おんなのこ

桃青

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38.未来へ

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 ナツは他人事ながら、胸に強く痛みを感じた。西崎さんは自分の存在を忘れたように、大泣きをしている。その様子を見てぼんやりと、これが男泣きというものか、と思った。とても複雑な気持ちだった。たぶん彼女だった、リコさんというすでに亡くなってしまった女性は、この彼の姿を見て、どう思うだろう。自分だったら、きっとすぐ食べるだろう。ダイエット中でも、六十五キロあろうとも、食べる。食べてみせる。西崎さんを安心させたいから。笑顔になってほしいから。彼が笑ってくれれば、幸せだから。つまり、美味しいねって、言い合いたいから。その気持ちを共有したい、から。

 どうして差し出された幸福行きのチケットを、自ら払いのけるような真似をしてしまったのだろうか。不幸になりたいから? そんな人、世界中探しても、いないと思うけれどな。

 ナツは自分すら泣きたい気持ちになってきた。今日の彼の異常な大食いは、全てリコさんのために捧げられた、供養の儀式だった。無意味に思えた自虐は、深い懺悔の気持ちから生まれたものだったのだ。
 その彼女は。
 もうこの世にはいない。
 号泣から立ち直りつつある西崎さんを見たナツは、ようやく彼に話しかけてもいいのかも、と思った。静かに海を眺め出した彼の隣で、ナツは言った。
「リコさんって言うんですか、彼女の名前」
「……」
「何だか、頭の良さそうな名前です」
「そう……ですね。結構偏差値の高い女子大に行っていました」
 やっと普通に喋れるようになった西崎さんとナツは、自然に見つめ合い、自然に微笑みあった。それは嬉しくて笑うのではなく、前を見つめるための、決意の笑いだった。西崎さんはぼそりと言った。
「すっきりしました。そんな、気がします」
「そうですか。よかった」
「ごめんなさい。変なお出掛けになりましたね。楽しいことは何もなく、僕の変な行動に付き合わせて、」
「とても有意義なお出掛けだったんじゃないですか。それならそれで、満足です」
 ナツは心から素直にそう思っていた。何かを浄化したいなら、海がいい。何かを解放したい時も、海の力は役に立つ。
(これで西崎さんが立ち直れるといいな)
 そう思ったとき、フッと左手に温かいものを感じた。彼が、ナツの手をぎゅっと握っていた。軽く緊張が走って、ナツは隣にいる西崎さんをまともに見ることができなくなる。ドキドキする。ときめいてしまう。彼は痛い思いを抱えていて、それなのに今の私の心ときたら、まるで正反対。罪な女、と心で呟きつつ、無理矢理彼の様子を窺うと、彼の表情も硬くなっていた。
 彼の望みと私の望みが重なった時―。その先にあるものは何?
(未来だ)
 ナツは心の中で答えた。西崎さんは、ナツに手を重ねたまま、ぽつりと言った。
「ナツさん、どこか行きたい所はないですか?」
「え」
「僕、今とてもまともなことがしたいです。時間も時間だし……。今日、変なことに付き合わせた埋め合わせに、あと一か所だけ、どこかへ行きましょう、ナツさんの行きたい所へ。どこがいいですか? 」
「なら、夜景」
「夜景? 」
「暗くなってきたし、人間の営みを、光を通して眺めるってどうでしょう」
「人間の営みか。いいですね。駅ビルの屋上から眺められるんじゃないかな」
「なら、駅へ戻る? 」
「うん、そうしよう」
 二人は砂浜を歩きながら、互いに繋いだ手を離そうとしなかった。新しい何かが、スタートした瞬間だった。
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