろうとしないだけだ。」
「ごめんなさいセド、あなたが何を言っているのか…、」
 するとセドは暗い目をアンナに向けて、ゆっくりと椅子から立ち上がると、テーブルを回ってアンナの元に近づいてきた。アンナが恐怖に駆られて思わず椅子からガタンと立ち上がると、彼は躊躇いもなくがっとアンナの片腕を掴み、さらに話し続けたのだった。
「アンナ、今まで私に近づいてきた女達は、大抵どれも私の金目当てでしたよ。誰も本当に私なんか愛しちゃいないんです。でもね。それでも別に私はいいんです、私の『本当の愛』に答えてくれるならね。ところがこの話をしだすと、どいつもこいつも私から逃げようとしやがる―。
 何故だろう?そんなに私のことが嫌いか?」
 アンナは何とかセドの拘束から逃れようとしながら、それでも必死になってセドに問い掛けた。
「セド、あなたの言う『本当の愛』って、何?」
「それは私と永遠になることだ。」
 セドは目を爛々と光らせてそう言ったが、アンナは彼に抗うように叫んだ。
「そんなの無理よ!どんな人だって、あなたと永遠になることなんてできない。だって、私達は人間ですもの。生きている限り、人には始まりがあって、それと同時に終わりもある―、」
 するとアンナの主張を聞いたセドはしばらく黙りこんだ。だが、アンナを掴む手の力を決して緩めようとはしなかった。そしてまるで子供に戻ったみたいに、訥々とした口調でアンナに訊ねた。
「アンナ、私と…、永遠に…、なって、くれる?」
「嫌よ!」
「君を、…抱きしめたい。」
「イヤ!」
 だが次の瞬間、セドは無理矢理アンナを抱き寄せ、きつく抱きしめていた。始めは足掻こうとしたが、抵抗しても無駄だと悟ったアンナは、彼の腕の中で大人しくしていた。すると驚いたことに、セドはそうしたまま、ポロポロと涙を零し始めたのである。そして独り語りを続けた。
「ほらね、ここにも裏切り者がいるよ。私に好意を持っているなんてほざきながら、土壇場になると私から逃げ出そうとするんだ。
 私は寂しい。そして女は皆嘘つきだ。
 アンナ。…私とキスをしよう。」
「いいわ。」
 アンナは全身の力を抜いてそう答えた。するとセドは瞳孔を開いて、まじまじとアンナを見つめた。彼の腕の中で、アンナはまるで生気のない人形のように大人しかった。そしてセドを見上げ、こう言った。
「私、何でもあなたの言う通りにする。セド、お願い、私にキスをして。」
「アンナ…。」
 セドの狂っていた瞳は、一瞬正気を取り戻したかに見えた。そしてアンナに、それは優しく訊ねた。
「君は、…私と永遠になってくれるんだね?」
 アンナは俯いたまま何とも答えなかった。だが恐れず、それから真っ直ぐにセドの目を見つめ返した。セドはゆるゆると彼女を抱きしめていた手を解き、彼女の両肩に手を置いた。アンナは小さな声で、そっと呟いた。
「―セド。」
「アンナ。」
 セドはまるで何かに酔ったかのように、うっとりした様子でアンナの顔をじっくりと眺め、その唇にゆっくりと己の唇を近づけて、
 ―キスをしようとした。だが次の瞬間。
 バンッと両手で油断したセドを押しのけたアンナは、手近にあったテーブルクロスをテーブルから引き抜き、それを彼の頭にばさっと被せた。そして彼の目が盲になった隙に、ざっと部屋中を見回し、まず扉を開いて外に出ようとしたが、すでにそこには鍵が掛けられていた。
「どこだあ、アンナ!」
 セドの狂気に満ちた声は、部屋中に轟き渡った。そしてやっと物置になっているクローゼットを見つけたアンナは、その中に入り込んで慌てて扉を閉めた。
 セドはやっと体に纏わりついていた布を引き剥がし、怒ったようにそれを丸めて床に投げ捨てると、大きな笑い声を上げた。
「あは、アハハハハ、馬鹿な女だ、無駄なことを!」
 アンナはクローゼットの扉を力の限りに押さえつけて、泣きそうになりながら心の中で思った。
(誰か、…誰か助けて!でも一体誰が、私を助けられるというの?)
 その一方で、ぶつぶつとひとりで喋るセドの声が聞こえてきた。
「台所。―いない。テーブルの下。―いない。でも外へ出ることはできない。となると…。ここしかないな。」
 そしてセドの足音が段々と近付いてきて、クローゼットの前でピタリと止まった。アンナは思わず心の中で悲鳴を上げた。
「アンナ、出ておいで。…アンナ、出てこい!」
 そう大声で叫ぶと、いつしか手に持っていたナイフで、セドはざくざくと木製のドアを刺し始めた。
「きゃあ!」
 アンナは驚きのあまり、思わずクローゼットの扉から手を離してしまった。するとセドが刺した力の反動で、扉はバタンと自然に開いた。そしてまるで爬虫類のような死んだ目をした彼は、アンナの腕を無理矢理引っ掴み、乱暴に外へ連れ出すと、怖いくらいの力でアンナを床へ押し倒した。セドは彼女の体の上に馬乗りになり、躊躇うことなくアンナの顔のすぐ側に、ザクッとナイフを突き立てると言った。
「…アンナ、何か感じないかい?」
「―何を?」
「君の…、意識の変化を。」
「意識の変化?」
 そう言われて初めて、アンナは自分の体の異変に気付いた。セドに体の動きを封じられているだけでなく、自分の意志では自由に動かせないようになっていたのだ。
「体が、…体が、動かない。」
「ワインに入っていた薬草が効き始めた証だ。」
「薬草?でも、セドも一緒に同じワインを飲んだはず…。」
「私にはね、もう耐性が出来てしまって、あの程度の量じゃ全く効かないんですよ。ほら、段々意識が遠くなってきたでしょう?」
「セド…。何が目的なの…?」
 そこまで喋ると、アンナは生きた人形同然になってしまった。もはや彼女には意識もなく、感覚もない。そんなアンナにセドはくすっと微笑みかけて、その髪をなでながら、いかにも愛おしげに囁いた。
「アンナ、私はずっと孤独だったよ。でももう私は1人じゃないんだね。これからはいつだって君がいるんだ。
 アンナ、私とひとつになろう。…君を殺して、私も死ぬ。…どうやって死のうかな?
 君はもう私から逃げられない。この屋根の下で…、
 私達は永遠になるんだ。」
 セドはアンナの隣に突き立てたナイフを引き抜き、高く高く自分の頭上に掲げた。ナイフは光を反射してキラリと煌めく。
 そしてそれが振り下ろされようとした、次の瞬間。
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