buroguのセカイ

桃青

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33.

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「直接会えばいいじゃない。俺達、付き合っているんでしょ。だったらデートの時でも持っていけばいい」
「いいのでしょうか、他人の目を気にせず撮りたいんじゃ……」
「不特定多数はNGだけれど、美里さんに見せることを考えると、むしろ嬉しいんだ。感想を聞けることは、やはり喜びだもの」
「確かに私はジャッジをしないですしね。改めて思うと、SNSって、常にジャッジをされる世界なんですね」
「メンタルの強さを、常に試される世界だよ。思えば何で、こんなことに巻き込まれているのか」
「旅を楽しんできてくださいね。写真を楽しみにしています。体に気をつけて。美味しい物でも食べて」
「はいはい、まるで俺の母親みたいだな。じゃ、行ってきます」
「また、今度」
 そこで私は電話を切り、ちょっとぽけっとしてから、言った。
「自分のための写真か……」
 考えてみれば、ブログを始めてから写真は自己主張のツールとなり下がり、心から写真を楽しんでいなかったことに、たった今、気付いてしまった。
「友ちんが、ブログの写真が不幸だとか言っていたっけ……」
 確かに利用されるだけの写真も不幸だったし、私だって少しつまらなかったのだ。彼女の正しさを私は改めて理解した。多くの人に自分の写真を見てもらえて、認められるのは嬉しいことだ。だが、写真で遊んでいた頃の子供のようなワクワクした気持ちはいつしか消え去り、義務感という堅苦しい気持ちが私を支配し始めていた。
(いけない、いけない)
 認められたいがために、面白くしないと、キレイにならないと、という気持ちが先走り、自己肯定が置き去りになっている。誰に認められずとも、自分はいいと思う、キレイだと思う、面白いと思う、そういった思いを貫く強さが、私にはなかった。
(私も自分のための写真を撮ってみようか。何か大切なことを思い出すかもしれないから)
 明日の仕事が済めば、二日間のフリータイムがある。この時間を、ブログを無視した写真撮影に捧げることに、私は決めた。
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