buroguのセカイ

桃青

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17.

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『誰も自分なんかに興味を持っていないんだ、ということが、よりクリアに分かるようになるんだよね。そういう所がある』
『何か悲しい』
『悲しいね。でもシンシンさんと知り合えたのは、ブログのおかげだ。そういう事実もある』
『そうですね。不思議な縁というのか』
『ねえ、また写真を撮りに行こうよ。今度は都会ではなくて、ちょっと場所を変えて』
『直接会って、色々な話もしてみましょうか』
『いいね、いいね。その件に関してはまた連絡するから』
『はい。じゃあ、今日はこの辺で。おやすみなさい』
『おやすみ』
 そこできっきさんとのLINEでのやり取りは終わった。私はいくつかのメッセージを再読したあと、そっとスマホを閉じて、考えに耽った。

 SNSで求められるのは、幅広い意味での、『ウケる』だ。

 しかし大多数の人が、ウケているものや対象、人について、深い繋がりを求めているのではない。刹那的に自分を満たしてくれればいいのであって、それ以上は求めない。触れ合っても即座に切れてしまう、儚い縁が大半だ。
 ただ、出会いの可能性は現実世界と比べ物にならないほど幅広く、その中からカチリとピースがあう人や物に、運命的に出会うことができるかもしれない。私ときっきさんのように。

 ブログを始めた時、私は新しくできることより、できないことの多さにぶち当たって、驚いたものだ。アップしても世間の反応はないし、人が見に来ても、ほぼ素通りしていくし、めったに感想すら聞くことができない。知人に写真を見せて反応を伺った方が、逆に何倍も効率がいいのでは? と思ったこともある。ただ、これも確かだった。

 私達は、SNSの時代に生きている。

 パソコンやスマホなど、ネットに繋がる環境で生きているなら、SNSは常に側にいて、アクセスすれば、見えざる目が常に自分と帆走している。
 それを安心と呼ぶか、不安と呼ぶか。
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