離縁の脅威、恐怖の日々

月食ぱんな

文字の大きさ
上 下
5 / 12

005 親友とのお茶会2

しおりを挟む
 天井にはシャンデリア。壁には絵画、装飾品などが飾り付けられている、豪華な部屋。

 私は親友。ブレンナー伯爵夫人であるイレーネのタウンハウスでお茶をしている所だ。そして彼女と会話する中で、私の家庭教師であった、マーサ先生の事を思い出していた。

「確かにマーサ先生は厳しかったわ。けれどそれは、有り難いこと。私は今でもそう思っているけど」

 私はイレーネにきっぱりと告げる。するとイレーネは困ったような、そんな表情を私に向けた。

「リディは十歳から、結婚するまで。ずっと彼女に厳しく教育されていた。そのおかげで、お転婆娘から脱して、今や誰もが認める、立派なノイラート公爵家の奥様を勤めている。それは私も認めるわ。けれど、少し完璧という言葉に呪われていると思う」

 イレーネの厳しい指摘に、私は小さくため息をつく。

「誰だって満点が欲しいもの」

 私の中では満点か、それ以外かしかない。

 なぜなら王族の次に位の高い公爵家を支える妻になるためには、満点でなければ他の人に示しがつかないからだ。

「そこがちょっとおかしいって話なの。さっき教会でみんなの前に立って、立派に演説をされていたバルリンク伯爵夫人。彼女なんて、一日中ベッドでゴロゴロする日が必要だって、この前そう仰ってたわよ?」
「えっ!?あのバルリンク伯爵夫人が?」

 私は思わず声を上げる。

 バルリンク伯爵夫人と言えば、積極的に慈善活動に精を出し、地域社会のリーダー的役割も果たしている人物として有名な方だ。そして常にりんとしたたたずまいと、教養の高さにより、私たち貴族夫人の先頭に立つ立派な方でもある。そんな人が、まさかゴロゴロしたいなんて思うはずがないと、私は衝撃と共に思い切り眉根を寄せる。

「リディ。貴族っていうのはね、少なからず誰しも、人前では常に完璧でありたいと思っているものよ。だからリディが常に完璧であろうとする姿勢は、間違っていないわ。けれどあなたは、完璧を求めすぎているのよ」
「……求めすぎている?」

 一体それのどこがいけないのだろうかと、私はイレーネの言葉を復唱し、首を傾げる。

「リディがマーサ先生の言う通りに頑張って、人並み以上の淑女教育を受けてきた。それで得たものは何?」
「公爵家に嫁ぐに相応しい、マナーや教養」

 私は即答する。するとイレーネは、私の答えに大きく溜息をついた。

「リディはもう十分過ぎる程、完璧よ。でもそればかりに囚われ……。いいえ、そのせいで、自分自身の幸せを逃してしまっている。それが問題だわ」

 私は言葉を失う。完璧であることの弊害へいがいなど、考えたこともなかったからだ。

「でも、私は……」
「ねえ、リディ。マーサ先生に言われて、毎日勉強漬けになって、他に何も出来なかった時のことを思い出してみて」
「勉強漬けって……」

 淑女教育と一言で言うと簡単に聞こえる。しかし実際、学ばなければならない内容を、ざっと述べると、こんな感じだ。

 儀礼的な挨拶や手紙の書き方、テーブルマナー、服装、言葉遣い、人前での立ち居振る舞いなど、上流階級の社交に必要なマナーや礼儀作法。それに加え、外国語、詩や文学、音楽について学び、絵画や刺繍、織物、手芸などの技術の習得。さらには、家政学や料理、家庭医学、財政管理、家庭経済など、家庭運営に必要な知識のあれこれ。そして、社交、パーティーの開催方法や出席マナー、ダンスにピアノ。

 それらを時に、専門の先生を講師に呼び、私は十歳から結婚する十六歳となる年。つまり六年かけてみっちり学んだのである。

 しかも幼少期に遊んでしまった私は、他の令嬢よりスタートが後れた分を、必死に取り戻す必要があった。そのせいで、今よりずっと忙しく過ごしていた。

「あの頃は外で遊べないことが、とても辛かったわ。だけどマーサ先生に褒められたかったから、だから必死に頑張ってた」

 私がポツリと漏らすと、イレーネは大きく頷いた。

「そう、リディはマーサ先生の期待に応えたくて、必死になっていた。そしてその頑張りの先にあるゴールは、フェリクス様のためだったんじゃないの?」
「……」

 私は言葉が出てこなかった。確かに私は、母のように慕っていたマーサ先生に認めてもらう為に、必死に勉学に励んだ。でも最終目標は、確かにフェリクス様の妻になりたいからだった。

「今のあなたは、一番大事な人の想いが見えていないように思えるの」
「そんなこと……」

 ないわと言いかけ、フェリクス様から今朝かけられたばかり、「最近笑わない」と言われた事実を思い出し何も言えなくなる。

「リディはフェリクス様の隣に並ぶに相応ふさわしい女性になろうと頑張っているわ。だから完璧な自分であり続けなければと、思い込んでいる。でもそれは、本当にフェリクス様の望むことなの?」

 イレーネに真っ直ぐな視線を向けられ、私は思わず顔をそらす。

「でも、私にはそれくらいしか取り柄がないもの」

 子供をさずかる事の出来ない私は、せめて完璧な妻でいなくてはならない。この思いは、きっと子に恵まれたイレーネには分からないだろう。けれど、私の心の中に巣食う焦燥感しょうそうかんを、イレーネは見抜いていた。

「跡継ぎの件で、あなたが後ろめたい気持ちになる。その気持が、今の私に全て理解出来るなんて、言わない。だけど、子に恵まれなくて申し訳なく思う気持ち。それってフェリクス様だって、感じていらっしゃるんじゃないの?」

 私はハッとして顔を上げる。するとイレーネは、私以上に悲しそうな表情をこちらに向けていた。

「そもそも、完璧な人間なんか、この世にはいない。誰だってどんなに気をつけていたってオナラが出ちゃう時があるし、夫の隣で安眠していたら、よだれだって垂れちゃう。それは全部不可抗力ふかこうりょくだし、だからって私は、完璧な妻じゃないと、自分ではそう思わない」

 イレーネの鋭い指摘に、私は目を伏せる。

「それに、完璧な人間になりたいなんて、それは結局のところ、あなたの自己満足でしかない。誰かの為に何かをしてあげたいと願う気持ちこそが、本当の優しさだし、愛情だと私は思う」
「……」
「マーサ先生の言葉に従うことは、確かに大切。けれど、もしマーサ先生の理想とする完璧な公爵夫人になれなくても、あなたはそれでいい。だってフェリクス様は、パンくずをうっかりほほにつけちゃう、そんなリディの事も愛しているはずだから」
「イレーネ……」

 イレーネの瞳は真剣そのもの。そして私を見つめるその視線は、とても優しかった。

「リディ。あなたは少し、自分を追い詰め過ぎているように、私には見えるの」
「……うん」

 確かに最近の私は離縁に怯え、そのことで自分を責め続けている。

「マーサ先生の言うことは正しい。だけど、全てに従えばいいというわけでもない。時には自分の意思を持って、行動することも必要よ」
「自分の意思を持つ……」

 私はイレーネの言葉を復唱し、考え込む。

 マーサ先生の教えにくことなど、私には想像もつかなかった。それに、イレーネが提案したように、自分の意志を持つ。その意味も良くわからない。でもそれが今の私に足りない事のようだ。

「じゃあ、私がこれからすべき事は?」

 私はうつむいていた顔を上げ、真っ直ぐにイレーネを見つめる。すると彼女は、ふわりと微笑んだ。

「たまには立ち止まって、周りを見てごらんなさい。そしてそこにあるものを、素直に受け止めてみることよ」
「周りを見る?」
「ええ。あなたには支えてくれる夫がいるじゃない。だからフェリクス様と、もっと踏み込んだ会話をするべきだし、きちんと自分の今の気持ちを、伝えるべきだと思う」

 リディアの提案に私は慌てて首を振る。

「いやよ。そんな事を言ったら、フィル様はここぞとばかり、離縁の話をするに違いないもの」

 私が咄嗟に発した言葉に、イレーネは悲しそうな表情を浮かべた。

「実はね、領地からここまでの移動は、それなりに体に負担がかかるの。だから、来月はもう来られないかも知れない」

 イレーネは無意識に、お腹をさすりながら告げる。私は彼女からもたらされた告白に驚きつつ、確かに仕方のない事だと、納得する気持ちになる。

 母になるイレーネにとって何より大事なのは、私じゃない。お腹の中にいる子なのだから。

「だからリディ、私はあなたが心配なのよ」

 イレーネは不安げな眼差しを向ける。私は、彼女の言葉に胸が締め付けられる。

 私はイレーネの事が好きだ。それは何でも話せる大事な親友だから。けれどこの時、私の心の中に、「ずるい」と、思う気持ち。子に恵まれたイレーネをねたむ気持ちが私の中にわいていた。

 そんな自分に嫌気がさしつつも、私は懸命に笑みを浮かべる。

「ありがとう。私は大丈夫。あなたとお腹の赤ちゃんの無事を祈ってるわ。頑張ってね」

 上部だけ取りつくろうような、どこか後ろ暗い気持ちを抱えた言葉を、私はイレーネに笑顔で告げたのであった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

愛されていたのだと知りました。それは、あなたの愛をなくした時の事でした。

桗梛葉 (たなは)
恋愛
リリナシスと王太子ヴィルトスが婚約をしたのは、2人がまだ幼い頃だった。 それから、ずっと2人は一緒に過ごしていた。 一緒に駆け回って、悪戯をして、叱られる事もあったのに。 いつの間にか、そんな2人の関係は、ひどく冷たくなっていた。 変わってしまったのは、いつだろう。 分からないままリリナシスは、想いを反転させる禁忌薬に手を出してしまう。 ****************************************** こちらは、全19話(修正したら予定より6話伸びました🙏) 7/22~7/25の4日間は、1日2話の投稿予定です。以降は、1日1話になります。

【完結】「君を手に入れるためなら、何でもするよ?」――冷徹公爵の執着愛から逃げられません」

21時完結
恋愛
「君との婚約はなかったことにしよう」 そう言い放ったのは、幼い頃から婚約者だった第一王子アレクシス。 理由は簡単――新たな愛を見つけたから。 (まあ、よくある話よね) 私は王子の愛を信じていたわけでもないし、泣き喚くつもりもない。 むしろ、自由になれてラッキー! これで平穏な人生を―― そう思っていたのに。 「お前が王子との婚約を解消したと聞いた時、心が震えたよ」 「これで、ようやく君を手に入れられる」 王都一の冷徹貴族と恐れられる公爵・レオンハルトが、なぜか私に異常な執着を見せ始めた。 それどころか、王子が私に未練がましく接しようとすると―― 「君を奪う者は、例外なく排除する」 と、不穏な笑みを浮かべながら告げてきて――!? (ちょっと待って、これって普通の求愛じゃない!) 冷酷無慈悲と噂される公爵様は、どうやら私のためなら何でもするらしい。 ……って、私の周りから次々と邪魔者が消えていくのは気のせいですか!? 自由を手に入れるはずが、今度は公爵様の異常な愛から逃げられなくなってしまいました――。

王子の片思いに気付いたので、悪役令嬢になって婚約破棄に協力しようとしてるのに、なぜ執着するんですか?

いりん
恋愛
婚約者の王子が好きだったが、 たまたま付き人と、 「婚約者のことが好きなわけじゃないー 王族なんて恋愛して結婚なんてできないだろう」 と話ながら切なそうに聖女を見つめている王子を見て、王子の片思いに気付いた。 私が悪役令嬢になれば、聖女と王子は結婚できるはず!と婚約破棄を目指してたのに…、 「僕と婚約破棄して、あいつと結婚するつもり?許さないよ」 なんで執着するんてすか?? 策略家王子×天然令嬢の両片思いストーリー 基本的に悪い人が出てこないほのぼのした話です。

婚約者に嫌われているので自棄惚れ薬飲んでみました

カギカッコ「」
恋愛
フェリシア・ウェルストンとマックス・エバンズ、婚約している二人だが、ある日フェリシアはマックスから破談にしようと告げられる。不仲でも実はマックスを大好きな彼女は彼を忘れるために自分で惚れ薬を飲もうと当初は考えていたが、自分を嫌いなマックスを盲目的に追い回して嫌がらせをしてやろうと自棄になってそれを呷った。 しかし惚れ薬を飲んでからのマックスはどうした事か優しくて目論見が外れる始末。されど好きだからこそそれに乗じてと言うか甘んじてしまうフェリシアと不可解な行動を取るマックスの関係は修復されるのか、な話。 9話目以降はファンタジー強めの全13話。8話まで多少手直ししたのでもしかしたら9話以降との齟齬があるかもしれません。

私が、良いと言ってくれるので結婚します

あべ鈴峰
恋愛
幼馴染のクリスと比較されて悲しい思いをしていたロアンヌだったが、突然現れたレグール様のプロポーズに 初対面なのに結婚を決意する。 しかし、その事を良く思わないクリスが・・。

雇われ妻の求めるものは

中田カナ
恋愛
若き雇われ妻は領地繁栄のため今日も奮闘する。(全7話) ※小説家になろう/カクヨムでも投稿しています。

欲しいものが手に入らないお話

奏穏朔良
恋愛
いつだって私が欲しいと望むものは手に入らなかった。

いつか彼女を手に入れる日まで

月山 歩
恋愛
伯爵令嬢の私は、婚約者の邸に馬車で向かっている途中で、馬車が転倒する事故に遭い、治療院に運ばれる。医師に良くなったとしても、足を引きずるようになると言われてしまい、傷物になったからと、格下の私は一方的に婚約破棄される。私はこの先誰かと結婚できるのだろうか?

処理中です...