坂津眞矢子星花短編集

坂津眞矢子

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鎌田尚子転生編

鎌田尚子は歪まない

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 気づけばそこは雪国だった。嘗て読んだ事のある本に似た文があったな、などと考えつつ想いつつ、ふと、ハッと尚子は我に返る。

「……はい?」

 そこは、一面雪景色。先程までいた変な空間とは全く違う、ある意味では見知った大自然という世界がお出迎えしてくれた。そしてそれはあまりにも過酷。猛烈に吹き付ける風と雪に思わずたまらず我慢しきれずしゃがみこんでしまう。すると今度は身体が思いっきり雪に埋もれ、その冷たさに思わず飛び退く。

「わ、わあわ、あっあっ……? え?」

 そして、飛び退いた背後は崖で、断崖絶壁で、その遙か下は真っ青な海で――……


□□□□□

 『またきた』

 変な人物が頭を抱えていた所に、新たにやってきた【不幸なる薄命の存在】。それは別人の魂ではなく、ついさっきまでここにいた、送り届けたばかりのほやほや魂、すなわち鎌田尚子の魂だった。流石に見覚えがあるようで、件の変な人は更に苦い顔をしてしまう。

「??? え? あれ?」
『よ、よかった……最低限は間に合ったようね……!』

 不手際で自身の管轄外に送ってしまった魂。幸いか災いか、彼の者はすぐに戻ってきてくれたようだ。薄幸なる魂が神の加護を受けない上そのまま転生したりすれば、当然そのまま送られる。間違いなく死んだばかりの状態、残り寿命0のままでそのまま送られたわけだ。で、結果転移直後即死である。今度はとある世界で転移直後海に叩きつけられてバラバラ即死、という、あんまりな最期。そのためか、変な人は尚子の死の直前、最期の痛みと記憶を彼女から消している。流石に不幸にもほどがあると感じたのだろう。

『あのー聞こえますかー?』
「わあああっ!?」

 意を決して、変な人が再度声をかけると、今度は聞こえたようで、彼女――……鎌田尚子はぴょんと飛び上がって驚いた。

「だ、誰!? ここはどこ!?」
『よ、よかった……! 今度は聞こえましたね』

 安堵した変な人は、驚き不審がる彼女をややスルー気味に、今度こそ詳細をと彼女と話を進めるのだった。

■■■■■

 鎌田尚子からすれば寝耳に水。青天の霹靂。藪から棒。寝耳にミミズの方が嫌だなぁ、とか余計なことまで思いつくほど、それはそれは意外な事だった。

「死んだのはわかりますし納得しますが、それで……わ、私が転生……? です?」
『はい♪』
「ちょ、ちょっと整理する時間を下さい」
『はい。焦らずにお考え下さい』

 丁寧に一礼する妙齢の謎の女性。彼女は尚子から見ると、とても親切で善人そのもの。なんか少し後ろめたさも見て取れる。
 故に、訝しむ。
 尚子自身が善人とは言い難い性格であるため、納得しきれないのである。もっと幼ければラッキー程度で受け入れてしまうかもしれなかったのだが、曲がりなりにも彼女はそれなりに年齢を積み重ね、真面目寄りで善人寄りで常識人寄りで、つまりはやや保守型に育っていた。なんの疑いもなく打算もなく取引もなく代償もなく、自身を蘇らせてくれる存在、に諸手を挙げてうなずき尻尾を振ってついていく、なんて事が出来るほど素直でも馬鹿でも世間知らずな箱入りお嬢様でもなかった。

(……)

 故に悩む。この変な世界を受け入れることまでは出来ても、自身のこれからを考えればなかなか受け入れる事ができない。
 死んだ事も受け入れた。
 家族と永遠に会えない事も受け入れた。
 あの娘と、二度と相まみえる事が出来ないのも、何とか受け入れつつある。
 そこに来て、ここでこれだ。蘇るなんて非常識なコトが本当に出来ると言うならば、おそらく私は選ぶだろう。選んでしまう。戻ってしまう。揺らいでしまう。生命の冒涜に等しい行動だろうとも。

「念の為、ですが」
『はい』
「同じ、鎌田尚子としての人生は歩めますか?」
『……』

 その、揺らめく扉を閉じる鍵となる質問には、首を振られる。それは無理、なのだろう。この時に、ようやく私は自身の世界との完全な別れを受け入れる。受け入れざるを得なくなる。浮き沈み消えては生まれた迷いが、消えていく。消えざるを得なくなる。私としての人生が、扉が、閉められる。

『出来ないわけではありません。しかし、貴女の肉体は既にあの世界にはありません。過去の記録や事象は変えることは出来ません』
「……そっか」
『ですが、過去の貴女のどこかの時間の肉体に、今の貴女の魂を送り込む、という事ならば可能です』
「そ、そうなんだ」

 けれど、と付け加えた彼女は続け、

『それをやってしまうと、魂が上書きされて一方は消えてしまいます』
「消える……」

 二つの魂を同じ肉体に入れる事は、たとえ同じ人間でも出来ないらしい。出来ても一方は吸収されるか完全に排除される。鎌田尚子はただ一人。そしてそれはもう死んだ。鎌田尚子Aの状態に私が戻ろうとしても、戻ったとしても、その時鎌田尚子Aという魂は私に取って代わられる。死んでしまう。

「……それは、出来ません。やりたくない」
『わかりました……ですが、同じ肉体をそのまま用意して別の世界へ、という手法ならば出来ますよ』
「その逆で、同じ世界で別の肉体で再度、という手法もあるのですね……」
『はい』

 輪廻転生というやつだろうか。どこかで別の誰かになら生まれ変われるが、同じ生き物にはなかなか戻れない。同じ生き物で続けるならば別の世界に行かされる。それは、元いた世界の理からはじき出されたから、のようにも聞こえてくる。平行世界というやつかもしれない。
 目の前の、謎の人を見つめる。優しげで寂しげで儚げな姿が印象的だった。ふと、この人は誰なんだろうかと疑問に思ったが、人の命をあれこれ左右出来るあたり神様かなんかなのだろう。八百万以上も神様はいるし、こういう神様が居てもおかしくはないのかもしれなかった。生前はそういう存在を、何もしてくれないと恨んだこともあったけれど、死んだ今なら不思議と落ち着いてしまえる。人間と別種族なんだから何もしなくても仕方がないのだ。むしろなんとかしてくれそうなこの状況こそが、異常だろう。

「ううん、精神がおかしくなりそう」
『そこは否定できません。だからこそ、同じ貴女は、もう同じ場所では歩めない』
「……そっか」

 二度目のそれで、降りる沈黙。
 私は、どうしようもなく、死んだのだ。それが幸か不幸かで言えば明らかに不幸。やり直す、と本当の意味で捉えるならば、鎌田尚子としてやり直すのが筋だ。
 しかしそれをやると言うならば、過去のどこかの段階で、あの時生きていた鎌田尚子過去の私が死ぬ。否、過去の鎌田尚子が今の鎌田尚子に殺される事になる。その後の歩みは彼女であって彼女ではなくなる。それは最大級の冒涜になる。
 これでは、出来ない。彼女が私なら、私が彼女ならば、やらない――……・・・・・・やらない。      

「その、転生ですが」
『はい』

 ふと、下衆な思考が頭を貫き、それがじわりと染み込み始めていることに気づく。私が私であるうちに、この目の前のカミサマっぽい人にさっさとどこかに、見知らぬ場所に放り込まれた方が良い、というところまで、気づいた。気づけた。それを言葉に出来た。気づいていながら言わないだとか、私が私でなくなる段階まで精神を自ら追い立てれば、私を殺してでも私に戻る事が出来る、という外道に落ちる段階は過ぎた。過ぎてくれた。悪知恵が働かないうちにこの人にどこへでも飛ばしてもらえば、きっと諦めも付く。

「貴女に全てを任せます」
『え……?』
「構いません」

 ああもう、なんだこれは。やっぱり私は、もう死ぬべきだったんだ。こんな未練がましいどころか、自分を殺してでも奪い取ろうとするだなんて。どこまで私は生にしがみついていたんだろう。これが、生への執着というやつなのだろうか。元気に動き回れる反動で、どこまでも醜くなってしまっている。なる可能性が生まれてしまっている。解る。解る。今ならば。生前読んだ本の幽霊たちが、亡霊が、地縛霊が、如何に生者に拘ったか。蘇りたかったか。取り付きたかったかが、解る。わかる。理解できる。
 だからこそ、判るわけにはいかない。判ってはいけない。私は人間だ。人間として死ぬんだ。死んでやるんだ。きちんと死なないといけないんだ。

『……次の生は、うんと幸せになるようにおまじないをしておくわ』
「前も幸せだったから、そこはいいですよ」

 真剣で苦悶な表情が出ていたのだろう。私を気遣うようにそんな提案をしてくれる彼女は、私の返しに微妙な顔をする。思わず苦笑する。動けないまま死んだのにとでも言いたげなその顔は、とても綺麗で優しげで寂しげで儚げで、少し微笑んでくれた。

『色々と、背負い込まないように……それじゃあ、次の世界でも貴女に幸せを!』
「ありがとうございます」

 最後に親切そうな人に感謝の意を言葉に出来た。よかった。獣のごとく死ぬ気はない。死んでるけど。視界はじわりとぼやけはじめ場は白く黒く照らされて、光と闇の世界が全てを飲み込み、無に帰る。
 元星花女子学園高等部一学年鎌田尚子は、こうして今度こそ次なる世界へと旅立っていった――……

□□□□□

『もう来ない、わね』

 しばらく待ってみたものの、現れない。また変な手違いで残り寿命0のまま送ったりはしていないようで、一安心する変な人。

『転移直後海転落バラバラ即死がそれなりに幸せ……なんて被虐思考な娘……』

 盛大な勘違いをしながら。
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