月誓歌

有須

文字の大きさ
上 下
120 / 207
小話

子猫を愛でる方法1

しおりを挟む
 彼女の手元を見ているのが好きだ。
 迷いなく動く細い指が、朱色の糸で模様を刻む。下書きもないのにみるみる間に形が出来ていく様子は、このまま何時間でも見ていられる。
 鳳凰が、まるで生きているかのように翼を広げた意匠は、今週のはじめにハロルドが強請ったものだ。何を頼んでも即席で刺してくれるその技術は、プロとしても十分にやっていけるレベルだろう。
 小さな手が握るのは一本の針。そこから生まれてくる作品はもはや芸術だ。
 ふと、その動きが止まった。まだ舞い散る羽の一枚の途中、普段の彼女であれば、手を止める場所ではない。
「どうした?」
 柔らかな首筋にそっと口づけを落とす。
 針を握っているうちは危ないからやめてくれと幾度となく言われたが、腕の中に納まる小柄な妻を愛でずして、何が夫か。
 寝台の中での針仕事はさすがに危険だと渋られたので、広めのカウチの上。
 ハロルドの膝の上に小さな尻を乗せ、最初の頃はもじもじと可愛らしく恥ずかしがっていたが、最近ではとろりと甘い笑みを浮かべてくれるようになっていた。
 ハロルドは背もたれに身体を預け、心行くまで妻の手作業を眺め続ける。
 時折驚くほどに華奢なその肩を撫で、背中を愛撫し、まろやかな首筋に指を這わせる。そのたびに手が止まり、咎めるような目で見上げられるのがまた楽しい。
「もう少しで羽が仕上がるではないか」
 わざと低くした声で囁くと、咎める目つきの奥がじんわりと潤んだ。
 もちろん確信犯だ。
 ハロルドは喉の奥で小さく笑い、呼気を耳朶に注いだ。
「……っ!」
 彼女が刺繍をしている様を見るのは好きだが、そちらばかりに集中されても面白くない。こうやって邪魔をするから、鳳凰はなかなか完成には至らないのだ。
「続けよ」
 そっと、夜着の内側に手を忍ばせた。今夜は前で合わせるタイプのナイトドレスで、リボンひとつ解けばその愛らしい肢体が露わになる。わざと合わせから手を忍び込ませると、その黒い瞳が忙しなく瞬きし、視線が揺れる。
 小柄で、華奢で、お世辞にも肉付きが良いとはいえない。
 しかしその少女のような身体が、ハロルドを受け入れ女として花開く様を知っている。
 腹の奥の空腹の獣が喉を鳴らす。
 喰い尽くせと、すべて飲み込めと囁くその声に、莞爾と笑う。
「ハ、ハロルドさまっ」
「どうした?」
 鎖骨を親指で辿る。彼女がその動きに気を取られているうちに、他の指がふくらみの先端を撫でた。
「……あっ!」
 小柄な彼女の胸は、散々ハロルドが可愛がったせいか少しサイズを上げた。しかしその先端は慎ましく小ぶりなままで、コリと芯のある部分を摘まむと愛しい黒い瞳がますます潤む。
「あ、あぶのうございます」
「どうした? 今夜中に仕上げるのではなかったのか?」
 息を飲んだ彼女が、声を上げまいときゅっと唇を閉ざした。
 最近では寝所に護衛を入れなくなった。彼女のこの愛らしいさまを他人に見せる気になれなかったからだ。
 しかしここは寝所ではない。
 カウチは煌々と照らされたテラスに置かれており、ここは彼女の宮だが、皇帝が訪れているということで男性の近衛騎士が大勢中庭に控えている。
 庭側から何をしているか見えはしないだろうが、そういうことではない。
 いつまでたっても閨事に慣れない妻の、揶揄い甲斐のある困惑顔に若干の嗜虐心が沸き上がってきた。このまま事に及べば、間違いなく騎士どもは気づく。
 もちろんここは後宮であり、皇帝であるハロルドの行為を邪魔する者はいないだろうが、妻の愛らしいさまを他の誰かに見せるつもりは毛頭なかった。
「……冷えてきたな」
 彼女の滑らかな肌はむしろ火照ったように熱かったが、耳元で囁くと同意するように何度も頭が上下した。
 このまま羞恥に震える彼女を蕩けさせたいと思わないでもなかったが、やり過ぎて泣かれても困る。
「部屋に戻ろうか」
 真っ赤に染まった耳たぶが唇に触れた。どうにも辛抱しきれず、ちゅるりと吸う。
「……ひっ」
 軽く歯を当てると、彼女は可愛らしい悲鳴を上げかけ慌てて唇を噛んだ。
「それとも……ここで致すか?」
「な、なりませんっ!」
「では、奥へ」
「……刺繍が」
「また次の夜に。続きを刺しているところを見せてくれ」
 結局今夜は、羽の一部を刺すことしかできなかった。
 彼女が刺繍をしている姿を見ているのは好きだが、いつも最後は内なる獣の欲求に負けてしまう。
 この分では、鳳凰の刺繍が仕上がるまでには相当時間がかかりそうだ。
 ハロルドは触れるだけの口づけを首筋に落としながら、所在なく彼女の膝の上に落ちた布と、握られたままの針を取り上げた。
 見もせず傍らに差し出すと、彼女の有能なメイドがさっと引き取ってくれる。
 薄い舌を吸い上げながら彼女を抱き上げ、立ち上がった。
 相変わらず心許ないほどに軽い。
 こんな小さな肢体で余すことなくハロルドを受け入れるのだから、翌日寝込んでしまうのも無理はない。
 それでも欲を制御するのは難しく、内なる獣の暴走を抑えるのが精一杯だ。
 せめて痛みなど感じないようにと蕩けさせ、十分に準備をしてから繋がるようにしているが、体格差がかなりあるのでどうしても負担がかかってしまうのだ。
 明かりを落とされた寝所に入り、背後の天蓋布が下ろされるのも待ちきれず彼女をベッドに沈める。
 その唇に深く舌を差し込み、本能的に逃げを打つ彼女の舌を追う。
 やがて諦めたように受け入れる舌を絡め取り、前のリボンを解くと、子猫が鳴くような小さな声が零れた。
 ゴクリとハロルドの唾液を嚥下し、細い喉が動く。白い肌が忙しなく上下し、心臓が大きな音を立ててバクバクと鳴っているのが聞こえる。
「メルシェイラ」
 彼女が気に入っているらしい低音で、愛を囁く。
「愛いことだ」
 早く、早くと内なる獣が唸る。一刻も早くこの薄い腹に突き入れ、種を放てと本能が囁く。
「今宵もたっぷりと可愛がってやろう」
 早くも潤み切っている双眸にニイと笑みを向けると、彼女の小さな身体がぶるりと震えた。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

新年あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い申し上げます。

更新が遅くなりまして申し訳ございません。
もっと書ける予定だったのですが、仕事と家のこととの両方が忙しく、PCに向かうのが困難でした。
お約束の通りの小話でございます。内容ナイヨウw
時系列的には相当先かと思いますが、ずっと出番のないメインヒーローがあまりにも可哀そうだったのでサービス(笑
新年早々にしては少々アレですが、夫婦仲良くてヨキヨキではなかろうかと。
次も小話予定。犬にジョブチェンジしたあの方視点。久々の帰宅です。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
しおりを挟む
感想 94

あなたにおすすめの小説

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

王子殿下の慕う人

夕香里
恋愛
エレーナ・ルイスは小さい頃から兄のように慕っていた王子殿下が好きだった。 しかし、ある噂と事実を聞いたことで恋心を捨てることにしたエレーナは、断ってきていた他の人との縁談を受けることにするのだが──? 「どうして!? 殿下には好きな人がいるはずなのに!!」 好きな人がいるはずの殿下が距離を縮めてくることに戸惑う彼女と、我慢をやめた王子のお話。 ※小説家になろうでも投稿してます

王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!

gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ? 王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。 国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから! 12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。

獣人の彼はつがいの彼女を逃がさない

たま
恋愛
気が付いたら異世界、深魔の森でした。 何にも思い出せないパニック中、恐ろしい生き物に襲われていた所を、年齢不詳な美人薬師の師匠に助けられた。そんな優しい師匠の側でのんびりこ生きて、いつか、い つ か、この世界を見て回れたらと思っていたのに。運命のつがいだと言う狼獣人に、強制的に広い世界に連れ出されちゃう話

転生したら、6人の最強旦那様に溺愛されてます!?~6人の愛が重すぎて困ってます!~

恋愛
ある日、女子高生だった白川凛(しらかわりん) は学校の帰り道、バイトに遅刻しそうになったのでスピードを上げすぎ、そのまま階段から落ちて死亡した。 しかし、目が覚めるとそこは異世界だった!? (もしかして、私、転生してる!!?) そして、なんと凛が転生した世界は女性が少なく、一妻多夫制だった!!! そんな世界に転生した凛と、将来の旦那様は一体誰!?

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

処理中です...