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修道女、自称おじいさまから壮大すぎるお話を聞く
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向かい合って座る。
上座側には神職の二人。下座側には父とメイラ。
父が誰かに遠慮して丁寧な態度でいるなど初めて見る。陛下が相手でもここまでではなかった気がする。
あらかじめ人払いがされていたのだろう。広い部屋に四人以外の人間はいない。
一番下位であるメイラがお茶でも入れるべきかと腰を浮かせたが、「座っていろ」と父に断じられ、鼻白んだところでリンゼイ師からも「先ほど紅茶を飲んだばかりですから」と言われた。
まあ、それほどお茶を入れるのが得意なわけではないので、そのまま尻を元の位置に戻す。
「君が霊公の慰霊祭に参加する経緯は聞いている。体調の方はもういいのか?」
美しい造作をニコニコと笑みで崩しながら尋ねられ、メイラはとりあえず話を合わせ頷いた。
「はい、猊下」
「おじいちゃんと呼んで」
「話を先に進めてください」
遠慮と丁寧を加味しても、父はどこまでも父だった。また余計な方向に行きそうな台詞を遮って、唇をひん曲げる。
猊下が怒りはしないかとハラハラしたが、さして気にする風はなく、笑みをほんの少し苦笑に変えただけだった。
「猊下、気が進まないのはわかりますが、時間は有限です。話せるうちに話しておかねば」
「……そうか、そうだな」
父の非礼はさらっと流した猊下だが、リンゼイ師の窘めるような声色には困ったように眉尻を下げた。
「まずは自己紹介をしておこう。私はポラリス」
あまりにも高名なその名を聞き、ぎゅうと鳩尾のあたりが引きつれた。
北の一等星の名を冠したその方は、メイラが物心つく頃にはすでにもう教皇の座にいた。絶対的な求心力をもつ指導者で、この方の存在がなければ教会内がここまでまとまることはなかったと言われている。
「愛称はおじいちゃんだ」
絶対に違う。
「身分については、君が思っている者に間違いないと思う。だがね、敬称で呼ばれるのは好きではないのだ」
どうしても「おじいちゃん」と呼ばせたいらしい。
背中に嫌な汗が滲むのを感じながら、メイラは中途半端な笑みを浮かべた。
猊下はそれに零れ落ちそうな笑顔を返す。
わくわくと見つめられ、どうしようと視線を泳がせていると、傍らで父がため息をついた。
「人前でないとき限定です」
「もちろんだとも!」
「……メルシェイラ」
仕方がないと促され、まさか嫌だとは言えず。
「……お、おじいさま」
さすがにおじいちゃんは恥ずかしい。
メイラがおずおずとそう言った瞬間、満面の笑みだった表情が泣きそうに歪んだ。
どきりと心臓の鼓動が乱れ、リンゼイ師に目で助けを求める。
師は無言で猊下を見つめ、やがて小さく左右に首を振った。
「猊下、使徒メイラは知っておかねばなりません」
「……わかっている」
「私から話した方がよさそうですね」
長年聞き続けてきた師の声が、困った風にため息を交えた。
「最近君が関わり合う事の多い、神具についてです」
とっさに、何のことか分からなかった。
「長年神殿の最奥で秘されてきたものが、ひそかに持ち出されていたと発覚したのはごく最近のことです」
今では魔法的な技術はすたれかけているが、かつてその全盛期だった時代、神々が実体を持ってその身を現世に置いていたとされれている。
神具とは、その時代から残っている非常に強力な魔道具のことだ。
魔道具、と聞いて思い浮かぶのは、リヒター提督の指輪とクリスの持っていたペンダントトップ。
あの禍々しい気配を思い出し、顔から血の気が引いた。
「そう、真っ白の骨のことですよ」
ほ、骨?
「ダリウス神の骨と呼ばれているものです」
ダリウス神とは、冥府の神だ。
太陽神ラーンの兄で、黒髪に黒い翼を持つ冥府の番人だとされている。
「実際に御神の骨なのかは定かではありません。それを判じるには、我々の知識はあまりにも浅く、しかも年代を経ることにそれは薄れている」
「で、ですがダリウス神が悪神なわけがありません」
人間はいつか死ぬ。その魂は冥府で罪を裁かれ、善なるものは天界でしばしの休息の後に輪廻に戻り、業の深きものは冥府でその罪を洗い流さなければならないとされている。
その審判を下す役目を持つのが、ダリウス神だ。厳格で無慈悲な神だとされているが、断じて悪神ではない。
現に、これから数日間にわたって執り行われる慰霊祭は、ダリウス神に捧げるものだ。英霊を弔い、まだその魂が冥界にいるのであれば、その安寧を願うために。
「神々の力は、我々にとって良しに着け悪しきにつけ強すぎるのです。確かにダリウス神は悪神ではない。ですが、力そのものに善悪はありません。それを用いる者の善性など関係ないのです。例えばご婦人は包丁を持って家族のために温かい食事を作る。しかしその同じ包丁で、罪を犯す者もいる」
「……はい」
リンゼイ師の言いたいことの意味は理解できる。
しかし、あのぞっとする良くない気配を思い出すだけで首筋の毛が逆立ち、吐き気さえ覚えるのだ。
人の血肉どころか骨すら断つ切れ味のいい刃物で、料理は作らないと思う。まな板まで真っ二つにしてしまいそうで怖いからだ。少なくともメイラであれば、触れることすらできないだろう。
「何者が持ち出したのでしょうか」
中央神殿の最奥ともなれば、相当に警備が厳しいはずだ。おいそれと誰もが足を踏み入れることはできないはず。そう思い尋ねると、リンゼイ師は険しい表情で頷いた。
「それについては現在調査中です。おおよそ見当はついていますが、なにぶん実行犯と思われる人物はかなり前に他界しており、その先の事は……」
「中央神殿ともあろうものが、情けない」
「お父さま!」
まさか反射的に反抗しているのではあるまいな。
父のふてぶてしい言い草に、メイラは慌てて声を上げ窘めた。
今回ばかりはご不快だろうとちらりと猊下を見てみたが、微笑みこそ失せていたが、怒っている様子はなかった。
「それについては申し訳ないと思っている。三十年前に私と教皇の座を競って負けた枢機卿がいたのだが、教会を去ったその日のうちに毒盃を煽って死んだ。盗まれたのはおそらくその頃だろう」
「その……今まで気づかなかったのですか? 三十年も?」
そんなに重要な神具であれば、なくなればすぐにわかりそうなものだが。
「一見ただの古びた棒にしか見えない、白くて細長い骨なのだ。確かに力ある神具だが、道具として使うよう加工されたものではないし、博物館のように並べて展示しているわけではないから、気付けなかった。毎年確認している者が紛失を申し出るのを恐れ、次に引き継ぐときに書類を抜き取って存在そのものをなかったことにしたのだよ」
また父が鼻を鳴らすか舌打ちしそうな気がしたので、ぎゅっと腕をにぎって止めた。
案の定、面白くなさそうな顔で睨まれたが、こうも度々教皇猊下の前で不敬を働かせるわけにはいかない。
「我らが管理している力ある物は他にも多くある。よもや他にも紛失しているものがあるのではないかと調べてみれば……あろうことか複数の年代に渡っていくつかの重要なものがなくなっていることが分かった」
「神にお仕えする身で罰当たりなことです」
罰当たりどころか、とんでもないことだ。
おそらく盗み出された神具を砕き、魔道具に仕立て直したのだろうが、そもそも御神の骨と言われているものを盗み、傷をつけるなど、信徒であれば絶対にできないはずだ。
その神職は神を信じていなかったのか? 神具の価値はわかっていたのに?
しかも、たった小指の先ほどの欠片でさえ人間をあそこまで洗脳できるものが、ほかにも大量にあるのだと考えると、恐ろしくて顔から血の気が引く。
「現在中央神殿の総力を挙げて回収に当たっている」
「はい。わたくしが知る限りでは、ふたつほど小さなものが手元にあります。女官が管理しているので大丈夫かと思いますが、出来る限り早く安全な場所にお納めください。あと……定かではありませんが、他にもいくつか心当たりが」
「話はそれだけではないのだ」
そんな物騒な者は早々に回収してもらうに限る。
そう思い、若干早口になったメイラに、猊下が難しい顔をしながら首を振った。
「後宮の女性が何名か被害にあったであろう?」
「……え」
「神具とはいえ、あまりにも細かく粉砕され過ぎた。もとの力を取り戻させるために必要なのは、素養のあるものを捧げることだと信じる狂信者どもがいる」
ふと思い出した。
冷たく暗い地下室で、このまま死んでしまうのではないかと怯えたあの時の事を。
鎖につながれ、髪を切られ、心まで凍り付きそうになった。
助けが来るなど信じられず、暗闇の中で絶望に飲み込まれそうになっていた。
ふるり、と唇が震えた。
猊下の青みがかった灰色の瞳を見つめたまま、過去のはずの記憶に慄く。
今になって思う。
何故明かりもない地下牢に非力な女を拘束しなければならない?
何故髪を切る必要があった?
「……わ、わたくしの」
あれは、狂信者の儀式だったのではないか。
胸に白いロザリオを下げた女性が、その祭司だったのではないか。
「髪が」
父がぎゅっとメイラの手を握った。
猊下が痛みをこらえる顔をして、頷く。
「そうだ、愛しい子」
「そ、そんな」
「心配するな。必ず取り返す」
かつて長い髪があったうなじに、震える指を伸ばす。
髪を供物にするのは古来からよくあることで、現在でも神職に叙階され聖別を受ける際には、髪を切り身を清め潔斎する。
かつてメイラも見習い修道女を卒業する際には髪を捧げた。とはいっても、ほんのひと房、掌に乗る程度だが。
「君が死ななかったことで、儀式は中途半端に終わっている。それを完遂するために、連中は執拗に君を狙っているのだ」
想像するだけでぞっとした。陛下のものだと思っていたこの身は、知らずのうちに怪しげな儀式に捧げられていたのか。
「で、ですが数人助け出されたと聞きました」
「そうだな。彼女たちは救助された事すら気づかれないよう、厳重に秘されている。奴らには所在を確かめるどころか、生死を確認することも難しいだろう」
対してメイラは、生き永らえていることを大々的に知らしめられ、分かりやすく標的になっているというわけか。
「……わたくしは、どうすれば」
「後宮は危険だ。そもそも標的はそこから選出され、ひそかに狩られ続けてきた。事が落ち着くまで、君には中央神殿の奥にいて欲しい」
血の気の下がった顔で、猊下の優し気な瞳を見つめ返す。真摯なその表情に、嘘偽りがあるようには見えない。
それではメイラは、海をまたいで更に向こうにある大陸の中央神殿に行かねばならないのか。
船旅では片道だけでもおおよそ一か月はかかる。
ぼんやりとした脳裏に、陛下の美しいクジャク石のような双眸が浮かんだ。「早く戻れ」と低く囁く声が、今も鼓膜に残っている。
その腕の温もりを思い出し、じわりと視界が滲んだ。
上座側には神職の二人。下座側には父とメイラ。
父が誰かに遠慮して丁寧な態度でいるなど初めて見る。陛下が相手でもここまでではなかった気がする。
あらかじめ人払いがされていたのだろう。広い部屋に四人以外の人間はいない。
一番下位であるメイラがお茶でも入れるべきかと腰を浮かせたが、「座っていろ」と父に断じられ、鼻白んだところでリンゼイ師からも「先ほど紅茶を飲んだばかりですから」と言われた。
まあ、それほどお茶を入れるのが得意なわけではないので、そのまま尻を元の位置に戻す。
「君が霊公の慰霊祭に参加する経緯は聞いている。体調の方はもういいのか?」
美しい造作をニコニコと笑みで崩しながら尋ねられ、メイラはとりあえず話を合わせ頷いた。
「はい、猊下」
「おじいちゃんと呼んで」
「話を先に進めてください」
遠慮と丁寧を加味しても、父はどこまでも父だった。また余計な方向に行きそうな台詞を遮って、唇をひん曲げる。
猊下が怒りはしないかとハラハラしたが、さして気にする風はなく、笑みをほんの少し苦笑に変えただけだった。
「猊下、気が進まないのはわかりますが、時間は有限です。話せるうちに話しておかねば」
「……そうか、そうだな」
父の非礼はさらっと流した猊下だが、リンゼイ師の窘めるような声色には困ったように眉尻を下げた。
「まずは自己紹介をしておこう。私はポラリス」
あまりにも高名なその名を聞き、ぎゅうと鳩尾のあたりが引きつれた。
北の一等星の名を冠したその方は、メイラが物心つく頃にはすでにもう教皇の座にいた。絶対的な求心力をもつ指導者で、この方の存在がなければ教会内がここまでまとまることはなかったと言われている。
「愛称はおじいちゃんだ」
絶対に違う。
「身分については、君が思っている者に間違いないと思う。だがね、敬称で呼ばれるのは好きではないのだ」
どうしても「おじいちゃん」と呼ばせたいらしい。
背中に嫌な汗が滲むのを感じながら、メイラは中途半端な笑みを浮かべた。
猊下はそれに零れ落ちそうな笑顔を返す。
わくわくと見つめられ、どうしようと視線を泳がせていると、傍らで父がため息をついた。
「人前でないとき限定です」
「もちろんだとも!」
「……メルシェイラ」
仕方がないと促され、まさか嫌だとは言えず。
「……お、おじいさま」
さすがにおじいちゃんは恥ずかしい。
メイラがおずおずとそう言った瞬間、満面の笑みだった表情が泣きそうに歪んだ。
どきりと心臓の鼓動が乱れ、リンゼイ師に目で助けを求める。
師は無言で猊下を見つめ、やがて小さく左右に首を振った。
「猊下、使徒メイラは知っておかねばなりません」
「……わかっている」
「私から話した方がよさそうですね」
長年聞き続けてきた師の声が、困った風にため息を交えた。
「最近君が関わり合う事の多い、神具についてです」
とっさに、何のことか分からなかった。
「長年神殿の最奥で秘されてきたものが、ひそかに持ち出されていたと発覚したのはごく最近のことです」
今では魔法的な技術はすたれかけているが、かつてその全盛期だった時代、神々が実体を持ってその身を現世に置いていたとされれている。
神具とは、その時代から残っている非常に強力な魔道具のことだ。
魔道具、と聞いて思い浮かぶのは、リヒター提督の指輪とクリスの持っていたペンダントトップ。
あの禍々しい気配を思い出し、顔から血の気が引いた。
「そう、真っ白の骨のことですよ」
ほ、骨?
「ダリウス神の骨と呼ばれているものです」
ダリウス神とは、冥府の神だ。
太陽神ラーンの兄で、黒髪に黒い翼を持つ冥府の番人だとされている。
「実際に御神の骨なのかは定かではありません。それを判じるには、我々の知識はあまりにも浅く、しかも年代を経ることにそれは薄れている」
「で、ですがダリウス神が悪神なわけがありません」
人間はいつか死ぬ。その魂は冥府で罪を裁かれ、善なるものは天界でしばしの休息の後に輪廻に戻り、業の深きものは冥府でその罪を洗い流さなければならないとされている。
その審判を下す役目を持つのが、ダリウス神だ。厳格で無慈悲な神だとされているが、断じて悪神ではない。
現に、これから数日間にわたって執り行われる慰霊祭は、ダリウス神に捧げるものだ。英霊を弔い、まだその魂が冥界にいるのであれば、その安寧を願うために。
「神々の力は、我々にとって良しに着け悪しきにつけ強すぎるのです。確かにダリウス神は悪神ではない。ですが、力そのものに善悪はありません。それを用いる者の善性など関係ないのです。例えばご婦人は包丁を持って家族のために温かい食事を作る。しかしその同じ包丁で、罪を犯す者もいる」
「……はい」
リンゼイ師の言いたいことの意味は理解できる。
しかし、あのぞっとする良くない気配を思い出すだけで首筋の毛が逆立ち、吐き気さえ覚えるのだ。
人の血肉どころか骨すら断つ切れ味のいい刃物で、料理は作らないと思う。まな板まで真っ二つにしてしまいそうで怖いからだ。少なくともメイラであれば、触れることすらできないだろう。
「何者が持ち出したのでしょうか」
中央神殿の最奥ともなれば、相当に警備が厳しいはずだ。おいそれと誰もが足を踏み入れることはできないはず。そう思い尋ねると、リンゼイ師は険しい表情で頷いた。
「それについては現在調査中です。おおよそ見当はついていますが、なにぶん実行犯と思われる人物はかなり前に他界しており、その先の事は……」
「中央神殿ともあろうものが、情けない」
「お父さま!」
まさか反射的に反抗しているのではあるまいな。
父のふてぶてしい言い草に、メイラは慌てて声を上げ窘めた。
今回ばかりはご不快だろうとちらりと猊下を見てみたが、微笑みこそ失せていたが、怒っている様子はなかった。
「それについては申し訳ないと思っている。三十年前に私と教皇の座を競って負けた枢機卿がいたのだが、教会を去ったその日のうちに毒盃を煽って死んだ。盗まれたのはおそらくその頃だろう」
「その……今まで気づかなかったのですか? 三十年も?」
そんなに重要な神具であれば、なくなればすぐにわかりそうなものだが。
「一見ただの古びた棒にしか見えない、白くて細長い骨なのだ。確かに力ある神具だが、道具として使うよう加工されたものではないし、博物館のように並べて展示しているわけではないから、気付けなかった。毎年確認している者が紛失を申し出るのを恐れ、次に引き継ぐときに書類を抜き取って存在そのものをなかったことにしたのだよ」
また父が鼻を鳴らすか舌打ちしそうな気がしたので、ぎゅっと腕をにぎって止めた。
案の定、面白くなさそうな顔で睨まれたが、こうも度々教皇猊下の前で不敬を働かせるわけにはいかない。
「我らが管理している力ある物は他にも多くある。よもや他にも紛失しているものがあるのではないかと調べてみれば……あろうことか複数の年代に渡っていくつかの重要なものがなくなっていることが分かった」
「神にお仕えする身で罰当たりなことです」
罰当たりどころか、とんでもないことだ。
おそらく盗み出された神具を砕き、魔道具に仕立て直したのだろうが、そもそも御神の骨と言われているものを盗み、傷をつけるなど、信徒であれば絶対にできないはずだ。
その神職は神を信じていなかったのか? 神具の価値はわかっていたのに?
しかも、たった小指の先ほどの欠片でさえ人間をあそこまで洗脳できるものが、ほかにも大量にあるのだと考えると、恐ろしくて顔から血の気が引く。
「現在中央神殿の総力を挙げて回収に当たっている」
「はい。わたくしが知る限りでは、ふたつほど小さなものが手元にあります。女官が管理しているので大丈夫かと思いますが、出来る限り早く安全な場所にお納めください。あと……定かではありませんが、他にもいくつか心当たりが」
「話はそれだけではないのだ」
そんな物騒な者は早々に回収してもらうに限る。
そう思い、若干早口になったメイラに、猊下が難しい顔をしながら首を振った。
「後宮の女性が何名か被害にあったであろう?」
「……え」
「神具とはいえ、あまりにも細かく粉砕され過ぎた。もとの力を取り戻させるために必要なのは、素養のあるものを捧げることだと信じる狂信者どもがいる」
ふと思い出した。
冷たく暗い地下室で、このまま死んでしまうのではないかと怯えたあの時の事を。
鎖につながれ、髪を切られ、心まで凍り付きそうになった。
助けが来るなど信じられず、暗闇の中で絶望に飲み込まれそうになっていた。
ふるり、と唇が震えた。
猊下の青みがかった灰色の瞳を見つめたまま、過去のはずの記憶に慄く。
今になって思う。
何故明かりもない地下牢に非力な女を拘束しなければならない?
何故髪を切る必要があった?
「……わ、わたくしの」
あれは、狂信者の儀式だったのではないか。
胸に白いロザリオを下げた女性が、その祭司だったのではないか。
「髪が」
父がぎゅっとメイラの手を握った。
猊下が痛みをこらえる顔をして、頷く。
「そうだ、愛しい子」
「そ、そんな」
「心配するな。必ず取り返す」
かつて長い髪があったうなじに、震える指を伸ばす。
髪を供物にするのは古来からよくあることで、現在でも神職に叙階され聖別を受ける際には、髪を切り身を清め潔斎する。
かつてメイラも見習い修道女を卒業する際には髪を捧げた。とはいっても、ほんのひと房、掌に乗る程度だが。
「君が死ななかったことで、儀式は中途半端に終わっている。それを完遂するために、連中は執拗に君を狙っているのだ」
想像するだけでぞっとした。陛下のものだと思っていたこの身は、知らずのうちに怪しげな儀式に捧げられていたのか。
「で、ですが数人助け出されたと聞きました」
「そうだな。彼女たちは救助された事すら気づかれないよう、厳重に秘されている。奴らには所在を確かめるどころか、生死を確認することも難しいだろう」
対してメイラは、生き永らえていることを大々的に知らしめられ、分かりやすく標的になっているというわけか。
「……わたくしは、どうすれば」
「後宮は危険だ。そもそも標的はそこから選出され、ひそかに狩られ続けてきた。事が落ち着くまで、君には中央神殿の奥にいて欲しい」
血の気の下がった顔で、猊下の優し気な瞳を見つめ返す。真摯なその表情に、嘘偽りがあるようには見えない。
それではメイラは、海をまたいで更に向こうにある大陸の中央神殿に行かねばならないのか。
船旅では片道だけでもおおよそ一か月はかかる。
ぼんやりとした脳裏に、陛下の美しいクジャク石のような双眸が浮かんだ。「早く戻れ」と低く囁く声が、今も鼓膜に残っている。
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そして続けて、
『僕は将来立派な近衛騎士になって、ステファニーを守る。これは約束なんだ。だからお前よりステファニーを優先する事があっても文句を言うな』
挨拶もそこそこに彼の口から飛び出したのはこんな言葉だった。
※中世ヨーロッパ風のお話ですが私の頭の中の異世界のお話です
※史実には則っておりませんのでご了承下さい
※相変わらずのゆるふわ設定です
※第26話でステファニーの事をスカーレットと書き間違えておりました。訂正しましたが、混乱させてしまって申し訳ありません
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