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第一章 着任します!男性保護特務警護官

第五話 深夜子と朝日

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 ――だんだんと現在までの出来事が頭の中で整理されて、意識が追いつく。朝日が目を開けると天井の模様が蛍光灯の光でにじんで見えた。

「帰れるのかな……僕。深夜子さん……変わってるけどいい人だったな……でも」

 ここまでやり取りをして、深夜子とは楽しい部分が多かった。何より悪い人間ではないのがわかる人柄と思える。それに自分に対してとても好意的だし、なんだかんだと職務にも忠実だ。

 天井を見上げながら、朝日はぐっと心臓を掴むように服の左胸側を握りしめる。この世界に来てからの出来事に加え、女性たちから向けられ続けた視線。コンビニではまるで自分が獲物になったかのような――得体の知れない不安が朝日の心をいつの間にか削っていた。
 
「帰り……たいよ……母さん。姉さん……誰か……。う……ううっ、ひぐっ」
 
 我慢ができなかった。自然と嗚咽が漏れる。この世界に来て四日。自分の場所と落ち着いて考える時間ができたことで、朝日は緊張の糸が切れてしまったのだ。

「う……うぐっ、うわあああーーーーっ」

 涙が止まらない。朝日はしばらくの間、泣き続けた。

 ――コンコン。
 突然、部屋にノックの音が響く。朝日が身体をビクッと震わせる。

 深夜子の寝室とは距離が離れている。自分の泣いている声など聞こえるはずがないと思っていた。ところが彼女は驚異的な聴力ミヤコイヤーで異変を聞き取って、部屋にやってきたのだ。

『……あ、あの朝日君。いい……かな?』
 扉の向こうから申し訳なさそうな声が聞こえる。

 朝日は泣いていたことが伝わってしまったのかと少し焦った。一つ年上とは言え。女性に泣いていたと知られるのは健全な男子としてちょっと恥ずかしいのだ。

「あ、鍵開いてますよ……どうぞ」
 さっと涙の跡をぬぐい。平静を装おって返事をする。
 
 少し遠慮がちに深夜子が入ってくる。昼間見たダークグレーのスーツ姿と違い寝間着姿だ。薄いブルーのフリルワンピース姿が色っぽい。こんな精神状態でなければ朝日はドキッとしていたことだろう。
 
 ところがどっこい。ドキッとしているのは深夜子の方なのだ。

 今の朝日は特になんでもない、寝間着代わりに使っているゆったりした薄手のTシャツとショートパンツ姿だ。しかしこれは深夜子にとっては破壊力抜群の薄着姿・・・である。
 
 場面が場面だけに深夜子も朝日への心配が優先である。もちろん表情も真顔そのものだ。しかし内心では――ふっおおおおおおおお!? 何これ? やっべーエロかわ! ちょうエロかわ! とのたうちまわって悶絶していた。健全な女子としてはこの反応は実に正しい。

 それでも朝日の精神状態が芳しくないことを敏感に察知して頭を切り替える。SランクMapsの面目躍如である。やったね!
 
「あの、今……泣いてた?」
「あっ!? え、いや! そ、その……だ、大丈夫……です……から」

 やはり聞かれていた。カッと頬が熱くなる。朝日は恥ずかしさから、ごまかし切れず微妙な返事をしてしまった。

「あの、朝日君。体調悪い?」
「そんな……こと……ないです」

 深夜子は男性学マニュアル通りにケアを実行する。できるだけ優しく落ち着いた声で質問を始めた。それにしても初の実戦だが、深夜子自身も驚くほど穏やかに語りかけることができていた。本当に朝日のことが心配なのだ。

「大丈夫? 辛くない?」
「あっ……その、だいじょうぶ! 大丈夫ですから」
 深夜子の優しく落ち着いた声が、逆に朝日の心に突き刺さる。だんだんと余裕を削っていく。
「朝日君……あたしの勝手な想像」
「…………なん……ですか?」
「もしかして……今まで無理してた?」
「っ――――!?」

 図星。

『自己防衛』
 朝日はただひたすら周りに愛想を振る舞い。少しでも自分の立場を良くしようと気を使い続けていた。それが力の無い彼にできる、唯一のことだったからだ。

「無理……しないでいいよ」
「いやっ、それは――」
 優しさが息苦しい。朝日は心が丸裸にされているような感覚に焦燥感を覚える。

 言うまでもなく深夜子は朝日のストレスを少しでも取り除きたい考えている。自身の男性に対する知識を総動員中だ。朝日の個人資料の内容を思い出す。今、彼の置かれている環境、今日までの状況を元に推測する――導きだされた答えは。

「朝日君……帰りたいん……だよね?」
「なっ……」
「いいよ……無理しないで」

 核心の一言。朝日の心の中で押さえていたモノが一気に吹き上がる。

「―――――だよ」
「え?」
「そうだよ! 帰りたいよっ! でも、どうしたらいいんだよっ!?」
「!?」

 振り絞るように朝日が叫んだ。

 深夜子は驚きと同時に感じとる。まだ一日だけだが、知っている彼の穏やかさとは違う。無理をしていた反動――本音の部分だと。

「いきなりっ! 気付いたらっ! こんな世界に放り込まれるとかなんの冗談だよっ。女の人ばっかで、僕のことを変な目で見てさ!」
「朝日……君」
 
「わかるんだよ。僕のことを獲物のように見てるのが! だから怖くて、怖くて……」
「……ごめんなさい」
 
「深夜子さんだって……あの人たちと同じなんでしょっ!?」
「…………ごめんなさい」

「……帰して」
「え?」

「ねえ、帰してよ! 僕を元の世界に帰してよっ!」
「……それは」
 
「どうして! 協力してくれるんでしょ?」
「ごめんなさい……今は無理。でも……」
 
「なんだよ。それ……」
「でも、でも……いつか必ず帰す」

 まさにせきが崩れたダムのように朝日の感情が吹き出した。それでも深夜子は冷静に、穏やかに対応を続ける。もうマニュアルでもなんでもない。目の前にいる弱々しい男の子が、ただ可哀想だった。ただなんとかしたかった。

 そんな深夜子の対応に、朝日は少しづつ落ち着きを取り戻していく。ハッと我に返って現状に気づく。深夜子に意地の悪いことを、ひどいことを言ってしまったと。
 
「あっ!? ……僕、その……ひどいことを……ご、ごめんなさい」
「ううん、いい。朝日君は悪くない。何も悪くない」
 うろたえる朝日に、なお深夜子は優しく穏やかに語りかける。
「で、でも僕……」
「大丈夫、悪いのはあたしたち。朝日君は気にしない」
「なんで? どうして? 僕にそんなに優しくしてくれるの……ただの……仕事でしょ?」
「ううん、仕事じゃない。……朝日君。あたしのこと怖くないって言ってくれたから……凛々しいって言ってくれたから」
「え? そんなことで……」
「そ、その……嬉しかったから……あ、朝日君のこと。す、好きだから」
「ははっ……何それ。ちょろすぎでしょ……まだ、会って一日だよ?」
「そ、それは……」

 それは違う。この世界のほとんどの女性にはその一日・・・・すら無いのだ。

「でもいつか、絶対、元の世界に……ニッポンて国に、帰す。……それに朝日君はあたしが守るから」
「え? 何を……」
Mapsしごとよりも朝日君が優先……だから……少しだけがんばって」
「み、深夜子……さん……?」
「約束……する、から……」

 深夜子の鋭く猛禽類を思わす目だが、その真剣な眼差しと微笑みから不思議な優しさが感じ取れた。そして――深夜子を見つめていた朝日の目から涙がポロポロとこぼれ落ち始める。

「う、うぅ……うわあああああっ」
 泣きながら朝日は深夜子に抱きついた。
「ふぇ、わっ……あ、あああ朝日君!?」

 深夜子にとって生まれて初めての、男性に抱きつかれるという完全想定外の衝撃ラッキーである。

 あまりの衝撃しあわせに意識が一瞬にして根こそぎ刈り取られて行く。しかしそうはいかない! こんな素敵な感触を堪能せずして何が女か! 根性で踏みとどまる。

 ふにっ――自分の胸のふたつの膨らみが朝日の顔に押し分けられる。密着した上半身と背中に回された手からは心地よい圧力と体温を感じる。あ、そういえばブラ着けてくるの忘れてたな……やっちゃったな……でも、むしろ忘れて良かった。やったぜ! 早くも深夜子の思考はセクハラコード全開になっていた。

 淑女モードは本日閉店時間である。ガラガラッ!

 そして、深夜子はアニメや映画でしか見たことのない場面を思い出す。こういった時は確か……と恐る恐る朝日の頭を撫でて、軽く抱きしめ返した。

 なんたる至福!! ああ……今、自分は男の子を抱きしめている! そして……自分の胸に男の子が顔をうずめてくれている! 圧倒的な万能感に深夜子の脳は支配される。
 
 心を痛めた美少年の頭を撫でつつ、自分のおっぱいで抱きしめ癒す。たとえ今後十回転生したとしても出会えないであろう、おっぱいにとって至高にして究極。聖母が体現するがごときおっぱいシチュエーション。おっぱい冥利に尽きるとはまさにこのこと!

 今、深夜子あたしのおっぱいは神聖属性を得た! おっぱいの未来に栄光あれ! おっぱい! おっぱい!
 
 しかし悲しいかな、至福の時は長く続かない。なんとも言えない朝日のいい匂いと感触が、深夜子の理性をゴリゴリと削り取って限界は瞬く間に訪れた。

 このままだと間違いなく朝日を押したおし、本能のおもむくままにこと・・に及んでしまうだろう。『Mapsによる男性強漢事件』明日の三面記事とワイドショー出演確定。ついでに人生終了確定である。

「あ、ああああさひくん……げ、限界……かも」
 
 朝日を抱きとめる形で、深夜子はそのまま力尽き後ろに倒れこんだ。必然押し倒す形となった朝日は、深夜子の胸に顔を密着させたまま覆いかぶさる。その衝撃で冷静さを取り戻し、まるで磁石が反発するかの如く。二人は弾けるように起き上がりながら離れた。さすがに朝日もこの状況を理解して顔を真っ赤にしている。

「みっ、みみ深夜子さん。その……ご、ごめんなさい」
「いや……朝日君は気にしないで……我がおっぱいに一片の悔いなし! ぷっしゅーー」

 深夜子昇天。


 ――深夜子が復活してからもぎこちなさは残る。二人が落ち着くまで若干の時間を要した。そのまま会話の切り口らしい切り口がお互い見えず、時間が経過して行く。そんな中、ふと何かを思いついたらしく深夜子が口を開いた。

「そだ! あたし元気になれる方法知ってる!」
「え?」

 そう宣言すると、深夜子はリビングの自分の荷物入れの中からごそごそと何かを取り出して来た。

「朝日君、はいこれ」
「はい? これって」

 渡されたのはゲーム機のコントローラーのようで朝日の知っている国民的人気メーカーのそれにそっくりだ。

「え、えーと……深夜子さん?」
「大乱戦クラッシュシスターズ。楽しい」
「はぁ?」
 そのあまりの脈絡のなさに朝日は唖然あぜんとする。
「あたし強い。ピンクの悪魔と呼ばれてた」
「はあぁ?」
「対戦すると楽しい、元気出るよ」

 一方的にやる気まんまんの深夜子を、ただ呆然と見つめていた朝日の表情がふと変化した。

「……ぷっ」
「え?」
「ぷっ……はは、あははははっ、何それ? ばっかじゃないの?」
「ふぇ?」
「ははっ、あはは! あはははははは!」
 朝日は腹を抱えて笑い続ける。
「え? え?」
 一方の深夜子は、それをどう受け止めて良いのかわからず困惑する。
「いや……ありがとう深夜子さん。少し元気が出たよ」
「ほ、ほんと?」

 泣きはらした目ではあるが、穏やかな笑みで朝日は感謝を口にした。そして――。

「それに……多分。僕このゲーム強いですよ」
「!? ……え? ……ふ、ふふふふ。それは楽しみ。いざ!」

 その後、二人の対戦は早朝五時まで続くのであった。
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