月誓歌

有須

文字の大きさ
上 下
130 / 207
修道女、星に祈る

2

しおりを挟む
 それではどうするかの結論は、慰霊祭が終わるまでに決めると父は言う。
 一番危険なのがその慰霊祭ではないかと思うのだが、ほかならぬ父が最もそれを理解しているだろう。
 なにしろ、祭事中は護衛も、侍従やメイドなどの傍付きなども、近くに置けないからだ。
 もちろん向こうの条件も同じなのだが、黒幕が直接手を下すはずもなく、攻める側のほうが有利なのは言うまでもない。
 メイラは軽くこめかみに手を当てながらため息をついた。
「祭事に出席しないというのは? 体調不良であれば非難も受けないでしょう」
「いや、伯爵家の息子たちはかなりの手練れぞろいだ。義妹を守るだけの腕はある」
 広い部屋の隅の方で、ソファーに腰を下ろしたティーナ嬢が大きく身体を震わせた。
「ティーナ!」
 リオネルが慌ててその背中をさすり、顔を覗き込もうとするが、顔を覆った両手からぼだぼだと大量の涙が滴り落ち、ひゅうひゅうと喉が鳴る音が聞こえた。 
 メイラは立ち上がった。
 大股に近づくと、リオネルはあからさまに警戒の表情になったが、かまわず反対側の空いている席に座りそっとティーナの頭を胸元に抱きしめる。
 ひと際大きく喉が笛のような音を発し、呼吸ができないのだとわかる仕草で喉に爪を立てようとした。
「過呼吸ね。ゆっくり息を吐くのよ」
 メイラはそっとその手を握りしめ、いち、に、と声に出して数をかぞえた。
 過呼吸などのパニック症状は、虐待を受けたことのある子供によく出る症状で、専門家ではないがその対処方法はわかっていた。
 ゆっくり息を吐くことで呼吸のコントロールを取り戻すのだ。
「……そうよ。上手ね」
 ぎこちないながらもメイラのカウントどおりに呼吸できはじめると、真っ青だった唇に薄く血の気が戻ってくる。
「も、もうしわけ……」
「大丈夫よ。少なくとも今この部屋の中では、誰もあなたを害さないわ」
 ささっと有能なユリが差し出したハンカチで、濡れた頬を拭ってあげる。
 メイラはしばらくそのつらそうな顔を見つめて、疑問に思ったことを真正面から聞いてみることにした。
「もしかして、あなたの今夜のパートナーは義理のお兄さまだったの?」
「……っ」
「お義兄さまが、怖いのね」
 違和感はあったのだ。
 こんな目にあっても、パートナーや家族を頼ろうとはしなかった。義理の家族への遠慮のようにも見えたが、それにしては反応がおかしかった。
「具体的に何かあったの?」
「いっ、いえ!」
「あったのね」
「ティーナ? どういうことだ?!」
「あなたは少し黙っていて」
 メイラがぴしゃりと言うと、リオネル卿が驚愕の表情を浮かべた。
 大貴族のお坊ちゃんだから、こんなふうに窘められたことなどなかったのかもしれない。
「心配しないで。貴女が嫌だと思うなら、そのお義兄さんには二度と会わないように命じるわ」
 ……父がだけれど。
「違います。違うんです」
 震える唇から、ようやく零れたのは否定の言葉だった。
「……あ、義兄の婚約者の方が」
「婚約者? 夜会であなたのパートナーを務めたのよね?」
 婚約者がいれば、その役目は別の人間に託されたはずだ。
「パートナーは、次兄です。二番目の義兄は、わ、わたくしが長兄を誘惑したと」
「もしかして、化粧室のお嬢さん方の中にいたのかしら。その、婚約者の方」
「は、はい。栗色の髪の……」
 ティーナに敵愾心をむき出しにしていた、あのほっそりとした美女のことか。
「それで二番目のお義兄さんは、オオカミの群れの中に可愛いウサギを放置したというわけね? その男、ちょっと呼んできてもらってもいいかしら」
 それでは、誰かの命令だとかは虚言で、婚約者を取られると思った女が、その義理の妹を辱めようとしたということか?
 一族が関わり合っていないのならば結構なことだが、ティーナにとっては、そこは大きな問題ではない。寧ろ根本が身近にある分、所領のほうで隠棲しても狙い続けられる可能性が出てきたわけだ。
「……あのね」
 メイラはほろほろと零れ続ける涙をそっとハンカチで拭った。
「わたくしなら逃げ道を用意してあげられるわ。貴族という身分を捨てても良いというのなら、確実に」
 真っ赤に充血してしまった灰色の目が、若干瞳孔を広くしながらぼうっとメイラを見た。
「わたくしはそうして逃れてきたし、戦うすべを持たないのならそれも立派な戦略だと思うの」
 顔立ちは地味で、標準よりふくよかな体形だが、さきほどメイラがウサギと称したのが違和感ないほどに、小動物めいた可愛さがある。
「でも、あなたが逃げたくないというのなら」
  メイラはそんなティーナの茶色い髪をそっと撫で、編み込みからはみ出てしまった房を整えた。
「ただ我慢しているのではなく、なりふり構わず、周りに助けを求めるべきよ」
 メイラはふと、孤立無援だった頃を思い出す。
 今はこうやって、忠義を尽くしてくれる傍付きたちがいてくれるが、ティーナよりもずっと幼い少女だったメイラを、一族の誰も守ろうとはしてくれなかった。それどころか、総出で迫害し、家族の温もりなど一片たりとも感じさせてはくれなかった。
「少なくとも貴女の目の前には、本当に気にかけてくれるお兄さんがひとりいるでしょう?」
 お世辞にも美男子とは言えないが、男らしく決意に満ちた表情で頷くリオネル卿を見上げて、ティーナが「ああ……」と溜息に似た震える息を吐く。
「そこの、お兄さんによく似た悪人面も、上手に使うといいのよ」
「誰が悪人面だ」
「まさか自覚していらっしゃらないのですか?」
 かつてを思えば、いまだに込み上げてくる怒りがある。
 同時に、あのとき自分は、誰かに助けて欲しかったのだと自覚させられてもいた。
 鼻を鳴らした父の、幼い記憶の中にいた頃よりも老け込んだ顔をジロリとみやる。
 過ぎてしまった時間は戻らない。温もりひとつ感じさせてくれなかった父を、恨み続けるのは当然の権利だと、強く思った。
しおりを挟む
感想 94

あなたにおすすめの小説

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

人生の全てを捨てた王太子妃

八つ刻
恋愛
突然王太子妃になれと告げられてから三年あまりが過ぎた。 傍目からは“幸せな王太子妃”に見える私。 だけど本当は・・・ 受け入れているけど、受け入れられない王太子妃と彼女を取り巻く人々の話。 ※※※幸せな話とは言い難いです※※※ タグをよく見て読んでください。ハッピーエンドが好みの方(一方通行の愛が駄目な方も)はブラウザバックをお勧めします。 ※本編六話+番外編六話の全十二話。 ※番外編の王太子視点はヤンデレ注意報が発令されています。

思い出してしまったのです

月樹《つき》
恋愛
同じ姉妹なのに、私だけ愛されない。 妹のルルだけが特別なのはどうして? 婚約者のレオナルド王子も、どうして妹ばかり可愛がるの? でもある時、鏡を見て思い出してしまったのです。 愛されないのは当然です。 だって私は…。

君は妾の子だから、次男がちょうどいい

月山 歩
恋愛
侯爵家のマリアは婚約中だが、彼は王都に住み、彼女は片田舎で遠いため会ったことはなかった。でもある時、マリアは妾の子であると知られる。そんな娘は大事な子息とは結婚させられないと、病気療養中の次男との婚約に一方的に変えさせられる。そして次の日には、迎えの馬車がやって来た。

「お前を妻だと思ったことはない」と言ってくる旦那様と離婚した私は、幼馴染の侯爵から溺愛されています。

木山楽斗
恋愛
第二王女のエリームは、かつて王家と敵対していたオルバディオン公爵家に嫁がされた。 因縁を解消するための結婚であったが、現当主であるジグールは彼女のことを冷遇した。長きに渡る因縁は、簡単に解消できるものではなかったのである。 そんな暮らしは、エリームにとって息苦しいものだった。それを重く見た彼女の兄アルベルドと幼馴染カルディアスは、二人の結婚を解消させることを決意する。 彼らの働きかけによって、エリームは苦しい生活から解放されるのだった。 晴れて自由の身になったエリームに、一人の男性が婚約を申し込んできた。 それは、彼女の幼馴染であるカルディアスである。彼は以前からエリームに好意を寄せていたようなのだ。 幼い頃から彼の人となりを知っているエリームは、喜んでその婚約を受け入れた。二人は、晴れて夫婦となったのである。 二度目の結婚を果たしたエリームは、以前とは異なる生活を送っていた。 カルディアスは以前の夫とは違い、彼女のことを愛して尊重してくれたのである。 こうして、エリームは幸せな生活を送るのだった。

命を狙われたお飾り妃の最後の願い

幌あきら
恋愛
【異世界恋愛・ざまぁ系・ハピエン】 重要な式典の真っ最中、いきなりシャンデリアが落ちた――。狙われたのは王妃イベリナ。 イベリナ妃の命を狙ったのは、国王の愛人ジャスミンだった。 短め連載・完結まで予約済みです。設定ゆるいです。 『ベビ待ち』の女性の心情がでてきます。『逆マタハラ』などの表現もあります。苦手な方はお控えください、すみません。

(完結)貴方から解放してくださいー私はもう疲れました(全4話)

青空一夏
恋愛
私はローワン伯爵家の一人娘クララ。私には大好きな男性がいるの。それはイーサン・ドミニク。侯爵家の子息である彼と私は相思相愛だと信じていた。 だって、私のお誕生日には私の瞳色のジャボ(今のネクタイのようなもの)をして参加してくれて、別れ際にキスまでしてくれたから。 けれど、翌日「僕の手紙を君の親友ダーシィに渡してくれないか?」と、唐突に言われた。意味がわからない。愛されていると信じていたからだ。 「なぜですか?」 「うん、実のところ私が本当に愛しているのはダーシィなんだ」 イーサン様は私の心をかき乱す。なぜ、私はこれほどにふりまわすの? これは大好きな男性に心をかき乱された女性が悩んで・・・・・・結果、幸せになったお話しです。(元さやではない) 因果応報的ざまぁ。主人公がなにかを仕掛けるわけではありません。中世ヨーロッパ風世界で、現代的表現や機器がでてくるかもしれない異世界のお話しです。ご都合主義です。タグ修正、追加の可能性あり。

【完結】お飾りの妻からの挑戦状

おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。 「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」 しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ…… ◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています ◇全18話で完結予定

処理中です...