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前説
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その時、家のドアをコンコンと誰かが叩きました。依頼人が来るにはちょっと早いなと思って、ドアを開けると、そこには細身で人の良さそうな中年女性が、笑顔で立っていました。私は言いました。
「ハルさんではないですか」
「トイ。元気にしてる? 」
「私は普通です。ハルさんは? 」
「私の答えもあなたと同じよ。ね、百円の実のパイを焼いたの。トイも食べるかと思って、持ってきたのだけど」
「それはありがとう。家に上がりますか? 依頼人が来るまでしか、話はできませんけど」
「なら、そうさせてもらうわ。お茶を淹れるわね」
「もう入っています。私がつぎますから、椅子に座って待っていてください」
「あらそう? 」
ハルさんはキョロキョロあたりを見回して、そわそわした様子で椅子に腰掛けました。彼女は私が持ってきたお皿に、丁寧にパイを並べつつ、我慢できないといった感じで喋りだしました。
「お父さんとお母さんには、会っているの? 」
「いえ、全く。会ってもメリットが何もないので」
「メリット? 会えばご両親が安心するわ。それってメリットじゃない? 」
「……。そうかも」
ハルさんは頬杖をついて、窓の外に目をやりながら言いました。
「なんだか思い出すわ。トイが捨て猫みたいだったあの日のことを」
「……」
「台風の日の夜に、私はあなたと出会ったのよね」
「正直、その時のことはあまり思い出したくないです」
「……そう。なら話すのをよすわ。でも、あのころからトイも、随分と立派になった」
「世話焼きおばさんのおかげで。はい、薬草茶」
「アハハ、それって私のこと? 世話を焼いたつもりはないんだけれど。ほら、トイ、パイを食べなさい」
「自覚がないところが、空恐ろしい」
私たちは微笑みあって、それぞれにパイをほおばりました。百円の実の甘酸っぱさがピリリと効いて、ワイルドさが感じられる素敵なお味。満たされた様子で薬草茶をゆったりと飲んでいたハルさんは、ふと我に返り言いました。
「この、薬草師の仕事は順調? 」
「ええ、お金に困ることもなく―。ただ最近気になっていることがあるんです。確実に、依頼人が増えているんですよ」
「それは、商売繁盛で良いことじゃないの? 」
「ううん、商売的にはそう言えるかもしれませんが、それは、体にも、心にも、悩みを持っている人が増えているということ」
「はっ、そう言われてみれば。この間、家の庭先にいる、お花の妖精さんとおしゃべりをしたのね」
「誰とでも仲良くなるんですね」
「そうしたら、気になることを言っていたわ。近頃ある種の草が、よく枯れているんですって」
「草、ですか」
「植物の状態って、私たちの体や精神的な疲れの、写し鏡だったりするじゃない? だからなんだか心配になってね」
「ならば逆に、ある種の草がやけにはびこっている、という噂は聞きませんでしたか? 」
「そこまでは聞いてないわ~。どういうこと? 」
「植物はそれぞれに耐性があります。負の気に敏感な植物もあれば、逆に強い植物もあるのです。だから植生を見れば、そこに住む人々の心と体の状態が分かると言っても、言い過ぎでないと思います」
「ふ~ん。そう言われてみると、ここ数年、やけにリンゴ草が家の庭にはびこってね。私が子供の頃には、あまり見かけない植物だったのだけれど」
「リンゴ草は外来種と言われています。つまり、もとは別の世界の草だったと―。そう考えられているのです」
「まぁ。ならどうやって、この『おとぎの世界』へやってきたのかしら」
「どこかで、別の世界との行き来があったのでしょうね。その時に紛れ込んだとしか、考えられません」
「この私たちが暮らす『おとぎの世界』は、変わりつつあるのかしらね」
「なぜ、そんなことを思うのですか? 」
「変化が起きようとしているから、色々なことで悩む人が増えているのかもしれない。ふと、そんな風に思ったのよ」
「なるほど。でも私がやることはシンプルです」
「シンプル? 」
「自分にできることをするだけです」
「あら、依頼人の方が来たみたい。そろそろ私は帰ることにするわね。トイ、あなたの言う通りよ。人は自分にできることをするのが、間違いのない人生の歩み方だわ。ただ―。自分にできることって、流動的なもの……、常に変化していくものかもしれないけどね」
「ええ、確かに形にはめることはできない」
私に爽やかに笑いかけたハルさんは、小さく手を振ってから、そそくさと私の家を出ていきました。その直後にドアから入ってきたもの―。
それは依頼人の怪獣……ではなく、ドラゴンでした。
「ハルさんではないですか」
「トイ。元気にしてる? 」
「私は普通です。ハルさんは? 」
「私の答えもあなたと同じよ。ね、百円の実のパイを焼いたの。トイも食べるかと思って、持ってきたのだけど」
「それはありがとう。家に上がりますか? 依頼人が来るまでしか、話はできませんけど」
「なら、そうさせてもらうわ。お茶を淹れるわね」
「もう入っています。私がつぎますから、椅子に座って待っていてください」
「あらそう? 」
ハルさんはキョロキョロあたりを見回して、そわそわした様子で椅子に腰掛けました。彼女は私が持ってきたお皿に、丁寧にパイを並べつつ、我慢できないといった感じで喋りだしました。
「お父さんとお母さんには、会っているの? 」
「いえ、全く。会ってもメリットが何もないので」
「メリット? 会えばご両親が安心するわ。それってメリットじゃない? 」
「……。そうかも」
ハルさんは頬杖をついて、窓の外に目をやりながら言いました。
「なんだか思い出すわ。トイが捨て猫みたいだったあの日のことを」
「……」
「台風の日の夜に、私はあなたと出会ったのよね」
「正直、その時のことはあまり思い出したくないです」
「……そう。なら話すのをよすわ。でも、あのころからトイも、随分と立派になった」
「世話焼きおばさんのおかげで。はい、薬草茶」
「アハハ、それって私のこと? 世話を焼いたつもりはないんだけれど。ほら、トイ、パイを食べなさい」
「自覚がないところが、空恐ろしい」
私たちは微笑みあって、それぞれにパイをほおばりました。百円の実の甘酸っぱさがピリリと効いて、ワイルドさが感じられる素敵なお味。満たされた様子で薬草茶をゆったりと飲んでいたハルさんは、ふと我に返り言いました。
「この、薬草師の仕事は順調? 」
「ええ、お金に困ることもなく―。ただ最近気になっていることがあるんです。確実に、依頼人が増えているんですよ」
「それは、商売繁盛で良いことじゃないの? 」
「ううん、商売的にはそう言えるかもしれませんが、それは、体にも、心にも、悩みを持っている人が増えているということ」
「はっ、そう言われてみれば。この間、家の庭先にいる、お花の妖精さんとおしゃべりをしたのね」
「誰とでも仲良くなるんですね」
「そうしたら、気になることを言っていたわ。近頃ある種の草が、よく枯れているんですって」
「草、ですか」
「植物の状態って、私たちの体や精神的な疲れの、写し鏡だったりするじゃない? だからなんだか心配になってね」
「ならば逆に、ある種の草がやけにはびこっている、という噂は聞きませんでしたか? 」
「そこまでは聞いてないわ~。どういうこと? 」
「植物はそれぞれに耐性があります。負の気に敏感な植物もあれば、逆に強い植物もあるのです。だから植生を見れば、そこに住む人々の心と体の状態が分かると言っても、言い過ぎでないと思います」
「ふ~ん。そう言われてみると、ここ数年、やけにリンゴ草が家の庭にはびこってね。私が子供の頃には、あまり見かけない植物だったのだけれど」
「リンゴ草は外来種と言われています。つまり、もとは別の世界の草だったと―。そう考えられているのです」
「まぁ。ならどうやって、この『おとぎの世界』へやってきたのかしら」
「どこかで、別の世界との行き来があったのでしょうね。その時に紛れ込んだとしか、考えられません」
「この私たちが暮らす『おとぎの世界』は、変わりつつあるのかしらね」
「なぜ、そんなことを思うのですか? 」
「変化が起きようとしているから、色々なことで悩む人が増えているのかもしれない。ふと、そんな風に思ったのよ」
「なるほど。でも私がやることはシンプルです」
「シンプル? 」
「自分にできることをするだけです」
「あら、依頼人の方が来たみたい。そろそろ私は帰ることにするわね。トイ、あなたの言う通りよ。人は自分にできることをするのが、間違いのない人生の歩み方だわ。ただ―。自分にできることって、流動的なもの……、常に変化していくものかもしれないけどね」
「ええ、確かに形にはめることはできない」
私に爽やかに笑いかけたハルさんは、小さく手を振ってから、そそくさと私の家を出ていきました。その直後にドアから入ってきたもの―。
それは依頼人の怪獣……ではなく、ドラゴンでした。
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