ろくでなしでいいんです

桃青

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インドにて4 出会い、そして別れ

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 最後の日は、特に観光と焦ることもなく、コンノート・プレイスという、インドのおしゃれタウンをぐるぐると歩き回って過ごそうと考えていた。今ではすっかり使い慣れた地下鉄を使い、ラジヴ・チョーク駅に着くと、外に出た途端、インドにしては清潔感のある建物が、ぐるっと放射状に立ち並んでいる。しかしどうやら私は早く来すぎたらしい。どの店もまだ開いていず、やることがなくて途方に暮れていると、スーツ姿の、これこそインドと言いたくなるような濃い顔をした男の人が、
「ヘイ!」
 と言って私にずんずん近づいてきた。私は恐れおののき、棒立ちになって彼を見つめていると、
「どうしたんだ、道に迷ったのか?」
 と、親切にも訊ねてくる。私は素直に話すことにした。
「コンノート・プレイスでショッピングをしようと思ったんだけれど、まだ店が開いていないの」
「ショッピングがしたいんだな」
「そう」
「じゃあ、ついておいで。店に案内してあげよう」
「いや、あの、私は……」
「俺はこれから仕事で忙しい。だから君と一緒には行けないんだ。でもリクシャーの運転手に話をつけてやる」
「あのね、自分で何とかする……」
「運賃は十ルピーで話をつけよう。来なさい」
「ああもうっ、分かった。ありがとう」
 私はおそらく善意でそう言っているであろう彼の後に、なす術もなくついていくと、彼はてきぱきと運転手と言葉を交わして説明し、十ルピー、オーケーと言ってから、満面の笑顔で私を見つめる。初日からインドの人に振り回され続ける自分と、振り回す彼に多少うんざりしたが、リクシャーに乗り込むと、彼は爽やかに言った。
「楽しんでな!」
 そしてさっさと人混みの中へ消えてゆく。私の乗り込んだオートリクシャーは、行き先も分からないまま走り出した。リクシャーの運転手は、車をぶっ飛ばしながら叫ぶ。
「中国人か?」
「違う、ジャパニーズです」
「旅行できたのか?」
「そう」
「いつ帰るんだ?」
「今日の夜遅く、インドを出るの」
「そうか、それでお土産を買いたいんだな」
「そんなところ」
 そんな会話をしていると、たちまち車はUターンをして、店の前で車を止め、
「ここだよ」
 と運転手が言う。私は念を押すように聞いた。
「十ルピー?」
「イエス、十ルピー」
 こんなにリクシャーって安いんだと驚き、初日の出費は何だったのだろうと思いつつお金を払うと、車を降り、改めて店を眺めた。どうやって見てもそれは怪しいお店で、できることなら入りたくはなかったが、いや、これも勉強だと思い直し、私は店内に足を踏み入れた。
 中は工芸品で埋めつくされ、店員が次々に話し掛けてくる。イエス、イエス、と相槌を打ちつつ値段を確かめると、買えない値段ではないが、相場の二、三倍の値段がつけられていた。客も欧米人しかいず、しかも誰も商品を買おうとしていない。
(ローカルではなく、ちゃんと海外の観光客用の店って言うのがあるものなんだな。お金持ちなんだからこれくらい払え、って言われている気がするよ……)
 商売のしたたかさを感じながらざっと店内を見て、私は何も買わずに店を後にした。外に出ると盛んなリクシャーの声掛けが始まったが、無視して大通りを歩いてゆくと、脇道にリアルなインドの人の生活が垣間見え、興味をひかれた私は少しだけその中を歩いてみることにした。
(ここは根本から日本とは何もかも違う。こういう世界があって、世界中でもっともっと知らない別世界が存在しているはず。私は本当に世界のことなんか、何も分かっちゃいなかったんだ)
 艶やかなのにふんわりと柔らかい、濃密なアジアの空気を感じながらぶらぶらしていると、
「ヘイ」
 と声を掛けられた。振り返ると、ニキビ跡のある青年が私を見つめ、片手を上げている。
「はい」
 と生真面目に返事を返すと、彼は言った。
「どうしたんだ」
 私は返答に困ったが、少し考えてからこう言った。
「ちょっとここら辺を散歩している。これからコンノート・プレイスへ行こうとしているんだけど」
「こっちはコンノート・プレイスに行かない。それにここはローカルだから、来ない方がいい」
「分かった。じゃあ、ラジヴ・チョーク駅はどっちかな?」
「丁度俺も、今からそっちへ行くところだったんだ。だから案内するよ」
「本当? どうもありがとう」

 手招きをしながらゆったりと歩き始めた青年は、知り尽くしているだろう駅までの近道を歩いているようだ。犯罪に巻き込まれたらどうしようと思いつつも、彼は人が多くいる場所をするすると歩いていくので、いざとなれば周りの人に助けを求めればいいさ、助けてくれないかもしれないけど、と自虐しながら、全てを任せることに決めた。私一人では来ることのできなかった生活圏にどんどん入っていき、目新しい景色に思わず見とれてしまう。
(綺麗なサリーを着た女性がゆったりと歩いていて、ボロボロの住宅で洗濯物がたなびいていて……。何もかもがゆったりしている、この空気感。私は日本で、何に急かされて生きていたのだろう)
 青年は少しペースダウンして、私に話し掛けてきた。
「どこから来た、日本か?」
「そう、日本」
「結婚しているのか」
「していないけれど、彼氏がいて、その人との結婚について考えている途中」
「俺は結婚しない」
「なんで?」
「結婚すれば、妻と子供ができる。そうすると金を使うだろう。俺は金を使いたくないんだ」
「なるほど。それで幸せならいいけれど」
「仕事は何をしている?」
「何もしていない。親に頼って生活しているの」
「ふーん。じゃあ、コンノート・プレイスで何を買うつもりだ。欲しいものがあるのか」
「特にないけれど、色々な商品を見て楽しみたいの。買い物ってそういうものでしょ」
「そうかもしれない。君って面白いな」
「そう?」
「話していると楽しいよ」
「おー、そう」
 それほど長い時間ではなかったが、私と青年は、まるでインドの景色に溶け込んだみたいに、自然に色々なことを話した。インドのこと、日本のこと、家族のこと、政治のこと……。インドの人はオープンすぎる人と、やたら内気な人の二種類に分かれると、この旅で感じていたが、彼はそのどちらでもなかった。ちょっと珍しいタイプなのかもしれないと思っていると、私たちは地下道へ入っていき、彼は頭上をつんつんと指さして言った。
「この上がラジヴ・チョーク駅だよ」
「分かった。ありがとう」
 すると彼は照れ臭そうに笑ってから言った。
「俺と君は友達だ」
「友達」
「日本はいい国か?」
「それは簡単に答えるには難しい質問だと思う」
「俺も日本に行ってみたいな。そこでまた君と会ってみたい」
「そうだね、いつか。……じゃあ、私は行くね」
 そう言って私は階段をのぼり始めた。地上に出て、ふと後ろを振り返ると、青年はまだ私を見つめていた。その真剣な眼差しに、私の胸は苦しくなり、痛みのような切なさを覚えた。

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