ネコと寄り道

桃青

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そして、ラストシーン

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 三人が早々とネコの寄り道を去ったあと、岬はあちこちを見て回り、せっせと後片付けを始めた。それから外出して自分の朝食を買いに行き、戻ってくるとミチにフードと水を与え、待合室に腰掛けて、自分も簡素な朝食をとりはじめた。
「ミチ、夕利さんが家に帰れてよかったね」
「ニャ」
「ま、これから先の彼女の人生は未知の世界。どうなっていくかは分からないんだけれども」
「フミャッ」
「……それにしてもネコを飼うなんて解決策、私には全然思い浮かばなかった。きっと、頭の固い大人だから」
「……」
「ミチのことが好きになったからこそ、考えついた答えであり、おまえのパワーの凄さを改めて知った感じだね。褒めているんだよ、ミチ」
「……」
「君はごはんに夢中で、私の話を全然聞いていないね」
 ミチが無言ではむはむと熱心に食事する姿を眺め、思わずにっこりした岬はふと時計に目をやり、ぽつりと言った。
「八時を過ぎたな。そろそろ川崎先生がやってくるか」
 時間つぶしに診察室に入って、自分の担当する人のカルテを何となく眺めていると、ミチのフギャーッという叫びと、なんだなんだと奇声を発する川崎先生の声が聞こえて、診察室のドアがバタンと開いた。
「高野さん、まさか家に帰らなかったの?」
「はい。結局そういうことになりました」
「どういう経緯で? そこを簡単に説明してほしい」
 そこで岬がこんなことがあり、ああいうこともあってと、滔々と出来事を説明していった。難しい顔をして聞いていた川崎先生はふうと溜め息をつき、苦笑して言った。
「なんだかんだでお人好しだね、高野さん」
「そうかもしれないです。私の独断と偏見でこの場所を使ってしまい、大変申し訳なく、」
「まあ、いいよ。ただしょっちゅうそんなことをされては困る。ネコの寄り道はそういう活動をする所ではないんだから」
「はい」
「でも貴重な体験をしたね。僕もこの相談所のスタンスを、改まって考え直さないといけないな。行き場のない人、特に子供たちを一時的に預かってくれる場所、もしくは団体とコネクションを作っておく必要がありそうだ」
「それは切に、先生にお願いしたい。夕利さんは特別な例外ではありません」
「僕もそう思うよ」
「あと、おまけにもう一つ報告したいことが」
「なんだい」
「私は、川本さんとデートをします」
「ホウ。なんでそれを僕に言うの」
「川本さんの気持ちを先生は知っているし、だからこそ結果を伝える義務が」
「はは、ハハハハハ、義務かどうかは分からないけれど、確かに気にはなっていたんだ。そうか、よかったね」
「行く末は謎に包まれていますが」
「だからこそ人生は楽しいんだよ。さて、そろそろ時間だ。お互いに仕事を始めようか」
「ええ」
 そして岬は軽く頭を下げて診察室を出ると、室内を楽しそうにぶらぶらしているミチをひっつかまえて、事務室に入った。時計を睨みながらコーヒーを作り、コーヒーを啜りながら昨日の思い出に浸っていたとき、和子の声で我に返った。
「あれー。岬が一番乗りなの? 珍しいわ」
「一番乗りとはちょっと違う」
「……。まさか一晩中ここにいたんじゃ」
「うん、そう。他に川本さんと夕利さんと木村くんも」
「そんなメンツが勢揃いしたの? で、結局夕利さんはどうしたのよ」
「今のところ家に帰りました。自分なりに問題に対する答えを出して」
「はー。メンタル強化合宿って感じだったのかしら。ま、よかったね」
「フフフ、和子らしい面白い表現」
「でも川崎先生は怒ったんじゃない? だってここはそういう場所じゃないでしょ」
「お察しの通り、怒りはしなかったけれど、そういうことはしないでほしいと」
「そりゃそうだ。で、何か面白い出来事とかなかった?」
「ええと。それが実は、」
「うんうん」
「川本さんと、」
「ん?」
「デートらしきものをする約束を」
「まぁ。岬とは一晩を共にした仲だもんね」
「その言葉は誤解を生む」
 そこへ夏がひらりと事務室に入ってきて、二人の元にやってくると、楽しげに声を掛けた。
「ね、何の話をしているの?」
「夏、あのね、岬と川本さんができちゃったんだって」
「エッ、えええっ?!」
「和子、いちいち怪しまれる言い方を。ただデートする約束をしただけで、それ以上のことは何も起きていない」
「そうなのね。なんだ、つまらないなー」
「二人とも私のことを応援しているの、それとも槍玉にあげようとしているの」
「正直に言うと、どっちもだね」
「そうそう。一筋縄じゃいかないのが、私たち相談員の性ってもんよ」
「人がしばらく振りのデートで不安でいるのに」
 すると和子は悩ましげな岬の肩をポンポンと叩いて言った。
「デートがうまく行こうが行くまいが、一つの結果が出るに違いないんだから、心配しなさんな。その答えを知りにいくと思えばいいんだからね」

 ネコの寄り道はそれから通常通りに動き始めた。始業時刻になると、それぞれ相談者の言葉に耳を傾け、彼らが彼ら自身の答えに辿り着く様子を見守り、時として気付かれないよう、小さく手を差し伸べた。岬はこの世は問題だらけであるという考えに、何度も支配されそうになった。でも問題という定義も、その答えという定義も、永遠ではなく幻に過ぎないということも分かっていた。事実幸福というものは曖昧さの中で漂うものだ。それを発見し捕まえる技を、人は磨かなくてはならない。それは決して特別な技量ではなく、誰にでもできることだと岬は思う。

 その日の仕事を終え、夜にミチの入ったバッグをぶら下げて家へ帰ってくると、岬はいつも通りに机に弁当を置き、ミチを解放して、自分の部屋へ着替えに行った。そして部屋着姿でテーブルの前にドシンと腰を下ろすと、ノンアルコールビールを片手に、しばらくぼーっと何も見えない窓の外を見ていた。が、突然携帯のベルが鳴り響いて、誰だろうと不審に思いながら電話に出た。
「はい」
「あっ、あ、あの、僕は、川本と言います」
「ああはい、川本さん。こんばんは」
「こんばんは! 今少しお話をしてもいいですか?」
「どうぞ」
「岬さんは、僕とデートの約束をしたことをお忘れでない……?」
「もちろん」
「ではお聞きしますが、好きな食べ物は何ですか?」
「? サイダー」
「さ、さっ、サイダー? どうしよう。じゃあ好きなスポットは?」
「目新しいものだったら何でも好きだけれど……。とりあえず、水族館かな」
「ふんふん、水族館ですね。では都会と自然―」
「あの、川本さん」
「はいっ」
「こういう話はデートの時にして、二人で決めていけばいいじゃないですか」
「えっ、そうですか? でもここは男として、デートをリード、」
「そんなにかしこまらないで。それじゃデートが楽しくなくなりますよ。全てを決めず、行き当たりばったりで緩くいく方が、私は好きなんです」
「確かに、言われてみるとその方がいい気がする。岬さんの言葉、心にしみるな~」
「ところで夕利さんはどうなりましたか」
「ああ、家出から家へ連れ帰ったときは、ちょっとした騒動でしたよ。もう、ご両親は不満の塊で、マグマが爆発寸前って感じでした。間違いなく僕は家庭教師を首になると思ったな」
「そう」
「でも、夕利が僕をかばってくれて。それから夕利は驚くほど変わりました」
「ほう」
「自分の考えや意見を、僕にはもちろん、両親にもバシバシ言うようになったんです。きっと何かが吹っ切れたんでしょうね」
「そう」
「あと知り合いから子猫を譲り受けるそうですよ。ミライって名前をつけるの、って、夕利は嬉しそうに言っていました」
「ふふ、未来ですか。いい名前」
「岬さん、今自分は幸福な気分です。岬さんと話していると、なんだろう、幸せになりますね。だからいつも思います。逆に僕と話していて、岬さんは幸せなのだろうかと」
「幸せというのか分からないけれど」
「はい」
「川本さんと話していると、私はずっと話していたいと思う。これがもしかして幸福?」
「僕にはその答えで十分です。そうか、よし。やった。じゃ、デートの日にちを決めたら、また電話しますんで」
「はい」
 そこで川本さんからの電話が切れた。岬は携帯を机の上に置き、その画面を眺めていると思わず笑みがこぼれた。そして再び食事をとりはじめ、自分の未来について思いを馳せた。
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