月誓歌

有須

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皇帝、自称祖父とは相いれないと知る

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 憲兵師団長が身支度する間も惜しんで直接来た理由は、彼が持参した荷物を見た瞬間にわかった。
「すぐに御仕度を。急がなければ間に合いません」
 それは、戦場にはまったく相応しくない、エゼルバード帝国皇帝としての礼装だった。
 今のような状況で、ハロルドが礼装で出迎えなくてはならない相手など、数えるほどしか存在しない。
 一番可能性が高い人物を思い浮かべて、おそらくはそれが正解なのだろうと思った瞬間に、不快感で顔が歪んだ。
「今はご辛抱を」
 公人としてふるまえと言う腹心に、「わかっている」と低く答える。
 怒りで腸が煮えくり返りそうであっても、夫として報復する権利を行使することは許されない。
 今からここに来るのは、下手な国の君主よりも力を持つ人物で、帝国にも深くその影響力を食い込ませている相手だからだ。
 心得た侍従たちが身支度を整えてくれる間に、近衛騎士たちが天幕の内部を片付ける。
 実用一辺倒の机や椅子が運び出され、わざわざ運んできた皇帝が利用するに相応しい備品と交換される。内部を整えると同時に、外側からも天幕を張り替えるバサバサという音が聞こえてきた。
 見た目よりもずっしりと重い礼装を着つけてもらいながら、ハロルドは天幕の反対側で老師と並んで立っているネメシスを目で呼び寄せた。
 時間を無駄にせず、寸前まで話していた内容を共有したい。そのために、早々にフェードアウトした憲兵副師団長がどこに行ったのか聞こうとしたのだ。
「陛下。老師に話は伺いました。丁度良いタイミングだと思うべきでしょう」
 神官による浄化を依頼しなければならないのはわかっていたが、今からくる相手に頭を下げなければならないのは業腹だった。
 この国の皇帝だというプライドではなく、一人の夫として、妻をさらって行こうとした者たちに何も出来ないのが腹立たしい。
 ゴウっと大きな地響きのような音がした。
 それは聞き慣れた翼竜の羽音だった。
「……青竜将軍がいらしたようですね。間に合ってよかった」
 現在ハロルドの指揮下で敵と対峙しているのは、近衛師団と近隣に展開していた朱雀師団の一部だ。もちろんそれ以上を呼び寄せることは可能だったのだが、目前の敵を叩き過ぎてはいけないという都合上、別途違う方面に行かせている。
 具体的には、敵の大元であるブロウネ共和国だ。
 現在敵の補給路を断っているので何も知らずにいるだろうが、実はかの国はすでにもう陥落寸前である。一番良いのが、国からの指示で兵を引かせることだ。そのために敵を殲滅せず、わざと戦況を長引かせている。
「陛下」
 着替えが終わり、髭をあたり、最後に髪を整えてもらっているうちに、普段の簡易な装束ではなく、きっちりと正装したロバート・ハーデス青竜将軍がやってきた。そうやって身なりを整えると、騎士らしい体躯をしているので見栄えがする。顔立ちも、髭を剃って髪をしっかりときつけていると五歳は若く見える。
「来たか」
「はっ、お召しと伺いました。猊下は帝都とハーデス公爵領の転移門を用いて来られます。おおよそ五百の神殿騎士を同行されるとか」
「五百? 魔法士は大丈夫なのか?」
 転移門は、今ではその仕組みについて多くの知識を失ったテクノロジーである。使うことは可能なのだが、壊れてしまえば二度と修復は難しいし、何より膨大な魔力を食う。特に大きな門で一気に多くの物量を転移させようとすれば、貴重な魔力持ちたちを多数廃人にしてしまいかねない。
「起動させるのに必要な多くは神殿側で負担して頂きました」
 ネメシスが、ハロルド同様心配そうな顔をした老師に頷きかけた。
「改めて、中央神殿を敵に回す危険を感じました。急なことにもかかわらず、あんなにも大勢の魔力持ちを用意し行使することができるのは脅威です」
 五百という数は兵数としては少なく、敵地を陥落させるには不十分だが、それが内側から突如現れれば混乱を引き起こすことは十分に可能だ。
「今後警戒を引き上げる必要があります」
 メルシェイラともその父親ともまるで似たところのないロバート・ハーデスが、ネメシスの言葉に訝し気な顔をした。
 それを見て、異母妹の一件が彼の耳まで届いていない事を知る。
 公が知らせなかったのか、知る機会がなかったのかはわからないが、表面上はまだ友好的な態度を保っているという事だろう。
「いつ到着する?」
 対等あるいはそれ以上の客人である場合、本来であれば帝都で待たせ、ハロルドがそちらに駆け付けるほうが礼儀にかなっている。
 しかしどちらが言い出したにせよ、教皇ポラリスは近場とはいえわざわざ前線に来るという。
 ただの表敬訪問でない事だけは確かで、おそらくは下手に出でまでこちらに通したい話があるのだろう。
 それがメルシェイラのことで、その身柄をよこせと言われた時にどう答えるべきか。
 受け入れるつもりは毛頭ないが、中央神殿と完全に対立するのは避けたい。
「私が帝都を出た時に、すでに第一陣が転移門をくぐっておりました。五百名すべての到着を待つと考えましても、それほど猶予はありません」
「今帝都の城門が開いて、神殿騎士たちが騎馬に乗って出てきましたよ。見事に揃いの白馬ですが、あんなの帝都にいましたか?」
 天幕をくぐって顔をだしたピアヌが、ろくな礼を取らず相変わらずの低音で言った。
「騎士だけでなく馬も転移させてきたのか?!」
 かなり礼儀に欠けたその態度に顔をしかめたのはロバート・ハーデス青竜将軍と新参の近衛騎士だけで、慣れている者たちはたいして咎めたてもせず、その内容の方に驚いた顔をした。
 ハロルドが翼竜を転移させた時にも魔法士にはかなり無理をさせた。それを五百、騎馬を含めてともなると、どれだけの魔力を消費したのだろう。
「お出迎えになった方がよろしいでしょう」
 ネメシスの進言に、ハロルドは渋い顔をして頷いた。
 帝都は、平城の周りに作られた城下町だ。広大な平原の只中にあり、今もなお徐々に拡大を続けている。
 本陣は、その帝都を一望できる少し高台に据えていた。目のいい者であれば、出入りの詳細が見てとれる位置だ。
 巨大都市なので、近くに見えていても実際の距離はかなりあるが、騎馬であればさほど時間はかからない。
 ハロルドは侍従が櫛を片手に一礼して下がるのを待って、椅子から立ち上がった。
 本能的に帯剣を探そうとして、礼装なのだと思い出す。見た目より防御力はあるが、剣を振るって戦うには身動きがとり難い。
 その仕草を見て、ネメシスが立てかけられているハロルドの愛剣を手に取った。
「前線においでなのですから、帯剣されてもかまわないでしょう」
「一応目立たないようにしておきます」
 友好的な相手を前に武装するのは、本来であれば礼儀に反する。
 しかし白髪の侍従も憲兵師団長の意見に同意して、片膝をついて腰に剣を吊るす帯を取り付けた。
 ハロルドはネメシスから剣を受け取り、しっくり手に馴染むその重みを確かめながら腰に吊った。
 片方の肩から垂らしたマントを下ろすと、程よく隠れてくれる。
 装飾用ではない実用の剣を身に着けたハロルドを見て、近衛騎士たちもまた、緊張した面持ちで居住まいを正した。
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