ろくでなしでいいんです

桃青

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5.

とりあえず花嫁修業

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「星子、ちょっと来なさい」
「何?」
「あなたに話があるわ。お茶でも飲みながら話さない?」
「……」
 ある日の昼過ぎ、部屋に籠っていた私を母がティータイムに誘った。順の衝撃的な発言から一週間を過ぎたころだ。母はティータイムと称して、自分の不満や言いたいことをぼんぼん私にぶつけることを日課としていたが、いつもは難癖をつけて逃げる私も、今日はこの場を借りて母に聞いてみたいことがあった。私は沈黙してリビングに向かい、静かに着席すると、母は投げやりな感じでぼとぼとと安物のお菓子と、色のちゃんと出ていない紅茶の入ったマグカップを置き、はあああああと意味深な溜め息をついてから、着席して言った。
「星子」
「はい」
「あなた最低よ」
「分かっているよ」
「分かっているよ? 分かっていないから働かないのよ。子供を産んで、母親になって、専業主婦になって働かないのならまだ分かるけれど、」
「お母さん」
「は?」
「陣痛って痛い?」
「……。はっ、あなたまさか、」
「いや、子供はできていない。ただ聞いてみたかっただけです」
「そんなもの痛いに決まっているわよ。何キロもあるものを産み落とすところを想像してみなさいよ、分かるでしょう」
「なら家事で何が一番大変?」
「あなたらしくない前向きな質問ね。全部大変よ、家事には終わりがないからね。でも私が何よりも嫌いなのは、料理とトイレ掃除だわ」
「私、家事をやってみようかな」
「何を突然。私が今やっていることをあなたが全部やるわけ?」
「うん、そう」
「私のやることがなくなるじゃない」
「趣味でもやったら」
「シュミ? 趣味ですって? あなたなんでそんなことを急に言い出したの」
「……」
「これは何かある……。きっと宮島くんが……、はあっ!」
「なによ」
「あっ、あなた、まさか、彼にプロ、プロポーズをされたんじゃ……」
「言いたくない」
「されたのね? されたんだわ! 大変、大変よ!」
「やめてよ、お母さん」
「なら、いつ? いつ結婚するの? 宮島くんのご両親にいつご挨拶を……」
「まだ話が決まったわけじゃないし、おそらく三か月は結論が出せない。結婚しないかもしれないし、」
「結婚しなさい! 絶対に、彼を、逃しては駄目ッ!」
「私の人生だから私が決める」
「何を言っているのよ、これはお母さんの人生にも、深く関係のあることなんです。宮島くんもこの子のどこがいいんだか知らないけれどね、」
「ね、話を戻すけど、家事の件」
「バンバン花嫁修業なさい! 彼から見捨てられないような凄い技を身につけて、さっさと嫁に行きなさい! 分かった?」
「やらせてくれるんだね。なら今日からやってみる」
「お母さんも協力を惜しみませんから。あと夫の操縦法なんかも伝授してあげます」
「私は何でも自己流でやるのが、好きなんだけれどね」

 それから私の、引きこもり花嫁修業が始まった。料理は今までずっとやっていたから慣れていたが、いざ全ての家事をやってみようとすると、統合性というものがいかに大事かということにすぐ気づいた。
 食事をするたびに洗い物の山ができること、三日もすれば洗濯物が籠から溢れ出すこと、毎日やらなければならない風呂掃除なんかに、最初はうんざりしたし、ぐったりもした。父は特に家事に対する理解が浅く、ようやく片付けた後に、子供のように散らかしたり、洗い物を増やしたりするので、イライラを溜め込み始めた私は、みるみるうちに高血圧になっていくような気がしたものだ。そこでふと思った。
(どうせやらなければならないのなら、楽しくできる方がいいよね。家事に対するアイデアを練るのはどうだろうか? 楽しそうだし、思いつきを生かせば仕事もはかどる。一石二鳥じゃないか)
 そこで改めてこの家の有様をじっと見つめ、私はコーディネーターになった気分で、家の改造に凝りだした。
 とっかかりは小さなことから始めた。ふと、食器用のスポンジを、高いものに変えてみたらどうだろうと思いつき、三百円もするものを買って食器を洗ってみたら、あっという間に汚れが落ち、食器洗いが楽しくなって、私はたちまちご満悦になった。さらにリサイクルショップに行っては、掘り出し物を見つけて部屋をかっこよくするのが趣味になった。特に千円で買った赤いオーブントースターはお気に入りで、いつまでも綺麗に使いたいから、そのための工夫を自然と考えるようになる。ピカピカの可愛いオーブントースターを眺めるだけで、私は幸福な気持ちになれた。
(家事はなんとか行けるんじゃないの? 私)
 日が経つにつれ、段々そう思えるようになっていった。主婦の仕事を楽しめるような気がしてきた。
(ただ私の最大のネックは、仕事よりも人付き合いなんだ。家事はすべて一人でやればいいことだから、私にもできた。でも子育てはどうだろう? 子供の成長を見守り、社会的に結びついていかなければならない。私の一番不得意な分野だ……)
 世の中で人に揉まれ、傷ついたり落ち込んだりすることを想像しては、深くため息をついた。孤独は人間の本質に逆らうことで、さみしく不健全なものだが、他者に頭ごなしに自己否定されるくらいなら、一人でいる方がましだった。今までの私の人付き合いは、常に自虐的な関係の上で成立していて、私と母の関係はまさにその象徴だった。どこをどうやったら私は人付き合いを楽しめるのか、今の私には全くその方法が分からないでいた。

「星子、星子」
「……何、お母さん。今から私は部屋で休むつもりだけど」
「あなたはやるべきことがあるわ」
「家事は全部やりました」
「違う、違うのよ。今まさにあなたがやるべきことで、お母さんも昔やったことなの」
「何の話?」
「占いよ」
「は、」
「お母さんはね、お父さんと結婚する前に占い師に占ってもらったの。その答えを聞いて結婚を決めたのよ」
「そう」
「だからあなたも占ってもらいなさい」
「どこで」
「今から私が連れていってあげます!」
「ノーセンキュー」
「あなた、悩みの塊でしょう」
「……」
「どうしたらいいか分からないことってない?」
「……」
「そういう時にこそ、占いなのよ。きっとあなたを正しい方向へ導いてくれるわ」
「余計変な方向へ向かう気がするんだけれども……。で、その占いとやらにお母さんがついてくるの?」
「ええ、そうよ。私もいろいろ占い師からアドバイスを聞きたいわ~」
「やめとく。私、行かない」
「場所はね、ショッピングセンター、メイコーの五階。雑貨屋さんの手前にあります」
「だから行かないって」
「頑固ねえ、なら私も譲歩します。お母さんは行きません。それからあなたに一万円プレゼントするわ。そのお金でまず占ってもらってから、あとは好きに使っていいわよ。残りであなたがずっと欲しがっていたCDが買えるんじゃないかしら」
「……。あのさ」
「まだ文句があるの」
「本当のことを言うと、私、占いが怖いの」
「なんでよ。変わった子ね、大抵の女性はみんな占いが好きじゃない」
「だって……、もし悪いことを言われたらどうするの。この結婚はうまくいかないとか、私の未来は真っ暗だとか。暗くなってなかなか立ち直れないよ」
「聞き流しなさい」
「聞き流せないって。言葉の傷は簡単には治せない、私の場合」
「それならどうしたら悪運から逃れられるのか、占い師に聞いたらいいじゃないの」
「なるほど、そうか」
「お母さんはね、順序正しく色々な経験を積んできましたからね、あなたよりずっと賢いのです」
「分かった。それなら今から行ってみる。ところでどうしてこの占い師を知っているの?」
「あることを占ってもらったことがあるから」
「あること?」
「ロトの当選番号を予測してもらったの」
「はあ。それで少しでも当たった?」
「全部外れた」
「……。大丈夫かな、この占い師は」

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