ろくでなしでいいんです

桃青

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占い師のおことば

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 私は母から渡された一万円を財布に押し込んでバッグに入れ、モノトーンカラーの厚手のカーディガンを羽織って、外へ出た。少し風が強く、体に当たるひんやりとした空気が冬を予感させる。人通りの少ない寂しげな歩道をわざと歩きながら、ふと、自分が生きてくことを諦めることが、一番いい選択なのではないかという思いがよぎっていった。
(そうすれば苦悩も、苦しみも、悲しみも、辛さからも、全てから解放される、その存在が幻だったかのように)
 私は俯きがちだった顔をぐっと上げ、澄んだ空を眺めてから独り言を言った。
「でもなんか死にたくないんだよなあ、こんな人生でも」
 それから心の内で、私の夢、という言葉を連呼しながら、ショッピングセンターに向かって歩いていった。店に着くと、エスカレーターで五階まで上がって、雑貨屋を目指して歩いていき、その隣にお化け屋敷のような雰囲気が漂う、小さく構えた占いの店を見つけた。表には「占いの店、8」という、エキセントリックなフォントの怪しげな看板が掲げられ、こんなお店があったのかと思いながら、私はおそるおそる入り口のドアを開けた。
 店内は暗く、ホタルイカのようなブルーの光で満たされていた。受付の女の子までが青ざめて見え、かなり不気味だったが、勇気を振り絞り近づいていくと、彼女はニコッと愛想よく笑って、私に話し掛けてくれた。
「ご予約はお済みですか?」
「いえ、今回が初めてなのですが……」
「ではそちらに座ってお待ちください。順番が来たらお呼びしますので。失礼ですがお名前は?」
「も、森星子です」
 私がおたおたしながら受付をしている最中に、突然部屋の奥からうわあああと変な声が聞こえてきて、思わずびくっとした。すると私の様子を気にかけず、滔々と受付の女の子が説明を加えた。
「ただ今、デトックス中でございます」
「デトックス?」
「悪い気を、先生が体内から追い出しているのです。そのときにあんな声が」
「は、はあ」
 気付くと私はこの場から逃げ出したいような気分になっていた。けれどボロボロに泣き、ぼさぼさした髪型の女性が、奥の部屋からたどたどしく歩いてくると、直ちに私の名前が呼ばれた。
「森星子さん、森星子さん」
「は、ハイ、私です」
「どうぞ、このまま奥へ進んでください」
 もう逃げることはできないと観念した私は、通路を通り、五芒星のマークが書かれた暖簾をくぐって奥の部屋へ入ると、坊主頭の男性の後ろ姿が見えた。
「こちらへお座りくださあーい」
 と彼は言い、まるでオフィスの事務室みたいだなと思いながら、さらに中を進んで彼の真向かいのスツールに腰掛けた。占い師はゆっくりと顔を上げ、初めて私をまともに見据えて言った。
「占いに来たのですね」
「ええ、もちろん」
「何か悩みごとでも」
「そんなところです」
「そうですか。ではフルネームを漢字で、あと生年月日もこの紙に書いてください」
「はい」
 ときめきと不安を抱きつつ、名前と生年月日を書き込んで占い師に手渡すと、彼は紙を手に取って、
「ホウ、射手座だ」
 と感慨深げに言う。さらに言った。
「あなた、怒っているでしょ」
「いえ、そんなことは」
「理不尽なこの世に、怒っていますね?」
「ええと、まあ……、言われてみればそうかなあ」
「では今からパソコンでチャートを作りますので」
「ええ、パソコンで? 先生ご自身で作るのではなく?」
「私の知識なんかよりコンピューターの情報網の方が、遥かに優秀なのです。それでは結果が出るまで軽く話し合いましょう。何を知りたくてここへ来ましたか」
「ええと、ある男性との結婚話が出ていて……」
「はい」
「その人と結婚していいでしょうか。私は結婚生活をうまくやりこなし、幸せになれますか?」
「そうですねえ。じゃ、とりあえずその方の名前と生年月日も、紙に書いていただけますか。パソコンで相性診断をやりましょう」
「えっ、またパソコン」
「そうです。……ほう、彼は水瓶座。彼のどんなところが好きなのですか?」
「クールなところ、世の中を世界の外側から見ることができるところです。その視点はいつも私に落ち着きを与えてくれるし、冷静にもなれます」
「それは彼のせいというよりも、あなた方の相性のおかげでしょうね。射手座と水瓶座は、お互いに癒しを与えられる関係にあるんですよ」
「そうなんですか。それなら私も彼に癒しを与えていることに……?」
「その通りです。あなた方はとてもバランスのいいカップルです。今の時代を生き抜いていくために、重要な要素でもありますね」
「バランスのいいカップル。そんなこと思ったこともなかったです」
「……お、コンピューターが答えをはじき出しました。ふーむ。まず」
「はい」
「あなた、人気者ですね?」
「いえ、全く」
「ならば、人付き合いがうまい」
「今、人付き合いの仕方が分からなくて、引きこもりをやっています」
「ううむ、真っ向から自分の運命に逆らっているんだな。じゃ、ちょっと手の平を見せてください」
「あ、はい」
「うん、うんうんうん、やっぱり」
「?」
「あなたはね、元々とても運の強い人なのですよ。だが今は逆にその運に食われてしまって、酷い状況に陥っています。どうしたらいいのか、分からないことだらけでしょ?」
「その通りですけれど、運が強いっていいことじゃないのですか?」
「ええ、いいことです。あなたがそれに見合うなら」
「でも今の私は、運のパワーに負けている」
「そんなところです」
「なら、私はどうすればいいですか。どうすればなんというか、強くなれますか?」
「あなたの中で歯車がカチリと合って、パワーが満ちてくれば、溢れんばかりの幸せを享受することになるでしょう。それがあなたの場合必要なこと、強くなるためのキーポイントだと思いますが、具体的に何をすべきかと言えば、経験を積み重ねていくしかないでしょうね」
「経験。どんな?」
「手っ取り早い方法は、旅に出ることです」
「た、旅? そんなことで経験値が増えるんですか」
「あなたの場合はね。射手座はとても旅行と相性がいい。それから彼との結婚を考えているのなら、彼と一緒に旅するのもお勧めです。少し二人暮らしの生活を垣間見ることができて、結婚生活の自信にも繋がっていきますから」
「本題についてお聞きしたいんですけれど、私と彼の結婚は……」
「ああ、ハイ。コンピューターによれば、相性は八十パーセント。かなり良い方です。が、あなたが依存的な態度に出れば、結婚生活はあっさりと破綻します。つまりそれぞれに自立していることがとても大事なのです」
「彼と結婚しなかった場合、もう私に結婚のチャンスはありませんか」
「あります」
「えっ」
「この先二、三人の人と出会い、結婚することもできるでしょう。ただ、あなたを本当に幸せにしてくれるのは、今の彼だけです。彼はあなたの強運を生かし、かつ引き出してくれる能力を持ち合わせているのです」
「いいことづくしなんですね。幸せな人生を歩みたいのなら、彼と結婚すべきなのかな」
「あなたが強くなっていき、自立した女性になるのなら、それをお勧めしたいですね。それから言い足しておきますが、彼の場合あなた以外にも、結婚に最適な女性との縁が残されています」
「それって……浮気される可能性があるっていうこと?」
「あるやもしれません。あなたにうんざりして、他の女性に走り、離婚届を叩きつけて、別の人生を歩むかもしれない。でも根が誠実なので、よっぽどのことがない限りそういう行動には出ませんよ。それからあなたと別れたいと思ったときには、あっさりと別れていく人であることを、憶えていてください」
「はい。結局幸せになるのは私次第ですね。自分で努力し、つかみ取るしかない」
「まさにその通りです。ありきたりな結論に落ち着きましたが」
 そう言うと、俯きがちだった占い師はゆっくりと顔を上げ、坊主頭をピカリと輝かせて微笑みながら、私の顔を見つめたのだった。

 占いが終わり、私は占い師に礼を言い、頭を下げてから再び暖簾をくぐった。外の発光する幻想的な世界がぎりぎりと目に染みる。落ち着いて見れば、どこか不気味に感じていた受付の女の子も、瞳の美しい若くて普通の人だった。私は言われた通りに料金を払って、店の外へ出て現実の世界に戻り、エスカレーターを使って下へ降り始めた。
(想像していたよりいい話が聞けた気がする。コンピューターを駆使する理論的な人だったから、胡散臭さも薄らいでいたし)
 そう思いながら私の思考はさらに深い方へ走り出した。
(幸せになるためのラストチャンス、それが順くんとの結婚なのか。私だってもちろん幸せになりたいよ。でも私が努力しないと、彼はあっさりと離れていってしまうという)
 次の言葉を、私は思わず声に出して言ってしまった。
「で、自分を成長させるためには旅に出ろと?」
 周囲には誰もいなかったが、私は咳払いをして、怪しく思われないために再び心の声で考え始めた。
(旅、旅、旅。旅ってどんな旅よ? そこのところをもうちょっと詳しく聞いておくんだったなあ。それとも自立心を養うためには、自分で考えて答えを出さないといけないのかしら?)
 一階に着いた私は、目の前にある扉を開き、外へ出ていって、人通りを避けて静かな道を歩き始めた。
(一人旅なんて一度もしたことがないし、最初から大きな旅に出るのも無理だと思う。まずは日帰りから試してみて……。順くんとの約束の日まで、四捨五入すればほぼ三か月。もう、もたもたなんかしていられない!)
 私はまた声に出して、今度ははっきりと言った。
「旅だ。旅に出よう」
 私の頭の中ではすでに、旅の様々なプランが駆け巡りはじめていた。

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