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第12章 自分の道
第214話 幼なじみ(1)
しおりを挟む「よ、おはよ!……冷えるねえ」
すでにテラスでロケハンをしていた篠塚は、将の姿を見つけると元気に声をかけた。
会釈をするのがせいいっぱいの将のかわりに、武藤が
「おはようございます。本当に……。天気、ビミョーですね」
と相槌を打つ。
武藤の言うとおり、夜明け前の空は厚い雲が立ち込めて、その下に広がる遥かなるパリごと、紫がかった濃いグレー一色に塗りつぶされているように見えた。
「予報は悪くなさそうなんだけどねえ」
ただ、テラスには強い風が吹き付けているから、雲が動いて日の出の瞬間の太陽がのぞくかもしれない、と篠塚は一縷の望みをかけていた。
「よく、休めた?」
篠塚が優しい調子で将に話し掛ける。
「ハイ……」
将は、ヘアメイクに髪をいじってもらいながら、風が肌にしみて目を細めた。
きのう、ベッドに倒れこんだ将は、シャワーも浴びずに、そのまま寝込んでしまった。
かろうじて、言われていた時間に携帯のアラームをセットしていたので、起きることは起きたのだが、コンディションは昨日とたいして変わりはなかった。
あわててシャワーを浴びたせいか、夜明けの空気の冷たさが将にはひとしおだった。
曇っているからそれほど冷えこんだわけもないのに、風が吹くたびに首筋がぞくぞくする感じがする。
だけど、そんなふうに肉体が感じることも、今の将には、どこか他人事のようだった。
「よっし。ポラ(※ポラロイド)とろうかな」
この、夜明けの一瞬を撮るのに、篠塚はデジカメではなく、フィルムを使う銀塩カメラを用意していた。
しかも大判フィルムの。
なんでも、緊張感が違うそうだ。
『僕のような年よりは、どうもデジタルはイケ好かなくてね。最近はそうも言ってられないけど、ここぞ、というときは、やっぱりこっちで撮りたいもんなのよ』
昨日、カンボジア料理店でうどんのようなライスヌードルの入った鍋に舌鼓を打ちながら、篠塚は笑顔で話した。
将は、篠塚のカメラの前のテラスのてすりに腰掛けた。
塗りつぶされたような空は、東の方から、水彩絵の具でのそれのように、だんだん濃淡が出てきた。
「将、普通にしてていいよ。考えないで」
そうは言われれば言われるほど、将は自分の『普通』とは何かと考えてしまう。
将とて、昨日から、それなりに『仕事を頑張っている』つもりだった。
あの電話の最後に……聡がそういったから、せめて。
だけど、だめなのだ。
まわりが自分に気を使っているのはわかる。盛り上げようとしてくれているのもわかる。
それに応えたい、と将は無理やり微笑んだ。
だけど……そういった偽りの表情に、篠塚は決してOKを出さなかった。
今の将も、篠塚からの厳しい眼力では『ダメ』なのだが、
まあ、ポラだから、と篠塚は無理やりシャッターを切った。
夜明けの撮影は難しい。
刻一刻と明るさが変わっていくから、適正な露出に合わせるのにカンのようなものが要る。
しかも今回は、太陽と、その逆光で人物、さらに太陽の下に照らされたパリ、と要素が多い。
それらが最大に美しい色合いと表情を見せる瞬間を、篠塚は狙いたかった。
「ふ……ん」
篠塚は、温め終わったポラをチラリと見た。
露出より、将の表情が気になっていた。が、もうそろそろ、一番いいときだ。
しかも、ちょうどパリの上すれすれの雲が横に裂けた。
上の雲はまだ濃い紫だが、下の雲はみるみるオレンジから金色に変わり始めた。
……まもなく、そこにご来光があるはず。
篠塚はファインダーを覗いた。
あいかわらず、将のオーラのなさはいかんともしがたい。
篠塚は、少しでも将の気分を盛り上げるために自ら口を開いた。
「しかしさ。将。不思議だと思わない?あの今昇ってる太陽は……東京では、真昼間の真上にあるんだぜ」
テラスの手すりに腰掛けた将は、思わず、太陽のほうを見る。
ちょうど、そのとき雲から顔を出した、赤い太陽は、将の顔に強い光線を照射した。
その強烈な光に目を細めながら、なおも太陽から視線をそらさずに、将は希望のように1つのことを思っていた。
――同じ太陽が、聡の上にある。
「よし!……いいぞ」
篠塚は小さく呟くと、立て続けにシャッターを切った。
サンジェルマン・アン・レーからの夜明けの写真は、まずまずのものが撮れたが、その後はやはりさっぱりだった。
それでも、引き続き『お城』で行われた、立て襟のスーツを着て、髪を固めた貴公子風のカットは「演技をさせる」ことで何とかなったが、その後、パリに場所を移しての撮影はまるでダメだった。
将は篠塚から何度も
「どうした。将らしくないぞ」
とダメ出しをされたが、今の将にはいったい何が自分らしいのか、皆目見当がつかない。
――どうして、自分はここにいるんだろう。
――いったい、自分は何をしているんだろう。
……結局、思考はそこへたどりついてしまうのだ。
貴公子になりきる、というのは、なんとなくわかる。
TVドラマで演じた冤罪を着せられた不良少年というのも、だいたい想像できる。
だけど、将自身を演じる、というのは、一番の難題だ。自分は、いったい何なんだろう。
「だめだ。今日もダメだね」
篠塚は首を横に振って、カメラから離れた。今彼がいじっているのはデジタルカメラだ。
だが、デジタルですら撮る意味がないらしい。
「なんかね。カラッポなんだよ。抜け殻って感じ」
もう、武藤も何も言うことができないで、ただ下を向くしかない。
――これほど、ダメージを受けてしまうとは。
あきらかに武藤の計算外だった。
あのとき、空港で。
たぶん聡と電話で話していたのだろう将は、ひどく悲痛な顔をしていた。
逢引を邪魔されたことで、聡が何か不快に感じて、それを電話で将にぶちまけたのだろうか……というあたりに武藤は理由を考えていた。
聡との関係が悪化するなら、それは願ったりだ、と思っていた武藤だが、ここまで将のパワーが落ちてしまうとは……。
武藤は、何か手を打たなくてはと考え始めた。
「どうも……すいません」
現場のどんよりとしたムードの中、将は篠塚に謝った。
自分でもどうしたらいいか、わからない。将は謝るしかなかった。
しゃがんで機材を片付けていた篠塚は顔を上げた。
「謝るだけの誠意はあるんだ」
そして立ち上がる。
「じゃあさ。午後の撮影の代わりに、つきあってほしいところがあるんだけど」
と篠塚は将に提案した。
将は、篠塚の意図がわからなくて、目をしばたかせた。
「武藤さん、いいでしょ。将がこんなんじゃ話しになんないし」
武藤はため息をつきながら、承諾した。
午後、他のスタッフはオフにして、篠塚は将だけを連れて、タクシーに乗ってパリを南下していた。
モンパルナスタワーを右手に見ながら、さらに南下すると15区、将が幼い頃を過ごしたあたりだ。
それこそが、篠塚のリクエスト、将に付き合えと命令したのは、まさにそこだったのだ。
「僕、英語は大丈夫だからさ。将くんも簡単なフランス語会話だったらOKなんでしょ」
と篠塚は将をうながして、日が傾きかけた中、タクシーに乗った。
とはいっても、将がパリをあとにしたのは6歳である。
住んでいたところの住所などはまるで覚えていない。
ただ、よく将の面倒を見てくれたイザベラおばさんが住んでいたのが『rue XXXXX』という通りだったことだけ覚えていた。
元外交官だった将の母・環は、将を産んだことで外交官を引退していたが、
夫についてパリに赴任してきてからは、知人の勧めもあって、フランスの絵本を日本語訳して日本に輸出する仕事に付いていた。
そのせいで将は3歳から保育園に預けられたのだが、保育園や幼稚園から迎えに来て、
母の仕事が終わるまで家で預かって面倒を見てくれたのがこのイザベラおばさんなのだ。
フランスでは、こんなふうに、子育てを終えた年配の婦人が小遣い稼ぎに、近所の働くお母さんたちのベビーシッター代わりをするケースが多い。
政府から資金援助が出ていることもあって、お母さんたちの負担も少ないのだ。
あの、幼稚園が一緒だったロマーヌは、ここでも一緒だった。
ただ……イザベラおばさんは、ロマーヌには本当のお婆ちゃんだったのと、
他の子のばあい、みんな夕方や遅くても夜にはお母さんかお父さんが迎えに来てくれるのに、ロマーヌだけはいつも誰も迎えにこない……というところが違っていた。
環が迎えに来て、駆け寄ろうとする将の手を引っ張って、
『ショー、帰らないで』と懇願した青い瞳を将は思い出した。
番地は覚えていなかったけれど、タクシーが『rue XXXXX』に差し掛かったとたん、将は懐かしさのあまり、タクシーの窓に張り付いた。
変わっていない。
ゆるい坂道を少し登れば……大きな、5月になると香りの強い白い花を付ける木がある。
花は、風がなくても、ボタン雪のように歩道にひらひらと落ちた。
将にとっては、ボタン雪のほうを、むしろ後で覚えたのだが。
ただ、雪と違って、花は道に落ちるとすぐに茶色く朽ちた。
『滑るから気をつけるのよ』
そこを通るとき、いつも声をかけた、環の声が将の脳裏にはっきりと蘇った。
そして、その木の向こうに、懐かしい建物が見えた。
レンガとモルタルを組み合わせた……日本の団地と比べてもなんの変哲もない5階建てのアパルトマンは、12年前と何も変わっていなかった。
「ここだよ。ぜんっぜん、変わってない」
タクシーを降りた将は、思わず呟いた。
「で、イザベラおばさんは、どの階段?」
篠塚はさっそくそこを訪ねるつもりらしい。
「真ん中だったと思うけれど……、今も住んでるかな」
将のほうが、心もとなく篠塚に向き直った。
「知るか、俺が。……とにかく行ってみよう。なに、引っ越してたら、そのときさ」
背の高い将の腰のあたりを押しだすように、篠塚は階段をのぼるよう将を急かした。
イザベラおばさんが住んでいたのは3階だったはず。
将は、祈るような気持ちで、チャイムを押した。
ブーという無骨な音が部屋の中に鳴るのが聞こえる。そんな音も変わらない。
あの音が鳴るたびに、楽しく遊びながらも、こんどは自分のお母さんかな?と振り返ったものだ。
しかし、音がなってもなんの反応もない。
閑静な住宅街である。鳥の鳴く声だけが静けさに響いた。
――いないんだろうか。
そう思いかけたとき。中からドタドタとドアに駆け寄ってくる音が聞こえた。
「誰?」
中から若い女の声がした。
将は何て答えていいか一瞬わからなくてとまどったが、
「日本から来ました鷹枝将です。ここはマダム・イザベラの部屋ですか?」
と思い切ってフランス語で言った。
ドアが、ガチャ、と開いた。青い瞳を見開いた若い女が将を見上げた。
「ショー……?」
将には、彼女がロマーヌだとすぐにわかった。
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