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正道とひろみは家を出て、意外にも華美ではない、質素な日本車に乗り込んだ。そして運転席に収まった正道の隣にひろみも座ると、素朴な疑問を正道に投げ掛けた。
「これからどこへ行くのでしょうか?」
「いい所だよ。―とても素敵な場所。」
そう言って正道はエンジンをかけると、速やかに車を動かし始めた。車は家を出て、やがて街中を走り始めた。正道はカーナビを見もせずに、車を右に左にと動かしてゆく。そしてひろみには、今自分が何処にいるのかさっぱり分からなくなった頃に、やがて線路沿いにずっと続いている、全く人気のない一本道に出て、車はすーっとそこを走っていった。
「…ここら辺に、素敵な場所が?」
ひろみは思わずそう言葉を漏らすと、その時正道はいきなりガタン!と、車を止めた。
「もしかしたらもう間に合わないかもしれない。ひろみ、僕についてきて。」
そう言うと正道はカメラバッグを片手に抱え、車を飛び出して、目の前に真っ直ぐ伸びている道を、猛烈なスピードで走り出した。ひろみも慌てて車から降りると、
「正道様、何処へ行かれるんですかっ?」
と叫びながら、必死に走って正道の後を追いかけ始めた。2人が全速力で走っていくと、やがて大きな陸橋が2人の前に迫ってきて、正道は駆け足でその陸橋を登っていき、ひろみもその後に続いてゆく。そして階段を上り終え、橋の中央まで走っていった正道は、やっとそこで足を止めてカメラを取り出し、パシャパシャと熱心に写真に撮り始めた。
日々やや運動不足気味のひろみは、すっかり息が上がってしまい、ヨロヨロになって何とか正道の側まで行くと、ぜいぜい息をしながら、正道が何に夢中になって写真を撮っているのかと、カメラが向けられた方角へ目をやりながら言った。
「正道様、一体何を撮っ…、うわあ!」
―ひろみはその時奇跡の光景を見た。
陸橋の下には8本の線路が走っており、丁度通勤ラッシュの時刻で何本もの列車が駅を通って、慌ただしく行き来をしていた。そしてその銀色の車体が、今前方から昇りゆく朝日の光に照らされて、取れたての青魚の腹のように、ぎらりぎらりと輝いていた。
そしてある瞬間。線路に電車が一斉に並んで、輝きを放ちながら、あるものは太陽に向かって、そしてあるものは反対方向に向かいながら、一気に走り始めたのである。
それは今、この瞬間にしか見る事のできない、太陽と列車が織りなす絶妙なコラボレーションだった。気が付くとひろみは、思わず正道に話し掛けていた。
「正道様、素晴らしい光景です。」
「うん、そうだろう?ほら。」
そう言って正道は、今までずっとカメラを構えていた姿勢をようやく元に戻して、そのデジタルカメラで捉えた写真の一枚を、ひろみに見せてくれた。それは写真に関してはずぶの素人であるひろみから見ても、素直に綺麗だと言える写真だった。
「…素敵な写真ですね。正道様はやっぱり、プロのカメラマンなんですね。」
「なんだ、ひろみは僕の言った事を信用していなかったの?
よし、写真は撮れた。ひろみ、この景色を見ながら、ここで朝食でも食べたらいいんじゃない?幸いこの陸橋はいつも、殆ど人通りがないから、気兼ねなく食べられるしね。」
「そうですか、ではお言葉に甘えて遠慮なく。丁度おなかも空いてきたことですし。」
「うん、そうしなよ。」
ひろみはまだ感動から冷めやらぬまま、ビルの隙間から昇りつつある太陽を眺めながら、ショルダーバッグに詰め込んだお弁当を取り出し、ナプキンにくるまれたサンドウイッチを、もしゃもしゃと食べ始めた。それか少しの間考えた後、ひろみはささやかなある告白をする事にした。
「正道様。」
「うん、何?」
「写真の事から、ちょっと話は変わるのですが。」
「別にいいよ。」
「実は私…、正道様のような、いわゆるボンボンと言われる人達に、多大な偏見を持ち続けていました。」
「ほう。」
「生まれた時から苦労もせずにお金を沢山持っていた人って、まあそれは親のお金なんですけれど、とにかく働く意味を知らないだろうし、だからこそお金の大切さの意味も、理解できないだろうと思っていたんです。私は、そんなボンボンが大嫌いでした。」
「おう、はっきり言うね。」
「私がこの仕事に就く事に決まった時、一番の心配事は仕事の事よりも、実は正道様の事でした。ボンボン嫌いの私が、正道様に好感を持てるかどうか自信がなかったんです。もしかしたらうまくやっていけないかもしれないと、心配もしていたし。」
「そうか。それで?」
「でも、何でしょう、正道様は私が想像していたボンボン像とは、何かが違う…。」
「それはいい意味で?」
「きっとそうだと思います。う~ん、でもまだ知り合って日が浅いですし、自分でもこの気持ちの正体を、うまく見極められずにいるのですけれど…。」
「そうか、まあ君に嫌われていないようだから、良かったよ。ひろみ、実を言うと僕もね…。いや、今言うのは止めておこう。
さて。朝食は食べ終わった?」
「あ、はい。とても美味しかったです。」
「それは良かった。じゃ、そろそろ家へ戻ろうか。」
「ええ、そうですね。ところで私はちゃんと、自分の役目を果たせたのでしょうか?」
「うん、もちろん。立派に僕の役に立つ小間使いだったよ。」
「…。私は執事です、正道様。」
そんな事を言い合いながら、2人は元来た道を引き返していったのだった。
「これからどこへ行くのでしょうか?」
「いい所だよ。―とても素敵な場所。」
そう言って正道はエンジンをかけると、速やかに車を動かし始めた。車は家を出て、やがて街中を走り始めた。正道はカーナビを見もせずに、車を右に左にと動かしてゆく。そしてひろみには、今自分が何処にいるのかさっぱり分からなくなった頃に、やがて線路沿いにずっと続いている、全く人気のない一本道に出て、車はすーっとそこを走っていった。
「…ここら辺に、素敵な場所が?」
ひろみは思わずそう言葉を漏らすと、その時正道はいきなりガタン!と、車を止めた。
「もしかしたらもう間に合わないかもしれない。ひろみ、僕についてきて。」
そう言うと正道はカメラバッグを片手に抱え、車を飛び出して、目の前に真っ直ぐ伸びている道を、猛烈なスピードで走り出した。ひろみも慌てて車から降りると、
「正道様、何処へ行かれるんですかっ?」
と叫びながら、必死に走って正道の後を追いかけ始めた。2人が全速力で走っていくと、やがて大きな陸橋が2人の前に迫ってきて、正道は駆け足でその陸橋を登っていき、ひろみもその後に続いてゆく。そして階段を上り終え、橋の中央まで走っていった正道は、やっとそこで足を止めてカメラを取り出し、パシャパシャと熱心に写真に撮り始めた。
日々やや運動不足気味のひろみは、すっかり息が上がってしまい、ヨロヨロになって何とか正道の側まで行くと、ぜいぜい息をしながら、正道が何に夢中になって写真を撮っているのかと、カメラが向けられた方角へ目をやりながら言った。
「正道様、一体何を撮っ…、うわあ!」
―ひろみはその時奇跡の光景を見た。
陸橋の下には8本の線路が走っており、丁度通勤ラッシュの時刻で何本もの列車が駅を通って、慌ただしく行き来をしていた。そしてその銀色の車体が、今前方から昇りゆく朝日の光に照らされて、取れたての青魚の腹のように、ぎらりぎらりと輝いていた。
そしてある瞬間。線路に電車が一斉に並んで、輝きを放ちながら、あるものは太陽に向かって、そしてあるものは反対方向に向かいながら、一気に走り始めたのである。
それは今、この瞬間にしか見る事のできない、太陽と列車が織りなす絶妙なコラボレーションだった。気が付くとひろみは、思わず正道に話し掛けていた。
「正道様、素晴らしい光景です。」
「うん、そうだろう?ほら。」
そう言って正道は、今までずっとカメラを構えていた姿勢をようやく元に戻して、そのデジタルカメラで捉えた写真の一枚を、ひろみに見せてくれた。それは写真に関してはずぶの素人であるひろみから見ても、素直に綺麗だと言える写真だった。
「…素敵な写真ですね。正道様はやっぱり、プロのカメラマンなんですね。」
「なんだ、ひろみは僕の言った事を信用していなかったの?
よし、写真は撮れた。ひろみ、この景色を見ながら、ここで朝食でも食べたらいいんじゃない?幸いこの陸橋はいつも、殆ど人通りがないから、気兼ねなく食べられるしね。」
「そうですか、ではお言葉に甘えて遠慮なく。丁度おなかも空いてきたことですし。」
「うん、そうしなよ。」
ひろみはまだ感動から冷めやらぬまま、ビルの隙間から昇りつつある太陽を眺めながら、ショルダーバッグに詰め込んだお弁当を取り出し、ナプキンにくるまれたサンドウイッチを、もしゃもしゃと食べ始めた。それか少しの間考えた後、ひろみはささやかなある告白をする事にした。
「正道様。」
「うん、何?」
「写真の事から、ちょっと話は変わるのですが。」
「別にいいよ。」
「実は私…、正道様のような、いわゆるボンボンと言われる人達に、多大な偏見を持ち続けていました。」
「ほう。」
「生まれた時から苦労もせずにお金を沢山持っていた人って、まあそれは親のお金なんですけれど、とにかく働く意味を知らないだろうし、だからこそお金の大切さの意味も、理解できないだろうと思っていたんです。私は、そんなボンボンが大嫌いでした。」
「おう、はっきり言うね。」
「私がこの仕事に就く事に決まった時、一番の心配事は仕事の事よりも、実は正道様の事でした。ボンボン嫌いの私が、正道様に好感を持てるかどうか自信がなかったんです。もしかしたらうまくやっていけないかもしれないと、心配もしていたし。」
「そうか。それで?」
「でも、何でしょう、正道様は私が想像していたボンボン像とは、何かが違う…。」
「それはいい意味で?」
「きっとそうだと思います。う~ん、でもまだ知り合って日が浅いですし、自分でもこの気持ちの正体を、うまく見極められずにいるのですけれど…。」
「そうか、まあ君に嫌われていないようだから、良かったよ。ひろみ、実を言うと僕もね…。いや、今言うのは止めておこう。
さて。朝食は食べ終わった?」
「あ、はい。とても美味しかったです。」
「それは良かった。じゃ、そろそろ家へ戻ろうか。」
「ええ、そうですね。ところで私はちゃんと、自分の役目を果たせたのでしょうか?」
「うん、もちろん。立派に僕の役に立つ小間使いだったよ。」
「…。私は執事です、正道様。」
そんな事を言い合いながら、2人は元来た道を引き返していったのだった。
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