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悍ましき眷属達

奇跡の日

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 ヒュドラ事件から30年。
 その3日後。
 後に奇跡の日と呼ばれるこの日。
 1日。
 1日だけ。
 ギリシャを中心に。
 そして世界に。

 神話の大怪物との戦いで命を落とした英霊達が。

 帰って来た。

 ◆

 ピンポーン

(誰だこんな時間に? イタズラか?)

 深夜0時きっかり。ギリシャのある一軒家の老主人は、ベッドの中で真夜中に鳴ったインターホンを聞き、一体どんな不躾な客が来たのだと苛立ちを覚えていた。幸い隣で寝ている妻はまだ寝ていたが、何度も鳴らされると起きてしまうだろう。

 ピンポーン

「ちっ」

 再び鳴ったチャイムの音に、思わず舌打ちをしながら老主人が部屋から出て行こうとすると、下の階から誰かが玄関の方へ移動している音が聞こえてきた。どうやら自分の次男夫婦のどちらか。おそらく次男が起きていたのだろう。そして軍人であった長男の方は、あの忌まわしき事件の時に……。

「嘘だ! 嘘だ!」

(なんだ!?)

 あの日に帰ってこなかった長男の事を思い出して消沈していた老主人だったが、玄関から聞こえてきた次男の大声に、何か大事が起こったのではないかと慌てて部屋から飛び出す。

 そこで老主人が見たものは。

「ただいま父さん」

「嘘だ!」

 流石親子だ。次男と同じ叫びを上げた老主人の視線の先、そこには忌むべきヒュドラ事件からついに帰ってこなかった彼の長男が、あの時、30年前の姿のまま玄関で立っていた。

「どうしたの? ああ嘘よ……」

 玄関から立て続けに起こった大声に、眠っていた彼の妻も階段を降りてくるが、同じく玄関に立っている自分が最初に産んだ子供の姿を見ると、その場に崩れ落ちてしまう。

「どうなってるんだ!? 本当にお前なのか!?」

「そうだよ父さん。皆に別れの挨拶が出来なかったのが未練だったんだ。そしたら1日だけ時間を貰えてね」

「待て! お前が本物なら、昔に腹を手術した後がある筈だ!」

「今あるかな……あった。体も同じなんてサービス満点だ」

「ああなんてことだ! 一体、一体何があったんだ!?」

「契約書に、何が起きたか詳しく話すなって守秘義務の項目があってね。サインしたから話せないんだ。ただ神様のお陰ってだけ言えるよ」

 ◆

 この現象は世界中で起きていた。一軒家に、アパートに、病院の一室に、かつてなくしたはずの最愛の人達が訪れたのだ。

 しかしやはりヒュドラの爆心地であったギリシャは別格であった。真夜中にも関わらず街で、村で、あちこちで叫び声が轟き、詳細はさっぱり分からないが、帰宅した彼等が1日だけしか居られない事が分かると、その家族達は近所のケーキ屋を無理矢理叩き起こしたり、24時間営業のスーパーに暴徒のように押し寄せたのだ。勿論目的はただ一つ。パーティーのためである。
 目を真っ赤にしながら、兎に角酒、食べ物を求めてカートを押しながら突撃して来るおばちゃん達に、店員達は本気で命の危機を覚えたという。

 そしてまだ夜も明けていないというのに家々には国旗が翻り、酒を飲みながら肩を組んで歌い合うという光景がギリシャ全土でみられた。

 朝になると、この騒動に関係が無かった人達も何が起こっているか分かり始めた。なにせテレビで大々的にやっている上、大勢の運転手が仕事をさぼってかつての家族達と飲み明かしていたため、公共交通機関は完全にストップするなど、国全体が大騒ぎになっていたのだ。

 おばちゃん達は嵐の様に買い込んでは一刻も惜しいと家に帰り、そのまま台所に立ってとにかく料理を作りまくり、営業しているレストランはどこも満席。

 食卓に着いた昔懐かしき人に、これを食べろあれも食べろ。

 兄さん彼女は自分の妻だ。この子はお前の孫だ。皆で写真を撮ろう。

 首相は24時間テレビに映りっぱなしで、専門家達はずっとうんうん唸っている。

 教会の鐘は狂ったように常に鳴りっぱなしで、バチカンでは覚えのない感謝の電話が途切れることなく、現地の神父は感謝の御祈りは明日でいいから、今日は帰って来た家族と一緒にいろと追い返す。

 この騒動で死者が一人も出なかったのはそれこそ神の奇跡だった。実際にあったかもしれないが。

 そして当然だが皆が問う。本当に1日だけなのかと。

 だが答えは変わらなかった。蘇った訳ではない。ただ未練を燃料として現れているだけなのだ。この1日で満足して燃え尽きると。1日だけの奇跡なのだと。

 そしてまた当然問う。この奇跡は誰が起こしたのかと。

 だが答えはきちんと帰ってこなかった。ある者は言う、守秘義務があると、ある者は言う、神だと、ひねくれものだと、お節介焼きだと、物好きだと、皆がバラバラの答えを返した。そしてバチカンの通信網は完全にパンクした。

 そしてまた夜になると、皆が泣きながら、笑いながら別れを惜しむ。そして送り出した。

 帰って来た者達も、最後の未練を解消した。

 狂乱であった。狂乱であったが、世界はちょっとだけ、ほんのちょっとだけ幸福、希望、信仰、そして愛情に包まれていた。





 呟く一人の老人。年の頃は70か80か。巌の様な顔。鷹のような目。深い皺一本一本に、彼の歩んできた壮絶さが伺える。

「一体何が起こっているんだ……」

 妖異、異能溢れる現代において、バチカンの次に権威ある立場を確立している極東の雄。ここ異能研究所、通称、異の剣の最高責任者である源道房は、世界中から舞い込んでくる報告、死者が帰ってくるという異常事態に頭を痛めていた。

「盆にはまだ早いぞ」

 これが一件や二件なら徹底的な調査を行うのだが、事は世界中、日本でも確認されているのだ。そのためあまりにも規模が大きすぎて完全に手が回っておらず、俗っぽく言うと殆ど匙を投げていた。

 ただ異の剣はまだましだった。ギリシャ国内にはギリシャ正教が存在していたが、それでも世界中で起きた奇跡で、しかも復活と言う単語が皆の頭をよぎるのだ。当然バチカンへの問い合わせの件数は天文学的数値で、彼等は匙を投げるどころかもう地中深くに埋めていた。

「やはりバチカンか?」

 源もそんな一人であり、伝手を頼ってバチカンの高位の者に連絡しようとするも不通で、そのせいで疑念から可能性が高いと判断するまでに至っていた。そして大体の組織のトップもそう思っていた。

 リリリリリリ!

「ひっ!?」

 だから執務室の一番厳重な箱、魔除けの護符だらけのその箱の中から響いてくる音に、完全な不意打ちを受けて悲鳴を上げてしまった。

「ま、ま、まさか!?」

 一体いつからこの奇跡が、善性の神によるものと錯覚していたのか。源は結びついてしまった最悪の予想に震えながら、慎重に慎重に箱を開いて行く。

 リリリリリリ!

 そこには白と黒の、いや、魔除けの護符がこれでもかと張り付けられている、元は単なる古い黒電話が収められていた。ここ数十年一度も鳴っていない、世界で最も恐ろしいホットラインが……。
 震える手を必死に抑えて受話器を握る……。

「も、も、もしもし」

 上擦った源の声。もしここに異の剣の職員が居れば聞き間違いだと思うだろう。妖異に対する脅威の為、日夜異の剣を引っ張り、世界の旗頭の一人でもある源の出す声などと、誰も想像も出来なかったに違いない。

 そう。この電話の番号を知っているのは源を除いてたった一人。いや一柱。

『ああ源さん久しぶりですね!』

 復讐神、へばり付く泥、呪泥、忌神。仇名忌み名は数あれど、唯一名も無き神の一柱。

「お、お、お久しぶりです。ひょ、ひょ、ひょっとしてギリシャの件はあなたが?」

 普段は巌、鷹の目と言うに相応しい源の顔は蒼白で、汗が滝の様に流れ落ちていた。彼が思いだすのはまだ副所長であった時代、何をしても、どんなことをしても、ついにはどうしようもないと悟るしかなかった負の化身。

『え!? いやいや無理無理! 仇を目の前にした怨霊に肉を上げるのは出来るけど、今起こってるのは俺じゃ無理だよ! 買い被りされ過ぎて照れちゃうね! 兎に角俺じゃ無理! それこそ神に誓ったっていいね!』

「え!? ではご用件は!? 生憎なぜ起こったかは掴めてませんが!」

 接触を断っていたのにこのタイミングでの連絡だ。てっきり今起こっている奇跡と、何か関連があるとばかり思っていた源は困惑してしまう。

『いや実は世鬼の訓練符が手に入ってね! 源さんのとこなら有効活用してくれると思ってさ!』

「え!? 世鬼!? え!?」

 耳を疑うとはまさにこの事。訓練符とは言うも、本物はもう少しで核攻撃の引き金を引くところだったのだ。そんな存在を日常会話の様に言われても、源が付いて行けるはずが無い。

『郵送で源さん宛に送るから! あ、勿論ちゃんと着くように呪ってるから安心して! いやあ世界の為になんて優しいんだ! それじゃあまた!』

「え!? あのっ!? えっ!?」

 付いて行けるはずが無い。

 ツーツーツー

 だが悲しいかな。源の声に応えるのは、機械的な通信の途絶音だけであった。





























今日が休みで良かったー!

万単位の未練残してる人を現世に呼んで形作るなんて、片手間じゃ絶対出来んからな!

いやぁいいことした!
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