122 / 207
修道女、女は怖いと思う
1
しおりを挟む
気がかりなことは多々あるが、時間は刻一刻と過ぎていく。
海風に乱れ、目元を赤くしたメイラの姿に、ユリたちは声にはしないが非難の色を目に浮かべた。本来であれば時間がかかる身支度を、揺れる薄暗い馬車の中で手際よく済ませてくれたことには感謝しかない。
幼いミッシェルの安否が気になって仕方がなかったが、とにかく今は、陛下の妃としてするべき仕事がある。
できるだけ目立たないように教皇猊下の行軍と合流し、時間を合わせてタロス城に入場した。
見るからに神々しい真っ白な鎧の騎士たちと、若々しく見目麗しい教皇猊下を一目見るべく、城内外の者たちは口々に歓声を上げ、道中の信者たち以上の熱烈さで歓迎した。
物語の中では読んだ事があるが、偉い人の頭上に生花を撒く様子など初めて見た。
真っ白な騎士たちと、真っ白な法衣の教皇猊下に相応しく、頭上から散らされる花びらも皆白い。
メイラは馬車のカーテンの隙間から垣間見えるその夢のような光景に、純粋に見とれたらいいのか、父がデモンストレーションの花代にいくら掛けたのか思案するかで迷った。
すぐにそれをやめたのは、馬車の中にまで積まれた陛下からの花束の存在があったからだ。
深く考えたらきっと藪蛇になるに違いない。
城につき、慌ただしく夜会の準備に追われ、その間もずっと陛下の花束が視界の中に入る位置にあって。
ミッシェルの行方が心配だし、ハリソンの様子も気になる。命を狙われている件もあわせると、とても落ち着いていられる状況ではなかったが、そこに完全に気分を持っていかれることはなかった。
いつの間にかまた増えている花束が、何も恐れることはないと、心を支えてくれている。
香りが鼻腔を刺激するたびに、美しいその姿を目でとらえるたびに、無意識のうちに陛下から贈られた玉髪飾りに触れ、その存在を確認していた。
生まれて初めて出席する夜会を前にしても、緊張することはなかった。
以前までのメイラなら、父の奥方さまたちのことで気が重くなっていただろう。
今現在も、時折嫌がらせではないかと感じる出来事が頻発しているが、ユリたちメイドやマローたち騎士が如才なく対応し、メイラのところまでは届いてこない。
茶菓子の箱に紛れ込んでいたネズミの尻尾を掴み、メイド服にはそぐわない豪快さで窓から放り投げるフランの後姿を横目で見ながら、「素手で捕まえるなんてすごいわね」と暢気に声を掛ける余裕すらあった。
時間をかけて念入りに磨き上げられ、まるで自身がメイラという人間ではなく、彼女たちの作品であるかのような錯覚すら覚えながら、支度が整ったのは、時刻も差し迫った宵のうちだった。
深い紫色の多弁なバラで装飾された扇子を渡されて、その生花独特の艶やかさにうっすらと唇をほころばせる。
「……いってらっしゃいませ、御方さま」
まるで、「御武運を」とでも言いたげなユリに、にこり、と笑みを向けた。
「お父さまにも、長居は不要だと言われているの。出来るだけ早く戻るわ」
もともと、きらびやかな夜会に参加しないなど一度も思ったことはないので、機会があればさっさと逃走する予定である。
もちろん女の子らしくおしゃれには多少の興味がある。しかしそれはあくまでも、可愛らしいレ-スであったり、ささやかな刺繍であったり、つまりは市井の少女がほんの少し装う程度のもの。誰よりも目立つドレスを着たいとか、肩がこるほど重い装飾品を身にまといたいなどとは、現在進行形で思っていない。
美しいドレスにはあこがれるものの、実際に着るよりはトルソーに飾られているのを眺めている方がいい。着てしまえば、その見事な縫製や刺繍に見惚れる事ができないからだ。
何しろ、見た目華やかなドレスなのに、着てみるとものすごく重い。
立っているだけで次第にその重さが耐えがたくなるなど、世の夢見る少女が聞いたらどう思うだろう。
貴族の女性は皆身体を鍛えてこの重みに耐えているのだろうか。
部屋を出て、亀のようにノロノロと廊下を歩いていると、次第にその重さが耐えがたくなってきた。まだ、会場に到着もしていないのに。
なんとかメイン会場に続く大扉が見える位置までたどり着くと、そこにはすでに白衣の神官が立っていた。
待たせてしまったのかと焦るが、足は一向に前にすすまない。
何が原因かというと、重みだけではなく、非常に足さばきがしにくいドレスなのだ。
本来マーメードラインは、小柄で凹凸が少ない体形のメイラには似合わない。しかし、その貧相な体格をカバーするように、精工な縫製技術が駆使されていて、あろうことか長く裾を引くデザインなのだ。
舞踏会なのに。……ダンスなど踊れないので、あまり関係ないのかもしれないが。
しかも、どう考えてもこれは一人で歩くようにはできていない。何しろ、ドレスを最大限に美しく見せるには、裾を捌く第三者が必要不可欠なのだ。
その他もろもろの事情に四苦八苦しながら、扉の前にたどり着くまでにかなりの体力を消耗してしまった。
振り返ったその人は、メイラが思わず素で安堵の表情を向けてしまったことからもわかるように、リンゼイ師だ。
同時に入場する予定なのは猊下だが、まだ姿は見えない。
遅刻した訳ではないと安堵していると、「なんとまあ、紫牡丹の花のようだ」と、気恥ずかしくも率直な賞賛の声を貰えた。
「……やっぱり派手でしょうか?」
「とんでもない。良く似合っているよ」
それでは、周囲からあきらかに浮きまくった現状を、どう説明するというのだ。
ここは会場の外とはいえ、人払いがされているわけではない。
すでに会場は開かれているので、メインの大扉以外のところから、かなりの人数の着飾った人々が出入りしている。
その誰もが、メイラのドレスように裾が長かったり、重そうなそぶりをしていたりはしない。
若干距離がある参加者たちはもとより、すれ違う使用人までもがぎょっとしたようにこちらを二度見するものだから、すっかり場違いなのではないかと思ってしまった。
「失礼いたします。猊下がいらっしゃいました」
至近距離で膝をついたマロー(裾さばき要員①)が、手早くドレスの裾を整えながら余所行きの声で言った。
示された方向に視線を巡らせると、大勢の騎士に囲まれた純白のきらびやかな法衣の猊下がこちらに向かって歩いているのが見えた。ものすごくキラキラと、まるでそこにだけ太陽の光が降り注いでいるかのようだ。
まだかなり距離があるが、遠目にもその存在感はひしひしと伝わってくる。
唐突に理解した。
あの隣に立つのであれば、それはもう気合をいれて着飾らなければなるまい。
平凡なメイラの存在など、誰の目にも入らず飛んで行ってしまうに違いなかった。
海風に乱れ、目元を赤くしたメイラの姿に、ユリたちは声にはしないが非難の色を目に浮かべた。本来であれば時間がかかる身支度を、揺れる薄暗い馬車の中で手際よく済ませてくれたことには感謝しかない。
幼いミッシェルの安否が気になって仕方がなかったが、とにかく今は、陛下の妃としてするべき仕事がある。
できるだけ目立たないように教皇猊下の行軍と合流し、時間を合わせてタロス城に入場した。
見るからに神々しい真っ白な鎧の騎士たちと、若々しく見目麗しい教皇猊下を一目見るべく、城内外の者たちは口々に歓声を上げ、道中の信者たち以上の熱烈さで歓迎した。
物語の中では読んだ事があるが、偉い人の頭上に生花を撒く様子など初めて見た。
真っ白な騎士たちと、真っ白な法衣の教皇猊下に相応しく、頭上から散らされる花びらも皆白い。
メイラは馬車のカーテンの隙間から垣間見えるその夢のような光景に、純粋に見とれたらいいのか、父がデモンストレーションの花代にいくら掛けたのか思案するかで迷った。
すぐにそれをやめたのは、馬車の中にまで積まれた陛下からの花束の存在があったからだ。
深く考えたらきっと藪蛇になるに違いない。
城につき、慌ただしく夜会の準備に追われ、その間もずっと陛下の花束が視界の中に入る位置にあって。
ミッシェルの行方が心配だし、ハリソンの様子も気になる。命を狙われている件もあわせると、とても落ち着いていられる状況ではなかったが、そこに完全に気分を持っていかれることはなかった。
いつの間にかまた増えている花束が、何も恐れることはないと、心を支えてくれている。
香りが鼻腔を刺激するたびに、美しいその姿を目でとらえるたびに、無意識のうちに陛下から贈られた玉髪飾りに触れ、その存在を確認していた。
生まれて初めて出席する夜会を前にしても、緊張することはなかった。
以前までのメイラなら、父の奥方さまたちのことで気が重くなっていただろう。
今現在も、時折嫌がらせではないかと感じる出来事が頻発しているが、ユリたちメイドやマローたち騎士が如才なく対応し、メイラのところまでは届いてこない。
茶菓子の箱に紛れ込んでいたネズミの尻尾を掴み、メイド服にはそぐわない豪快さで窓から放り投げるフランの後姿を横目で見ながら、「素手で捕まえるなんてすごいわね」と暢気に声を掛ける余裕すらあった。
時間をかけて念入りに磨き上げられ、まるで自身がメイラという人間ではなく、彼女たちの作品であるかのような錯覚すら覚えながら、支度が整ったのは、時刻も差し迫った宵のうちだった。
深い紫色の多弁なバラで装飾された扇子を渡されて、その生花独特の艶やかさにうっすらと唇をほころばせる。
「……いってらっしゃいませ、御方さま」
まるで、「御武運を」とでも言いたげなユリに、にこり、と笑みを向けた。
「お父さまにも、長居は不要だと言われているの。出来るだけ早く戻るわ」
もともと、きらびやかな夜会に参加しないなど一度も思ったことはないので、機会があればさっさと逃走する予定である。
もちろん女の子らしくおしゃれには多少の興味がある。しかしそれはあくまでも、可愛らしいレ-スであったり、ささやかな刺繍であったり、つまりは市井の少女がほんの少し装う程度のもの。誰よりも目立つドレスを着たいとか、肩がこるほど重い装飾品を身にまといたいなどとは、現在進行形で思っていない。
美しいドレスにはあこがれるものの、実際に着るよりはトルソーに飾られているのを眺めている方がいい。着てしまえば、その見事な縫製や刺繍に見惚れる事ができないからだ。
何しろ、見た目華やかなドレスなのに、着てみるとものすごく重い。
立っているだけで次第にその重さが耐えがたくなるなど、世の夢見る少女が聞いたらどう思うだろう。
貴族の女性は皆身体を鍛えてこの重みに耐えているのだろうか。
部屋を出て、亀のようにノロノロと廊下を歩いていると、次第にその重さが耐えがたくなってきた。まだ、会場に到着もしていないのに。
なんとかメイン会場に続く大扉が見える位置までたどり着くと、そこにはすでに白衣の神官が立っていた。
待たせてしまったのかと焦るが、足は一向に前にすすまない。
何が原因かというと、重みだけではなく、非常に足さばきがしにくいドレスなのだ。
本来マーメードラインは、小柄で凹凸が少ない体形のメイラには似合わない。しかし、その貧相な体格をカバーするように、精工な縫製技術が駆使されていて、あろうことか長く裾を引くデザインなのだ。
舞踏会なのに。……ダンスなど踊れないので、あまり関係ないのかもしれないが。
しかも、どう考えてもこれは一人で歩くようにはできていない。何しろ、ドレスを最大限に美しく見せるには、裾を捌く第三者が必要不可欠なのだ。
その他もろもろの事情に四苦八苦しながら、扉の前にたどり着くまでにかなりの体力を消耗してしまった。
振り返ったその人は、メイラが思わず素で安堵の表情を向けてしまったことからもわかるように、リンゼイ師だ。
同時に入場する予定なのは猊下だが、まだ姿は見えない。
遅刻した訳ではないと安堵していると、「なんとまあ、紫牡丹の花のようだ」と、気恥ずかしくも率直な賞賛の声を貰えた。
「……やっぱり派手でしょうか?」
「とんでもない。良く似合っているよ」
それでは、周囲からあきらかに浮きまくった現状を、どう説明するというのだ。
ここは会場の外とはいえ、人払いがされているわけではない。
すでに会場は開かれているので、メインの大扉以外のところから、かなりの人数の着飾った人々が出入りしている。
その誰もが、メイラのドレスように裾が長かったり、重そうなそぶりをしていたりはしない。
若干距離がある参加者たちはもとより、すれ違う使用人までもがぎょっとしたようにこちらを二度見するものだから、すっかり場違いなのではないかと思ってしまった。
「失礼いたします。猊下がいらっしゃいました」
至近距離で膝をついたマロー(裾さばき要員①)が、手早くドレスの裾を整えながら余所行きの声で言った。
示された方向に視線を巡らせると、大勢の騎士に囲まれた純白のきらびやかな法衣の猊下がこちらに向かって歩いているのが見えた。ものすごくキラキラと、まるでそこにだけ太陽の光が降り注いでいるかのようだ。
まだかなり距離があるが、遠目にもその存在感はひしひしと伝わってくる。
唐突に理解した。
あの隣に立つのであれば、それはもう気合をいれて着飾らなければなるまい。
平凡なメイラの存在など、誰の目にも入らず飛んで行ってしまうに違いなかった。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】ずっと、ずっとあなたを愛していました 〜後悔も、懺悔も今更いりません〜
高瀬船
恋愛
リスティアナ・メイブルムには二歳年上の婚約者が居る。
婚約者は、国の王太子で穏やかで優しく、婚約は王命ではあったが仲睦まじく関係を築けていた。
それなのに、突然ある日婚約者である王太子からは土下座をされ、婚約を解消して欲しいと願われる。
何故、そんな事に。
優しく微笑むその笑顔を向ける先は確かに自分に向けられていたのに。
婚約者として確かに大切にされていたのに何故こうなってしまったのか。
リスティアナの思いとは裏腹に、ある時期からリスティアナに悪い噂が立ち始める。
悪い噂が立つ事など何もしていないのにも関わらず、リスティアナは次第に学園で、夜会で、孤立していく。
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
裏切りの先にあるもの
マツユキ
恋愛
侯爵令嬢のセシルには幼い頃に王家が決めた婚約者がいた。
結婚式の日取りも決まり数か月後の挙式を楽しみにしていたセシル。ある日姉の部屋を訪ねると婚約者であるはずの人が姉と口づけをかわしている所に遭遇する。傷つくセシルだったが新たな出会いがセシルを幸せへと導いていく。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
【完結】王妃を廃した、その後は……
かずきりり
恋愛
私にはもう何もない。何もかもなくなってしまった。
地位や名誉……権力でさえ。
否、最初からそんなものを欲していたわけではないのに……。
望んだものは、ただ一つ。
――あの人からの愛。
ただ、それだけだったというのに……。
「ラウラ! お前を廃妃とする!」
国王陛下であるホセに、いきなり告げられた言葉。
隣には妹のパウラ。
お腹には子どもが居ると言う。
何一つ持たず王城から追い出された私は……
静かな海へと身を沈める。
唯一愛したパウラを王妃の座に座らせたホセは……
そしてパウラは……
最期に笑うのは……?
それとも……救いは誰の手にもないのか
***************************
こちらの作品はカクヨムにも掲載しています。
もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる