ドリンクカフェと僕

桃青

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太一の答え

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僕とあかりは扉の前で、まるで世界の忘れ物のように取り残されていた。辺りが冬の静けさで満ち溢れ、世界中を覆いつくしていくような幻想が僕の中で浮かんできた。
「もし、もしもだよ、あかり。太一が過去で何かを変えて、未来が変わったとき、僕の今ある記憶は……。」
「予告もためらいもなく消え去るでしょう。あなたには悩む暇もないはずよ。」
「僕は、今のままで幸せだったんだ。そりゃ、辛い思いだってしてきたさ。でも太一のおかげで乗り越えられて、ここまでの人生を歩んできた。あいつはそんな思い出を全て消し去ろうと、」
「光、人生は夢よ。」
「夢?」
「覚めることのない、夢。可能性は未知数だし、何だって起こりうる。」
「でも現実は現実として存在する。生きていくためにやらなければいけないことがごまんとあるし、その制約の中で人々はもがきながら、生きてゆく。夢はあくまで夢でしかないんじゃないか。」
「それでも夢があるから人は生きていける。もし夢を完全になくす時が来たなら、それはその人の〈死〉を意味するでしょう。現実と夢。どちらもなくてはならなないものだわ。だけど人を未来へ導くのは、〈夢〉よ。」
「太一は探し求めていた未来の夢を追いかけて、」
「〈過去への扉〉をくぐったのよ。」
 あかりはガラスのように硬質で澄んだ目を僕に向けて、断言した。僕は体中の力がどんどん抜けていくのを感じていた。太一の色々な表情が、幻のように頭の中で浮かんでは消えてゆく。それはまるで彼を弔っているようで、もう会えないのか? という自問と共に今にも泣きだしてしまいそうな気持になったとき、差し込む光を感じてふと顔を上げると、光を放つ扉から、太一がこの世界へ再び戻ってきたのだ。彼は爽やかに言った。
「ただいま。」
 そして彼の背後に存在していた扉は、いつのまにか消え失せていた。
「太、太一。おまえの過去はどう……、」
「光。そしてあかりさん。一旦ドリンクcafeに戻ろう。お客さんをこれ以上放っておけないし、そこで落ち着いて話をするよ。」
 そう言うと太一は足早に歩き始めたので、僕たち三人は再びドリンクcafeに後戻りした。

 カウンターに腰を下ろした僕とあかりの存在を忘れたかのように、太一は慌ただしく働き始め、お客さんの注文を取りにいっては台所に戻ってきて、何かの職人みたいな素晴らしい手さばきで次から次へとドリンクを作り、再びせわしなく客の元へ運んでいく。気のせいかもしれないが、店内の空気が以前とどこか変わった感じだ。すこしざわざわして、お客も増えたような――。そして僕らの席の目の前には、中高年の夫婦の写真がちんまりと飾られていた。もしやこれは太一の両親じゃないかと思いながら、あかりに訊ねた。
「何か変わったかね? パラドックスは起きなかったのかな。あかりは気付いたことがある?」
「それは秘密。」
「なんでさ。」
「それが私の生き方なの。」
「謎に満ちた生き方だな。」
 むっつりしてそう言うと、あかりはにこりと笑ってみせた。そこへ太一がやってきて、パンパンと手をはたいてからカウンターに立ち、
「さてどこから話をしようか。」
 と言い、なんだか明るくなった彼の雰囲気に気圧されながらも、訊ねた。
「扉の向こうで何があったの?」
「中学生の俺に会いにいったんだ。そして話をしてきた。」
「どんな話をですか?」
 あかりの質問に太一は微笑んで答えた。
「ま、雑談をしながら、俺が話すというよりも、主に中学時代の俺の話をじっくり聞いてきたって感じかな。で、自分の親についてどう思うかと聞いてみたら、大、大、大、大っ嫌いだけれど、凄い親なんだって得意げに言うんだな。あれ? 中学の頃の俺ってそう思っていたのかと、新たな自分を再発見したというのか……。ま、最初に一番驚いたことは、俺が十年後からやってきた自分自身だと言ったとき、俺が……、ややこしいけどな、パニックも起こさず、すんなりと事実を受け入れてくれたことだ。少年の柔軟性って凄いな。」
「それはおまえだからじゃないの? あかりが扉を出したときだって、普通の人だったらびびって逃げ出すかも知れないのに、おまえは自ら乗り込んでいっちゃうんだもの。」
 あかりは小首を傾げて言った。
「確かにちょっと変わったタイプですね。」
「で、俺のことを教育実習生に来た大学生だってごまかすから、一緒に夕飯を食べて行けって、中学生の俺が熱心に勧めるんだよ。そんなごまかしがきくのかなと思いつつも、好奇心が抑えられず、太一少年と仲良くなった大学生を演じながら自分の家にお邪魔して……。正直妙な感じだったけどな、俺の言葉に俺も口裏を合わせて礼儀正しく振舞っていたら、どうぞどうぞ遠慮なく、と話がトントンと進んでいって、気付いたらみんなで夕食を囲んでいた。」
「おかしなことになったな。」
「その通り。でもな、何というか……。」
 そういうと太一は言葉を途切れさせ、生真面目な顔をしてあらぬ方を見つめ、なにかを考えている様子なので、僕とあかりは大人しく次の言葉を待っていた。すると太一は再び語り出した。
「その食卓には、〈愛〉が溢れていたんだ。嘘偽りではなく、本物の愛だ。俺は両親から愛されていたし、あの頃は俺も親を愛していたんだな……。」
「愛。無私の愛。」
 あかりの呟きに太一は軽く頷いてから、さらに言った。
「なんかさ、あの温かさを十数年間俺に与えてくれた親に、文句をつける筋合いはないよなって、心底思ったんだ。今までの俺のやり方、生き方を否定するつもりはない。たぶんそれしかできなかったのだと思う。でも除籍はやるべきじゃないと結論を出して、現実の世界へ戻ることにした。それで中学生の俺にメッセージを残してきたんだ、これから苦労するだろうけれど、今のままで行けって。」
「ふーん。その後太一少年は結局、おまえの歩んだ通りの道を歩んで、今現在に至ると。パラドックスはほぼ起きなかったわけだね。」
「そうみたいだ。母親は狂ったままだし、父親は相変わらず俺をののしり続ける。ま、それもまた人生ということで、未来に何が待っていようと、俺はこの自分で見出した道を進んでいくことにした。光、これからもよろしくな。」
「こちらこそ。」
 そして僕と太一はニカッと笑い合った。そこまで話すと店が混み合ってきたので、太一は飛ぶようにして仕事に舞い戻っていった。

 あかりと僕はにんまりとして、しばらく黙ったまま自分の飲み物を啜っていた。確かに未来は常に明るいわけじゃない。でもどんなときも、より明るい方を探し求めることはできる。そうすれば夢が消えることはないだろう。そしてその過程こそが人生であり、冒険であり、楽しみでもあり、やがて感動へと導かれていく方法じゃないだろうか。
 そんなことを考えながら空になったコーヒーカップを見つめていると、あかりが声をかけてきた。
「光、ちょっと外へ出ましょう。」
「また出るの? まあ、別にいいけど。」
 そして僕たちは席を立ち、再び店の外へと出ていった。

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