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第9章 バレンタイン
第142話 ボイコット(3)
しおりを挟む「ところでさ、誰に提出するの?」
急に、前を歩くみな子が立ち止まって振り返った。
「そういえば、そうだな」
廊下で立ち止まって、将は考えた。
京極の件について裏で糸をひいている校長や教頭に、いきなり渡しても揉み潰されることは明白だ。
どうせ退学を覚悟しているとはいっても、できるだけ効果的に学校を動かすことを考えたい将の前に、屈強な巡回教師が現れた……多美先生だ。
「何してる!」
授業が始まったのに廊下でたむろしている将たちに、多美先生のほうから声をかけてきた。
学年主任で、その怖さは京極が赴任してくるまで学校一だったが、生徒のためを思ってくれている先生である。
将はとっさに、多美先生がいいと判断し、みな子が持っている声明文を差し出した。
多美先生は将の手書きのそれを、その場で読んだ……眉根を寄せた。
「ボイコットって……お前ら。こんなことをしてもポイントが減っていって退学になるだけだぞ」
多美先生は堀の深い顔の眉間に皺を寄せて、心配そうに将ら3人を順番に見詰めた。
「退学覚悟です。俺ら、あの京極……先生のやり方には断固着いていけません!」
将は断言した。
少し声が大きすぎたようで、多美先生が人差し指を口に当ててシー!と将を止めた。
「……話を聞こう」
多美先生は顎をしゃくって、将ら3人の前を促すように前を歩き始めた。
多美先生が将たちを連れて行ったのは、職員室ではなく、音楽室だった。
ここは多美先生専用のような教室である。防音装置がついているのも都合がいい。
将、兵藤、みな子は口々に兵藤の行状を多美先生に訴えた。
多美先生は、渋い顔をしながら、3人の話をまともに聞いてくれた。
「お前たちの気持ちはよくわかった。だが……」
授業には出ろ、というであろう多美先生に、将は先回りした。
「とにかく、俺たちは……少なくとも俺は、京極がいる限り、授業には出ません! 京極が出て行くか、俺が出て行くか、どっちかです」
将がそういうと、みな子も
「私も鷹枝くんと同じ気持ちです」
と続ける。兵藤はさらに
「僕も同じです。それに京極先生の英語になって、みんなやる気なくしてます。古城先生に戻してもらうことはできないんですか。
だいたい、うちの学校ってクラスも担任もずっと持ち上がりが特徴じゃないですか」
と担任を聡に戻すように訴えた。
聡が話題に出て将は、兵藤のほうに視線を移しながら、聡を思った。
聡が担任に戻るのは嬉しい。2学期以来、将にとって、学校は聡に会える場所だった。
再びそうなるのはやぶさかではない。ただ……聡が担任になると、再び二人は教師と生徒の関係に戻ってしまう。
将は少し複雑な気分になった。
「うーん……」
多美先生は腕組みをして、少し考え込んだ。
「とにかく、俺たちは京極がやめるまで、絶対、授業に出ません」
将は断言した。
「それ、知ってる。幻想即興曲だよね」
みな子がグランドピアノを弾く将を振り返った。3人は音楽室に残っている。
多美先生は、結局、決心が固い将たちを説得することを諦めた。
ただし
「ボイコットを単なるサボリの理由にするな。みんなが授業を受けている間、お前らなりにちゃんと自習しておけ」
とだけ言い聞かせた。
今日の3時間目に音楽がある。しかし、授業で音楽室は塞がるだろうから、3人はそのまま空いている音楽室に居残り、
1時間目を音楽の自習に充てる事にしたのだ。
将の鍵盤の上の手は、早いスピードで展開する曲を難なく弾きこなすように見えた。
「……すごいな。鷹枝くん、そんな特技があったんだ」
兵藤が目を丸くする。将は無言で指を走らせている。左右とも忙しく指を動かすこの曲の難度はかなり高い。
大きく手を広げるパートに移ると、将の手の大きさが俄然引きたつ。
しかし、クライマックスの高いところから低いところへおりてくるところでつまずいて、
将は一気に興が冷めたのか弾くのをやめてしまった。……深いため息をつく。
……10分ほど前。音楽室から職員室へ戻ろうとする多美先生を将は一人で追った。
兵藤やみな子に聞かれたくない話……金曜日に校長室から立ち聞きした、学校側がわざと中退者を出そうとしている件について、多美先生が知っているかを確認するためである。
将からそれを聞いた多美先生は、
「冗談か何かじゃないのか」
と、いぶかしげな顔をした。
「中退者が少ない、というのは、ウチの学校の特色なんだぞ」
とも言う。やっぱり、その件は一般の教員には知らされていないらしい。
「いや……、その……。経営とか大丈夫、なのかな……とか?」
将は口ごもりながら、なおも訊いてみる。すると多美先生は
「生徒がそんなこと心配するな……というとお前はもっと心配にするんだろうな」
と笑った。将がいっぱしに株式投資をやっているのを知っている多美先生だ。
「荒江学園は、高校以外にも、専門学校や各種スクール、介護施設など多角経営しているのは知っているな。グループ全体としては業績好調だ。そういう意味でも心配するな」
と将の肩を軽く叩いた。
将は腑に落ちなかった。校長たちの話は、結局何をもくろんでいるんだろうか、いよいよわからなくなった。
「何歳から習ってんの?」
と兵藤の声で、将は我に帰った。
将はグランドピアノの黒い天板に、逆さまに映りこむ自分の顎のあたりを見て一瞬ぼんやりしていたらしい。
「3歳。……母が△△さんのファンでさ。無理やりさせられたんだ」
そういうと将は椅子を立った。△△とは近年もアルバムでオリコン1位を獲得した還暦近い大御所である。
「そう。あたしもピアノ習ってたんだけど、中2で辞めちゃった。受験だから」
将に代わって今度は、みな子がピアノの椅子に座る。ショパンつながりで、ノクターンを弾く。
「俺も小6で辞めた」
しかし、中学受験のため、というわけではない。
ピアノが爆破事件で木っ端微塵になったから、というわけでもないが……。
「ええー!小6で幻想即興曲!マジスゴッ」
みな子は、ノクターンを弾く手を止めて素直に驚いた。
「いいなー。鷹枝くん指長いもんね……あたしなんて、ようやく1オクターブちょいだもんね」
といいながら、みな子はピアノの鍵盤の上に右手をめいいっぱい広げて置いた。
いちおうドから1オクターブ上のミまで届いては、いる。
「あー攣りそう!」
と悲鳴をあげながら、右手をパタパタさせた。
ミスタッチなく弾けるのはドから1オクターブ上のドまでだ、と嘆く。
「どれ」
将はみな子のパタパタさせた手首をふいに取った。
みな子は、体中が振動するほど、心臓が激しく動き出すのを感じた。
将は、無邪気に、みな子の右手に自らの左手をあわせた。
どうやら大きさを比べているらしい。将の手のほうが指の関節1つ分ずつ長い。
……男子の手がこんなに熱いとは思わなかった。
クラスで……いや学校一、大人の雰囲気の鷹枝将の手。
こんなふうに男子とじかに肌を触れ合うのは、たぶん初めてのみな子だ。
ハンドパワーさながらに、触れ合った部分から、何かがみな子に感染していくよう……なんだかいけない気がした。
みな子は、体中がカァっと熱くなり、クラクラした。
しかし将のほうは
「ほーんと、ちっちゃい手だなー」
などとのんきに感想を述べている。
我に帰ったみな子は、将とあわせていた右手を素早く引っ込めた。
「み、右手と左手で比べてもしょーがないじゃんっ!」
「えーそう?ケンちゃんはー?」
と今度は兵藤の右手の甲に、自分の右手をあわせる無邪気な将。
「鷹枝くんは、どうせパーツ全部がデカイんでしょ」
という兵藤に対し、
「あー、わかるぅ?」
といたずらっぽく笑う。……もちろん卑猥な意味である。
みな子は、一人でドキドキしていたのが無性に悔しくて乱暴にピアノを閉めた。
閉めた拍子に、弦がかすかに音階を奏でるように震えた。
「そうだ、これ」
視聴覚室に戻った将はカバンの中からプリントの束を出した。
かつての英語の教材だった聡の手作りのプリントだった。
京極が来た初日に、破くように命じられ、そのまま将が持ち帰ったものだ。
「ケンちゃんの分は俺のをコピーしたから」
将は、破かれてしまった兵藤の分として、コピーを渡した。
「ケンちゃんの細かい書き込みは復元できなかったけどサ」と付け加えながら。
だけど兵藤は目を輝かせて、それを受け取った。
「鷹枝くん、ありがとう」
将は照れながら、プリントの束の中から、次にみな子のを探し出して渡しながら
「これ、やろうぜ」
と提案した。
「だけどさ、次の映画、なんだかわからないよ」
と兵藤が言った。みな子はさっきからほとんど黙っている。
プリントには簡単な表現を英語だけで先に抜き出してある。
実際に映画を見ながら、その発音や意味を確認する、というやり方だが、プリントには映画のタイトルが書かれていない。
「えっとなあ……」
将は考え込んだ。聡がこのプリントをつくるためにDVDを見ていたのは覚えている。
だけどタイトルが思い出せない。
将は立ち上がると、ステッキをつきながら準備室へ向かった。
「写真は覚えているんだけどなあ。なんかモノクロで古いやつだと思うんだけど。なんかイケメンが出てくるやつ」
などといいながら、準備室にあるDVDを1枚1枚取り出して、ジャケットを確認している。
兵藤とみな子も、探すのを手伝った。モノクロの古い映画は手当たり次第将に見せる。
「これは?」
みな子が探し出した一枚を見た将は
「あーそれそれ!……『エデンの東』かあ」
ジェームス・ディーンをイケメン、とはね。みな子は心の中で苦笑した。
さっそく、遮光カーテンを引いて『エデンの東』を流す。
いつもは、授業にあわせて30分程度ずつの小出しでしか見れないのだが、
どうせボイコット中だからと、ノーカットで全部一気に流す。
みな子は、この有名な名画をテレビか何かで見たことがあった。
しかし、大画面で見ているうちに、自分の中に異変が起きているのに気付いた。
ジェームス・ディーンの顔が、どうしても将に見えるのだ。
――ぜんぜん、違うじゃんっ!
あせったみな子は、暗がりの中、ひそかに首をプルプル振るったり、目を閉じてパッと見開いたり、両手で目を覆って隙間から見たりと工夫してみたが、どう見ても、モノクロ画面の中の寂しげな不良少年はすべて将になってしまう。
みな子は、とうとう画面から視線をそらした。
しかし、そらした視線は今度は、自然に、斜め前で頬杖をついて画面に見入る将のほうへ向いてしまう。
斜め45度からの将の横顔は、画面の光の中で、いっそう大人っぽく見える。
――これって……。
やたら胸がドキドキする。みな子は必死でそれを否定した。
将に翻弄されているうちに、映画は終了した。
兵藤が遮光カーテンを開ける。
さっと入り込んでくる冬の光に、自分の心がさらけ出されそうで、みな子は思わず窓に背を向ける。
だけど、その視線の先にいる将を盗み見る。
「あー、ひさしぶりに、まともな英語聞いたァ」
将は伸びをしていた。
――あんなにしょっちゅう伸びばっかりしてるから背が伸びるんだわ。
「ね、星野サン」
ふいに話し掛けられて、みな子は再びビクンと体を震わせる。
「そ、そうねっ」
「今の、ジェームス・ディーンって俺っぽくね?」
まるで思っていることを言い当てられたように、みな子は焦った。
「ぜっ、ぜんぜんっ!ぜんぜん似てないっ!」
「えー」
あまりの激しい否定に将は、ぶーっと口をとがらせた。
そのユーモラスな顔に、みな子の焦りは急激に緩和された。
大人の男性に近い容貌と雰囲気を持つ将なのに、ものすごく子供っぽいときがある。
これもさっきの至近距離の目と同様、ごく近くにいる者しか知りえない将なのだ。
みな子は、いけないものを知ってしまった気がして、密かに切なくなった。
そのとき、チャイムが鳴った。3時間目が終わって昼休みになったらしい。
「さーて、メシでも食いに行くかぁ。星野サンは?」
将は席を立った。あっさりと機嫌を治したらしい。
「あ、あたしはお弁当だから、教室に戻ろうかな」
みな子も小さなトートバックに入れた弁当を持って、あわてて立ち上がった。
「ふーん。ヤクザのヤローに気をつけてね」
こんなとき、将はとてつもなく優しい目をする。
それは、猫を抱いていたときの将と今の将の唯一の接点のようにみな子は思った。
そして、それはみな子の心臓を再び忙しくさせる。
「ありがと」
みな子は小さく言って、急ぐ必要はないのに、速打ちを始めた心臓にせかされるように、走って視聴覚室を出ようとした。
出口で、逆に急いで視聴覚室に入ろうとした誰かとぶつかりそうになる。
それは将に負けないほど、デカイ生徒――井口だった。
井口は、息も荒く叫んだ。
「将、大変、大変だ! 松岡が屋上に――」
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