月誓歌

有須

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修道女、旅立つ

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 フランは、ティーナたち兄妹を逃すために、殿を引き受けたらしい。
 離宮に侵入してきた者たちは闇に紛れてかなりの数いて、父が配置してくれていた騎士たちを含め、異変に気付いた端の使用人やフラン、総勢七名が死亡した。重傷者は軽くその倍、軽症者を含めると三十名近くが今回の被害だ。
 この先も輝かしい人生が続いていくはずだった彼らが、どうしてこんなところで命を落とさなくてはならなかったのだろう。
 この惨状がすべて己の不甲斐なさの結果だと思うと、心がつぶれそうになる。
 死神の腕が撫でるという事は、これだけの命が零れ落ちていく事なのか。
 理不尽への怒りよりも、悲しみの方が深かった。
「……本当に行かれるのですか?」
 黙り込んでしまったユリに代わって、シェリーメイが問いかけてきた。
「男どもだけでは不自由もございますでしょう。決して足手まといにはなりませんので」
「いやよ」
 彼女たちの顔を真正面から見ることが出来なかった。
 フランを死なせてしまったという負い目が、なにもできなかったという辛さが、メイラの心を責め苛んでいる。
「……もう、嫌なの」
 メイラは街娘らしく整えられた髪形に触れながら、小さな鏡に映っているメイドたちの首から下を見つめた。
「あなたたちの誰も失いたくない」
「御方さま」
「必ず終わらせるわ」
 瞬きはしない。涙が零れ落ちてしまうから。
「……絶対に、あなたたちを死なせない」
 ぱたり、と手鏡を膝の上に伏せ、潤んだ眼を彼女たちから隠した。
「陛下も、帝都も……すべてを救いたいと思うのはきっと傲慢ね」
 こんな非力な腕で、守れるものなど限られている。
 だからこそ出来ることをしたい。やるべきことから目を逸らしたくない。
「後悔したくないの」
 引き留めるメイドたちを振り切るようにして出立したのは、いまだ夜も明けない早朝、日の出も遠い時刻だった。
 見送りは部屋内まで、分厚いフード付きのマントを羽織り、冷え切った屋外に出る頃にはもう暖かい彼女たちの所へ戻りたくなってしまったが、振り返りはしなかった。
 移動の手段として用意されたのは古びた荷馬車。ダンは申し訳なさそうな顔をしていたが、メイラにとっては懐かしいものだ。
 かつてはこの手の幌馬車に乗り、ガタゴト揺られながら近隣の街を往復した。寄付を募り、バザーの為に安い生地や糸を探しに行き、時には薬草などを売りまわったこともある。
 その頃よりむしろ、中にしつらえられたクッションやブランケットが贅沢なほどだ。
 馬車に乗りこむとすぐに、幌の幕が下ろされた。
 スカーの故郷は思っていたよりも遠くはなく、海に出て西方向に数日ほどの小国だった。さほど知られた国ではなく、険しい山岳地帯が多い国だというイメージがある。夢で見た印象だと、豊かな森の広がる水資源に恵まれた国だった。
 暗闇に閉ざされた幌馬車の荷台で、到着するまでの日数を指折り数える。
 竜が召喚されるまでに間に合うだろうか。追手に見つからず行けるだろうか。
 数か月かかる遠国ではなかったのが幸いだ。旅慣れたダンやスカーがいるから、最短の日数でたどり着けるだろう。問題はメイラの体力だが、最悪手荷物の如くに運んでくれと頼んである。とにかく早く、追手に邪魔される前に、あの湖へたどり着きたい。
 その先で待っていることは深く考えないようにしている。
 とにかく、湖へ。
 あの、ひとつきりの月が掛かる、黒き御神の臥所へ。
「しばらくは馬車での移動です。酔わずにいられるようなら、横になってお休みください」
 街を出るまでは、兵士にも騎士にも見えないスカーが御者台に座り、その後交代で御者と護衛を務めるらしい。
 メイラは気遣ってくれるダンの顔を見上げた。
 その闇に馴染む黒髪が安心感を持たせるのか、狭い空間に二人きりだというのに気まずさはない。
「ランプは消した方がいいのではないですか?」
「しっかりした幌ですから、明かりが漏れることはほぼないと思います。暗いのは恐ろしいでしょう?」
「わたくしは特には……」
「今の時刻は、早出の商隊が街を出る頃合いです。多少の明かりを不審に思われたりはしませんのでご安心を」
 メイラは若干の困惑を込めて大柄な男を見上げた。
 陛下よりも背が高く、竜騎士の異母兄よりもがっしりとしている。それでいて、威圧感よりも頼もしさを感じるというのは、黒髪黒目という、同じ民族特有の色彩のせいか。
「メルベルと呼んでください。短い間ですが、よろしくお願いします」
「そうですね。失礼ながらしばらくは私の娘ということで」
「はい」
「言葉も多少荒くなると思いますが……」
「そんな」
 こんな時だというのに、メイラは小さく微笑んだ。形だけであってもまだ自分が笑えるという事に、例えようもない安堵を覚える。
 大きな身体を縮めるようにして恐縮している男に、やはり身内に感じるような気安さを感じているのだろう。
「おとうさん」
 ダンは驚愕の表情でのけ反り、ぶつぶつと口の中で謝罪して、小さく頭を下げる。
 髪が短く刈られているので、むき出しになった耳が真っ赤になっているのが見えた。
 言い訳をさせてもらえば、揶揄いたいわけではなかった。
 無精ひげの、身綺麗とは到底言えない冒険者然とした装いの男性だ。おそらくは父というには若く、三十代半ばぐらいだと思う。頼もしさはあるが雰囲気が強面で、近づきがたい寡黙そうな人なのだ。
「……ふふふ」
 ぼろり、と涙がこぼれた。
 ユリたちの前では決して見せまいと耐えていたのに、何故かこの人の前では隠す必要を感じなかった。
 道が悪くなり、先ほどよりもガタゴトと幌馬車が揺れる。
 もともと街はずれにいたので、おそらくはすでにもう街道に出ているのだろう。
 涙が流れるままにしていると、ふわり、と用意されていたブランケットを頭からかぶせられた。
 メイラはその閉ざされた空間の中で、静かに瞼を伏せて、嗚咽を漏らす。
 今この時だけは、命を落とした者たちを偲んで泣く事を自身に許した。
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