月誓歌

有須

文字の大きさ
46 / 207
竜騎士、悔恨し愕き慄く

4

しおりを挟む
 パチパチと焚火が躍る。
 いつもならば仲間とともに夕食を掻き込んでいる楽しい時間のはずだが、ロバートの真横には陛下。その背後には無表情な近衛騎士が二人立っている。
 この焚火の周りだけ妙に人が少なく、会話もなかった。
 食後の酒の一杯でもひっかけたい気分だったが、陛下にその気配がないので、ロバートも神妙な面持ちで焚火番をしながら側に控えている。
 陛下はエルブランの街で受け取った手紙を片手で持ち、また最初から読み返していた。
 幾度読んでも内容は変わらないだろうに、何回も。
 よほど難解か重要なことが記されているのだろう、難しい顔をして文面を読む眉間には深いしわがある。
 ちらちらと陛下のご機嫌とは程遠い顔を横目で見ながら、焚火に木切れをくべる。
 揺れる炎に照らされたその顔は、遠目での印象よりも男性的だった。
 こんなふうに近くで侍ったことがないので知らなかったが、皇族というよりも、同じ騎士のとしての雰囲気のほうが強い。
 恵まれた体躯といい、甘さのない厳しい表情といい、身分がなければ純粋に同僚として接することに違和感はなかっただろう。
「……言いたいことがあるなら言え」
 眉間には皺、小さく聞こえる舌打ち。
「ジロジロと見過ぎだ」
 不機嫌そうに吐き捨てられたが、それを不愉快には感じなかった。
 さっと逸らされた視線の数は、近くにいる部下の人数と同じぐらいにあって、その数にあきれもしたが、ほかならぬ己自身もその中に含まれる。
 見られているのが商売のような身分であろうとも、嫌なものは嫌なのだと気づき、少し驚いた。
「すいません」
 かくいうロバート自身は、見られていようがあまり気にならないタイプだ。それは生まれついての貴族であればあるほど顕著な特徴で、嫌がるどころか常に人の気を引いていないと嫌だと感じる者も多い。
「ご不快でしたか」
 次の幹部の定時連絡会では、あからさまに陛下に視線を向けるなと伝えておかねばなるまい。
「……それは癖か?」
「はい?」
 ロバートは、陛下の質問の意図を測りかねて首を傾けた。
「耳に触れるのは癖か?」
 繰り返し問われて、己が伝達石のはまったイヤーカフに指先を当てていることに気づく。
「……そうかもしれません」
「メルシェイラにも同じ癖がある」
「はあ」
 お互いの顔もろくに認識していないが、兄妹である。似た癖の一つや二つ、あるのかもしれない。血の不思議というやつだ。
「……あれの事は詳しいのか?」
 あれってどれ? とは質問し返さない。前後の流れから言っても末の妹のことに違いない。
「いえ、年が離れておりますので、それほどは」
 会話したことすらありませんと言いそうになって、気づく。
 メルシェイラは養女として後宮に上がった。ロバートとは血のつながった兄妹だと知られていないのだ。
 もしかして、と冷たい汗をかく。
 癖が移るほどに身近な男女だと思われているのではあるまいな。
 この国で、身近な男女といえば親兄弟。せいぜい従兄までで、それ以外になると特別な関係にあるとみなされる。つまりは、肉体関係にあるのではないかと邪推されるのだ。
「ちちち、違いますよ! あの子は妹で、そんな……」
 父親が養女と偽ったこと暴露してしまいそうになり、慌てて言葉を濁し、大きく首を振る。
「誓ってやましいことはありません!」
「そんなことはわかっている」
 じろり、と見返された青緑色の視線は鋭く、言葉ほどにはどうでもいいと思っていないことがうかがえる。 
「……気に入らないだけだ」
 焦って否定の言葉を重ねようとしたロバートだが、不意に、近衛騎士が剣の柄に手をやったのに気づいた。
「あのう」
 おずおずとした女性の声が背後から聞こえた。
「お茶を入れたのですが、いかがですか?」
 立っていたのは、泣きながら竜籠に入れられていた助手の女だった。
 焚火の明かりにチロチロと浮かび上がる顔立ちは整っていて、まだ若い。彼女の目がまずはロバートを、次いで陛下を見つめる。
 濡れたようなその目の色は、それなりの身分の者にはなじみ深いものだ。
 この手のお誘いはよくあることで、申し出があったら普通につまみ食いして、翌朝には何事もなかったかのように振るまってもどこからも苦情は出ない。
 愛人にする必要もないし、金銭の介入も不要。食事をして用を足して眠るのと同列に、性欲の発散をお手伝いしますよ、という事だ。
 なかなか可愛らしい女性だったので、陛下が望まれるのであれば、と顔色を窺ってみたが、欠片も興味を惹かれた様子はない。むしろ眉間の皺が少し深くなったような気がする。
 それもそうだ、後宮にはあまたの美女がひしめいており、より取り見取りに相手を見繕えるのだ。
 暗殺や病気や望まぬ妊娠など、わざわざ安全面に不安がある相手で発散する必要はあるまい。 
「……いらん」
 案の定、まともに彼女の顔を見もせず、陛下は拒絶した。
「下がれ」
 そんなふうに邪険にされるとは思ってもいなかったのか、女性は紅を引かれた唇をポカンと開けた。
 剣の柄に手を置いていた近衛騎士が、立ち尽くしている女性と陛下との間に割って入る。先ほどまでの無表情とは打って変わって、彼女の肩に手を置くその顔には当たり障りのない微笑みが浮かんでいる。
「申し訳ありません、お嬢さん。ハーデス将軍閣下と大切なお話をしておりますので」
 大切な? 確かに大切な末の妹の話だ。
「……あの、お茶だけでも」
「はい。頂きます」
 近衛騎士の一人が、にっこりしながら彼女の手から盆を受け取った。賭けてもいいが、あのお茶を陛下が口にすることはないのだろう。
「あっ、あの」
 もう一人が、くるり、と彼女の身体の向きを変えさせて背中を押す。
 彼女がこちらを見る目は、男なら庇護欲を抱き声を掛けたくなるようなものだった。何か言いたげな、虐められた小動物を思わせるような……。
「まだ何か?」
 しかし近衛騎士の鉄壁の微笑みは揺らがない。
 あきらめた風に去っていく彼女の、それでもまだ未練ありげな流し目に感心するべきか、手慣れた風にはねつけた近衛騎士たちを褒めたたえるべきか。
 普通の感性の男であれば、閨のお誘いはまだしも、焚火の隣の席ぐらいは空けたかもしれない。
 しかし陛下も近衛騎士たちも、一考の余地もないどころか、付け入る隙すら与えなかった。
 この国の皇帝陛下が余多の女性を後宮に抱え、夜な夜な通っているのは有名な話だ。それなのに未だ後継者になり得る子供が居らず、もしかすると自分にもチャンスが、と考える者も多いのだろう。
 ふと、汚水まみれになっていた幼い妹の顔を思い出す。
 大人になれば顔立ちも変わると言うが、ガリガリに痩せ顔色も悪かった彼女が、長じで絶世の美女になるなど想像もつかない。
 ベールで顔以外の部分を覆っていたので分からなかったが、瞳と同じく髪の色も黒いらしい。
 ふと、姪の金髪を黒髪黒目に置き換えて想像していることに気づき、顔をしかめる。
 その容姿すら知らない事実に、改めて自己嫌悪を抱かずにはいられなかった。
しおりを挟む
感想 94

あなたにおすすめの小説

【完結】ずっと、ずっとあなたを愛していました 〜後悔も、懺悔も今更いりません〜

高瀬船
恋愛
リスティアナ・メイブルムには二歳年上の婚約者が居る。 婚約者は、国の王太子で穏やかで優しく、婚約は王命ではあったが仲睦まじく関係を築けていた。 それなのに、突然ある日婚約者である王太子からは土下座をされ、婚約を解消して欲しいと願われる。 何故、そんな事に。 優しく微笑むその笑顔を向ける先は確かに自分に向けられていたのに。 婚約者として確かに大切にされていたのに何故こうなってしまったのか。 リスティアナの思いとは裏腹に、ある時期からリスティアナに悪い噂が立ち始める。 悪い噂が立つ事など何もしていないのにも関わらず、リスティアナは次第に学園で、夜会で、孤立していく。

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

裏切りの先にあるもの

マツユキ
恋愛
侯爵令嬢のセシルには幼い頃に王家が決めた婚約者がいた。 結婚式の日取りも決まり数か月後の挙式を楽しみにしていたセシル。ある日姉の部屋を訪ねると婚約者であるはずの人が姉と口づけをかわしている所に遭遇する。傷つくセシルだったが新たな出会いがセシルを幸せへと導いていく。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

【完結】王妃を廃した、その後は……

かずきりり
恋愛
私にはもう何もない。何もかもなくなってしまった。 地位や名誉……権力でさえ。 否、最初からそんなものを欲していたわけではないのに……。 望んだものは、ただ一つ。 ――あの人からの愛。 ただ、それだけだったというのに……。 「ラウラ! お前を廃妃とする!」 国王陛下であるホセに、いきなり告げられた言葉。 隣には妹のパウラ。 お腹には子どもが居ると言う。 何一つ持たず王城から追い出された私は…… 静かな海へと身を沈める。 唯一愛したパウラを王妃の座に座らせたホセは…… そしてパウラは…… 最期に笑うのは……? それとも……救いは誰の手にもないのか *************************** こちらの作品はカクヨムにも掲載しています。

処理中です...