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修道女、星に祈る
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「……ああ、これは」
メイラを一目見るなり、猊下の顔色が曇った。
あの後、何事もなかったかのように呼吸を取り戻したメイラは、いったい何が起こったのかわからず首を傾げながらも、有能なメイドたちによって身支度を整えられた。
部屋着にショールという猊下をお迎えするにはあまりにも簡単なものだが、臥せっていたのだからそれでも十分と、至極リラックスした服装の陛下が仰るのだ。ベッドの上から。
もう一度言う。陛下が寛いでいるのは先ほどまでメイラが休んでいたベッドだ。
世界最大の宗教組織であり、国境を越え影響力を持つ中央神殿の教皇猊下がいらっしゃるのだ。陛下にとっても、丁重におもてなしするべき相手だと思うのだが。
「はっきり残ってしまったね」
「……?」
来客には無関心と態度で示す夫に代わり、まずは挨拶と淑女としての礼を取る。続いて口上を述べようとしたところで、メイラは猊下の表情に気づいた。
どうしてそんな、痛まし気な顔をしているのだろう。
「手首を見てごらん」
言われて見下ろした腕に、特に変わったところはない。
「右手首だよ」
言われて初めて気づく程度の『徴し』だった。
血色のあまり良く無い手首にぐるりと一周、蔦模様のような白い筋がある。
「御神に触れられてしまった証しだ」
「御神?!」
ひっと息を飲んだメイラに、猊下は小さく頷いた。
そしてやおら、立ち襟の前のホックを外し、インナーのハイネックをも少し下げる。
「……見えるかい?」
「く、首に」
「主神ラーンによって付けられた『徴し』だ」
首にぐるりと一周、メイラのものよりずっと濃く、白というよりも銀色の紋様が刻まれていた。
それを見て衝撃を受けたメイラの背後で、衣擦れの音と共にベッドが軋んだ。
「まるで首輪だな」
「……陛下!」
「そうだね、エゼルバード陛下。わたしもそう思う」
まるで悲しい事を言われたかのように、猊下は少し眦を下げて苦笑した。
「君の状態にもう少し早く気づけば、触れられる前に何とかできたのに。ごめんね」
「……あ」
不意に、とてつもない恐怖が沸き上がってきた。
あの直視すらかなわない深い闇色をしていた御神には、深い畏敬の念を抱いているが、その事ではない。
御神に触れてしまった事で、陛下の妻であると名乗れなくなる可能性があると気づいたからだ。
「大丈夫だよ、愛しい子」
そんなメイラの頬に手を伸ばし、猊下は穏やかな口調で言った。
「君が望むようにするがいい。御徴がある者すべてが神職なわけではない」
果たしてそれが事実か分からない。メイラが知る限り、神の寵愛をうけたとされる御徴を身体のどこかに刻まれた者は、そのほとんどが中央神殿の高位神職だからだ。
「だがしかし、あまり他所に知られないほうがいいね。幸いにも目立たない場所だし、目立たない色だ」
「……妻に触れるな」
「血を分けた孫を愛でるぐらいかまわないだろう?」
表ざたにはするべきではないことをさらりと暴露してくれた猊下にぎょっとしたが、それ以上に、陛下がまったく動じなかったことに驚いた。
「触れるな」
「やれやれ、身内にまで悋気? それとも、御徴をつけられたことを怒ってる?」
父に聞いたのだろうか?
真偽がどうも怪しいので、できれば知られたくなかったのだが。
「図星か。噂と違い随分と狭量だねぇ」
むき出しの太い腕が腹に回されて、ぐっと後ろに引き寄せられた。
かなり強引に引き離され、メイラは反応に困り、猊下は軽く肩をすくめ苦笑する。
「気を付けるがいい、エゼルバード陛下。あなたの掌中の珠を奪われないように」
ますます腕の力が強まり、同時に、固い胸板に抱き込まれる形になった。
ふわりといい匂いがして、頭上に口づけを落とされたのがわかった。
猊下の前なのに!
真っ赤になったメイラに、猊下の表情が優しく綻ぶ。
すいませんすいません! と叫び出したいのを、唇を引き結んでなんとか我慢した。
「メルシェイラ、愛しい子。何が起こったか知りたいかい?」
「知る必要はない」
「鳥かごの鳥じゃないんだから、彼女には知る権利があるよ」
「二度と外には出さん」
「羽をもぎ、鳥かごの奥深くに仕舞い込むつもり?」
「陛下! ……猊下も」
口論になりそうだったので、慌てて止めに入った。
背後の陛下の表情はわからないが、猊下の整った顔には満面の笑み。
……少しわかってきたのだが、この方の笑顔は要警戒だ。
「やめておこう、可愛いメルシェイラが泣き出しそうじゃないか」
そう言って、やさし気な微笑でメイラの懐疑心をうやむやにする。
「きちんとは話しておこうね。そうそう、先に言っておかなければいけないことがあった。ミッシェル君は保護できたよ。今はリンゼイ枢機卿と一緒にいるから安心して」
「ほ、本当でございますか?!」
「落ち着いたら会ってあげるといい。おそらくあの子は、リンゼイ枢機卿預かりで中央神殿に行くことになるだろうから」
「……えっ」
「特殊なギフトのある子だね? だから誘拐されたのだと思うよ」
メイラの中での彼は、泣き虫で身体の弱い幼児だ。夜泣きも多く、三歳にしてまだ言葉も覚束ないような子だった。ギフト……つまりは生まれ持っての能力など、片鱗すら感じたことはない。
「それは……他者に利用される可能性のある能力だということでしょうか」
「いいや、むしろ本人の気質に左右されるものだと言った方がいいね。……きちんと教育を受け、制御を学べば、多くの人に恵みをもたらす人間になるだろう。あまり心配しないで」
「あの、あの子には血のつながりはないのですが、兄弟のように育った兄がいまして」
「ああ、君に生卵を投げつけ、挙句に賊を手引きした子だね」
にっこり。
猊下はものすごい笑顔だったが、真正面からそれを見てしまったメイラの肝はひんやりと冷えた。
「ち、違うのです。いえ、違いはしないのですが、その」
「わかっているよ」
生卵の件は、投げられたのではなくて警告してくれたのだとフォローしようとして、あれ、もしかしてメイラたちをあの場所に連れて行くためにわざとそうしたのではないか、と気づく。
無意識のうちに眉が下がり、情けない表情になってしまったが、そんなメイラの頭を撫でたのは大きな陛下の手だった。
メイラを一目見るなり、猊下の顔色が曇った。
あの後、何事もなかったかのように呼吸を取り戻したメイラは、いったい何が起こったのかわからず首を傾げながらも、有能なメイドたちによって身支度を整えられた。
部屋着にショールという猊下をお迎えするにはあまりにも簡単なものだが、臥せっていたのだからそれでも十分と、至極リラックスした服装の陛下が仰るのだ。ベッドの上から。
もう一度言う。陛下が寛いでいるのは先ほどまでメイラが休んでいたベッドだ。
世界最大の宗教組織であり、国境を越え影響力を持つ中央神殿の教皇猊下がいらっしゃるのだ。陛下にとっても、丁重におもてなしするべき相手だと思うのだが。
「はっきり残ってしまったね」
「……?」
来客には無関心と態度で示す夫に代わり、まずは挨拶と淑女としての礼を取る。続いて口上を述べようとしたところで、メイラは猊下の表情に気づいた。
どうしてそんな、痛まし気な顔をしているのだろう。
「手首を見てごらん」
言われて見下ろした腕に、特に変わったところはない。
「右手首だよ」
言われて初めて気づく程度の『徴し』だった。
血色のあまり良く無い手首にぐるりと一周、蔦模様のような白い筋がある。
「御神に触れられてしまった証しだ」
「御神?!」
ひっと息を飲んだメイラに、猊下は小さく頷いた。
そしてやおら、立ち襟の前のホックを外し、インナーのハイネックをも少し下げる。
「……見えるかい?」
「く、首に」
「主神ラーンによって付けられた『徴し』だ」
首にぐるりと一周、メイラのものよりずっと濃く、白というよりも銀色の紋様が刻まれていた。
それを見て衝撃を受けたメイラの背後で、衣擦れの音と共にベッドが軋んだ。
「まるで首輪だな」
「……陛下!」
「そうだね、エゼルバード陛下。わたしもそう思う」
まるで悲しい事を言われたかのように、猊下は少し眦を下げて苦笑した。
「君の状態にもう少し早く気づけば、触れられる前に何とかできたのに。ごめんね」
「……あ」
不意に、とてつもない恐怖が沸き上がってきた。
あの直視すらかなわない深い闇色をしていた御神には、深い畏敬の念を抱いているが、その事ではない。
御神に触れてしまった事で、陛下の妻であると名乗れなくなる可能性があると気づいたからだ。
「大丈夫だよ、愛しい子」
そんなメイラの頬に手を伸ばし、猊下は穏やかな口調で言った。
「君が望むようにするがいい。御徴がある者すべてが神職なわけではない」
果たしてそれが事実か分からない。メイラが知る限り、神の寵愛をうけたとされる御徴を身体のどこかに刻まれた者は、そのほとんどが中央神殿の高位神職だからだ。
「だがしかし、あまり他所に知られないほうがいいね。幸いにも目立たない場所だし、目立たない色だ」
「……妻に触れるな」
「血を分けた孫を愛でるぐらいかまわないだろう?」
表ざたにはするべきではないことをさらりと暴露してくれた猊下にぎょっとしたが、それ以上に、陛下がまったく動じなかったことに驚いた。
「触れるな」
「やれやれ、身内にまで悋気? それとも、御徴をつけられたことを怒ってる?」
父に聞いたのだろうか?
真偽がどうも怪しいので、できれば知られたくなかったのだが。
「図星か。噂と違い随分と狭量だねぇ」
むき出しの太い腕が腹に回されて、ぐっと後ろに引き寄せられた。
かなり強引に引き離され、メイラは反応に困り、猊下は軽く肩をすくめ苦笑する。
「気を付けるがいい、エゼルバード陛下。あなたの掌中の珠を奪われないように」
ますます腕の力が強まり、同時に、固い胸板に抱き込まれる形になった。
ふわりといい匂いがして、頭上に口づけを落とされたのがわかった。
猊下の前なのに!
真っ赤になったメイラに、猊下の表情が優しく綻ぶ。
すいませんすいません! と叫び出したいのを、唇を引き結んでなんとか我慢した。
「メルシェイラ、愛しい子。何が起こったか知りたいかい?」
「知る必要はない」
「鳥かごの鳥じゃないんだから、彼女には知る権利があるよ」
「二度と外には出さん」
「羽をもぎ、鳥かごの奥深くに仕舞い込むつもり?」
「陛下! ……猊下も」
口論になりそうだったので、慌てて止めに入った。
背後の陛下の表情はわからないが、猊下の整った顔には満面の笑み。
……少しわかってきたのだが、この方の笑顔は要警戒だ。
「やめておこう、可愛いメルシェイラが泣き出しそうじゃないか」
そう言って、やさし気な微笑でメイラの懐疑心をうやむやにする。
「きちんとは話しておこうね。そうそう、先に言っておかなければいけないことがあった。ミッシェル君は保護できたよ。今はリンゼイ枢機卿と一緒にいるから安心して」
「ほ、本当でございますか?!」
「落ち着いたら会ってあげるといい。おそらくあの子は、リンゼイ枢機卿預かりで中央神殿に行くことになるだろうから」
「……えっ」
「特殊なギフトのある子だね? だから誘拐されたのだと思うよ」
メイラの中での彼は、泣き虫で身体の弱い幼児だ。夜泣きも多く、三歳にしてまだ言葉も覚束ないような子だった。ギフト……つまりは生まれ持っての能力など、片鱗すら感じたことはない。
「それは……他者に利用される可能性のある能力だということでしょうか」
「いいや、むしろ本人の気質に左右されるものだと言った方がいいね。……きちんと教育を受け、制御を学べば、多くの人に恵みをもたらす人間になるだろう。あまり心配しないで」
「あの、あの子には血のつながりはないのですが、兄弟のように育った兄がいまして」
「ああ、君に生卵を投げつけ、挙句に賊を手引きした子だね」
にっこり。
猊下はものすごい笑顔だったが、真正面からそれを見てしまったメイラの肝はひんやりと冷えた。
「ち、違うのです。いえ、違いはしないのですが、その」
「わかっているよ」
生卵の件は、投げられたのではなくて警告してくれたのだとフォローしようとして、あれ、もしかしてメイラたちをあの場所に連れて行くためにわざとそうしたのではないか、と気づく。
無意識のうちに眉が下がり、情けない表情になってしまったが、そんなメイラの頭を撫でたのは大きな陛下の手だった。
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