月誓歌

有須

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修道女、手厳しい洗礼を受ける

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 足元で若いメイドがうずくまって泣いている。
 結った髪の右半分が無残に切り落とされ、かろうじて乗っているホワイトブリムも無残なしわになっている。
 メイラはそっと膝を折り、彼女の背中に手を置いた。
「……誰に切られたの?」
 ぼろぼろと頬にこぼれる涙を、ハンカチで拭ってやる。
 まだ十代前半のメイドは首を振り、嗚咽をこらえてくぐもった声を漏らした。
「フラン」
 濡れ布巾を頬に当てていたフランも、ちらりとユリを見ただけですぐに口を開こうとはしなかった。
「話しなさい」
「……申し訳ございません」
「謝ってほしいわけじゃないのよ。誰が……」
「リコリスをひとりで行かせなければ、こんな事には」
「わ、私が悪いんです!!」
 リコリスという名の若いメイドはすっかり取り乱していて、話の要領は得なかった。
 メイラは時折その涙を拭ってあげながら、辛抱強く耳を傾ける。
 彼女の話をまとめると、大体こうだ。
 大膳所に軽食を依頼しに行く途中、ある側妃の侍女数人とすれ違った。その侍女は大切そうに盆の上に箱を乗せていて、もちろんリコリスは頭を下げて通路の端に控えた。
 しかし、丁度すれ違うところで侍女はつんのめり、転んでしまった。
 それが故意なのか事故なのか、判断が難しいなどというのは状況を知らぬ者だけだ。
 後宮内の通路は広い。多少人がすれ違ったところで、互いにぶつかることなどありえない。
 転んだ侍女は、持っていた箱を慌てて拾い上げ、中身を見て悲鳴を上げた。
 壊れていると、陛下からの拝領品になんということを! と。
 リコリスはその場で取り押さえられ、側妃の部屋に連れていかれた。
 もちろん彼女は、自分は何もしていない、侍女には触れてもいないし、足など引っかけていないと訴えた。
 もちろん聞く耳を持ってもらえるわけがない。
 ヒートアップする押し問答の中、リコリスは髪を切られ、鞭で折檻されていたという。
 そこへ到着したフランが彼女を救出できたのはちょっとした幸運による。
 どうやらその側妃は昨夜、陛下の閨に呼ばていたらしいのだ。それが流れてしまったので、今夜改めてと侍従が告げに来たところとタイミングよく行き合った。
 慌てて取り繕う側妃も、これ以上彼女たちにかかわっている場合ではないと思ったらしい。頭を下げたフランの頬を扇子で思いっきり叩き、「もういいわ」の言葉を掛けて二人を追い払った。
 メイラが後宮に入ってきたせいで、閨に侍る順番が変わってしまったのだろうか。それとも昨夜、陛下はあの後に更にまた別の方との夜伽をこなしに行く予定だったのか。
 もし後者であれば、待ちぼうけをくらわされた側妃は怒るだろう。
 長く待たされた末に部屋に返されたとあっては、報復を企んでもおかしくはない。
 相手が己より格の高い妃であればまだしも、メイラのような新参の地味女であればなおの事。
「……鞭で叩かれたの? どこを?」
「は、はい」
 リコリスは泣きじゃくりながらもぞもぞとお尻の辺りに手を当てた。
 背中は万が一、ドレスアップする機会があった際に傷が目立ってしまう。
 その点臀部であれば頑丈だし、多少の傷なら目立たない上に、恥ずかしい場所なので誰かに見せることもないと踏んだのか。
「痛むのなら休んでいなさい。手当が必要ならお医者様をお呼びしましょう」
 メイラは気の毒になって、もう一度彼女の背中を撫でた。
 鞭の傷は、服に触れるだけで火傷をしたようにヒリヒリと痛むはずだ。しばらくはまともに椅子に座ることすらできまい。
「フラン、あなたの方はどう?」
「大丈夫です」
「良く見せて。口の中は切れなかった?」
 メイラは遠慮する彼女の傍に寄り、濡れ布巾を当てている頬に手を伸ばした。
 扇子で殴られたという細長い傷は、赤から紫色に変化してきていた。口の端が切れ、血がにじんでいる。
「金具の部分が当たったのではなくて?」
 相当に痛ましい傷だが、跡が残るようなものではないのが救いか。
 メイラはするりとフランの頬を撫で、下げていた布巾に手を添え再びそっと押し当てさせた。
「薬を塗っておいたほうがよさそうね」
「いえ、メルシェイラさま。本当に大丈夫です。この程度の怪我なら慣れております」
「……慣れているの?」
「あっ、その、いえ……子供のころに」
「まあ」
 メイラは小さく目だけで微笑んだ。男勝りなフランの様子が目に浮かぶようだったからだ。
 少年に混じって遊んでいたのだろうか。鬼ごっこをしたり、かくれんぼをしたり? 剣士ごっこはいつでも少年たちの大好きな遊びだ。 
「お転婆さんだったのね」
「……はい」
 いったん思い出すともう駄目で、メイラは孤児院の子供たちが恋しくてたまらなくなった。
 ろくな挨拶もせずに別れてきた。
 宿題はちゃんとしているだろうか。喧嘩なんてしていないだろうか。
 傍にいるときは手がかかり、腹が立つことも多い子たちだが、会えなくなるとその騒がしさすら懐かしい。
「ふたりとも、今日はもう下がりなさい。特にリコリス、夜に熱が出るかもしれないから気を付けて」
 まだ泣いているリコリスの頭に手を置いた。子供たちのことを思い出したせいだろう、宥めるように二・三度撫でる。
「その髪、切られた房はどうしたの? 充分な長さがあれば付け毛が作れるけれど」
「……あっ」
 リコリスは思いつかなかったとばかりに声を上げ、次いでまたボロリと大粒の涙をこぼした。
 拾ってはこれなかったようだ。
「その側妃さまの部屋付きメイドに声を掛けて、取り戻せないかやってみましょう」
 他人の髪などさっさとメイドに掃除させ、すでに側妃の部屋にはないだろう。早く動けば綺麗な状態で回収できるかもしれない。
 メイラのその言葉に、リコリスはまたヒクリと大きくしゃくりあげた。
「すぐに聞いてまいります。ポメラ」
 ユリが指名するその名前に、思わず顔を上げて周囲を見回した。
 明るい茶色の髪の部屋付きメイドは、当たり前の顔をして扉の脇に控えていた。
 彼女はさっきからそこにいただろうか。いや、部屋に誰かが入ってくればさすがに気づくから、いたのだろう。
 相変わらず視線は合わない。リコリスは見るからに普通のお嬢さんだが、彼女はどうもそうではない気がする。
「……お願い。行くときには絶対に誰かと一緒にね」
 ポメラは低く腰を落とし、礼をとった。
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