ドリンクカフェと僕

桃青

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すべての和解へ向けて

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 午後から仕事があるという奈々と駅で別れると、僕の足は自然にドリンクcafeへ向いていた。なんだか無性に太一に会いたくなり、できることならあかりとも会いたかった。外を歩くと冬の太陽がやけにまぶしく、日に当たった僕をまるで世界から浮き彫りにしていくような気がする。太一が今幸せなのか、それとも不幸なのか、僕には分からない。幸せであってくれたならと願った。そのことを確かめたい気持ちが僕の胸の中で溢れ返っていた。
(太一の母親が退院して、奈々と付き合うようになって。どの道僕らは人生の駒を進めていかなければならないんだ、どんな結末が待っているにしても。)
 ドリンクcafeの扉を開けると、店は閑散としていた。それはむしろ僕にとってはありがたいことで、これならゆっくり太一と話ができる。
「光。」
 そう呼びかけられて声の主の方を振り返ると、いつもの席にあかりがいて、素敵な笑顔を浮かべてひらひらと細い手を振っていた。僕は嬉しくなって言った。
「あかり、君に会いたかったんだ。」
「光が私を心で呼んだから来たのよ。」
「エエ? 君ってテレパシーも使えるの?」
「嘘です。光ではなく、コーヒーが恋しくてこの店にやってきたの。」
「……そう。僕よりコーヒーが上か。」
 僕は少々がっくりしてあかりの隣に腰を下ろすと、太一がスタスタと僕のもとにやってきて、機械的に、
「ご注文は?」
 と言い、僕はメニューに目をやりながら訊ねた。
「太一、今おまえと話ができる?」
「ああ、店が空いているから構わないよ。よければあかりさんと一緒にカウンター席に来たら?」
「じゃあそうさせてもらう。」
 そして席を立ち、あかりを見つめると、彼女は忠犬のように僕の後からついてきて、僕が座ったカウンター席の隣に静かに収まった。僕は様々な形のコップを丁寧に並べている太一に声を掛けた。
「僕、サンセットが飲みたいんだけれど、未だにメニューに載っていないな。」
「ああ、あれね。あんまりコストがかかるもんで、たぶん売れないだろうと踏んで、商品化を諦めた。」
「そうなのか。じゃ、ホットコーヒーを一つ。」
「かしこまりました。光、あのさ。」
「どうした?」
「俺……、今、奈々と付き合っている。」
「ああ、その話ね。さっき奈々と会って、彼女から聞いたばかりだ。」
「奈々から? そうか。……、うん、そうか、あいつ怒ってなかった?」
「いきり立っていたよ。でも大丈夫、僕がなだめておいたから。」
 僕と太一は想像の世界で怒った奈々をそれぞれに思い浮かべて、思わず笑いを漏らした。そしてしばらくクスクス笑ったあと、太一はふと真面目な顔になり、僕に問いかけた。
「俺はさ、実はおまえも奈々のこと、好きなんじゃないかと……、ずっと思っていたんだが……。」
「うん、好きだったよ。でも奈々がおまえを選んだんだから、仕方ない。おまえたちが僕に隠れてこそこそ付き合うよりも、こうして開けっぴろげに話してくれた方が、気持ちが吹っ切れていいんだ。だから……、」
「俺たち三人は変わらない。」
「うん?」
「おまえは一人じゃない。奈々も俺もいるんだ、これからだって。俺らに遠慮して一人でいじけるような真似は、絶対にしないでほしいと思っている。」
 太一はそう言うと、カウンターテーブルにトンとコーヒーを置いて、柔らかく笑いながら僕を見つめた。その時僕の胸で熱い何かがぷくぷくと湧き出したが、今語るべきことはそう多くない。
「分かった。」
 その一言で十分だった。それだけで全てが通じ合った。僕が微かに感じていた胸の痛みも、太一と奈々の笑顔の中に溶けていった。それと同時に切なさと幸せが僕の心を満たしていく。それはどこか青く、それでいて素晴らしい心の記憶となっていった。いつしか僕の顔にも自然に笑みが浮かび、僕は温もりに包まれて、太一の手元をずっと見つめ続けた。するとふと太一の手が止まって、僕に話し掛けた。
「除籍の話なんだけどさ。」
「うん。」
「そういう結果にどうやら落ち着きそうなんだけれど、正直に言うとね、物凄く後悔はしているんだ。」
「何について?」
「もしもだよ、もしできるなら、十年前に戻りたい。」
「十年前っていうと、僕らが中学生だったころ?」
「そうそう。あの年頃ってちょうど自立という言葉が頭の中で駆け巡り出すだろう? もしあの頃俺が、もっと母に対して自覚をもって接し、自分の態度を固めていたら……、そういう心持をもって生きていたら、母は発狂しなかったかもしれないし、俺の苦しみも八割方は減っているんじゃないかって思っている。もし、今の俺が中学生の俺に忠告できるのなら――。」
「いや、さすがにそれはちょっと無理な話……、」
「できるわ。」
 あかりが唐突に口を挟んで、また太一と僕をびくっとさせた。彼女はいつも、何につけても人を驚かせる。僕は一呼吸置いてからあかりに訊ねた。
「できないでしょ。」
「できます。」
「でもどうやって?」
「過去に行けばいいんです。」
「……。タイムマシーンとかで?」
「いえ、扉を使って。」
「あの扉、そんなことにも使えるの? 万能扉だな。」
「なになに、何の話? 俺には全然会話が見えてこないよ。」
「太一さん。」
「は、ハイ。」
「あなたは心から過去に行くことを望みますか?」
「うん、えっと……、まあ、そうです。」
「そして何よりもやりたいことが、中学時代の自分との接触ですね?」
「できたらだけど。」
「十分くらい店を空けることができますか? 私はあなたを望む場所へ連れていくことができます。」
「本当に?」
「本当です。」
「そう。なら連れていってほしいな。十分くらいだったら大丈夫だよ。」
「私についてきてください。」
 そう言うとあかりは席を立って、目配せをしてから先へ進み始めた。僕と太一は彼女の後を追いながら、こんな会話を交わした。
「光、あかりさんって何者なの?」
「いや、実は僕にもまだよく分かっていないんだ。」
 店の外に出ると強く吹く北風が身に染みて、思わず体を縮めた。そして道路を歩いていくと、あかりと以前もやってきた薄暗い路地に着いて、彼女はすでにどこからか出現した謎の扉の前に立っていた。
「これは……、何だ?」
 驚きながらそう言う太一に、あかりは淡々と答えた。
「この扉をくぐれば、あなたは中学生だったころの自分に会うことができます。ただ問題があり、それはパラドックスが起きる可能性がある、ということです。」
「ああ、ウェルズの小説で読んだことがある。過去を変えると未来も変わってしまうというやつでしょ。」
 僕の言葉に大きく頷いたあかりはさらに言った。
「些細な言動もしくは行動で、今まで歩んできた太一さんの人生が別のものへ変わってしまうかもしれない。ドリンクcafeが存在しなくなるかもしれないし、奈々さんや光との出会いも、なくなってしまうかもしれない。」
「まあうまくいくか行かないか、ちょっとした賭けに出ろっていうことだな。」
 そう呟く太一に、僕は畳みかけるようにして言った。
「太一は親のためにそこまでするのか? 縁を切ればいいだけの話じゃないか。」
「でも両親の未来を救うことができるなら、俺は何だってやるつもりだよ。光。」
「なんだよ。」
「もしかしたらおまえと二度と会えないかもしれないな。今までありがとう。おまえと出会えて楽しかった。」
「そんなこと言うなよ、悲しくなるじゃないか。太……、」
 すると太一はニッと僕に笑いかけてから扉を見つめ、一直線に歩いていって、
―ためらうことなく扉を大きく開け放ったのである。
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