黒石の魔女

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二章

薬屋

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 薬屋の客は多くない。日に一人いるかいないかくらいだ。それでも近隣から買い付けに来る者もいて、重宝されているのだと村人から教わる。
 オニキスの役目は専ら庭の草木の手入れや道具の掃除、部屋の片付けや料理など、彼女が仕事をする上で面倒と感じる全てといったところだ。
 他に家族も従業員もいないが、食料や薪は村の人たちが分け与えているので心配はいらない。それ以外にも差し入れられることがあるが、どうやら薬代の代わりに日用品などを貰っているらしい。
 確かに、村で暮らすだけなら現金は必要ない。狩りや採集、農作物の交換で日々の暮らしは事足りる。
 稀に手に入る現金は保管して、有事の際に使えるようにしていると村の一人が言った。
 裏庭に植えられた薬草の手入れをし、枯葉や雑草を籠にまとめて立ち上がる。
「おや、珍しい髪だな」
 表に戻ったところで、くたびれた格好をした男に声を掛けられる。この村で世話になっている人々の顔ぶれとは一致しない。
「オニキスです。お客様ですね」
「ははは、可愛い店員さんだね。やってるかい」
「はい、どうぞ」
 目の高さにある取手を掴んで開ける。微笑ましそうに眺めながら入っていくのを確認し閉じる。
 中から二人が話し始めるのが聞こえてくる。足元の籠を拾い、中身を片付けてから次の仕事に移った。
 それから庭の掃除を終えるが、暫くかかるだろうと予想し散策に出掛ける。
 すれ違う村人と挨拶を交わしながら目的地へ向かった。





「クルソさん」
「おう、今日も来たか」
 笑顔で迎えてくれたのは、初日に案内をしてもらった男の一人だ。
 田畑から外れ、飼料を纏めている建物の脇で数人が集まっていた。全員若く、中には十に満たない者もいる。
 彼らの邪魔にならないよう、数メートル離れた土の上に腰を落とす。すかさず「ああ」と非難めいた声が上がった。
「オニキスちゃん、服が汚れるぞ」
「作業着ですから」
 ぼろを直しただけの、村の娘が着ているのと同じ古着なのだから気にする必要もない。
 だというのに一人の少年が藁束を持ってきて隣に置いてきた。座れというのか。
「ここに座ってください」
「……有難うございます」
 心なしか眼を輝かせて待ち構えられては断ることも出来ない。飼料庫から勝手に取り出してきていたが誰も咎めなかった。
 微妙に間の開いた礼にも気にせずにこにことこちらを見ている面々を務めて無視して座り直す。ちょこんと横に移動しただけだが少年はとても嬉しそうだ。
「オニキスさん、今日も見ていてくださいね」
「はい」
 彼らの内で数人が弓を手に提げている。そのうちの一人が外に向かって狙いを定めたのと同時に周りの面々もお喋りをやめて見守りだす。
 呼吸を整えながら引き絞っていた矢じりが、手を離した瞬間に遠くへ飛んでいく。十メートル以上は距離のある藁束の端の方に突き刺さった。
 木の棒に巻き付かれただけの簡素な的だが、何度か補強されて繰り返し使われているようだ。
 周りに合わせて手を叩くも、年長組は彼の背中を叩くのみで褒めはしない。少年はこちらを見てはにかんだ。
「オニキスちゃんに褒められたからって満足するなよ。これじゃあ狩りには出せないからな」
 少し厳しく聞こえるが、年長の者の言葉は重みが違うようだ。笑顔を引き締め、神妙に頷いた少年の隣で、次の者が矢を番える。
 それから順番に的を狙うが、中心に当てられる者はいなかった。藁を通り越してしまった者には周りから野次が飛ぶ始末だ。
 経験者が構え方を直すよう指示をしたり、口を出す様子を眺める。彼らは全員森へ向かう面子だそうだ。
 年少の者は事前に武器の扱い方を教わらないと連れて行くことができない。だから毎日この広場で練習させられる。リーダーから晴れて合格を貰えれば狩りメンバーの仲間入りというわけだ。
 森の中には、山間からやってくる魔物が棲息しており危険なのだという。
 オニキスちゃんも無事でよかったと言われたが余計な事は言わないでおいた。心の中であの竜に感謝を捧げておく。
「さ、手入れしといたぞ」
 一巡した頃に声が掛かり、ずい、と眼前に差し出されたものと彼を交互に見る。ここ数日繰り返されたやりとりだった。
 初めは遠慮していたものの友好的な彼らの好意を無下にはできなかった。子供用の弓矢を受け取り、少年達に混じって練習させられた。
 女子はいないのになぜ自分だけがと訊ねたのだが、クルソさん曰く暇そうだったからとのこと。俺達は女の遊びは分からねえと笑っていた。
 なら女子の集まりに放り込めばいいだろうにと考えたが、少年達が目に見えて張り切ろうとするのに味を占めたに違いない。
 渡された弓の調子を確かめ、定位置で構える。
 矢は狙い違わず藁の中央に突き刺さる。
 歓声が上がった。
 それを無視し、二本目を番え、呼吸に合わせて放つ。先に当てた位置とは少しずれた所に刺さる。周りの声が静まった。
 三本目を番える。新しい呼吸に合わせ、すぐに放った。
 二本目に当てた位置よりさらにずらして刺さる。
 等間隔にまっすぐ並んだ矢を見て、ざわめきが広がる。嘘だろ、こんな短時間で、という声が聞こえ、ただ喜ぶというよりは信じられないと言いたげな様子だ。
「たったの三日でこれか」
 上から降る声も、どこか放心したような響きがある。
 手早く矢を回収しに行き、彼らに道具を返す。話が膨らむ前に帰ろうと考えたのだが、うち一人が腕を掴んだ。
「なあ、帰る前に見ていってくれよ」
 握られている力はそこまで強くはない。だが、その少年の目は離すまいと眦を吊り上げていた。
 クルソと視線を交わし、同時に肩を竦めるという態度でこの場に留まることが決まった。
 頷くと腕を解放される。じっと睨まれるが、無言で踵を返された。
 道具を取りに行くのかと思ったが、そのまま的に背を向けて離れるではないか。
「弓はどうされるのですか」
「弓じゃない」
 すぐさま否定し近くの少年に声を掛ける。周りは何をするのか理解しているのか、不思議そうな顔をする者はいない。呼ばれた少年も合点がいったように輪を抜けて彼と対峙する。
 すると、二人の近くにいた者が捌け、誰かが地面に線を引き始めた。ちょうど二人を囲って半径二メートルほどの輪が出来上がる。
 誰か合図しろよ、じゃあ俺が、と外野が騒ぎ、一人が名乗り出て手をまっすぐ伸ばした。
「いいか、輪から出たら終わりだぞ」
「分かってるよ」
「怪我させたら怒るからな……始め!」
 年長の言葉もどこへやら、開始早々取っ組み合いの殴り合いに発展する。腕を下に切った男も呆れたように二人を眺め、すぐに野次を飛ばす面々に加わった。
「そこだ!」
「脇が甘いぞー!」
 楽しそうに怒鳴る彼らの輪から少し外れたところで話し掛ける。
「つまり、何でしょうか」
「これはな」
 一緒に見学していたクルソが頬を掻きつつ説明してくれた。どことなく照れているように見える。
 この取っ組み合いは、弓と同じようにその人の強さを測るために行われているそうだ。
 円の外に相手を出したら勝ち。
 円から出なければ試合は続けられる。
 要は上手いこと相手を外に出せばそれでいいのだが、血気盛んな若者だとあのような喧嘩になってしまうらしい。
「これはこれで逞しくなるからいいけどな。それに、そいつらの怪我は自業自得ってやつさ」
 さっぱりとした考えの者が多いのだろう。周りの者も心配している様子はない。
「強くなることが大事なのですか」
「そうだ。それに、かっこいいだろ?」
 にっと笑う彼の言葉に大きく頷く。これでは誰も止めようとしないわけだ。
 痣や擦り傷を増やしていた彼らもそろそろ決着がつきそうだった。
 頭を打ってふらついている少年の肩を掴んで押し出した彼が、得意げにこちらを見た。空気を読むべきか悩み、拍手の輪には加わらないことにした。





 早足で戻った頃には、陽の位置がだいぶ上がっていた。それでも暑くならないのはカラリとした気候のお陰だ。
 まだ中では話し合いが行われている。大きな音を立てないよう気を配りながら昨日配合していた土の様子を確かめ、物置きから薪を運び出す。
 暫くして、店の扉が軋みを立てて開いた。
「……あ、待っていたのかい」
「いいえ、先ほど戻ったところです」
 男の腕の中には小さな木箱が隠れていた。
 慎重に抱えながらにこにこと朗らかに笑う彼にこの地域特有の一礼をする。
「ご快復を、お祈り致します」
 拳を胸に当てそっと目を伏せる。礼儀正しいお嬢さんだ、と頭を撫でられた。元成人男性として微妙な気分である。
 男を見送ったあと裏庭に戻り、水魔法で身体を清めてから中に入った。先ほどのままなのか、中央の机に向かったまま手元の草を並べて眺めていた。
 邪魔をしないよう迂回して雑巾を持ってくる。これを終えたら早朝に差し入れされた果実を間食に切ろうかと考える。
「気ぃ遣いすぎだね」
 薬瓶の隙間の埃を掃いていると、後ろからそう聞こえてきた。
 咎めているわけではなさそうだが、手元から視線を外さないまま独り言のように呟かれる。
「別に入って構わなかったんだよ」
「いえ、用がありましたので」
 そう返すと、暫くしてまた呟いた。
「あんたはあれだねえ、そんだけ聡いと、面倒なことになりそうだ」
 何がどう面倒ごとに繋がるのかと考えるが浮かばない。余計な気を回してしまうことを指摘されたのかもしれない。
「使える奴は、使われちまうんだ」
 彼女の少し伸ばし気味に話す、はっきりと聞こえる声量が耳に響く。
 そう言われても、と首を傾げた。
「使えるものは、使うべきでは? ……それに、流石に気にしないわけにはいきませんでした」
 先ほどの客の、無理をしている様子を見てしまっては無神経なことを言うこともできまい。
 目の下にはうっすら隈が覗いていたし、取り繕った笑顔というのは分かりやすい。自然に笑う人と並べると一目瞭然だ。
 ヨーラはやれやれといった風に首を振った。
「……安心おしよ。あれは治せる」
「それは良かったですね」
 それならばあの男も大切な人を失わずに済むだろうか。無駄足にならずによかったと気持ちだけでも応援を送った。
「ですが、ヨーラ様。私は世話人ですので、教えて頂かなくとも結構です」
「煩いよ。あんたが半端な知識を持たれるよりよっぽど安心できる」
 そう覆いかぶさるように否定されると、手元の葉を一枚掲げてみせた。ヨモギの葉のような形をしている。
「これは何だい」
「ジーバの葉ですか」
 鎮痛剤の材料になる汁を抽出できる、比較的ありふれた植物だ。
「どう使う」
「……すり潰した汁を薄めて消毒液にするか、別の薬草と煮詰めて解毒剤に」
 なぜ聞くのかと思いつつ知っている調合法を並べる。
 背後からでは彼女の表情は窺えない。くるりと指で葉を回転させているのを眺める。
「まあ、そうだね」
 相槌を打った彼女は、葉を机に戻した。
 もはや掃除をする状況ではないので、耳だけ貸すのではなく彼女の傍に移動する。
 手元には薬箱と各種の細かな道具が広げらている。生物を調合しなければならない場合もあり、依頼をされてから作っているらしい。今回の客は既製品では賄えなかったということだ。
「どんな毒に効く」
「水溶性で、植物由来の遅効性の毒であれば一定の効果があると伺っております」
「いくつある」
「六十六種かと」
 そこまで言うと、ぐるりと視線がこちらを射抜いた。
「誰に習った?」
 あまりに強い眼光だった。
 彼女は商売に関する知識をどこにも残していない。さらに正しく述べるなら、この家には書物や書き留めの類いが一切見当たらなかった。
 技術の漏洩を危惧しているのかどうなのか。流石にこれだけでは分からない。
「使用人に聞きました」
 どのような事情にせよ、答えられることは限られている。隠す必要もないので素直に述べたが、彼女の威圧は衰えなかった。
「……言いたいのは、子供が余計な知識を持つなだの、なぜそれを知ってるんだだの、そういうことじゃないよ。あんたが半端な知恵を持つせいで、助かるもんも助からなくなることが危ういのさ」
 それから彼女は私に手元に並べていた草を順に指し名前を伝えた。そのうち一枚はジーバでは悪化すると強調して。
 それはごくありふれた雑草とほとんど違いのない、よく見かける形をしていた。効果のあると言われている毒を抽出できる植物とも似通っている。
「あの娘は、ただの食あたりだ」
 手渡されたその表面を撫で、裏を観察する。
「たまにいるんだよ。貧しいからって山に頼る奴がね。時間が立ってたら死んじまうが、まあ走ればどうにかなる距離だ」
 では、長々と引き止めなかったのは正解だったようだ。
 鼻孔に近付けると青臭さの中に柑橘系の爽やかな香りが入り込む。もう一度裏表を確かめてから卓上に戻した。
「正しいものなら甘味はしないらしいですね」
「……見たことがないのかい」
 少し驚いたように、顔が持ち上がる。それはそうだ。ノルンは別に教えようとして話したわけではなかったはずだ。
「暇潰しに聞きかじった程度ですので」
 どの道、物を揃えようとしてもあそこでは難しかったように思う。
 それから再び手元の作業に戻ってしまった彼女のために果物を切り、掃除を再開する。細かいものが多いため埃が溜まりやすいのだ。

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