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二章

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 葵が閉店作業のため、客席のメニューを下げてテーブルを拭いていると、窓の外に昼間のセクハラ男性客がいた。じっとこちらを見ている…。
「嘘でしょ…なんなのよ」
 あきらかに葵を見ているその男は、こちらに向かってヒラヒラと手を振った。
「どうしよう、誰かに電話…いや、誰にかけるのよ…」
 警察にかけるべきだろうか…でも何もされていない。シャンプーのメーカーと、ブラのサイズと、パンツの色を聞かれたくらい…暴力を振るわれたわけでも、つけ回されたわけでもない。今はまだ…。
 こんな時どうしたらいいんだろう。
『気をつけた方がいいよ。何かあってからじゃ遅いから』
「あのお客さんの言った通りになったじゃない…」
 葵は怖くなって身震いした。

 タイムカードも切り、私服に着替えながら本当にどうしようかと困り果てる。
ー走って帰ろう。それしかない。
 店をでて、恐る恐る辺りを見回してみたが、それらしき男性はいなかった。ほっとして息を吐くと葵は自分のアパートに向かって歩きだす。
ーあの先を曲がれば、大通りまですぐだ。
 不思議なくらい人が少ない裏通りを、ひたすら急いで歩く。すると…コツ…コツ…という音だけが耳に響く…。
 そっと振り返ってみるが近くに人の姿は確認できない。
 背中が総毛立つような感覚に恐怖心が余計に煽られ、思わず小走りになる。
ーはぁ…はぁ…もう少し、あと少し…息が…苦しい。
 確かに感じる気配から逃げようといつしか全速力で走り、そして角を曲がると、
ードン!
 誰かにぶつかった!「痛っ…」そう言った時にはもう後ろに転げていて、さっきまでの緊張感が緩んでしまった。誰かがいたことに安心してしまったのだ。
「すみません、大丈夫ですか?」
 ぶつかってしまったお相手から手を差し出され顔を上げる。
「あ」「あー」
ーあの時の、心配してくれたお客さんだ!
「あれ、君はカフェの…」
 知っている顔を見て一気に安心感が増す。
「すみません、私、誰かに追いかけられてて!」
 矢継ぎ早に話すと彼が通りに目をやる。
「大丈夫、誰もいないよ」
 彼はかがみ込んで彼女の手を取りゆっくり立たせると、スカートの裾をサッと払い、ハンカチを取り出して手のひらまで拭いてくれた。
「ありがとうございます…すみません…」
「今帰りなの?もし良かったら送って行こうか?それとも警察に行く?」
 葵は慌てて首を横に振った。
ー何もされてないし…自意識過剰かもしれないし…
「そうか。なら、なおさら送っていきたいな。俺でよければだけど…。俺は小田切慧矢おだぎりけいや。君は?」
「わ、私、東城あおいです!」
「嫌でなければ送っていきたいんだ。心配だから…嫌かな?」
 慧矢は眉根を下げ、いかにも心配そうな顔でこちらを窺っている。
ーいいのかな…甘えても。だからって1人も怖いから、送ってもらえたらとても助かる…。
 葵は意を決して頼むことにした。
「お願いしてもいいですか?」
「もちろん」
 ぱぁっと明るい笑顔になった慧矢が、葵の背中に手をやり「歩ける?」と気遣ってくれる。
「荷物持とうか?」
「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」
「そう?」と微笑んでみせる彼は、背も高くて格好いい。昼間も思ったが、まるで韓流ドラマのヒーローみたいだ。それに紳士的で優しい。
 しばらく歩いていても彼の手はまだ後ろに添えられている。ちょこっと見やるが、彼は「ん?どうかした?どっか痛い?」と葵を気遣い、ゆっくりと歩幅を合わせてくれる。
 余りの親切さに照れてしまい「いえ…」としか言えなかった…。
ー手がまだ背中にある…私が興奮していたから、心配してくれてるのかもしれない。本当に優しい…それに…嫌じゃない。
 彼に背を守られながら大通りを歩いていると、向こうからサラリーマンらしき数人の男達が、千鳥足でフラフラしている。
「こっち」
 と背中にあった彼の手が葵の肩を抱いて引き寄せ、サラリーマンたちを避けた。
「すみません…」と慌てて言ったが、肩にまわされた手を意識しすぎて心臓が痛い。
ーこれぐらい普通なんだろうか?
 男性と付き合った経験のない自分には、この距離感が正しいのかどうかもわからない。
 でも…やっぱり嫌じゃない。
「この時間だから、飲み帰りの人が多いね」
「そうですね…」
 葵は努めて平静を装った。
 慧矢は葵の肩から手を離すと「こっちにきて」と反対側の手を取り、道路の内側に誘導した。
 そして今、そのままの流れで手を繋いでいる。
「東城さんは年いくつなの?」
二十歳はたちです」
「そうなんだ、近いね」
「え?おいくつなんですか?」
「俺は二十二。2つ違いだね」
「そうなんですね。じゃあ、私が中一の時の中三ってやつじゃないですか」
「そう、それだ」
 慧矢が先に声を上げて笑い、葵がつられて笑う。二人でいると、さっきまでの恐怖がなんだったのか…もう忘れそうになる。
「小田切さんは…大学生さん…ですか?」
「そう、来年卒業だけど。東城さんは…学生?」
「はい、一応、学生ですね」
「一応?」
「動物看護士になるための専門学校に通っていて。私も来年卒業だから一応です」
「動物看護士か…動物は口が利けないから大変そうだな」
「そうですね……目を見ただけでわかってあげられたらいいんですけど、わからないから少しでも多く知識を詰め込まないと……」
「そうか。これからたくさんの動物たちの命を救うんだな」
「そうありたいですね。でも…私はあくまでただの助手なんで…」
 俯いた彼女の声が少し小さくなった。
「でも…助手がいてくれると先生は安心して治療できるんじゃないかな。それに動物たちの声が聞けるのは、何も飼い主さんや先生だけじゃないからね。看護士さんが違う角度から見てくれるからこそ、気付けることだってあるはずだろ?自信持って…」
 彼から思いがけず励まされ、胸が熱くなった。
「はい…」
 少し誇らしく葵は返事をする。
 自分は無力だと、いつもどこかで感じていたが、彼にこんなことを言われたら、まだこれからだと思える。
 こんな話を誰かとしたのは久しぶりだから嬉しい。
「そうだ、明日もバイト?」
 そう聞かれて我にかえる。
「はい」
「なら、明日も送っていい?」
 思わぬ申し出に、「いえ、そんな…」と言ってはみたが…
「こんな時間に女の子一人は心配だし。ただの自己満足なんだ。ダメ?」
ーどうしよう、嬉しいけどいいのかな…断りたくないしな……
「本当に…お願いしてもいいんですか?」
「もちろん!いいに決まってる」
 ほっとしたと言わんばかりに繋いだ手を胸に抱えた慧矢が「このやり取り、さっきと同じだね」と笑う。
ー小田切さんの笑顔…破壊的だわ…。
 心臓がトクンと高鳴って、目が釘付けになった。
 自然と歩く速度が落ち、このまま立ち止まってしまったら何かが起こるような予感がして、照れくささに負けて葵がふいっと目を逸らす…。
 それでも握った手が離れることはない。
 少し俯いて逸らされた横顔に、今度は慧矢の目が釘付けになっていた。
 しばらくの沈黙が甘い空気を纏い、慧矢がこちらを見ていることに気付き、また視線が重なる。
 歩きながら彼を見つめ返していたせいで、何もないところで葵が躓いた。
「あっー」
 さっと手を伸ばした慧矢に支えられる。
「おっと。大丈夫?」
 二人の間に流れる空気が益々甘さを増し、葵の頭の思考回路はもう焼き切れそうだった。
~~~恥ずかしい!小田切さん、勘違いするからそんなに優しくするのはやめて~!それとも私が自意識過剰なだけ?この距離感のせい?どうなの!
 頭の中で身悶えていると、やがてアパートの前に到着し葵は少しほっとした。
ーこれでこの手が離れる…この変な緊張からも解放されて夢も覚める…でも…なんだか寂しいかも。
「あの…ここです…送って下さってありがとうございました」
 二人向かい合うが、手はまだ離されていない。
「もう着いちゃったのか…ごめんね。俺…この手を離せなくて…」
「いえ……私も…離せなくて……すみません…」
「そうだよな…怖い思いをしたばかりだもんな…でも違うんだ、俺はまだ…君を離したくなくて……」
「ーーー!」
 顔から火が出るーとはこういう事かと、葵は今身をもって体感していた。
 一方で少し期待してしまう自分もいて、諫めるのに苦労する。
 それでも彼の言葉が嬉しくて固まったまま動けないでいると、慧矢が繋いだ手をゆっくりと手繰り寄せ、互いの距離は吐息を感じるほどに近くなっていた。
「東城さん…彼氏はいる?」
 見つめ合ったままの質問が心臓の鼓動を加速させる。
「いえ…いません…」
「好きな人は?」
「いません…」
「だったら俺を……好きになってくれないか…?君が好きなんだ。初めて会った時から惹かれてた…彼女になってほしい」
 熱を孕んだ視線で見つめてくる慧矢にそう言われ、同時に抱きしめられた。心から愛しむように、後頭部に手を添えられ抱え込まれて額に頬擦りされる。
ーあぁ…私も。あなたに惹かれています。
「お願いだ…」
「…私で…良かったら…」
 信じられないくらい迷いはなかった。
 数回話しただけの人なのに、この人から与えられる多幸感は、すでに葵の中で中毒性を持っていた。
ーもっとこうしていたい…もっと側にいたい…離れたくない…
 慧矢が抱きしめていた手を緩め、葵の顔を覗き込み「本当に?」と聞き返す。
「本当に…」
 そう応えると、彼が破顔してみせた。。
「はーぁ……良かったーっ!緊張した!」
ーもう、なんて可愛い人なんだろう。
「そうなんですか?」
「したよ。告白なんて初めてだったから…」
「え!初めてって、本当に?」
「本当だよ」
「でも実は、私も…告白されたの初めて…」
「じゃあ、初めてどうしで、これからよろしく」
「はい…よろしくお願いします」
 二人のおでこがくっついて、まるで猫の挨拶のように鼻と鼻を擦り合わせる。

       ◆

 この時、慧矢は己と戦っていた。
 付き合うことになり喜悦に浸っていたのも束の間、すぐに湧き上がってきた劣情に苦しめられるとは……
ーキスは早い…よな…早い。あんなことがあってまだ怖いはずだ。
 鼻をつん、と擦り合わせながら慧矢はこんなことを考えていた。
ー我慢だ、我慢!もし怖がらせでもしたら身も蓋もない。
 葵を好きになってから、数えきれないほどの辛酸な夜を過ごしてきたが、情けないことにこの情欲をコントロールできるかどうかが今は一番の問題だ。
 思いが通じて彼女にはなってもらえたが、葵はまだ俺を好きではない。今さら焦ってこれまでの思いを水の泡にしたくはないし、葵に怖がられて二度と近づくことができなくなるなど言語道断だ!それだけは避けなくてはならない。
 思いがけずあの男が葵を付け狙ったことで、自分が近づけるチャンスが早まっただけでも、今は有り難く思うことにしよう。
 だがこれ以上、奴が葵に近づくのは危険だ。見過ごすわけにはいかない。
 あの男の調べもだいたいはついているが、何をするかまでは予想だにできない。
 葵と正式に付き合うことになった以上、これからは堂々と彼女を護れる。
 だからと言ってのんびりと相手の出方を待ってもいられないが、今は……。
ーキスしたい…!いや…ここまで待ったんだ、焦ることはないじゃないか……
 そう自分を叱咤して耐えていた。
 でも…これくらいなら…。
 慧矢の手が葵の頭を撫で、そっと耳朶を擦り片頬を包む。
 そしてゆっくりと反対側の頬に顔を近づけると、ちゅっと唇を軽く押しあてた。
 葵は驚いていたが、すぐににっこりと微笑んでくれた。
ー良かった。怖がってはいない。
 この笑顔は今、自分だけに向けられている…そう思うと心が清福で満たされた。
「可愛い…」
「え?何がですか?」
「全部」
 答えなど決まっている。全てが可愛いくて仕方がない。
「そ、そんなこと…ないです。小田切さんて、もしかして皆にこういうこと…言っちゃうんですか?」
「それこそそんなことないよ、誤解!こんな台詞、君にしか言わないよ」
 慌てて弁解する。
「フフ…冗談ですよ」
「この、小悪魔めっ!悪いのはこの口か?」 そう言って葵のほっぺをつまむと
「ひゃー…ごめんなひゃいー」と彼女が笑う。
ーもう離さない。
 慧矢が弓なりに目を細めて微笑み、また抱きしめる。
「はー……まだ離れたくないけど、君も怖い思いをして疲れただろう…?そろそろ解放してあげないとだよな」
「そうですね。でも一番は小田切さんのせいですから」
「俺?」
「はい。こんな…告白とか…」
 もじもじとして、だんだん声が小さくなる。
「そうか。俺のせいじゃ責任とらないとだな。責任とって結婚するよ」
「け、結婚って、早すぎですよ」
「はははー、冗談。今は」
「今は?」
「そう、今は。焦るつもりはないよ。ただ、俺は真剣だから…君に愛してもらう為に心血を注ぐよ。なんだってする」
 それと…と続けて言う。
「葵って呼んでもいい?俺のことも名前で呼んで」
「はい…」
「呼んでみて、葵」
「慧矢…さん」
 真っ赤になる彼女に少しいじわるをする。
「呼び捨てでいいよ。ほら呼んで」
「慧…矢…」
 下を向いてしまった。かわいい顔が見れないじゃないか。
 腕を彼女の腰へ回し、力を入れすぎないように引き寄せた。
 顎を持ち上げ上向かせると、親指で唇をなぞる。
ーダメだ、堪えろ!
「ごめんな。怖い思いをした日にこんなこと…我慢できなくなるからもう帰るよ…」
 そう言いながらまだ離れられない。
「我慢…してるんですか?」
「うん。めちゃくちゃしてる」
 葵の目が泳いでる…しかもまた顔を赤くして。 
「あの…いいですよ…キス…しても」
「いいの?」
 葵は黙って頷いた。
 腰に回した手に力が入り、その唇に視線が落ちる。
 葵は瞳を伏せて慧矢の唇を受け入れた。
 ちゅっ、ちゅっと啄み、角度を変えながらその感触を味わう。
 無防備に身を任せる葵の身体は少し緊張しているようで強ばっていたが、唇は柔らかく、こちらの動きに応えようとしてくれている。
 慧矢は自分に落ち着け、と言い聞かせているのに、口づけはどんどん深くなる。止められない。
 互いを食むように熱い吐息が混ざり合い、舌で口蓋をくすぐると、慧矢に縋って掴んでいた葵の手に力が入る。
 頬に触れていたはずの手は、既に葵の首の後ろに回り支える形になっていた。
「ん…ぁ…」
「少し口…ひらいて…舌だして…」
 唇が離れそうで離れないままそう囁くと、葵が遠慮がちに舌をだしてきた。
ーあぁ、堪らない……!
 彼女の舌に合わせて軽く絡ませなぞってやると、目をうっすら開き力が抜けていくのがわかる。
「ん…あ…息…でき…ない」
「ごめん…鼻で息して…まだ全然足りない…好きだ…」
 言うが早いか、再び唇を押しあてて舌を絡めることに没頭する。
「好き…好きだ、葵…」
「私…も…」
 ー私も?確かにそう言った。はっきり言葉にして聞きたい。彼女が俺を好きだと、その唇が愛を囁くのを聞きたい…!録音して永久保存しておきたい!だが今それはできない…くそっ…!
 くちゅ…くちゅ…食むような口づけの合間…
「俺のこと…好きって…言って…」
 吐息を漏らしながら柔く唇を押し付け、ぬるついた舌で口腔を侵していく…葵も必死に応えようと舌を動かし絡めてくるのを、軽く吸う。
「はぁ…ん…ぁ…」
「ほら、言ってみて…」
 一旦離れ顔を見やると、葵が蕩けている。
ーそそられる…カメラがほしい…。
「好き…です」
「誰が好きなのか言ってみて…」
「慧矢さんが…好き…」
 もうこれ以上ないほど強く抱きしめて、胸にすっぽりと収まった葵の頭を撫で、慧矢はほくそ笑んだ。

   ◆

「ん…はぁ…」
 キスから解放され、葵はぐったりしていた。
ー気持ちいい…慧矢さん、好き…。
 今日初めて自己紹介して、付き合うことになって、キスまでしちゃった…!
 展開が早すぎて、頭が追い付かない。
 でも…すごくいい気分だった。
 世の中がとても美しく見えて、目の前のこの人が自分の世界の全てになる。
 他には何も目に入らない…
「葵…君と付き合えることになったら、世の中が綺麗に見えるよ…世界って美しいんだな…俺は君に出会うまで随分、損をしてきたわけだ…」
ー同じ事を考えてた!
 慧矢は空を一目して、再び葵に目を落とす。
 葵もまた夜空を見上げ、その美しさに感心した。
「損をしてたなら、これから取り戻さなくちゃですね。お手伝いしましょうか?」
 からかうように慧矢を見る。
「そうだね。君にしか頼めないことだから、ぜひ専属でお願いします。好きだよ、葵…」
 ちゅっと触れるだけのキス…。
 とくに田舎というわけでもないこの土地で、夜空がそれほど綺麗に見えるはずもないのに、今見ているこの星の煌めきはいったいなんだろう。
「葵、写真撮ろうか」
「急にどうしたんです?」
「君との思い出を残しておきたい。二人の写真も欲しいしね」
「ふふ…いいですね。初めて記念ですね」
「いいねそれ。これから二人でする初めては、全部写真に収めよう。楽しそうだ」
 慧矢が片手で器用に葵の顔を正面から撮る。
 当然、もう片方の手は繋いだままだ。
「笑って?ん、かわいい」
 そう言って慧矢はカシャカシャカシャッと連写して撮っている。
ーん?…繋いだ手まで撮ってる?
「よし。次はこの夜空も撮らないとな」
「星…映りますかね」
「いいんだ、映らなくても。見えなくたって星はそこにあるし、俺にとっては葵と二人で見たこの夜空が、今までで一番綺麗だから」
ーく~~~っ!こんな歯の浮くような台詞!慧矢さんじゃなかったら許されないよ!自分の身がもつか…この先が思いやられる……
「あの、二人では撮らないんですか?私ばかりじゃ嫌ですよ」
「ああ、ごめんごめん。二人の初めてだもんな。撮ろう、おいで…」
 繋いだ手を引かれ、頬と頬が重なった。カシャカシャカシャッ…。
 また連写?おまけに慧矢がこちらを見つめている…穴が開きそう…。
 見つめられるのも恥ずかしく、チラっと見返すとチュッとキスをされ、カシャカシャッとまた音がした。
「やだ、撮ったんですか?」
「うん撮った。後で葵の携帯にも送るね」
ーもう!恥ずかしいのに~~!
「あ、さっきの葵、目が半開きだ。集合写真でよくいる人になってる~」
「ちょ、ヤダ!見せて、だめ消して!」
「だーめ」
 慧矢は携帯を高く上げてしまい届かない…!
ーもう、そのよくいる目を瞑っちゃう人は私です~~!
「照れる葵も可愛いね。大丈夫、嘘だよ。じゃぁ、連絡先の交換をしようか。携帯番号教えて、かけるから登録して。メアドもね」
「は、はい」
 この時になってようやく繋いだ手が一旦離れた。
ー慧矢さんって、やっぱり女性慣れしてるなぁ…告白したのが初めてだなんて信じられない…ああ、モテるから告白する必要がなかったのか!そっか……
…勝手に妄想して、勝手に落ち込んだ。
「どうしたの?何か心配?」
 慧矢が気遣ってくれる。
「いえ、あの…信じられなくて。慧矢さんみたいに素敵な人が、私なんかに告白だなんて…」
「キスだけじゃ信じられない?」
 葵の顔が一気に沸騰して、また赤くなった。
「いえ、そんな…」
「葵は本当に可愛いね。俺をこんなに饒舌じょうぜつにしてるのは葵なんだよ?もっと自信を持って欲しいな」
「そんなこと言われましても…普段の慧矢さんを知りませんし…」
 すると慧矢は葵の手を取り、普段の俺?と聞いてきた。
「少なくとも今の俺はかなり浮かれてて、脇腹を刺されてもきっと笑ってると思う。普段の俺は死んだ魚みたいな人間だけど…今なら醤油の一気飲みもできそうな気がするよ」
「え!それは止めて!」
「そう?でも醤油飲んで具合悪くなったら看病してくれるでしょ?」
「しますけど、しません!」
「どっち?俺は葵と居られるなら…」
「わざとはダメです!それに…そんなことしなくても…」
 ゴニョゴニョと語尾が小さくなり、俯く。
「側にいてくれる?」
「はい…彼女、ですから……」
ーくすぐったい!自分が男の人にこんなことを言うなんて!いきなり彼女だなんて言っちゃった。
「そうだね、俺の彼女さん。これからはずっと一緒だよ」
 指先で頬を撫でられ、そのまま顎を摘まんでクイっと上向かされた。
 ゆっくりと顔が近づき、ちゅっ…と啄むように唇が重なる。
 先程とは違って性急ではないが、すぐにお互いを確かめ合う口づけに変わるであろうことは予想できた。
ー今日初めてキスしたはずなのに、もうずっと前から彼を知っているような気がする…口に出したら安い口説き文句だと思われるかもしれないから言えないけど……それにしても、〝脇腹を刺されても笑ってる〟とか〝普段の俺は死んだ魚〟って…ご飯ちゃんと食べてるのかな…慧矢さんの暮らしが心配になってきた。私にできる事が何かないかな……
「キスしながら何考えてるの?」
 慧矢に見透かされて言葉に詰まる。
「慧矢さんが、普段は死んだ魚だなんて言うから…気になって…」
 葵が心配そうに言うと、慧矢が微笑んだ。
「葵のそういうとこ、本当好き」
「そういうとこ?」
「そ、自分のことより人のこと考えちゃうとこ。それもキスの最中に…くっくっ…」
 慧矢は哄笑すまいと口元を押さえた。
「だって、ちゃんと食べてないから、死んだ魚みたいになるのかもとか、何かできないかなとか…」
「そうだなぁ…確かにあんまり食事には気を使わないけど、食べるのは好きだよ。ただ独りだから味気なくてね」
「独りって、一人暮らしなんですか?」
「うん。高校の時から」
「え?高校生の時から?」
 慧矢はなんでもない事のように言ったが、ご両親はどうしたのだろうか…大変な高校生活だったのではないか…とよくない事を容易に連想させた。
「葵…俺は平気だよ。そうだ、今度家に来ないか?」
「お家ですか?」
「そう。一緒に買い物をして、一緒にご飯を作って、一緒に食べて、一緒に映画を見て感動したり、泣いたり笑ったり、震え上がったり…どうかな?」
「はい。ぜひ…でも震え上がるのはちょっと…」
「やった!誰かと食べるなんて久しぶりだよ。映画はさ、二人でレンタルショップに行かないか?近場にあるんだけど、意外と楽しいんだ。今夜の俺、幸せすぎないか?まるで無敵になった気分だよ」
「慧矢さんてば大袈裟。ご飯や映画くらい、いつでもいいですよ」
「じゃあ、毎日」
「え?毎日?」
「俺は毎日でもいい。でも…葵の気持ちが追いつかないよね。ごめん許して…こんなこと初めてで…暴走してるよな、俺…」
ー慧矢さんが暴走だなんて…そんなに私のこと…。
「大丈夫ですよ…私もすぐに…追いつきますから…」
「うん…待ってる…」
 慧矢は葵を抱き締め、「早く追いついて…」と小さく呟いた。

       ◆

 もう朝か…。陽射しが眩しい…。
 ああ…太陽は明るくて黄色くて眩しいんだった…。
 まるで薄暗い牢獄から数年ぶりに外の世界に出てきたかのように、慧矢はいつもと違う朝を迎えていた。
「おはよう、葵…」
 夕べ撮った葵の写真に声をかける。
 もう何年もまともに眠った記憶もなければ、何かに心動かされることもなかった。それなのに昨夜はよく眠れた気がするし、未だに心は浮き立っている。
 とにかく頬が緩むのを止められない。
「さてと…」
 慧矢は眼鏡をかけ、葵に『おはよう』とメッセージを入れた。
 すぐに『おはようございます。昨日はありがとうございました』と返信が来た。
「もう起きてたんだな」
 起きた時間が同じだっただけで嬉しかった。
ー重症だな…。
 今日は葵をバイト先まで迎えに行く事になっている。
 彼女は今、自分の恋が突然始まったことに気をとられているはずだから、夕べと同じ状況になるまでこの危機に気がつかないかもしれない。
 だからこそ、俺が浮かれてばかりはいられない。
 葵をつけ狙った人間は恐らく〝寺内健〟だろう…。
 あのサイコ野郎の葵への執着には、ただならぬものを感じる。前回、一度調査しただけで多数の屑エピソードがでてきた男だ。不特定多数の女性関係に、妊娠中絶…。そんな奴が葵に目を付けて、ただで済むはずがない。何かある…それがわかるまで葵を一人にはできない。俺が表立って彼女の側にいるようになれは、多少の牽制にはなるかもしれないが、故にその反動は計り知れない…先手を打つべきか…迎え撃つ準備をするべきか…。どちらにせよ、絶対に葵は護ってみせる…!
 とりあえずのところ、今日は葵に持たせる防犯ブザーやキーファインダー、着替えにパジャマに歯ブラシなどを用意して、いつ彼女が泊まりに来てもいいように部屋いっぱいに貼り付けてある写真を片付ける予定だ。
 剥がすのは惜しいが、実物には敵わない。
 それに剥がした写真は捨てるわけではなし保管するだけで、これからは堂々と撮った葵の写真を飾れる。
ー俺を見つめるカメラ目線の葵…考えただけでも滾る…。
 今まで一度も女性に対してこんな風に感じたことはなかった。告白されてもなんとも思わなかったし、裸で迫られた時でさえ勃つことはなかった。むしろ、自分に寄ってくる女性たちに嫌悪感すら覚えていた。それなのに、葵との口づけを思い出すだけで勃起する…。
 そんな情欲を抑え、慧矢は今日の準備に取り掛かった。
 まずは、壁一面の写真を外すことから始めよう。ビスで止めていたから穴だらけだ。
ーそうだ!葵に壁紙を選んでもらって、ここを二人の寝室にすればいい!我ながらいい思いつきだ。
 ビスを外して写真を纏めながら慧矢は、ベッドも買い換えるか…と考えていた。
 葵との生活は俺にとってきっと光耀たるものになるはずだ。
ー葵の気に入った壁紙を貼り、葵の好みに合わせた家具も揃えよう…葵はインドア派だから、カタログを取り寄せるのも忘れてはいけないな。
 最近の調査で、葵の休日は軽いジョギングから始まって、部屋で食事をし、家事を済ませてからレンタルショップでDVDを借りて観賞していることを知った。
 見ている傾向は幅広く、アクションからノンフィクション映画、アニメに至るまで様々で、映画好きの慧矢とも趣味が合っていて嬉しい発見だった。
 それにしてもインドア派なのにジョギングをする理由がわからなかったが、あれは恐らく〝見回り〟だ。
 葵が走るコースで三回も捨て猫や、捨て犬を保護している。
 それが証拠に、小さめのボディバックにはタオルや水、消毒、缶詰めまでが入っていたそうだ。
 馴染みの保護犬、保護猫カフェがあったりするのも、葵なら納得だ。
 一日一善の呪い…などと言ってはいけないが、葵はいつも誰か、何かを助けている。
 落とし物を届けたりはもちろんだが、助ける相手は人や動物だけとは限らなかった。
 道端で今にも干からびて死にそうなミミズにまで手を差しのべる。これには驚いた…。
ー葵のことだ、黒いアイツにもきっと慈悲をかけるのだろうなぁ…G…。
「葵の前でうっかり殺してしまわないようにしないとな。ゴキブリ避けスプレーもやっておくか…」
 慧矢の中心核はもうすっかり葵になっていた。
 家中に葵の好きな物が溢れ、葵の匂いがする…そんな生活を想像しながら写真を全て外し終える。
 こうして見てみると、なんて殺伐とした環境に身を置いていたのかと思う。
 だがそれも葵が来ればきっと人間らしい生活に変わる。
「よしっと…午後は買い物をして、その足で葵を迎えにいくか…」
 慧矢は一旦、写真を箱にしまうと物置代わりのサービスルームの奥にそれを隠した。

       ◆

 今日の葵は一日仕事だった。
 いつもならそろそろ疲れて腰にくる時間帯だが、夜には慧矢が迎えに来てくれると思うと、何故か痛くない。
『まるで無敵になった気分だよ』…私も今そんな気持ちです…慧矢さん。
 恋愛ってすごい…腰痛まで緩和してしまうなんて。
 自分がこんなに男性を好きになることにも戸惑っているが、体調にまで影響を及ぼすなどという経験は初めてだ。
ー今日はご飯一緒に食べるよね…映画も見るのかな…その後は…帰る…?
 一応、お泊まりもできるように、下着の替えと歯ブラシ、スキンケアのミニボトルは持ってきた。
「私ってば、お泊まりする気満々じゃない!慧矢さんになんて思われるか…はぁ…馬鹿だわ…調子に乗って…」
 独り言が虚しく響く…。
ーカランカランー
 お店の扉を開ける音がして「いらっしゃいませ」と反射的に声が出て振り向くと
「慧矢さん!」
 なんと、思い人が現れた!
「やぁ、お疲れ様。少し早く来たんだ。休ませてもらってもいいかな?」
「もちろんです!かなりお待たせしちゃいますけど、大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫。読みたい本もあったから家で読むより葵の側にいたくて。ごめん、迷惑だった?」
「いえ、そんなことないです。ただびっくりして。ちょうど慧矢さんのこと考えてたから…」
 葵はサラッと言ってしまったが、二人顔を見合せ赤面した。
「俺も、ずっと考えてた…会いたかったよ…」
ー慧矢さん…!無理、お仕事になりません!
「あの、慧矢さん、あちらの角のお席でいいですか?」
「ありがとう」
 慧矢が何やら大きな荷物を抱えていたので、荷物が置けて、落ち着きそうな角の席に案内した。
「慧矢さん、大荷物ですね」
 思わず尋ねてしまった。
「ああ、これは後で見せるよ」
「?」
 どうやら今は秘密みたいだが、後で見せてもらえるらしい。
ーカランカランー
「いらっしゃいませ」
 そう言って入口に目を向けると、あの客だった!瞬時に身体からだが固まる。
「葵…大丈夫?」
 どうやら慧矢には自分の動揺を見抜かれたらしい。
「昨日の…お客さんで…」
「葵、大丈夫。変に絡まれるようなら俺が話すから、堂々として」
「はい…行ってきます!」
ー大丈夫、私には慧矢さんがいてくれる。怖くないんだから!
 お冷を持ってあの客の所へ行く…。
「いらっしゃいませ…ご注文はお決まりですか?」
「今日は仕事何時まで?」
 来て早々に私の上がり時間を聞くとか有り得ない。
「お答えできません」
「どうして?一緒に君の下着を買いに行こうよ。それとも…ぼくがサイズを測って後でプレゼントしようか?どこで測る?ホテル?」
 まるで話しが通じない…まともな会話なんてこの時点で成立するはずがなかった。
「いえ、結構です。そういった事は彼女か、奥様にどうぞ…」
「何?それって僕と結婚したいってこと?積極的だね~。セックスもそのくらい大胆に迫ってくれるのかな?」
ー怖くない、大丈夫…!
「セクハラは止めて下さい。私にはお付き合いしている方がおりますので、これ以上しつこくされるようでしたら警察に相談させてもらいます」
 すると、たちまち男の表情が曇りはじめる。
「彼氏?誰そいつ…もうヤったの?」
 そこへ慧矢がスッと割って入った。
「これ以上の彼女へのセクハラは止めていただきたい」
 慧矢が怒っているのが声から、空気から、ピリピリと伝わってくる。
「アンタ誰?」
 男は訝しそうな目で慧矢を見た。
「彼女とは結婚を前提にお付き合いしています」
ーけ、結婚って言った!本気…?
 気味の悪いお客を前に慧矢が応戦してくれているというのに、気にするところがそこなのかと我ながら悄然とする。
「あなたにはこの情報だけで十分なはずだ。もう付きまとわないでくれますね?」
 慧矢が決然たる語調で言った。
 男の顔が引きつり始め、まるで般若の面のような形相に変わっていく。
ーこれが、この人の本当の顔…貼り付いたような笑顔の違和感はこれだったんだわ。
「覚えてろよ…」
 所詮は負け犬の遠吠えだが、葵を震撼させるには十分な捨て台詞だった。

       ◆

 葵の仕事が終わり、二人はタクシーで慧矢のマンションへ向かった。
「慧矢さん、さっきはありがとうございました。あのままだったら私…また帰りに待ち伏せされてたかもしれないです…」
「そうだね…彼ならやりそうだね。でも、もう安心していいよ、家なら安全だから」
 そう言って慧矢は「あと…」と荷物を指差し
「これ全部、葵のなんだ」と言って笑って見せた。
「全部って?この大荷物全部ですか?」
「そう。本当は一緒に買いに行きたかったんだけど、すぐに必要な物だけでたいしてないよ。他に足りない物は次回一緒に買い足そう」
 慧矢はそう言うと優しく手を握ってくれた。
ーここがタクシーの中だって忘れそう…。私って単純…慧矢さんに安心していいって言われて、本当にすぐ安心しちゃうんだから。
「ありがとうございます。でも、お金大変だったでしょう?いくらくらい…」
「待った!お金の事はいいよ。それに何が入ってるのかまだ見てないだろ?もしかしたら君のコスプレ衣裳かもしれないし。だから恐縮しないで…その代わり、葵とのご飯作りなんだけど、俺の仕事少し免除してくれる?実は包丁が苦手なんだ…血がダメだから魚も裁けない…ごめん…」
ーふふふ…かわいい。なんでもしてあげたくなっちゃうなぁ。
「わかりました。じゃあ、今晩のご飯は私に任せて下さいね!」
「ありがとう、助かるよ。荷物置いたら買い出しに行こう」
「はい!」
ー慧矢と話していると、お店での出来事が嘘のよう。あんなに怖かったのに…私、浮かれてるんだわ。それにしても本当にコスプレ衣裳が入っていたらどうしよう…。
 葵は急に照れくさくなった。
「着いたよ」
 慧矢に促されタクシーを降りた。
 マンションに着くと、重厚な背の高い扉を開いてオートロックを解除し、広いエントランスを抜けて中に入る。
 慧矢に付いてエレベーターで十一階まで上がると、奥の角部屋に辿り着いた。
「どうぞ、上がって」
「おじゃまします」
「ごめん、スリッパないんだった!今度買いにいこう」
「あ、はい。大丈夫です」
ー白くて広い…ここで一人暮らし…。
 葵はなんとなく悲しかった。ここはどうみてもファミリー向けマンションだ。そこに一人暮らしだなんて、部屋をもて余すだけではない。毎日一人で食べるご飯…。
 慧矢が一緒の食事をあんなに喜んだ理由が、この広い部屋を見て初めて理解できた気がした。
ー大袈裟だなんて言って…私のバカ!
「お茶飲む?それか梅味の天然水があるよ。これはオススメ」
「じゃあ、オススメで」
「了解」
 沢山の荷物を一旦リビングに置き、慧矢が飲み物をグラスに開け「どうぞ」と渡してくれた。
「わぁ、かわいいグラス」
 レトロな花柄の雰囲気あるグラスだった。
「気に入った?食器やグラスは母さんのお気に入りなんだ。これからは葵のものだよ」
「そんな大切なもの、私のものだなんてもったいないです!」
「あはは、葵は本当にいい子だな…そうだ、母さんに会ってくれるかい?」
「お母さん…ですか?」
「来て…」
 慧矢に出された梅味の天然水を急いで飲み干した。
ーあ、美味しい!これいくらでも飲めそう。
 そう思いながらグラスを置き慧矢に付いてリビングの隅に向かった。
 そこには本当に小さな、小説ほどの大きさの墓石があった。
「これが母さん…俺が小学校三年生の時に自殺したんだ…」
「…っ…自殺…?」
 言葉がなかった…自分も父親を亡くしているが、自殺ではない。自殺というからには何か原因があったはず…。
 そう思うと益々口が重く閉ざされた。
「父親が浮気して、その現場を目撃した俺を連れ出して、その日に自殺したんだ…俺が子供だったから、支えきれないって思われたんだな…情けないよ。自分の母親一人護れなかったんだから…」
ーそんな、そんなの酷い…父親の浮気を目にしただけじゃなく、母親に自殺されて、ずっと自分を責め続けて生きてきたってこと…?
「…………っ…」
 葵の目からボタボタと大粒真珠のような涙が溢れ出てきた。
「葵…ごめん、泣かせるつもりはなかったんだ…許して…」
「違う…違うよ…慧矢さん…うっ…ごめんなさい…私、私…食事…大袈裟だなんて…うっ…言って…ごめんなさいぃ…」
ー広い家で一人でする食事が寂しいんじゃなかったんだ!孤独を感じてする独りの食事が、慧矢さんは味気なくて寂しかったんだ!
「ごめんなさい…ん…」
「大丈夫だよ、葵。君が代わりに泣いてくれるから、俺は今泣かないで済んでるんだ…ありがとうな」
 慧矢が優しく頬に伝う涙を拭い、頭を撫でてくれた。
「今夜は何か出前でも取ろうか?考えてみれば葵は仕事終わりで疲れてるだろう?配慮が足りなかった、ごめんな」
 ぐすっと鼻を鳴らしながら、葵は首を振った。
「すみません、私…取り乱して…大丈夫です!作れます!」
「ありがとう。でも良かったら今夜はここに泊まって、作るのは明日にしないか?今日は家にあるDVDを見ながら沢山話そう…どう?」
「はい…じゃあ…そうします…」
 葵が素直に返事をすると、慧矢はことほか嬉しそうに微笑んだ。
「母さんに葵を紹介できて良かった、ありがとう」
「私も…ありがとうございます」
「さてと…座って何を注文するか決めよう。葵は何がいい?ピザ、寿司、中華、牛丼、ファストフード、どこにする?」
「慧矢さん…」
「ん?」
 葵は少しだけ赤く腫れた双眸そうぼうで真っ直ぐに慧矢を見つめた。
「好き…」
「俺もだよ…」
 二人の顔が静かに近づき、軽く啄むキスをする。
「葵…注文が決まったらお風呂に行っておいで…」
 ちゅっ…くちゅっ…
ーだめ…お風呂…行かなくちゃ…
 徐々に深くなる口づけに酔わされて、全ての予定が立ち消えそうな予感がする…。
「ん…い、行きますから…あん…」
 慧矢の手が胸元を掠め、首筋に熱い舌が這わされる。自分ではないような声が漏れ、思わずぎゅっと目を瞑る。
 慧矢が葵を抱きしめ、耳朶を食んで囁いた。
「一緒に入る?」
ー無理です!お泊まりする気満々でしたけど、いきなりそのハードルは高すぎます!
「や…恥ずかしい…あ…ん」
「そうか…それは残念…」
 慧矢の手が脇腹から腰までの曲線を確かめるように這っていき、背中へ回る。
「葵…抱きたい…」
 ーもしかしたら、そうなるかもしれないと予想はしていたけど…
「お、お風呂…は?」
 無けなしの理性で言ってはみたが、抵抗などできるはずもなかった。
「後でにして…」
 言葉を交わしながらの口づけは一向に離れる気配がなく、くちゅくちゅっと音を響かせている。慧矢の手は丸い臀部をなぞり、やがて柔く掴み撫でる。
 強く抱きしめられているせいで、下腹に熱くて硬いものが当たっているのがわかり、これから起こる甘い睦み合いを想像させた。
ー慧矢さんの…熱いのが当たって…
 上唇と下唇を交互に食みながら舐められ、おずおずと舌を出して応える。
「葵…もっと……」
 熱い肉厚な舌で口腔を隅々まで侵され、互いの甜唾が混ざり合い溶けていく。
 昨日付き合ったばかりの彼に今夜、抱かれる…
ー軽い女だと思われない…かな…?
 少しの不安が頭を過る。
 でも出会ってからの時間など問題ではない!
 慧矢の首に腕を回し、その唇を求めてもっと、もっとと押し付ける。
 好きな人とこうなる瞬間を夢見なかった訳ではない。ただなんとなく、自分は欠陥品だと思っていた。男の子と何回かいい雰囲気になったこともあったが、いつもすぐに避けられるようになって、そうして彼氏もできずにいた…そんな自分が今、これほどまでに求められていることが信じられないし嬉しかった。
ー目も眩むような恋って…こういうことなのね…。
 慧矢のキスに陶酔し身を任せていると、自分には圧倒的に経験値が足りないことを思い知らされる…。
ー慧矢さん…慣れてるな…きっとたくさんの女の人と…。
 胸がチクリとしたが、考えないように目の前の愛しい男に集中する。
ー考えちゃダメ!こんなに素敵な人だもの。女がほっとくわけない…いいじゃない!今は私の彼氏なんだから!
 そう自分を慰め、考えるのを止めた。
 慧矢は葵の胸を下から掬い上げるようにして揉み込み、親指で乳嘴を探り当てると服の上から押し潰す。
「…っ…んぁ…」
 堪らず漏れた声は自分のものとは思えないほど甘ったるくて恥ずかしい…。
「柔らかい…」
 慧矢は服の中に手を滑り込ませ、指先でブラジャーのホックを器用に外した。ポロンとまろび出た乳房を優しく包み込んで、その柔らかさを堪能するように揉みしだく…すでに立ち上がった乳首をきゅっと摘まむと「ん…あぁ…」と喘ぎ声が漏れて、葵は恥ずかしそうに口元を押さえた。
 初めて聴く愛しい女の甘い声に、慧矢の唇からは熱い吐息が溢れ興奮していることがわかる。
「胸…大きいね…」
 そう言うと慧矢が上体をかがませて、その頂を口に含ませてころころと転がした…「あん…」と葵が喘いだことに気をよくし、舌をねっとりと乳暈に添って這わせ、円を描くようにちゅぱちゅぱと音をさせながら舐めしゃぶる。
「慧…矢さん…そんなに…舐めちゃ、だめ…ん…」
ー慧矢さんの舌…熱くて…気持ち…い…
「気持ちいい…?」
 慧矢が上体を起こして葵に口づけながらスカートを捲り上げ、脚の間のクロッチを撫でた。
「あん…だめ…」
「本当にだめ…?」
 先ほどよりも甘い声に慧矢は興奮が押さえきれない。
 唇を合わせながら舌を奥へ奥へと絡ませる。上顎から前歯列までを丁寧になぞられると、息は苦しいのに溶け合いたくて渇望する。
 慧矢の手が少し遠慮がちにショーツの中へ入り込み、辿々しく淫溝を這う…上下にゆっくり指が動くと堪らず腰がビクリとし、すでに愛液を滲ませた蜜孔からくちゅくちゅと音が響く。
 指が入りそうでも入ることはなく、焦らされるようにそのまま淫溝の上にある蕾に優しく触れた。
 慣れない手つきで指先を小刻みに揺らすと、葵が堪えきれず声を漏らす。
「あぁ…あ……!」
 嬌声を上げ膝がカクンと脱力したのを慧矢が支え、そのまま横抱きにする。
「ベッドに行こう」
 慧矢の肩口に顔を埋め、葵は恥ずかしさのあまり泣きそうになった。自分でもあまり触ったことのない場所を弄られて、気持ち良くてあんな声を上げてしまうなんて…!
 寝室のベッドに静かに降ろされ「バンザイして」と言われて両手をあげ、服を脱がされる。
 慧矢がゴクっと喉を鳴らし、まじまじと葵の裸に見惚れる。
「すごく綺麗だ…」
「あ、あんまり見ちゃダメです…」
「どうして?恥ずかしいの?」
「はい…」
 咄嗟に胸を隠してみるが、慧矢に跨がられあっさりとベッドに押し倒されてしまう。
「下も脱がすね」
 スカートとショーツを一緒に下ろされてしまい、成す術もない。
「慧矢さん、私、初めてで…その…」
「なるべく優しくするよ。でも俺も初めてだから…上手くできなかったらごめん…」
「え!慧矢さんも?」
「もっと経験豊富な男のが良かった?」
 慧矢は自嘲ぎみに眉尻を下げた。
「そんなことないです…!慧矢さんの初めてをもらえるなんて…嬉しい…」
 本当に嬉しかった…慧矢の慣れた仕草に、あるはずのない女性の影がチラついてモヤモヤした…こんなに素敵な人が自分を好きだなんて信じられなかったし、一目惚れしてしまったことも予想だにしていなかった…全てが取り越し苦労だったのだから、嬉しくないわけがない。
「俺も嬉しいよ。葵の初めてがこれからは全部、俺のものなんだから…」
「そういう意味だったんですか?」
「そうだよ、葵を全部くれないなら俺は君の写真を身体に貼り付けて、裸でジョギングするけどいい?」
ーちょっと人とは違う、この斜め上から視点な思考も楽しくて好き…。
「は、裸でジョギング!またそんなこと!捕まっちゃうじゃないですか!それに私だって…全部あげるつもりでしたし…今更いらないなんて言われたら泣いちゃいますよ…」
 そう言った葵の屈託ない微笑みに、慧矢は体中の血が下半身に集まり男根が滾るのを感じた。
「葵…俺の初めて…もらってくれる?」
「はい…ください……」
 葵の上目遣いの破壊力に、慧矢は己を試されているかのようだった。
「…葵っ…あんまり煽らないで…」
 慧矢の理性はすでに焼ききれそうですぐにでも挿れたかったが、葵にも気持ち良くなってもらいたいんだ!と自分の劣情を律していた。
 堪らず葵を抱きしめると
「慧矢さんは脱がないんですか?」
 不安げにこちらを窺う顔がまた可愛かった。
「ごめん、脱ぐよ」
 そう返して自分もシャツを脱ぎ捨てる。
ー慧矢さん、すごい腹筋!格好いい…。
「どうしたの?なんか変?」
 好きな男の裸体があまりに美しくて、葵は恍惚としていた。
ー広い肩…逞しく盛り上がった二の腕…割れた腹筋…こんなの…反則です!
 そしてハッと目を覚ました。
「すみません!慧矢さん…腹筋すごくて格好いいなって見とれちゃって…」
「なんで謝るの?触っていいんだよ…俺は君のものなんだから」
 そう言って葵の手を取って割れた腹筋に添える。
ー硬い…でこぼこしてて、引き締まってて…。
「俺の体…気に入った?」
 いたずらな笑を浮かべる慧矢の色香に当てられ思わずどもる。
「き、気に入ったも何も!畏れ多い…」
 いちいち赤面して表情の変わる葵に、この上ない愛情が湧いてきて自然と慧矢の顔が綻んだ。
 彼女の丸い額…キラキラとした瞳…すっとした鼻…ぷくっとした小さな唇…少し幼さを残した声…こんなにどこもかしこも可愛いのに、時折見せる凛とした表情に、好きなものを護ろうとする強さ、どのような者に対しても見せる慈愛に満ちた振る舞い…その全てが女神そのものだった。
ーそして…今から彼女は、俺だけの女神になる…。
「葵…愛してる」
 ちゅっ…ちゅっ、くちゅっ…「愛してる…」口づけはさらに深く性急になる。
 一瞬見つめあった後、首筋から鎖骨にかけてを唇で優しく愛撫し、片方の乳房を鷲掴んで、反対側の乳首をちゅぱちゅぱと舐めしゃぶる…。
「あん、ああ…」
 下乳を丸みに沿って舐めあげ乳首も吸ってやると、葵が脚を擦り合わせてもじもじとし始める。
「下が疼くよね…今舐めてあげるよ…」
 慧矢の唇が弧を描き、舐めてはちゅっとキスをして鳩尾から臍に辿り着く。舌を下腹に押しあて吸い付きながら更に下へ下へと舐め進めていくとすぐに和毛までたどり着いた。やや薄い茂みを掻き分けてコリコリとした蕾を見つけ、ペロリと舐める。
「あん…あぁ……」
 チロチロと揺さぶりながら唾液でたっぷりと濡らしてやると、葵の体がピクピクと跳ねた。舌を動かしたまま「気もひいい?」と聞いてみると、一際甲高い声が響く。
「あぁ…あん…そこで、しゃべっちゃ…いやー…あぁー…だめ…」
 葵の腰が浮きかけ、それを押さえ付けてさらに舐め続けると
「慧…矢さん…だめ…なんか、きちゃう…いや…」
 脚がプルプルと震え、葵の絶頂が近いことがわかる。
 ぷっくりと腫れてきた蕾にぐるりと舌を巻き付けて、じゅるじゅるっーと吸い上げた。
「あああぁーーー!」
 ビクっ…ビクっ……
ー葵が俺の舌で絶頂を味わってる…ヤバいな…可愛い過ぎる。
 彼女が達したのが嬉しくてもっと舐めしゃぶりたいが、慧矢のモノを挿入いれるために中も解さなくてはいけない。
「上手にイけたね…気持ち良かった?」
「はぁ…はぁ…はぁ…あぁ…ん…」
 葵は初めての絶頂に弛緩しかんし陶然としている。
「次は中を解すからね」
 慧矢は中指の腹を上にして、ゆっくりと蜜口に沈めていく…。
「あ、あぁ…」
「狭いな…痛い?」
「だい…じょぶ…ん…」
 中指を第二関節まで入れては出してを繰り返し、徐々に根元まで入れる…。
ー十分に濡れているのに、こんなにキツいのか…。
 続けて手首を少し回し当たる角度を変えながら指を鉤状に曲げて擦り、出し入れしてイイ処を探る…ちょうど指が全部入った辺りの腹裏側の一点で「ぁ……」と声が上がり蜜孔がぎゅっと締まった…ここか…。
 慧矢は薬指も入れて二本に増やし、その場所を指の腹で軽く押して擦り続ける。
「葵、ここはどう?言って…」
「あん…あ…気…持ち…い…また、だめぇ…」
 溢れる愛液が後孔にまで垂れてきて、慧矢の指も掌もびちゃびちゃに濡らした。
ーああ早く挿入たい…最奥まで突っ込んで俺ので善がり狂う葵が見たい…。
 背を反らせて、葵がイキそうになってる…指二本の出し入れを少し速くして擦り続け、蕾をレロレロと舐める。
「あああー!だめーっ、あぁ…」
「あおい…イキそうな時は、イクって言って…」
 じゅる、じゅるじゅるっー蕾を啜りあげると、葵が慧矢の頭に手をかけてきた。
 おそらくは快感の余りそれから逃れようと、慧矢の頭を離そうとしたのだろうが、気持ち良すぎて逆に押し付ける形になってしまった…そんなところに違いない。本当にかわいい…。
「はぁ…あん…イク…慧矢さ…ん…イっちゃう…っ!あああーー!」
 全身が硬直して大きく腰がビクンと跳ね上がり、しばらく痙攣して葵がイってるのがわかった。
 指を抜いてもなお、ヒクヒクしている蜜口に、もう一度指を入れてみると、もっともっとと言うように中がうねっている…慧矢が濡れた舌を押し付けくちゅくちゅ…と舐めてやると「いゃ…あぁ…」と甘い嬌声が漏れ、ぎゅぎゅっーと蜜孔が締まり再びビクンとして葵が背を反らせた。
ーもう限界だ、我慢できない!
「ちょっと待ってて…すぐ戻る」
 ズルっと指を引き抜いて慧矢は寝室を出ると、言葉通りすぐに戻ってきた。
 まだ朦朧としている葵を尻目に、慧矢もズボンを脱いで裸になると、小箱を開けて中から四角い物を一つ取り出す…。
「慧矢…さん?」
「ゴム付けるから…」
ーそっか、避妊…しなくちゃだよね…私のお馬鹿!
挿入いれるよ…」
 言われてつい、葵は見てしまった…!
「お、大きい…」
「そう?標準だと思うけど…」
「絶対、大きいと思います!」
「どうしてそんなに大きいと思うの?他の男のモノを見たことでもあるの?」
 慧矢はからかうように言ったが、葵は焦った。
「み、見たことなんてありません!本当です!慧矢さんが初めてです!信じて…私…」
ー自分で言っていて情けなくなる…信じてもらえなかったらどうしよう、言わなければよかった…。葵の目が潤む。
「ごめんごめん、葵があんまり可愛いからつい苛めちゃったんだ、大丈夫…信じてるよ。葵の初めてはちゃんと俺がいただきます」
「もう!慧矢さんのバカ…」
 慧矢は微笑みながら猛り立つ剛直を蜜口にあてがい、ぐっと下半身を押し付けてきた。ぐぷっ…ぐぷっ…と音を立てているのになかなか入らない。
「こんなに濡れてるのにキツくて…少しずつ入れるね…痛かったら言って」
 葵はコクコクと頷いて、眉間に皺を寄せる慧矢を見つめる。
ー慧矢さんも…苦しそう…
 チクっとした痛みがあるものの、我慢ができない程ではなく、快感の方が強かった。
 ゆっくり出し入れを繰り返しながら徐々に奥処へと進む…。
「慧矢…さ…あ…ぁ…」
「葵…くっ…ヤバい…」
 ぐっと入れては引いて、また押し込む…辛抱強く繰り返していると、最後の一押しで、ぐぽっ…と奥までたどり着いた。
「はぁ…全部…入ったよ…よく頑張ったね…痛くない?」
 かろうじて葵を気遣ったが、すぐにでもイキそうなのを我慢していた。
「だいじょぶ…です…慧矢さんは…だいじょぶ?」
「大丈夫だよ…葵の中…気持ちよくて…」
「良かった…私で、気持ち良くなってくれて…嬉しい…」
ーなんてかわいいことを言うんだこの女神は…!とりあえず今はもたない…!
「少し…このままでいよう…」
 葵が「はい」と頷いた。
ー正直、助かった…!すぐに出してしまうなんてもったいないし、挿入後は少しじっとして馴染ませてあげる方が、女性には優しい…と本で読んだ。少しでも彼女の負担は減らしたい。
 だが、その辛抱も長くは続かなかった。
「もう、動いて…いい…?」
「うん…」
 と葵が答えるのと同時にもう腰が動いてしまっていた。
ー本能に従うなら、もっと腰を振りたくって、ゴムなんかしないで奥にたっぷり精液を注ぎたい…孕ませたい…あぁでも…ダメだ…葵は俺が初めてで、大事にしてやらないと今後に影響する。葵には俺とのセックスを好きになってもらいたい。
 慧矢は努めてゆるやかな抽挿を心がけた。
 ずちゅっ…ずちゅっ…と卑猥な音が互いの耳に響き、葵の膣道がぎゅうっと締まる…!
「うっ…締めすぎ…」
「あ…ん…ごめん…なさ…あん…」
 慧矢は一旦、腰の動きを止めて荒々しく乳首にむしゃぶりついた。激しく舌を動かして反対側の乳首もきゅっと摘まんで彼女を啼かせる…「あぁぁーー…」喘ぐ度に蜜孔が締まって気持ちいい…。
「葵…愛してる…愛してるよ…」
 激しさに殉じて再び抽挿を始めると、愛液が二人の接合部をより滑らかにする。
 上体を倒して葵の腰を抱え、何度も強く腰を打ち付けた。
「くっ……葵、ごめん…もうイク…っ」
「イって…慧矢…さ…あぁぁ…っ」
ーあぁ、イク…!ああ!
 ドクっドクっ…慧矢はおびただしい量の精をゴムの中に吐き出した。
「はぁ…はぁ……はぁ…愛してるよ…」
「あぁ……私も…愛…してる…」
 慧矢のモノがビクビクと跳ねるのを中で感じながら、落ち着くまで抱き合い深いキスを繰り返す…舌を重ねて軽く吸われれば、また甘い吐息が漏れてしまう。
ーあぁ…気持ちいい…好き…大好き…愛してる…。
 唇が離れ、抱きしめられていた腕がほどかれると、えも言われぬ寂しさが込み上げてくる。
「今、抜くね」
「いや…」
 言ってから後悔した…何を困らせるようなことを私!
「フフ…かわいいなぁ葵は…俺も抜きたくないよ…でもゴム付け替えないと」
「え?付け替える?」
「うん。もう一回しよ」
 もう一回と聞き嬉しさ半分驚き半分で、でもやはり嬉しさの方が勝った。
「私の体…気に入りました…?」
 先ほど聞かれたことを返してみると、慧矢は満面の笑みを向けてくれる。
「もちろんだよ…一生離せない…この胸も…」
 言うと乳房を両手で揉まれ、真ん中に寄せて乳首を食まれた。
「あん…」
 ズルっ…慧矢が剛直を抜いて今まで入っていた蜜孔に指を二本入れ一点を擦る。
「ここも、もう全部…俺のものだよ…」
「あぁ…ん…」
「だから…これからもずっと…ココに入れるのは俺だけ…他の誰にも入れさせちゃ駄目だよ…いい…?約束…」
「んっ…はい…」
 慧矢は新しい避妊具に付け替えると、まだ乾いていない蜜孔にずぶーっと突っ込んだ。
ーもっと啼いて…俺を求めて腰を振って…愛してる…君に吸収されて溶けてしまいたいほど…。
「あぁ…葵…葵…大好きだよ…愛してるよ…」
「あっ…あっあん…ぁ…私…も…愛して…る、んん…」
 葵を愛し過ぎて、この耽溺たんできな時間ですら愛おしい…他なんかどうでもいい。このまま時が止まってしまえばいいのに…溢れる思いをぶつけるように激しく腰を打ち付けながら、慧矢は愛する女の喘ぎ声に陶酔した。

       ◆

 葵が眠っている…夕飯を食べさせてあげられなかった…ごめんな…。
 腕枕で静かな寝息を立てているこの女性は、慧矢の女神…ようやく手に入れた…!
 ここ一年は類も出てきていないし、もしかしたら自然消滅したのかもしれない。
 別人格がそんな簡単に消えて無くなるのかは疑問だが、こうして葵と晴れて恋人同士になった以上、これはこれでいい兆候だった。
 それよりも今は〝寺内健〟のことだ。だいたいの調べはついているものの、情報を更新する必要がある。それに葵に執着する理由がまだわかっていない。
 自分が葵を大切に思うような愛情を、奴からは感じられない…それ故に不安が募る…。
 護れるか…あるのはそんな不安ではなかった。何があろうと護ってみせる!母さんに誓って…。
 問題は葵をいかに怖がらせないで、普段通り笑顔でいてもらえるか…あいつのただならぬ執着は、誘拐だってしかねないことまで予見できた。
ーここにいる間は安心だが……あ、いい手がある!
 いい方法を思い付いたところで、やる事がある。写真だ。
「ちょっと待っててな…」
 夕べは食事も摂らずに情交に浸ってしまったので、初めて記念の写真が撮れなかった。
 慧矢は腕をそっと抜いて、リビングから携帯を持ってきた。
「かわいいね葵…」カシャッ…。
 足元の布団をめくりカシャッ…綺麗な脚…うっとりとその脚を見つめ、ちゅつとキスをする。
「ん…」
ー起きない…可愛い。流石に裸の写真は勝手には撮れないから、今夜にでも快楽にものを言わせて、雰囲気で押しきろう。
 葵の寝顔を一人堪能しながら不埒なことを考えていた。
 愛するひとを感じながら眠る…なんて幸せなんだろう…
「ありがとう、葵…」
 そう言って丸いおでこにキスをした。

 
 何時間眠っていたのか…目を開けると静謐な朝だった。
 そこには愛おしい女性がいて、胸が丸見えになっている。
「綺麗な胸…おいしそう…」
 優しく乳房を下から持ち上げて掴み、その頂きをちゅぅぅーと吸った。
「ん…んん…」
ー寝ていても感じるんだな…そうだ、写真…。
彼女を胸に抱きしめ、二人でカメラに収まる…カシャッ…。
 鼻にちゅっとしたところと、唇にちゅっとしたところも撮った。
 あとは葵が初体験の朝に照れる姿を収めたい。
 早く起きないかな…。
 慧矢はとりあえず写真も撮ったし、先に起きてシャワーと、お湯を沸かしておくことにした。
 リビングのケトルに水を入れスイッチを押す。
 昨日、葵のためにアールグレイを買っておいて良かった。
「さて、シャワー行くか」
 慧矢はサッとシャワーを済ませ、濡れた髪をタオルでゴシゴシしながら紅茶をいれる。
 入れたてのアールグレイを寝室に持っていき、サイドテーブルに置いた。
 ちょこんとした葵の唇に情熱的なキスを施すと、寝ぼけているのか慧矢の首に手を回し、すぐに応えてくれる。
「フフ…誘ってるの?」
 その囁きに、葵がパッと目を見開いた。
「慧矢さん…!」
「おはよう」
「おはよう…ございます…」
「朝から情熱的だけど、抱いてもいいのかな?」
「え!いや…あの…」
 カシャカシャっ…
「え?写真!やだ、慧矢さんったら!」
「初めて記念。本当は夕べも撮りたかったんだけど、夢中になりすぎちゃったからね。今晩、撮らせてね」
「え!撮るって何を?」
「俺に奥を突かれて喘ぐ葵だよ」
ーいやいやいや〝だよ〟じゃないよ?初めて記念の話は覚えてるけど、だからって最中の写真だなんてダメでしょう!普通にダメです!
「慧矢さん、それは無理!恥ずかしすぎです!」
「お願い、俺しか見ないから…」
「そういう問題じゃぁありません!それに…」
「それに?」
 葵があの上目遣いを発動してきた!
「写真の私じゃなくて、実物の私を可愛がってほしいから…」
「ーーーっ!本当に…君って人は…っ!」
「…?」
ー敵わない…完敗…だからって引き下がる訳にはいかないけどね!
「わかった、じゃあ終わってすぐなら撮ってもいい?」
「お、終わってすぐ…?と言いますと?」
「葵がイって、俺が出した後すぐ」
「それって最中に撮るのと何か変わります?」
「変わるよ。葵とのセックスに集中できるから、たっぷり可愛かってあげられるだろ?」
「ど、どうしてそこまでして撮りたいんですか?」
「君を愛してるから…」
 今度は葵が〝敵わない〟と思う番だった。
 至って真剣な眼差しの彼は、本当に自分を愛してくれている…そう思ったら裸の写真はちょっと無理だけど…できるだけ希望を叶えてあげたくなる…。
「あの、裸は無理ですけど…それ以外なら…」
「わかった!ありがとう!」
 ぎゅーーっと抱きしめられ、彼の喜び度合いがわかる。
「そうだ、葵…紅茶入れてきたよ。アールグレイは好き?」
「大好きです!毎日飲んでるんです。香りが好きで…」
ー知ってるよ…君は匂いフェチなところがあるよね…紅茶はアールグレイとブルーベリーティーが好き…だから用意したんだ…。
「それなら良かった。温かいうちに飲んで…」
 葵の為に買っておいた、ウサギのマグカップを「気をつけて…」と言って渡す。
ーウサギも好きだったよね…
「わぁ!ウサギのマグカップ!かわいい~」
「葵のだよ」
「またそんな…」
「たまたまね…店で見かけて、葵とお揃いで欲しかったから買っただけ…初めてのお揃いだよ」
「慧矢さんもウサギ好きなんですか?」
「好きだよ。子供の頃、ウサギの絵本をよく読んでもらってたし、母さんは本物のウサギを飼ってたこともあるって言ってたよ。それからずっと好きだな」
ーこれは本当だよ…君と好きな物が同じなんてすごい偶然だろ?運命だと思うよ…。
「ウサギも慧矢さんも、すごく可愛いから好き…」
「そう?じゃあ、うんと可愛がってもらおうかな」
「うふふ…何してほしいです?」
「キス…」
 慧矢の真顔にドキッとさせられる。
 ゆっくりと顔が近づいてきて鼻を擦り合わせた後、チュッ…と唇が軽く触れた。目眩がするほどの甘美な誘惑に、葵はもう骨抜き状態だった。そしてうっとりとしていた次の瞬間、
ーぐぅぅ~~~~~~
 盛大な音を立てて葵のお腹が空腹を知らせて鳴った。
「やだっ!恥ずかしい~~!」
 胸を隠していたはずの片手を離してお腹を擦る葵…。
ー胸がまた丸見えだぞ…本当に可愛いすぎだろ…俺を悶え死にさせる気か…。
「あはは、ご飯にしよう。服は着る?着なくてもいいけど、着るなら俺のシャツを着て…」
「き、着ます…!ありがとうございます」
ー恋人と初めて夜を共にした翌朝って、こんなに甘いものなの?幸せ過ぎて怖いなんて初めて…。
「支度してるね。パンしかないけどいい?」
「はい、パン好きです!」
 慧矢が部屋を出ると、葵は出してもらった白いTシャツを着る。
ーこれって彼シャツというやつだよね!男の人が好きって言う…本当かな。替えの下着……リビングだぁぁ!って言うか、私のブラは?ショーツは?
 葵はシャツだけ被ると、裾を下に引っ張りながら慧矢の元へ行った。
「来たね。とにかく食べよう。その後でシャワー行っておいで」
「あの、私の下着知りませんか?」
 相変わらずTシャツを下に引っ張って、もじついてる。
「ああ、洗濯してる」
「え!」
「今頃は俺のモノと絡み合ってるよ」
「い、言い方…」
ー慧矢の微笑み…そんな絵画があったら私が買います!分割で。
「おいで…一緒に食べよう…」
「はい、いただきます…」
 テーブルの上には、一口大の小さなピザトーストに、コーンサラダとヨーグルトまであった。
「慧矢さん、お料理上手なんですね」
「そんなことないよ。ピザトーストは売ってるソース塗ってチーズ乗せただけだし、サラダもコーン乗せただけ…ヨーグルトは移しただけ」
ーでも…トースト、切ってある…慧矢さん包丁苦手って言ってた気が…
「あの、包丁…大丈夫なんですか?ピザトースト切ってくれて…」
 慧矢は少し目を見開いたがすぐに微笑むと
「覚えててくれたんだ。包丁がダメというよりは血がダメなんだ…母さんが死んでから…」
 柔らかい表情のままの慧矢だが、辛いことをまた思い出させてしまったかもしれない…とすぐに後悔する。
「すみません…私、余計な事を…」
「いいよ、いずれ話すんだから…でも今は食べようか、腹ペコだ」
 慧矢はそう言ってくれだが、自分の間の悪さに心底幻滅する…。
「はい…すみません…いただきます…」
「あおい~!落ち込むことないだろ?母さんが死んだのは君のせいじゃないし、俺は今幸せ…落ち込まれたら秘密を打ち明けられなくなっちゃうよ」
 葵はきょとんとした…秘密…?
「秘密が気になります…」
「焦らないで…これからずっと一緒だろ?それより、食べたら昨日の買い物の成果を見て欲しいんだ」
「そうですよね…買い物の成果も気になります…」
「それとは別なんだけど、提案があるんだ…食べながら聞いてくれる?」
「どんな提案ですか?」
 モグモグとミニピザパンを頬張りながら葵は聞いた。
「葵…一緒に暮らさないか?」
ーぐふっ…んっ…!口の中のものをびっくりして一気に飲み込んでしまった!
「そ、それって、同棲ってことですか?」
ー目をまん丸にして。まるでウサギだ…可愛いなぁ…君は断れないし、断らせないよ。
「正直、葵に付きまとうお客のことが気になってるんだよね…ここに居てくれたら少しは安心できると思って…なんて、本当は自分の心の平安のためかな…」
「慧矢さんの心の平安?」
「君を抱いてよくわかったんだ…離れては生きられないって…君は俺の魂の半身だと思った…そんな相手に巡り会えたんだから護りたいよ…君が無事に幸せでいてくれたら…それが俺の心の平安…」
ー慧矢さん…そんな風に思っててくれてたなんて…。
 葵は少し沈黙の後、考えて話す。
「私…自分に自信がなくて…どうしてこんなに好きになってもらえたのかが、まだわかってないんです…でも、自信はないけど、私もどうしようもなく好きで…慧矢さんに吸収されて、慧矢さんの一部になりたいくらい好きで…どうしたらいいのか、わからないんです…」
 率直な思いを素直に口にした。
 慧矢は少し驚いたように目を見開いている…。
ー待て、俺に吸収されて一部になりたいだって?聞き間違いじゃないのか?俺と同じことを考えてたなんて!葵が俺を愛し始めてる…!だったら…。
 慧矢は一度目を閉じてから「うん…」と唸ると、再び目を開けて言った。
「わかった…!一つ秘密を話すよ…実は俺が葵と初めて会ったのはあの店じゃない…駅のホームなんだよ」
「え?いつ?」
「もう何年も前だけど、ホームで君がカラスを助けるのを見た…なんの迷いもなくカラスを抱き上げて立ち去る姿に一目惚れしたんだ…あれからずっと俺は君が好きで、店で見た時は心臓が止まるかと思った…変わらず綺麗で、優しくて…今度こそ声をかけようって、勇気を振り絞った…ごめん、黙ってて…君はとても魅力的だよ…俺が忘れられないくらい、素敵な女性だよ…自信持って…」
「慧矢さん…」
 葵ははにかんで頬を染めた。
「…君にとってみれば、まだ昨日知り合ったばかりの男かもしれないけど、俺にとっては違うんだ…もう何年も恋焦がれた初恋の人なんだよ…片時も忘れたことはない、離れていたくない…君は俺が生きる意味だから…だから、一緒に暮らしてほしい…君の一番近い場所に居たい…俺に勇気がないばっかりに失うのはもう嫌なんだ…」
 慧矢の真っ直ぐな言葉に断る理由が思い当たらない。これから先、きっとこれ以上の恋に出逢うことはないだろう…こんなに愛されることも恐らくない…何故かはわからないが言い切れる気がした。何より自分の心の叫びに従いたい、このひとしかいない、本能がそう言っている…
 葵は意を決してその深い愛情に応えようと心に決めた。決めてしまうと早いもので、頭の中ではすでに自分の母親へ同棲の報告をしなければ…と考えていて慧矢への返事がワンテンポ遅れた。
「…私で…いいんですか…?」
「君しかいない…不安…?」
「いえ、ごめんなさい、不安はないです。ただ私も母に慧矢さんのこと紹介して、同棲の報告をしないとって考えてたら間が空いちゃっただけで…」
「そうか、良かった…断られたら葵の下着を返さないつもりだった…」
「か、返さな…ん…」
 ちゅっ…くちゅっ…
 気早に口づけられ反論を塞がれる。
「ありがとう…葵…絶対、護るから…」
「私こそ…自信を持たせてくれて、ありがとうございます…慧矢さんの言葉、いつも覚えておかなくちゃですね…」
 二人触れあっていると時間の感覚がなくなっていく…もっと、もっとという欲求に際限がない。
「ごめん、トースト冷めちゃったな…温めなおそう」
 流石にこのまま空腹で抱いてしまっては可愛そうだと思い、慧矢は努めて冷静を装って葵をキスから解放した。
 二人並んでようやく落ち着いて朝食を再開すると、葵が「美味しい…」と目を潤ませる。
「どうした?」
「ごめんなさい、ただ…嬉しくて」
ーカシャカシャっー慧矢が写真を連写した音だった。
「もう慧矢さん!何を撮ってるんですか!」
 葵は眉間に少し皺を寄せて怒って見せるも、慧矢にはさほど効いてない。
「葵が同棲を許可してくれた記念…綺麗だよ」
「な、何を言って…ん…」
 ちゅっと素早く唇を奪われた。
ーもう!私の言いたいこと、すぐキスで塞いじゃうんだから!本当に…仕方のない人…。
「食べたらシャワー行くんでしょ?でも…葵のここはいい匂いだから、行かなくてもいいよ…」
 言うと同時に下着を着けていない脚の間を撫でられた!
「いゃ…ん…」
 恥ずかしくて思わず声が漏れたが、洗わないという選択肢はない!
 必死で慧矢の手を退かそうとするが、指が中に入ってきて気持ち良さで手に力が入らない…。
「気持ちいい?俺の名前呼びながら素直に言えば…止めてあげてもいいよ…言ってごらん?」
ー恥ずかしい…でも言わないとシャワー行けない…
「慧矢…さ…んん…気持ち…い…あぁん…」
 ふふっと笑って慧矢が指を抜いた…
「仕方ないなぁ…じゃあ行っておいで…タオルと着替えは持って行くから」
「え?着替えって…」
 トロんとした顔で葵が訪ねると
「昨日何着か買ってきたんだ。他にもあるから出たら一緒に見よう」
 まだはっきり思考が追い付かず「はい…」と返事を返した。

       ◆

 シャワーを浴びて出ると、バスタオルと着替え、歯磨きセットや化粧水などのアメニティーがまるでホテル宛らに用意してあった。
ーこんなに用意してくれて…私なんて何も慧矢さんにできてないのに…夕飯も作り損ねちゃったし、どうやって恩返ししようかな…。
 そんなことを考えながら着替えた。
「服、可愛い…サイズも調度いい…」
 鏡を見ながら化粧水をつけ、眉毛が少し薄いことが気になるが、今はこれで行くしかない。
 廊下を抜けてリビングへ行くと、慧矢の昨日の大荷物が所狭しと並べられていた。
「お帰り。すっぴんも綺麗だね」
 葵は眉毛が薄いことがすごく恥ずかしくなる。
「あんまり見ないで下さい…眉毛薄いから…」
「そんなこと気にしてるの?葵は下の毛も薄くて可愛いよね」
 ボッと顔に火がついた!
「そ、そういう事は言わないで!」
 ぽかぽかと慧矢の胸を叩く。
「あははは、悪かったって、ごめんって~」
ーう~~心臓に悪い~!慧矢さんの笑顔の破壊力ったらないわ!軽く死ねる…!
 何もかもが初めての経験なのに、まるで違和感がない。彼の笑顔も言葉も声も全てが好ましく、心にダイレクトに響く…〝魂の半身〟と慧矢は表現したが、改めてその意味に深い感慨を覚えた。
 反面、彼が向けてくれる笑顔の裏にはどれほどの壮絶な体験があり、彼を苦しめてきた事だろう…と胸が締め付けられる。これからは自分が側にいて寂しい思いなんてさせない、彼が望むなら永遠に…。
ーこのひとが好き…愛してる…。
「それにしても、すごい荷物ですね…なんか、すみません…」
「何を謝ることがあるの?俺は楽しかったよ」
「でもお金…大変だったでしょ?今すぐ全額は無理だけど、半分くらいなら…ん…」
 いきなり唇を押し付け、また言葉を封じられた。
「…言ったろ?俺は楽しかったって…それで十分だよ。逆に葵が必要だと思う物が足りないかもしれないから今度は二人で買いに行こう…手を繋いでさ、カフェ巡りもしよう…な?」
ー慧矢さん…なるべく私が気にしないように気遣ってくれて…。
「はい、行きましょうね…すごく楽しみ」
「うん!じゃあ、成果を見てくれ!服はあと上下二着ずつあって…靴に、パジャマに…これが一番大事なんだった」
「なんですか?」
 覗き込むと、何やらキーホルダーのようなものがあった。
「これはキーファインダーって言って、GPS機能が付いた探し物発見器ってとこかな…」
 葵は不思議そうに小首を傾げる。
「心配性って笑われるかもしれないけど、昨日の客のことが気になって仕方ないんだ…俺も調べてはみるけど、奴は普通じゃない。あの目は危険だ…脅かすわけじゃないけど君に何かあったら俺は生きていけない…だからお願いがあるんだ。これをよく使うバックやポーチに入れておいてくれないか…?その他にも位置情報アプリを取ってほしい。君と連絡がつかない時以外にアプリは起動させない!だから…」
 そこまで言って言葉に詰まる…。
ーやはりダメだろうか…無理だろうか…黙って忍ばせておく方が良かったか…。言ってみたはいいが、これではまるで繋がれた犬だ…断られたら違う方法を模索するしかない…。慧矢に不安が襲いかかる。
 するとようやく話の内容を理解したらしく葵が言った。
「つまり、GPSで私の居場所がわかるんですね…」
「うん…ごめん、俺の方が怖い?葵を護るにはいい方法だと思ったんだけど…ダメ…かな…?」
 慧矢の頭に垂れ耳が見えるようだった。葵は思う…私の居場所を彼に知られたところで別段困ることはない。これを持つ事で彼が安心してくれるなら…。それにこんなに心配そうな顔して…可愛い…。
「わかりました、いいですよ。持ちます」
 葵は心よく承諾した。。
「本当?良かった!バイト終わりは迎えに行くし、必ず君を護るから…」
「はい…よろしくお願いします」

       ◆

 葵の許可を得て、GPSを持たせることに成功した。
 それだけじゃない!夢にまで見た生身の葵を何度も抱いた…夢じゃない!
 しかも同棲まで了承させた!ここまでの急展開を、誰が予想しただろう。
 だからこそ不安になる…葵は俺じゃなくても、告白されたら身体を許したのだろうか…。
 そんな〝もしも〟な話に心が淀む…。
 そんなことはない、そもそも俺達が結ばれたのは宿運だと言っても過言ではない。
 この世に〝神〟がいるなら、葵は正にその神からの贈り物だと思う。
 母親が自殺してからの慧矢は、半身を失い、人生を諦め、生きることへの執着を捨てていた。
 一緒に逝くことさえ許されず、無価値で頼りない自分を責め続けてきた。
 母さんはどうして俺を置いて逝ったのだろう…子供を道連れにすることなど容易いはずだ…でも母さんはそうしなかった…もしかしたらこんな幸せが俺に訪れることを知っていて…?いや願ってくれたから。だから母さんは俺を道連れにはしなかったんだ…ずっと疑問だった、ずっと寂しかった、何かが足りなくて常に枯渇していた。そして求めたいという思いとは裏腹に周囲への興味は薄れていった。
 ただ与えられるものを享受するだけの日々…。
 だが、もうこれまでの自分には戻れない。
 俺の生は葵と共にある…彼女に触れ、その温もりを知ってしまった以上、もう独りでは生きられない。
ー愛してる…葵…
 自分を作る細胞の全てがそう言っているのがわかる。
 葵にもし何かあったりしたら…考えただけで戦慄する…。
 寺内健…お前の秘密を必ず突き止める…!
 慧矢は相手の出方を待つか迷っていたが、やはり機先を制する方がいいだろうと考えていた。葵に何かあってからでは遅いのだ。
 広げられた買い物の戦利品を二人で確かめながらあれこれ話していると、この幸せがどれほど尊いものであるかを実感させられる…彼女を付け狙う奴の真の目的がわからない以上、危険が去ったわけではない…それなのに幸せを感じるのは不謹慎だろうか…。
 葵はすっかり安心しきった様子で微笑んでいる。
「ねぇ、葵…抱きたい…君に吸収されて、君の一部になりたいんだ…」
「ふふ…慧矢さんは…もう私の一部ですよ…」
 そう言うと葵はキスをしてくれた。
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