ろくでなしでいいんです

桃青

文字の大きさ
上 下
2 / 22
1.

家族風景1

しおりを挟む

「星子、星子」
 母がドンドンとドアを叩く。私は開いただけで全く読んでいなかった本を閉じてから、ドアを開けた。
「何?」
「今から買い物に行くの。だからあなたも来て」
「いやだ。お父さんと行けばいい」
「お父さんがどこかに出かけちゃったから、こうやってあなたに頼んでいるのよ。それに買い物をすれば、あなたにも家事手伝いっていう名目がつくじゃない」
「そう。……分かった」
「なあに、あなたの格好。そのままの格好でこないでよ、うらぶれた感じがしていやだわ。ちゃんと着替えて」
「……」
「分かったんでしょうね」
「ちょっと待ってて」
 私はそう言うとドアをばたんと閉め、五年もはき続けているジーンズとオーバーサイズのパーカーを着て、再び出ていった。母はそんな私をちらりと見て、無言のまま玄関へ行き、私も黙って母の後についていった。
 外に出ると、色づき始めた木の葉が鮮やかだ。秋だ、と私は小さく心で叫んだ。もうすぐ私の誕生日が来る。この高い空と実りの季節に生まれたんだ。私はなんの実りももたらさない人間だけど……。
「あら、森さん? 森さんなの?」
 通りすがりの女性が立ち止まって、眼鏡を押し上げながら私たちに声を掛けた。母は大げさに驚き、声を上げた。
「まあ、竹山さ~ん! お久しぶりぃ」
「ほんと久しぶりね。こちらはお嬢さん?」
「そうなのよ。ちょっと買い物に付き合ってもらおうと思って」
「いいわねえ。うちの息子なんか家を出てからろくに顔も見せやしないわ。一緒にお出かけなんてやっぱり女の子はいいわよね」
「そんなことないわよ。いつ結婚するのかって気が気じゃないもの。早くお嫁に行ってほしいわあ」
「あら、そうなの。ならうちの息子と見合いでも……」
「それがねえ、この子恋人がいるのよ」
「まあ、いいわねえ」
「でもなかなかゴールインしてくれなくって。やきもきしているんだけどお、親としては」
 それから竹山さんとの会話は、私の存在を無視してしばらく続いたが、ようやく話が終わってから私は言った。
「お母さん」
「何よ、そんな暗い声で話しかけないで」
「私と順くんの関係を、そんな風に言い広めないでほしい」
「私が嘘でもついたっていうの。付き合っているのは隠し立てするようなことじゃないでしょう。別にいいじゃない」
「私たちの微妙な関係を、お母さんの見栄を張るために利用しないで。そういう風に思いやれないところが、とてもイヤなの」
「……。あなた、今どうして生きていられるの」
「?」
「私が家事をして、お金を出してご飯を食べさせているから、生きているのよ」
「まるで囚人みたいに」
「囚人だか何だか知らないけどね、あなたは私にものを言える立場でないのよ。悔しかったら働いてみなさいよ。……私がイヤですって? それはこっちのセリフよ、私だってあなたにうんざりしているわ! あなたがこねる理屈なんて全部絵空事。そんなもの聞く気もないし、従う必要もないわ」
「お母さんも今までの人生を絵空事の中で生きてきたんだよ。親子だから似ちゃったんだね」
「ああ、もうたくさん。やめましょう。本当に早くあなたが家から出ていってくれればいいのに。行くわよ」
「……」
 それから私たちはひび割れた関係のまま、スーパーマーケットへ向かった。

 買い物をして家へ帰ってくると、私は食材を一通り見てから夕食の支度を始めた。母は料理が大の苦手だったが、私は料理が大好きで、今の私が家庭で唯一平和に両親と向き合い、交流できるのが、私の手料理で食事をするときだった。母は料理をしなくて済むので、あえて文句を言わなかったし、仕事を定年退職して、居場所を失くしたようにあちこちをぶらぶらしている父も、崩壊しかけた家庭に穏やかな時間が流れる食事の時だけは、顔を出して団らんに加わった。
「……今日は麦ご飯を炊いて、それに合うおかずを作ってみるか」
 私はぼそぼそ独り言を言いつつ、野菜を台に並べ、肉を冷蔵庫から取り出して料理を始めた。
 何かを焼いたり、煮たりする間に少し生まれる空白な時間に、私の頭の中では様々な思いがよみがえってくる。子供のころ、私は自分のまっとうな将来を、疑うことなんてなかった。結婚して子供を作り、幸せな家庭を築き上げ、幸せに生きて人生に満足し、そっと死んでゆく。そう生きていくのだと思っていた。それがどうだ。大人になった私は毎日母と殺し合うような会話をしては、ずたずたに傷つき、自分の未来を否定し、幸せなんて分かるはずがないと思っている。己の人生とは認めたくない道を、いつしか歩んでいた。こんなの、人が生きる道じゃない。人生ってこういうものじゃない。じっと見つめていた鍋が涙で霞んだ。誰にも見られないように台所の片隅で私はひっそり泣いた。この涙は自分のためだけのものじゃなかった。世界を覆いつつある悲劇と連鎖して、その重みにうずくまりながら、溢れ出る涙はとどまることを知らない。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ぼくはヒューマノイド

桃青
現代文学
自分は人間だと思っていたのに、実はロボットだった……。人間になれないロボットの心の葛藤が、固めに、やや哲学的に語られていきます。SF色は強くなく、純粋で真摯な話です。ほぼ朝にアップします。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

【完結】雨上がり、後悔を抱く

私雨
ライト文芸
 夏休みの最終週、海外から日本へ帰国した田仲雄己(たなか ゆうき)。彼は雨之島(あまのじま)という離島に住んでいる。  雄己を真っ先に出迎えてくれたのは彼の幼馴染、山口夏海(やまぐち なつみ)だった。彼女が確実におかしくなっていることに、誰も気づいていない。  雨之島では、とある迷信が昔から吹聴されている。それは、雨に濡れたら狂ってしまうということ。  『信じる』彼と『信じない』彼女――  果たして、誰が正しいのだろうか……?  これは、『しなかったこと』を後悔する人たちの切ない物語。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

Bo★ccia!!―アィラビュー×コザィラビュー*

gaction9969
ライト文芸
 ゴッドオブスポーツ=ボッチャ!!  ボッチャとはッ!! 白き的球を狙いて自らの手球を投擲し、相手よりも近づけた方が勝利を得るというッ!! 年齢人種性別、そして障害者/健常者の区別なく、この地球の重力を背負いし人間すべてに平等たる、完全なる球技なのであるッ!!  そしてこの物語はッ!! 人智を超えた究極競技「デフィニティボッチャ」に青春を捧げた、五人の青年のッ!! 愛と希望のヒューマンドラマであるッ!!

甘い幻親痛

相間つくし
現代文学
人間関係を煩わしく思い、できるだけ避けて生きてきた秦海優梨(はたみゆり)が数ヶ月の間に経験する、地味でいて衝撃的、退屈であり刺激的、ありふれていてここにしかない、そんな日常のお話。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

処理中です...