女執事、頑張る

桃青

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 正道は駅の観光案内所で貰った地図に目を落としながら、飛行機の中とは打って変って元気を取り戻したひろみに、声を掛けた。
「そうだな、ひろみは…、何処へ行きたい?」
「そうですね、札幌らしい所だったらどこへでも…。あ、あそこにお土産屋さんらしい店があります!行ってみたいな。」
「買い物は僕の時間的都合でパスね、女性の買い物は時間を食うし。ちゃんと帰る前に、ショッピングの時間を作ってあげるよ。
 それじゃあ、まずクラーク像でも見に行く?」
「行きます、行きます!」
「よし、じゃあこっちだ。」
 そう言うと正道は早速、駅の中を歩き始めた。そして2人は道路に出ると、ひろみは迷う事なく道を進んでいく正道の後に、素直に付き従い、キョロキョロしながら歩いていった。正道は道を確認しながら、ひろみに言った。
「ひろみ、道を歩いていて…、ある事に気が付かない?」
「えっ、ある事とは何でしょう?」
「ひろみもきっと、歴史の授業で習ったと思うんだけれど、京都と同じで、札幌って町中の道路が、格子状に整備されているんだ。」
「ああ、それで!やっと分かりました、町の住所が京都みたいに、何条、って書かれているんですね。言われてみると、道路もどこも真っ直ぐな1本道ばかりだし。」
「明治時代の政府の計画によるものらしいよ。だから初めて札幌に来た人でも、住所さえきちんと把握していれば、まず道に迷う事はない。」
「確かに分かりやすそうです。…あ、もしかしてあそこに立っているのが…、」
「ボーイズ・ビー・アンビシャス。クラーク大先生だ。」
「うわあ、本物だ!正道様、ぜひ私の携帯で、クラーク像との2ショットを取っていただきたく…。」
「もちろんいいよ。よし、カメラマンとしての腕の見せ所だな。」
 そしてすっかりハイテンションのひろみと、クラーク像の2ショットを正道が撮った後、さらに道を進んでいくと、今度2人は北海道大学へと出た。ひろみは北大の実物を見て、すっかり感激した様子で言った。
「とても綺麗で、味わい深い洋風の建物なんですね。…どれ位の歴史があるんだろう?
 それにとにかく、何もかもが大きい。東京大学とは明らかに、スケールが違う感じ。」
「そうだな、ある意味北海道を象徴する建造物なのかもしれないね。このでかさこそ、まさに北海道って感じだな。じゃあ、もっとプラプラ散歩して、今度は銀杏並木にでも行く?」
「はい、正道様のお薦めなら、何処へでも行ってみたい気分です。」
「そうか、ならついておいで。」
 そして2人はしばらく、だだっ広い草むらがただ広がっている道を歩いていくと、その道の先に続いている、青葉生い茂る銀杏並木の下をひたすら歩いていった。
 ひろみが札幌に来て、真っ先に悟った事は、北海道は本州に比べてあらゆるものがでかい、という事だった。それから…。 ひろみはすっと自分達の目の前を通り過ぎていった、若いカップルを目で追ってから、正道に話し掛けた。
「正道様、もしかしたら私の気のせいかもしれないですが…、北海道って美男美女が多くありません?」
「確かに…、言われてみれば、そうかもしれないな。それに人間性も皆、どこかゆったりしている感じがするね。人間の器が大きいというのか、小さな事にあまり拘らないというか。」
 そんな事を話ながら2人はしばらく町を散策した後、いつしか地下鉄の駅へと辿り着き、電車に乗って、今までとは全く反対の方角へと出た。
 日は大分傾き始めており、ひろみと正道は夕暮れの光に染められた札幌の町をしずしずと歩いていた。それから正道の案内で、時計台を見たり、外国の建物のような旧北海道庁の建物を見たり、大通り公園をずっと歩いてみたりして…。
 そしてすっかり夜になると、正道は腕時計に目をやって、ひろみに話し掛けた。
「ひろみ、お腹は空かない?」
「ハッ、そういえば!…観光に夢中になって、すっかり忘れていましたけれど、飛行機で簡単な軽食を取っただけで、きちんとしたご飯を食べていなかったですね。うう、言われてみれば、おなかペコペコです。」
「僕も今気が付いたんだ。で、時計を見ると夕食に丁度いい時間だし。何処かで夕食を食べようか。ひろみは何が食べたい?」
「好きなものを、言ってよろしいですか?」
「もちろん。何でも言いたまえ。」
「じゃあ、北海道といえば…、お寿司かラーメン。」
「よし、それじゃ、僕の独断と偏見でラーメンにする事にする。ひろみをいいお店に連れていくよ。」
「何処か美味しいお店をご存じなのですか?」
「まあね。僕について来て。」
 そう言って正道は迷う事なく、夜の札幌の道を歩き始めた。そしてひろみも慌てて、正道の後を追ったのだった。
 裏通りのような道を、2人はしばらくすいすい歩いていくと、正道はあるこじんまりとした建物の前で足を止めた。そしてひろみに指差してみせると、ら~めんと暖簾が掛かっているそのお店の中へと入っていった。正道お薦めのラーメン屋は、時間帯のせいも手伝って、人でごった返していた。店内はラーメンを茹でる熱気や、人々のお喋りで満ち溢れていたが、何とかテーブル席を確保した2人は、そこに腰を落ち着けて、注文を済ませた。そしてひろみもやっと人心地がついた気分になり、じっと正道を見つめると、ぺこりと頭を下げて言った。
「正道様、今日はありがとうございました。」
「ん?何の事?」
「私を北海道旅行に連れて来て頂いて、あちこちに案内して頂いて。私、まるで夢の中にいるみたいに、本当に楽しかったんです。」
 すると正道はニコッと笑って言った。
「そうか。それは良かったね。」
「でも正道様は、私と町を歩いている時は、一枚も写真をお撮りにならなかったですね。では何処で写真を…、撮るおつもりなのですか?」
「うん、実はこれから行こうと思っている場所がある。ススキノに行こうと思うんだ。」
「え…、ススキノですか?」
「そう。あそこなら、何か渦巻く人間の欲望みたいなものが、撮れる気がしない?」
「まあ確かに、…そうですけれど。」
「『夜の街』、簡単に言い換えるなら、人間の裏。そんな写真も、僕はぜひ、『情』の写真集に入れたいと思っている。」
「では正道様、これから私はどう行動すれば…。」
「ひろみは先にホテルに帰っていてくれ。ここから先は僕1人で行動したいんだ。ホテルへ帰る道は分かるよね?」
「それは何となく把握していますが、しかし…、執事として正道様の、よ、夜遊びを、黙認するわけには…。」
 ひろみがおどおどと進言すると、正道はしれっとして言った。
「ひろみ、これは夜遊びじゃない。取材なんだ。立派な目的をかざして行くんだよ。」
 ひろみはその時、自分の浮かれた気持ちが、すうっと肌身に染みて冷めていくのを感じた。そして少し間を置いてから言った。
「―分かりました。では私はホテルで、正道様のお帰りをお待ちしています。」
「うん、そうしてほしい。」
 それから2人は運ばれてきたラーメンを、黙々と啜った。ひろみにとってそれは、生れて初めて食べる、本場の札幌ラーメンの味だったはずだが、気もそぞろで、正直じっくり味わうどころではなかった。そして特に会話もなく、淡々とラーメンを食べ終えると、2人は店を出て、正道は首を左右にキョロキョロと振ると、ひろみに確認を取るように言った。
「じゃあここで別れよう。札幌駅は、この道を右に曲がって、真っ直ぐ歩いていけば着くから。駅の場所さえ分かれば、宿泊先は駅前のホテルだから、もう場所は分かるだろう?」
「…はい。では正道様もお気をつけて。」
「ウン。行ってくる。」
 そして彼はひろみを振り返ることなく、何処か弾んだ様子で夜の町に消えていった。ひろみはそんな正道の後姿を、見失うまで見続けていた。
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