月誓歌

有須

文字の大きさ
上 下
95 / 207
提督、犬になる

4

しおりを挟む
「だから、指輪やネックレスのような装飾品は身に着けてはいけないよ」
 リヒターはそっと、クリスティーナの髪を撫でた。
「ああいう方は常に警戒なさっておいでだ。装飾品を加工して毒を仕込むことは昔からよくあることでね。事前にご不快になられるようなことは避けておくに限る」
「わかりましたわ! 母の形見のブレスレットですが、晩餐のときには外します」
 健気に見える仕草で、彼女は頷く。
 長いまつげを瞬かせ熱心に話を聞く様は、予備知識なく見れば好感が持てるものなのだろう。
 リヒターは励ますように頷きながら、どうして今更晩餐の作法を説明しなければいけないのだと内心愚痴っていた。
 午後のお茶の後、定例の会食と一緒でよければ同席を認めると返答が来たと伝えると、クリスティーナはまたも飛び上って喜んだ。
 しかしその次の台詞が、作法に不安があるから教えてほしいという一言。
 甘え縋る仕草は愛らしいが、勤務中の者に頼むことではない。
 そもそも作法がわからないなら、高貴な方との晩餐など望むべきではないと言ってやりたかったが、実に申し訳なさそうな顔の彼女を見ているとそれも言い出せない。
 複雑な思いをしながらも、リヒターは我慢できる限り丁寧に、入室時の礼の取り方から実地で教える羽目になってしまった。
 実際にクリスティーナが作法を知らなかったのかはわからない。
 それを口実にしたなど実にありそうだと思う反面、彼女のような身分ではそうそう機会もないだろうから、念を入れたいのかもしれないとも思う。
 事細かにいろいろと質問されるのは正直勘弁してくれと思ったし、そこまで細かいご婦人の作法は知らないと言ってやりたくもあったが、一応身分が高くこういう機会に恵まれているリヒターに質問したくなるのは理解できる。
 ついでに指輪の不在を誤魔化すいい口実になったとリップサービス。
「君に贈られた指輪を外すのは、私も少し残念だけどね?」
 つややかな髪を再びそっと撫でると、桃色の頬ではにかまれた。
「席に座ってからは、基本的に私と同じ順で食事を楽しむといい。身分ある方との会食でいいところは、出てくる食事が豪華なことだ」
「船旅の途中ですのに?」
「材料はすべてあちら持ちだよ。やはり相当に毒を警戒なさっているようでね」
「……疑い深い方ですのね」
「当然の配慮だと思うよ」
 近い過去に毒を盛られた経験があるのだから。
「会食の相手の命もかかっているから」
「まあ!」
 想像もしていなかった! という表情で彼女は驚いて見せた。
「そんなに用心をしなければならないなんて、お可哀そう」
「そうだね。気の毒な方だと思うよ」
 正体も定かではない者たちに狙われて、毒まで盛られて。
「せめてこの艦に乗られている間だけでも、お心安らかに過ごして頂きたいものだ」
 その心を乱す一旦を担ってしまった事に、今更ながらに自責の念を感じずにいられない。
 ふと、仲睦まじく寄り添っていた陛下との様子を思い出した。
 近しい親族と自認していただけに、半日前の自身の行為が身につまされる。
「そういえば、君の御父上の事だけれど」
「……はい」
 ひとしきり作法の説明をしながら、それとなくクリスティーナの情報を引き出そうと試みていた。
 それによって親密度が増した気がするのが不本意だが、当たり障りなく聞き出せる限りは聞けたのではないかと思う。
 彼女の父親は、サッハートで手広く商売をしつつ、貿易商として複数の船舶を所有しているらしい。
 聞いたことがない屋号に聞いたことのない船の名前。
 うがった見方をすればすべて架空のものかもしれないが、とりあえずは後ほど報告書を書くべく記憶に刻み込む。
 彼女曰く、海賊の被害にあうのは初めてで、普段は護衛艦を少なくとも一隻依頼するのだが、今回に限って予定が付かず、仕方がないので近場だからと単独で出航したらしい。
 もし事実であれば、どこからかその情報が洩れて襲撃を受けたのだろう。
 詳しい話を聞きながら、やたらと距離の近いクリスティーナの背中を撫でる。
「引き続きもっと広範囲に調査を広げさせている。心を強くして、無事を信じて」
「はい、ジークさま」
 うるうると涙で零れ落ちそうな大きな目。
 このどうしようもない嫌悪感がなければ、うっかり口づけしていたかもしれない距離感だった。
 父親が心配だと言いつつ、滅多に会えない高貴な貴婦人との会食にはしゃぐ矛盾。
 同時に救助された者たちは憔悴し、主人の心配をしながら未だ寝込んでいる者もいるのに、リヒターを見上げる彼女にはそれほどダメージがあるようには見えない。
 行方不明なのは実の父親だというのに。
 晩餐も、不安だという作法も、もし仮にリヒターの親が行方不明になっていたとしたら、とてもそんなことなど考えられないだろう。
 半日前の自分は、そんな違和感にも気づかずにいたのだ。
「こういう時だから、あの御方もそれほど厳しい事は言わないさ。大丈夫。難しい事は考えず楽しめばいい」
 改めてまたへこみながら、表面上は甘く微笑む。
「最後に、とっても重要なことを言うよ」
 琥珀色の、美しい双眸を間近で見つめながら囁く。
「御方に何かをお願いしたり、質問したりしてはいけないよ」
「どうしてですか? できれば父のことをお願いしたいなと思っていたのですが」
「とても失礼なことだからだよ」
 理解しがたいとでも言いたげに首を傾げるクリスティーナに、親身に見えるであろう真剣な表情で言った。
「あの御方は御父上の件に何も関係はないし、何の利害も持ち合わせておられない」
 皇帝陛下の妾妃と商家、あるいは海賊に関わり合いなどあるはずもなく。
「御方に出来ることは何もないよ。私が君のために御父上を探し出して見せるから」
 下々からの直訴は、実際のところ、大抵の場合無礼なものとされている。そもそも会話をするのもあり得ないことで、用件があるのであれば書面で、というのが通例だ。
「では、何をお話すれば?」
「そうだね、君自身のことを話すといいよ。趣味とか、読んだ本の事とか」
「……本はあまり。あ、でも演劇は好きです!」
「今評判の劇の話でもいいね」
 こくこくと従順に首を上下させる姿は、どこから見ても美しく善性の淑女だ。
 しかし、その背後に張り付いて見える、よくわからない正体が不気味で。
 ヒリターはできれば離れたいと思いながらも、彼女を撫でるのはやめなかった。
 『役に立て』と言われたからには、ジゴロ役でも何でもして見せよう。
 これまでの失点をなんとか挽回し、あの女官に『役に立つ』ところを見せつけてやるのだ。
しおりを挟む
感想 94

あなたにおすすめの小説

離婚した彼女は死ぬことにした

まとば 蒼
恋愛
2日に1回更新(希望)です。 ----------------- 事故で命を落とす瞬間、政略結婚で結ばれた夫のアルバートを愛していたことに気づいたエレノア。 もう一度彼との結婚生活をやり直したいと願うと、四年前に巻き戻っていた。 今度こそ彼に相応しい妻になりたいと、これまでの臆病な自分を脱ぎ捨て奮闘するエレノア。しかし、 「前にも言ったけど、君は妻としての役目を果たさなくていいんだよ」 返ってくるのは拒絶を含んだ鉄壁の笑みと、表面的で義務的な優しさ。 それでも夫に想いを捧げ続けていたある日のこと、アルバートの大事にしている弟妹が原因不明の体調不良に襲われた。 神官から、二人の体調不良はエレノアの体内に宿る瘴気が原因だと告げられる。 大切な人を守るために離婚して彼らから離れることをエレノアは決意するが──。 ----------------- とあるコンテストに応募するためにひっそり書いていた作品ですが、最近ダレてきたので公開してみることにしました。 まだまだ荒くて調整が必要な話ですが、どんなに些細な内容でも反応を頂けると大変励みになります。 書きながら色々修正していくので、読み返したら若干展開が変わってたりするかもしれません。 作風が好みじゃない場合は回れ右をして自衛をお願いいたします。

皇太子夫妻の歪んだ結婚 

夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。 その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。 本編完結してます。 番外編を更新中です。

【短編】旦那様、2年後に消えますので、その日まで恩返しをさせてください

あさぎかな@電子書籍二作目発売中
恋愛
「二年後には消えますので、ベネディック様。どうかその日まで、いつかの恩返しをさせてください」 「恩? 私と君は初対面だったはず」 「そうかもしれませんが、そうではないのかもしれません」 「意味がわからない──が、これでアルフの、弟の奇病も治るのならいいだろう」 奇病を癒すため魔法都市、最後の薬師フェリーネはベネディック・バルテルスと契約結婚を持ちかける。 彼女の目的は遺産目当てや、玉の輿ではなく──?

崖っぷち令嬢は冷血皇帝のお世話係〜侍女のはずが皇帝妃になるみたいです〜

束原ミヤコ
恋愛
ティディス・クリスティスは、没落寸前の貧乏な伯爵家の令嬢である。 家のために王宮で働く侍女に仕官したは良いけれど、緊張のせいでまともに話せず、面接で落とされそうになってしまう。 「家族のため、なんでもするからどうか働かせてください」と泣きついて、手に入れた仕事は――冷血皇帝と巷で噂されている、冷酷冷血名前を呼んだだけで子供が泣くと言われているレイシールド・ガルディアス皇帝陛下のお世話係だった。 皇帝レイシールドは気難しく、人を傍に置きたがらない。 今まで何人もの侍女が、レイシールドが恐ろしくて泣きながら辞めていったのだという。 ティディスは決意する。なんとしてでも、お仕事をやりとげて、没落から家を救わなければ……! 心根の優しいお世話係の令嬢と、無口で不器用な皇帝陛下の話です。

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

魅了の魔法を使っているのは義妹のほうでした・完

瀬名 翠
恋愛
”魅了の魔法”を使っている悪女として国外追放されるアンネリーゼ。実際は義妹・ビアンカのしわざであり、アンネリーゼは潔白であった。断罪後、親しくしていた、隣国・魔法王国出身の後輩に、声をかけられ、連れ去られ。 夢も叶えて恋も叶える、絶世の美女の話。 *五話でさくっと読めます。

五歳の時から、側にいた

田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。 それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。 グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。 前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

結婚30年、契約満了したので離婚しませんか?

おもちのかたまり
恋愛
恋愛・小説 11位になりました! 皆様ありがとうございます。 「私、旦那様とお付き合いも甘いやり取りもしたことが無いから…ごめんなさい、ちょっと他人事なのかも。もちろん、貴方達の事は心から愛しているし、命より大事よ。」 眉根を下げて笑う母様に、一発じゃあ足りないなこれは。と確信した。幸い僕も姉さん達も祝福持ちだ。父様のような力極振りではないけれど、三対一なら勝ち目はある。 「じゃあ母様は、父様が嫌で離婚するわけではないんですか?」 ケーキを幸せそうに頬張っている母様は、僕の言葉にきょとん。と目を見開いて。…もしかすると、母様にとって父様は、関心を向ける程の相手ではないのかもしれない。嫌な予感に、今日一番の寒気がする。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 20年前に攻略対象だった父親と、悪役令嬢の取り巻きだった母親の現在のお話。 ハッピーエンド・バットエンド・メリーバットエンド・女性軽視・女性蔑視 上記に当てはまりますので、苦手な方、ご不快に感じる方はお気を付けください。

処理中です...