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第七章 温泉旅行は愛と波乱に満ちている

第八十二話 いってらっしゃい

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 深夜子と五月が風呂場で裸の打ち合わせをしているのとほぼ同時刻。

 ――本館『雲海うんかい』にて。

 こちらは女性客向けだけあって、別館『海神わだつみ』とは規模が違う。約三倍の敷地面積に加え、二十階建て、客室数も五百を超える。そんな本館のロビーには『本日、六階は貸切となっております。歓迎 カゲジマ人材派遣会社 ご一行様』のプレートが掲示されていた。

 どうみても影嶋一家のフロント企業である。しかし、この男性福祉対応リゾートホテル建設の出資・施工の筆頭は桐生建設。女性客向けの本館とは言え、なんらかの便宜べんぎが図られたであろうことは想像に難くない。

 五月が聞いた花美の調査結果によれば、こちらに入っている影嶋一家構成員は総勢十八名。対して貸切となっている六階ワンフロアには、大部屋小部屋合わせて宿泊部屋は三十六室。実に閑散としたものだ。

 そんな中、フロアにある一つの小宴会場。ここだけは賑やかで、明らかに一般人カタギに見えない連中が出入りしている。そう、影嶋一家の組員たちだ。

 ――ふと、宴会場内があわただしくなり、入り口の両扉が開け放たれると、中からぞろぞろとスーツ姿の組員たちが出てきた。全員が向かった先はエレベーター。その扉の前に集合して、両側に列を作る。

 しばらくしてエレベーターの階層数を示すランプが一階……二階――と上がり始め、六階で停止する。チーンと到着音が響くと、組員たちに少し緊張が走ったかのように見えた。

「「「「「姐御あねご! ご苦労様でございやす!!」」」」」

 扉が開いたと同時に威勢のいい挨拶が飛び交った。エレベーターから身長190センチ以上の巨体、黒服にサングラスの女性が出てくる。だが、挨拶をした組員たちの視線はそこにはない。

 その黒服がガードをするように側につく、もう一人・・・・に向けられていた。

「キャハッ! みんなぁ、お迎えお疲れちゃ~ん!」

 やたらと明るい声の主が姿を現す。髪は染めているであろうピンク色でギャルツインテール。黒服と比較するに身長165センチ程度でやや細身。釣り目だがパッチリとした二重、鼻筋も通っており、盛り気味の化粧に歯並びが少し悪いのが気になるが、美形であることには間違いない。

 さらに服装もスーツである他の者とは一線を画している。黒のセーラー服風の上着で、胸元はスカーフでなく濃紫の大きめな可愛らしいリボン。冬場らしく厚手のロングカーディガンを羽織って、下は丈が短めのプリーツスカートにルーズソックス。

 朝日が見れば「ギャル系女子高生?」と言ったであろうこと請け合い。影嶋一家若頭『影嶋かげじま不知火しらぬい』二十一歳である。

 大きめなプラチナのクロスピアスを揺らし、愛想を振りまく不知火を宴会場まで組員たちが案内する。小宴会場とは言っても五十人部屋。パーティションで適度な広さに区切ってあり、ソファーとローテーブルを設置し、オシャレなラウンジバー風にセッティングしてあった。

 各テーブルには酒とツマミ、不知火は最も奥側に設置してある大きめのソファーに勢いよく腰を下ろす。序列順であろうか、組員たちは不知火を中心にあらかじめ決めてあったらしい場所へとそれぞれ腰を下ろした。

 そして『コの字』に設置されているテーブルの中心、何もない床に正座している者が二名。一人は顔に包帯が巻かれ痛々しい黒髪、一人は見た目は普通だが、肋骨ほか骨折十ヶ所近くに及ぶ茶髪。そう、万里に撃退された不届き者二名である。

「キャハハッ! それでぇ~そこのベタリアンがぁ、お仕事中・・・・にナンパかけてボコられちゃったおバカちゃ~ん?」

 不知火の明るく軽い口調とは対象的に、周りの組員たちの表情は固い。当の二名は「「……あ、姐御あねご……か、堪忍して、堪忍して下さいいぃっ」」と今にも泣き出しそうな雰囲気だ。

「あのさぁ~、五月雨ンとこに二連チャンかまされるとかぁ、不知火ちゃんガン萎えなんだけどぉ? キャハッ!」

 最後に語気が強まると、ソファーに腰をかけたままスチール製のローテーブルを蹴り上げる。スニーカーを履いた足で軽く蹴ったように見えたが、120センチ幅はあろうテーブルが宙高く舞った。

 乗っていた酒とツマミが飛び散る。中空ちゅうくうで数回転したテーブルは土下座中の二人の目の前へと落下した。

「「ひっ、ひいいいいいいっ!?」」
 二人は悲鳴と共に腰を抜かして後ずさる。

「んじゃさぁ土山つちやまぁ~、準備はできちゃってる感じぃ?」
「へい、こちらに」
 土山と呼ばれた巨体の黒服が何かを取り出す。――と同時に数人の組員が黒髪、茶髪を押さえつけた!

「「あっ? あああああっ!? 許してぇ、許してぇええええ」」
 絶望に泣き叫ぶ二人に対し、不知火は変わらぬ軽い口調で続ける。
「あのさぁ~、不知火ちゃんたちはヤクザさんやってるワケぇ。舐められたらエンドっちゃうワケぇ。やらかしたらケジメは必要みたいなぁ? キャハハッ! んじゃあ、土山ぁ準備できたぁ?」
「へい」

 一気にその場が緊張感に包まれる。表情には出して無いが、他の組員たちにも怯えが見える。

「それじゃ、おバカちゃんたちの『スマホの中身全公開・・・・・!』はっじまっるよぉ~! みんなでお酒飲みながら、ゆっくり、じっくり、キャハッ! 不知火ちゃんチョ~楽しみぃ~」
「「いやあああああああああ!!」」

 会場に哀れな二人の悲鳴が響き渡る。ちなみに前回は自宅PCのハードディスクの中身全公開だったと言う。影嶋不知火、身内にも容赦しない女である。


 ――多少時間は巻き戻る。こちらは朝日たちが宿泊する『紫陽花あじさいの間』、深夜子と五月も打ち合わせ(風呂)を終え、大広間に戻っている。

 ここで五月は予定より時間が押していることに気づいた。

 朝日のリスクを最大限に軽減するため、深夜子の任務は火急にして速やかに完了する必要がある。すなわち、影嶋一家が朝日を襲うであろう確証『男性略取準備罪』に問える証拠の確保である。

 それを持ってMaps本部と男性警察を動員して一気殲滅。これが五月の理想とする筋書きだ。虎穴こけつに入らずんば虎子《こじ》を得ず。いかに危険であっても深夜子による証拠収集は絶対必要なのだ。

 現在、時間は二十二時少し前。ちょっとでも早く任務開始したいところだが……。

「朝日様。ご機嫌を直してくださいまし。そ、そのお気持ちはわかりますが、仕方のないことですの」
「うん。それはわかってるけど……でも……せっかくの旅行……だったのに……」

 そう、時間的に当然朝日も起きている。かと言って『今から深夜子は命の危険がある任務に行って来ます』など、心優しい朝日に口が裂けても言えるわけがない。

 現在、五月、深夜子、梅による言い訳の真っ最中である。

「本当にたまたまですわ。双羽ふたばね支部から要請がありまして……S、Aランク限定のヘルプ。我々しか対応できるMapsがこの地域におりませんの。ま、まあ、もちろん長時間ではありませんので、遅くとも明日の朝までには――」
「そ、そうだぜ朝日。まあ、今日は早く寝てよ。んで、朝起きりゃ深夜子も帰って来てっからさ。まだ明日の昼まで遊べんだし、なっ」

 五月によるいかにも・・・・な理由。また、こういった場面だと梅の性格も説得にはプラス要素だ。だがしかし……。

「ふーん」
 朝日の視線と対応は冷たい。
「「「うっ……」」」

 それもそのはず。特殊警棒に薄手の防刃ジャケット他、深夜子が思いっきり重装備なのだ。さらには服装自体もダークグレーで夜間迷彩柄の『Maps特別警護用戦闘対応型スーツ』、朝日も初めて目にするガチ装備だ。察してくださいと言わんばかりである。

「と、とにかく深夜子さんもそろそろ出発せねばなりませんので……朝日様。ささ、こちらへ。五月と、ついでに大和さんが、お休みまでなんでもお相手しますから」
「誰がついでだっ! 誰がっ!?」
 五月と梅が空気を軽くしようとしたところで「もういいです! わかりました!」とバッサリ朝日が言い放った。
「ちょっ!? あ、朝日く――えっ?」
 怒らせてしまったと思い、焦る深夜子の手をふいに朝日がつかむ。
「ほら……時間が無いんでしょ? じゃあ、深夜子さんをエレベーターまでお見送りしてくるから、五月さんと梅ちゃんはここで待ってて」
「朝日様、それは――」「おい、朝日――」
「すぐ近くだし、すぐ戻るから、待っててくださいっ」
「「あ、はい」」
 朝日の勢いに肯定してうなずくしかない五月と梅であった。

「……朝日君。ごめんね、ちょっとお仕事だから」
 部屋を出て、すぐ近くのエレベーター前まで歩いたところで深夜子が口を開いた。
「そうだね。深夜子さんはもう僕のこと嫌いになったんだよね?」
 朝日は少し意地悪な笑顔を見せる。

「んなあああああああああっ!? そっ、そそそそそそそそんなことことこ――ふぇっ!?」
 阿波踊りもかくやの動きで動揺する深夜子を朝日がぎゅっと抱きしめた。

「え……? ちょっと……あ、さ、日君?」
「えへへ、嘘。ごめんね……深夜子さん……わかってる、わかってるから。また、僕のために何かしなきゃいけないんでしょ?」
「いや、それは、あにょ……むう」

 ここは暖房の効いた館内。朝日が浴衣のみという薄着で抱きしめてくれているのに。まったく、この厚ぼったい装備はいただけない。せっかくの感触が台無し――ではなく。

 やはり朝日は口に出さないだけで察して・・・しまっている。力強く抱きついて、そして少し震えている。かと言って理由を説明することができない深夜子は戸惑うしかない。

 その様子に気づいたらしい朝日が、顔のふれあいそうな距離で、少し潤んだ瞳を向けて続ける。

「……あ、無理には言わなくていいよ。ほんと、ごめんね。でも……危ないことは――いや、無理はしないで……ね、もう前みたいなことは嫌なんだ。僕がいるから、みんなが誰かと戦ったり、危ない目にあったり、怪我したり……もし、僕がいるから・・・・・・そんなことになるのなら……僕は、……僕が、いなくな――――むぐっ?」朝日の唇が、深夜子の唇で塞がれた。

 ダメだ。その先は決して、決して言わせてはならない。あの夜とは違う。お互いが見つめ合う中、その一言を止めるため、自然に、深夜子は朝日の唇を自ら奪うことを選んでいた。

「ふっ、むっ……? はっ……え……み、深夜子さん?」
 キスをされて・・・しまった。動揺する朝日を、今度は深夜子が真っ直ぐに見つめ、口を開く。
「そんなこと言う朝日君はヤダ。信じて。あたしも五月さっきーも梅ちゃんも、その、朝日君のこと……す、好きだから……頑張るから……だから……」
「深夜子さん……」
「ファッ!? ご、ごごごごごごごごめん朝日君! あ、あたし何を、い、今のは、そそそそそ……ファアアアアアアアアアアアアアッ!!」

 やっちまったなぁ!! そう言わんばかりに深夜子は両手で顔を覆い、その場にしゃがみ込む。

「ううん、僕がダメ……だった。変なこと考えちゃ、ね。ありがとう深夜子さん」

 それから少しの間「う、訴えない? に、日報とかにも書かれない? さ、五月さっきーにも言わない?」と、やたら残念な方向に退化した深夜子を笑って慰める朝日だった。

「――はい、じゃあこれ。腕出して」
「え? これって朝日君の?」
「うん、腕時計。僕のと交換。ちゃんと朝までに、僕が起きる前に帰って来てるって……約束して」
「ん。らじゃ、絶対大丈夫。そ、それに途中でサボってゲーセンで遊べるくらい余裕。ほら!」
  何故か大量のゲームセンター用コインをジャラつかせる深夜子。
「あー、えーと。二十二時でホテルのゲーセンは閉まるでしょ」
「あうっ」
  残念。滑った。
「あはは。うん、深夜子さんはやっぱ深夜子さんだ」
「むうう」
「あっ、……ほら、いってらっしゃい。頑張って」
 朝日がそう言って後ろに視線を向けた先、廊下の角から見慣れた二つの顔がのぞいてる。少し時間が経ち、心配して様子を見に来た五月と梅だ。
「うん、行ってくるね。すぐに終わらせて帰ってくる。朝日君の愛があれば楽勝!」

 かくして、深夜子は本館へと向かって出発したのであった。
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